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南極の「もの食う人々」  料理人の視点 

(2013.01.05)  BS放送も含めて、テレビには、お手軽だからか、芸能人が食べ歩きする番組があふれている。が、これほど視聴者を小ばかにした低俗番組も珍しい。もちろん、ブログ子は、なんだか芸能人のセックスシーンを見せられているようで、気持ちが悪く、また恥ずかしくて、そんな番組は見ない。

 そんななか、かつて共同通信社の記者だった辺見庸氏が1990年代に連載した

 もの食う人々

というのは、ギョッとさせられる硬派の作品だった(後に、角川文庫)。この軟派版というのが、

 映画「南極料理人」(沖田修一監督)

であろう。料理人役の堺雅人、雪氷学者役の生瀬勝久が好演していた。

 南極という極地の「もの食う人々」というテーマで、しかも料理人の視点から、食うということの意味を軽妙なタッチで描いている。公開された2009年に一度見たのだが、先日、BS民放で、食をめぐる傑作映画祭というタイトルで放送していた。新潮文庫には原作エッセーもあるらしい。

 Image562 南極は、とかく学術的な視点から取り上げられることがほとんど。それを隊員をサポートする料理人の立場から、ユーモラスにしかも鋭く描いていた。

 舞台は、昭和基地(年平均気温マイナス10度)よりもはるかに寒い

 ドームふじ基地(年平均気温マイナス54度)

である。ここは昭和基地から東京と大阪ぐらいの距離を内陸に入った高地である。標高で言えば、昭和基地の約2000メートルに対し、ドームふじ基地はなんと、約3800メートル。富士山より高いのだ。

 しかも、南極の冬(つまり、日本の夏ごろ)は、一日中太陽は出てこない。一日中、暗闇。南極の夏(ということは、日本では冬)は、一日中太陽が沈まない。

 空気も地上の6割程度というから、高山病になるような環境だ。そんなところでの一年にわたる越冬生活は、とてもじゃないが、続かない。いくら研究熱心、物好きが行くところだとしても、ブログ子などは、気が狂う。それだけに食べることだけが、楽しみだというのもわかる。

 人間にとって食うということは、単なる栄養の摂食ではなく、精神的なバランスを保つための本源的な営みなのだ。そんなことを、映画はあらためて気づかせてくれる。野放図なチンドン屋のようなたらふく芸能人の食べ散らかし歩きとはまったく違う映画だった。

  ( 写真は、大学共同利用機関法人国立極地研究所のパンフレット「南極観測」から ) 

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