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「ちょっとピンぼけ」だったが 運命の1枚

(2013.02.05)  期待もせず、何気なく見た番組だったが、

 フォト・ジャーナリズムとは何か

ということをつくづく考えさせられた。先日の日曜日夜のNHKスペシャル

 作家、沢木耕太郎 推理ドキュメント 「運命の一枚」

である。

 ● キャパは出世作になぜ沈黙したのか

 世界的に知られる戦場カメラマン、ロバート・キャパの出世作、

 「崩れ落ちる兵士」(1936年9月撮影。スペイン内戦の戦場で)

は、戦争という対象にぎりぎりまで肉薄した衝撃の一枚として、つとに有名だ。

  しかし、沢木さんの推理とその仮説、分析によると、

 撃たれてもいなければ、死んでもいない

という。その検証結果をNHKが紹介したものであり、仮説と推理をもとにその瞬間をCGを駆使して具体的に再現してみせており、推理に説得力があった。

 問題の民兵兵士は、これから始まる実戦に備えて、戦闘訓練の演習中、ゆるやかな下り坂で滑って、後ろに転倒、銃を手から離した瞬間の写真だというのだ。

 Dsc01167 その証拠に、戦闘真っ最中だというのに写っている銃はロックされており、ただちに発射できる状態にはなっていないこと、撮影されたとされる日付には、まだ撮影地では戦闘は始まっていなかったという歴史的事実-が決め手となった。

 これだけでも、衝撃である。しかし、問題は、これだけではなかった。

 撮影者は、キャパ自身ではない

というのだ。撮影者は、そばで一緒にカメラを向けていた

 キャパの恋人、ゲルダ・タロウであろう

と、これまた、このときのほかの多数の写真も検証しながら、沢木さんの仮説をもとに、そしてCGを駆使して特定した(写真上= NHKスペシャルの番組画面より)。

 さらに問題の写真に写っている撮影範囲は、そのときの状況により、これまたキャパの持っていたライカカメラでは、わずかではあるが撮影できない部分があることがわかったというのだ。これに対しゲルダのカメラなら、十分可能であることも具体的に示されていた。

 これにより、キャパがなぜ、22歳の時に撮った輝かしい出世作について、その後、ほとんど語ることがなかったのかという理由がようやくわかる。語りたくても、真実は語れなかったのであろう。沈黙を守るしかなかった。

 撮影から77年目の〝真実〟と言えそうだが、恋人に対するこの負い目こそ、キャパが戦場へ、そのまた最前線へと、突き進んでいく力になったのは皮肉である。

 そして、撮ったのが、これまた有名な

 D-DAY

という

 「ちょっとピンぼけ」の「ノルマンジー上陸作戦の決定的な写真」

となって結実する。海岸に待ち受けるドイツ軍からの機関銃の弾がまじかに飛び交うなか、震える手でシャッターを切った

 本物の戦争の写真

だった。手ぶれでピントが合っていない。それほどに戦場に肉薄している証拠だろう。しかも連合軍兵士の後ろからではなく、前から撮影したアングル。この写真こそ、恋人、ゲルダ・タローへの鎮魂の一枚となったであろう。

 番組の推理が正しいとしても、キャパを

 「堕ちた偶像」

とするのは当たらない。

 確かに「ちょっとピンぼけ」ではあったかもしれない。沢木さんの推理が正しいとすれば、いわゆるやらせや、架空のウソやでっち上げではないにしても、十全の誠実さには欠けていたであろう。

 しかし、22歳の若者にそれを求めるのは酷であり、欠如もまた伝えたいことを達成するための方便の範囲内だったとブログ子は考えたい。たとえ、その伝えたいことが幻想であったとしても。

 彼が、そして彼女が何を伝えたかったかということが、明確に「運命の一枚」の写真から伝わってくるからだ。スペイン内戦は帝国主義に反対する正義のための戦争であるといいたかったに違いない。だからこそ、世界的な米写真誌「LIFE」もいち早く取り上げたのであろう。

 ジャーナリストにうそや偽りのない誠実さは不可欠である。だが、肝心なことは、撮った写真で何を伝えたいのか、フォト・ジャーナリストとして写真で何を証言したいのかという誠実さの具体的な中身なのだ。誠実さは何によって示されるのか、と言い換えてもいい。

  ● フォト・ジャーナリズムとは何か

 フォト・ジャーナリストの広河隆一氏によると、

 フォト・ジャーナリストとは、実際に現場に立ち合わなくては成立しない、

 いわば「瞬間の証言者」

という意味のことを語っていた(放送大学講義「フォト・ジャーナリズムとは何か」2013年1月放送)。

 カメラという、その証言力が普通のジャーナリストとは違うという意味だろう。だから、フォト・ジャーナリストが現場に立つことで、事件や戦争の抑止力になる。

 抑止力、これこそが、フォト・ジャーナリストの存在意義

と広河氏は強調していた。フォト・ジャーナリストは、写真家ではない。証言者であるというわけだ。

 Image663 今回の「運命の一枚」は、このフォト・ジャーナリスト=瞬間の証言者説を無条件には正しくないことを示した。ジャーナリストとして誠実であれば、という前提が要る。いかようにも事実を加工できる今のデジタル時代においては、ますますこの前提が意味を持つ。

 抑止力うんぬんについては、広河さんの言うとおりだろう。しかし、これとても、カメラが抑止力になるのではない。カメラをのぞく人間の誠実さが抑止力につながるのである。

 「週刊新潮」2013年1月31日号のグラビアには、写真とともに

 生誕100年 2人のロバート・キャパ

という記事が出ている(写真下)。この記事によると、1954年5月25日、北ベトナムの戦場に向かった40歳のロバート・キャパは、地雷を踏んで死んだ。ゲルダ・タローの死から17年後のことだったという。

 戦場にあったキャパは、何を伝えようとしていたのかという点では、生涯一貫していたように思う。正義のための戦争はあるという信念だ。それをカメラで世界に示したかった。運命の一枚にしろ、D-DAYのピンぼけ写真にしろ、戦後撮った写真にしろ、ジャーナリストとして、この訴えたいことについては 一貫していた。この一貫性こそ、キャパの誠実さのあらわれであろう(注記)。

 そして、今、必ずしも「真」を「写」すとは限らないデジタルカメラの時代。極論すれば、キャパが生まれて100年、カメラが真実を写し出す時代は終わった。

 撮った写真で何を具体的に伝えようとしているのか、証言しようとしているのか、あるいは何を伝えたいがために活動しているのかというジャーナリストの志の高さや誠実さが、キャパの時代以上に試される時代になっている。

 今回の推理ドキュメントは、あらためて、これからの時代、証言者として

 フォト・ジャーナリストの本当の意味の誠実さとは何か

というその内実のあり方を、私たちに突きつけたように思う。

  注記 余談

 結局、このフランス軍が仕掛けたインドシナ戦争でキャパは死亡するのだが、その後、1960年代に、フランスが手を引いたベトナムにアメリカが介入。

 自分の名前にもアメリカ人の呼び名を付けたほどのキャパだったが、この戦争を取材していたとしたら、どんな感想をいだいたであろう。

 もちろん、これは歴史の後知恵にすぎず、彼の誠実さとは無関係である。

 キャパは、幸せな時代に生きたと思う。

  注記2

  この番組を見ながら、ふと、ビデオジャーナリスト、山本美香さんのことを思い出した。昨年2012年8月にシリア内戦の取材中、政府軍に銃撃されて死亡した。彼女はジャパンプレスの記者だった。紛争地の女性や子どもたちの視点から、戦争孤児など戦争の悲劇を世界に伝え続けていた。その姿に、取材中、若くして戦場で戦車にひき殺されたゲルダ・タローを思い出さずにはいられなかった。

 ここでも、正義の戦争などないことを、あらためてブログ子は思い知らされた。

注記3

当の沢木耕太郎さんは、この2、3年、月刊「文藝春秋」に、 

 キャパの世界、世界のキャパ

という連載を続けている。先月の1月号が、「崩れ落ちる兵士」問題を扱った

 キャパの十字架

だった。そして、今月2月号は

 あしながおじさん

である。キャパは、1944年のイギリス滞在中、イギリスの戦災孤児少女と米軍兵士が手をつないでいる姿を撮った。その場所を探し回る旅である。

 「キャパ」を歩く

という企画であろう。

 作家、山本一力さんは、有名な歴史上の人物の伝記についても、

 それでも隙間は無限にある

と、書いている(講談社の読書人の本『本』1013年1月号)。この沢木さんのこの推理ドキュメントはまさに、その通りであることを証明している。

 「ローエル」を歩く

もいいのではないか。

  補遺

 このNHKのドキュメントについては、沢木さんの近著

 『キャパの十字架』(文藝春秋)

にその詳細がある。

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