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宇宙論と神 遊びをせんとや生まれけむ    - スタートさせたいライフワーク

(2013.01.01 元旦)  新潮社の広報雑誌「波」(2012年12月号)の表紙を見て、思わず 、うなった。そのど真ん中に、50代半ばの小説家、奥田英朗さんの筆跡で、

 そろそろ遊んで暮らしたいなあ

と書かれている。

 Image555 シニア世代に入ったブログ子も日ごろ、そう思っていたのだが、表紙の写真は、その奥田さんが執筆の合間にくつろぐ自宅のリビングルーム。都内のマンションの一室をご自分の好みに合わせて改装したらしい( 写真 )。

 思わず、いいなあ、とため息をついてしまった。うらやましい。

 ブログ子も、こんなにりっぱなものではないが、湖のほとりの高台にある自宅の仕事場を

 「佐鳴台 方丈庵」

と勝手に名づけて、このブログなどを書いている。

 湖の向こう岸に林立するメタセコイアなど、四季の移り変わりが眺められて、とても心が落ち着く。まるで、東山魁夷の風景画を見ているようなのだ。窓からは、沈みゆく夕日も眺められるのがうれしい。生きながら、西方浄土を体験している気分だ。そのせいか、現役時代のうつ病が、ウソのように治った。これが、都会にはない、田舎暮らしのいいところなのだろう。

 そろそろ遊んで暮らしたい

というのを、別の角度から取り組んだような新連載が、集英社の読書情報誌「青春と読書」(2013年1月号)で始まった。

 ブログ子の敬愛する高名な宇宙論学者、池内了さんの

 宇宙論と神

である( 注記 )。池内さんは、ブログ子より、少しだけ年上の世代。第一回は、

 宇宙における神の存在

だった。歴とした物理学者がこんな問題を取り上げるのだから、よほどの自信と遊び心がなければできない。

 このブログでも、

 ボジョレー・ヌーボーと現代宇宙論(2012年11月17日付)

 〝神の一撃〟以前 「無」の前の痕跡に迫る観測的宇宙論(2012年8月24日付)

などを取り上げた。

 池内さんは、第一回のなかで、

 科学が神を必要とする理由

について、論じている。

 科学の真理を一心不乱に突き詰めていって、ある美しい結果が出たとする。なぜ、そんな美しい結果になる必要があったのか。それは科学では説明できない。

  たとえば、この宇宙になぜ人間が登場しなければならなかったのか。科学ではその解答は得られない。そこで神に登場を願うというわけだ。

 神は自分の創った宇宙の美しさを誰かに知ってもらいたかったからだ、という風に。

 つまり、このように、科学が神を必要とするのは

 至高の神であれ、便宜的な神であれ、恣意的に使えるからこそ神の使用価値がある

からだとなる。逆に言えば、

 人間が創り出している宇宙論が神の居場所を保証してくれてもいる

となる。

 だから、

 科学者は一番神を意識している存在なのかもしれない

となる。だから、

 科学(者)は神を否定していない

ということになる。

 こういう科学の側からの神の考え方には、当然ながら神の立場に立つ宗教学者、あるいは宗教者からの異論もありそうだ。これからの展開が楽しみである。まだ第一回を読んだだけだが、ひょっとすると、池内さんの著作の代表作になるような気がする。

  というのは、池内さんは2007年6月3日付日経新聞の「半歩遅れの読書術」欄に、三年後には私も定年を迎えると前置きして、定年後の読み書きについて、

 新境地を拓きたい

と書いているからだ。「新しい博物学」を提案しているのだから、文学や歴史と科学をうまく接合したものにしたいものだとも述べている。そんな例として、日本人の「数」とのかかわりを時代背景とともに考察した数の博物誌ともいうべき『「数」の日本史』(伊達宗行)を例として挙げている。その上で、最後に、私(池内)も定年後にはこんな本を書きたいと結んでいる。

 それが、この

 新連載「宇宙論と神」

のような気がする。いかにも宇宙物理学者らしい博物誌になるかもしれない。

 ブログ子も、しばらくは付き合っていきたいと思う。

 そのなかで、私もライフワークを早く見つけたい。

 それは、ともかく、池内さんも述べていることだが、『梁塵秘抄』に

 遊びをせんとや生まれけむ 

 戯れせんとや生まれけむ

というではないか。 

  心を解き放った遊びや戯れから、深い思索や思わぬ成果も生まれる。

 新しい年が明けたが、奥田さんの言うように、そろそろ遊んで、戯れて暮らしたいと思う。そこからライフワークが出来上がったら、言うことはない。そんな初夢を見たい元日である。

 注記

 宇宙とは、中国の古典『淮南子』に出てくる

 四方上下、これを「宇」という

 往古来今、これを「宙」という

に由来する、つまり、宇宙とはすべての空間と、すべての時間を指すことになる。なんとも見事な定義ではないか。 

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