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真剣勝負の「愛ふたたび」 金沢で考えたこと

Dsc0093320130119_2 (2013.01.22)  定年後の現在、ブログ子は、浜松に生活しているのだが、先日、ふと、懐かしさもあって20年間暮らした雪の金沢を訪れた( 写真 = 兼六園・唐崎の松 )。今も付き合いのある男友達、女友達との語らいを楽しんだ。

 雪明りの夜は、かつての仕事仲間と、行きつけの赤提灯やおでん屋で、ワイワイと話が弾んだ。

 「老いても、やっぱり恋だよねえ」

という話に落ち着いた。

 そんななか、昨年夏から全国の10以上の地方紙、あるいは夕刊紙「日刊ゲンダイ」で次々に始まった渡辺淳一さんの

 「愛ふたたび」

が話題になった。話題というのは、あろうことか、あまりに過激なので、作者にことわりもなく、新聞社のほうで連載中止、あるいは中断、あるいは、渡辺さんにことわりもなく「終わり」としてしまった社がいくつかあったらしい。

 『老人力』の著作でも知られる渡辺さんだから聞き流すかと思いきや、これには渡辺さんも怒った。連載依頼に対して過激ですよ、いいですねと、渡辺さんは念を押した。これに対し、結構です、思い切って書いてくださいと新聞社のほうでも、配信元を通じて了解したらしい(「週刊新潮」2013年1月24日号の渡辺氏の連載エッセー「あとの祭り」= 中断された新聞小説。注記)。

  それなのに、中断とはなんだと渡辺さんの怒りはおさまらない。

 無理もない。

 渡辺淳一、愛ふたたび。

 こうくれば、たいてい、そのストーリーは想像できる。読んでいないブログ子なども、このタイトルだと、例によって例の如く、不倫だろうと、思った。せいぜい、老いらくの恋。いつものことで、不倫先は京都への旅か、寒い札幌と相場が決まっている。

 しかし、今回は様子が違った。結論を先に言えば

 渡辺さん、人生最後、真剣勝負の新聞連載「愛ふたたび」

とブログ子は直感した。それを、いわば、知らぬまに中断させられた。

 真剣勝負だったことは、79歳になる渡辺さんが連載に当たって、昨年7月の「日刊ゲンダイ」に載せた「作者の言葉」からも、うかがえる。

 大事な点だから、短いので、全文を引用する。

 「私はこの連載で、日本人の固定観念を根底から覆したい。実に殺伐として詰まらない社会に一石を投じ、老いというものを前向きに捉え、多彩で豊かな人間関係を築くための、起爆剤にしてほしいと思っている。これまでにない、人生と性の深遠に鋭く迫る作品を目指します」

と、日本初のインポテンツ(性交不能、勃起不全)問題を真正面から取り上げる「愛ふたたび」の執筆動機を披瀝している。渡辺さん自身がどうやらインポテンツに悩んでいるらしいので、小説に迫真性があるのも当然だろう。

 Image619 そこで、ホテルに帰って、その日の、地元紙、北國新聞夕刊で「愛ふたたび」(第12部 京への旅(4) = 写真)を読んでみた。雅号「気楽堂」と名乗る70代前半の整形外科医(渡辺さんの分身らしい)が弁護士の愛人と京都の法金剛院を訪れる場面であり、どうということはない。純文学だ。

 数日前のストーリーでは、同級生同士の会で、話しづらいインポテンツについて、正直に話し合い、さまざまな気持ちを分かち合い、主人公は心地よい気持ちになるというもの。

 これなら、ブログ子も共感できる。まじめな、言ってみれば、小説だ。おそらく、インポテンツを乗越えた先に、

 本当の愛とは何かが見えてくる

ということを、自分の体験からにじみ出るような筆致で描き、渾身のライフワークとして完成させたい。そんな意欲が感じられる。性交を離れて、愛は成立するかという深遠な問いかけでもあろう。

 いかにも、

 老いても恋を

というのを終生の持論としている渡辺さんらしい。

 渡辺さんは、これまで、

 40代主人公の『失楽園』

 50代主人公の『愛の流刑地』

 60代主人公の『エアロール それがどうしたの』

と、自分の体験も織り交ぜ、自分の実年齢に重ねて、書いてきた。それの完結編が、今回の

 70代主人公の『愛ふたたび』

ではないか。おそらく、気力という点でも、最後の新聞連載だろう。テーマも医師だった渡辺さんらしいものであり、ほかの作家ではとうていリアルには描けまい。それだけに、渡辺文学の「愛」の集大成にしようと、力が入っていたと思う。ほかに類をみない恋愛小説の到達点を目指した社会派的な小説とも言えるような気がする。

 こう考えると、新聞連載を中止した地方紙のほうが悪い。渡辺さんに対する偏見あるいは誤解というよりも、渡辺文学の理解を間違えている。

 先の「作者の言葉」を待つまでもなく、渡辺さんは、79歳の体に鞭打って渾身の力で執筆していたのだと思う。

 「週刊新潮」連載エッセー「あとの祭り」で、渡辺さんは、かつて、読者に自分史を書くことをすすめていた。その渡辺さん自身、自分史を書いているかと問われて

 「書いていない。すべて小説として書いている」

と告白している。今回の〝事件〟で、これが 事実だと知った。 

 作家とは、なんと恐ろしい、因果な商売なのだと思った。

 注記 2013年1月27日

 「週刊新潮」1013年1月31日号の「あとの祭り 小説を検閲するとは)によると、

 連載が中止となっているのは、

 十勝毎日新聞、福井新聞、岐阜新聞、山陽新聞、山陰中央新報、日本海新聞、大阪日日新聞、山口新聞、徳島新聞、愛媛新聞、四国新聞、長崎新聞、大分合同新聞、宮崎日日新聞、琉球新報、デーリー東北

の16紙(これらは、なんと、2012年12月9日に、いっせいに、作者にことわりもなく掲載を中止したという)。これに対し、掲載を続けているのは

 日刊ゲンダイ、北國新聞、富山新聞

の3紙。見識だろう。検閲ではないかと、怒る渡辺氏は、しかるべきところに提訴も考えているらしい。提訴先として、裁判ではなく、「もし提訴するなら、日本ペンクラブがいいか、とも考えている」と「あとの祭り」連載のこの号で書いている。

 あとの祭りで終わらせたくないという決意のあらわれであろう。当然である。

 提訴となれば、

 平成の「わいせつ」裁判

という話題性があろう。

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