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環境守るには「リサイクルしてはいけない」

(2012.12.25) 年末大掃除の時期とあって、ブログ子も家庭ごみと資源の区分けに、このところ苦労している。

 ● プラスチックは劣化する。が、格好な燃料

 わが暮らす浜松市では、来年4月からは、これまで区ごとに異なっていた出し方も、統一するため変わる( 写真上 )。

 Image552 一部はリサイクルするものの埋め立て処分場行きの「もえないごみ」。これに分類されていた「かたいプラスチック製品が、新しい出し方では、なんと「もえるごみ」に変更される。

 もえないとされていたプラスチック製バケツやプランター、CDケースなどは、今度は焼却処分するらしい。

  よくよく考えると、プラスチック類というのは、もともと石油から少し変形してつくられたのだから、使用して劣化したら、その後、格好な燃料になるのは当たり前なのだ。いわゆる、石油の〝二度目のご奉公〟というわけだ。ごみ発電の燃料にいい。逆に言えば、そもそもいきなりエネルギー源として石油を燃やしてしまうのはもったいないともいえる。

 さらに、これまでの「もえないごみ」として、いっしょくたにしていたライターや、蛍光灯などは「特定品目」に区分変えされるというから、ややこしい。混乱する。

 「分ければ、資源 !」とは言うものの、その出し方の複雑さ、ややこしさには、悲鳴をあげたくなる。分別で資源化という合言葉は、本当に合理的かどうか、疑いたくもなる。きっと、変更点を周知する説明会でも、担当職員も、戸惑うことも多いだろう。

 これでもまだ10区分、と少ないほうで、浜松市天竜区などは、これまで15区分(品目)もあるというから、驚く。一般の住民にとって区分するその苦労は大変なものだろう。

 いや、いや、どうして、天竜区は自然が多く残っている分、環境保全に役立つ分別収集の重要性の認識が住民に徹底している。意識が高い。そう考えられなくもない。それに比べると、まちなかの中区の高台に暮らすブログ子などは、意識がまだまだ低い。そう考えてもおかしくない。

 ● 使い捨て新品より、環境負荷がかかるリサイクル

 ところが、月1回参加している近くのこじんまりした学習会で、先日、講師から

 「リサイクルすればするほどごみが出る。環境にやさしい生活するためには、むしろ、リサイクルしてはいけない」

との趣旨の話を、なぜそう言えるのか具体的にその理由まで聞いて、びっくりした。まさか、そんなことはあるまいとさえ、思ったが、話には説得力があった。即座には反論できなかったのだ。

 Image549 講師は、静岡県内で廃棄物処理技術の会社を経営していて、廃棄物処理技術やリサイクル処理現場の実情に詳しい人だっただけに、二重に驚いた。

 さらには、この話には、きちんとした学問的な、つまり、工学的な裏付けがあった。それが、講師も推奨していた

 『リサイクルしてはいけない 環境にやさしい生活をするために』(武田邦彦、青春出版社、2000年2月)

 であり、独自に見つけた同氏の

 『リサイクル幻想』(武田邦彦、文春新書、2000年10月)

である( 写真中 )。武田氏は、執筆当時、芝浦工業大学教授で、同大環境・情報材料センター長(現在は中部大学総合工学研究所教授)。リサイクルなどの分離工学を専門としている。

 最初の本によると、ペットボトルの場合、新品ボトルの製造コスト(7.4円)に比べて、薄く散らばった使用済みボトルを回収する輸送コスト(26円)が上積みされ、再生ボトルのコストは3倍、つまり、27.4円もかかる。

 ここで、大事なことは、環境に対する影響度を、コストという価格で評価するということ。価格というのは、物質の使用量とエネルギーの量によって決まるので、ほかの恣意的な指標より、なにかと公平性を保ちやすい。だから、環境の負荷の指標としては、価格の変化は優れているという分離工学的な考え方である。

 この例で言えば、再生ペットボトルは、環境負荷が新品ボトルより3倍以上もかかる。

 ● 分離工学のキング原理

 もう一つ、鉱物資源でも、リサイクルでもそうだが、薄く広く散らばっているものを集めて原材料にする場合、

 濃度の薄いものほど、製造コストがかかる。もとより、安い製品はできない

という分離工学の原理(キングのダイヤグラム)があるということ。この原理があるので、

 ボトルに限らず、再生品は、かならず、新品製品より安くは製造できず、したがって、より環境に負荷をかける

ということになる。多分、再生品は使用過程、リサイクル過程で劣化するので、新品の原材料にくらべて粗悪であろう。

 ● なぜ、「常識」に反するのか

 これらをまとめると、

 ペットボトルと紙のリサイクルには意味はない

ということになる。環境にやさしい生活、つまり、環境保全には、何の役にも立たないということになる。

 リサイクルは環境にますます負荷をかけ、汚すという、この工学的な結論が、ブログ子もそうだが、私たちのこれまでの「常識」に反するように感じられるのはなぜかということだ。

 この件について、武田教授は、

 全国に散らばっていて濃度の薄いものをリサイクルのために輸送したり、選別したりしてコストをかけている。そこには、形を変えた膨大な資源の無駄遣いが起きている。形を変えた「みえないもの」のコストが「みえるもの」のコストの背後にあり、環境負荷を押し上げている。

 つまり、ペットボトルという目の前の「みえるもの」だけに注目していては、リサイクルの本当の姿はみえてこない

と大筋、そう喝破している。その通りであろう。

 目の前にあるものを大切にすると同時に、その背後のコストもトータルで考える必要があると指摘しているのだ。

 ブログ子は物理学出身だが、熱学の大原理

 現象の乱雑さを示すエントロピーの増大法則

というのがある。これに逆らって、再生品をつくろうとすれば、外部からのエネルギーの投入なくして、つまり、環境負荷を増大させない限り、物理学的には不可能

なのだ。外部からエネルギーを新たに投入するということは、とりもなおさず環境に負荷を新たにかけることなのだ。コストも当然かけている。このことを私たちは、見逃していると武田教授は言いたいのだろう。この原理を、価格という指標を物差しにして、工学的に具体的に示して見せたのが、武田教授の指摘なのだと、気づいた。

 ただし、それでは、リサイクルはまったく税金の無駄遣いかというと、そうではない。

 環境に負荷をかけないという意味ではリサイクルはダメだが、

 雇用の確保や、より環境に負荷をかけすぎない技術開発の確保

という点では、意味がある。つまり、経済対策としての意味はある。

 ● では、どうすればいいのか 備蓄型の人工鉱山づくり

  この点については、現状に代わる解決策として、武田教授は、先の『リサイクル幻想』の著書の中で、かなり踏み込んで

 いまのような分別万能主義の短期リサイクルではなく、簡易なピックアップ分別はするが、長期にわたる備蓄型の循環社会に向けた「人工鉱山」づくり

を提案している。傾聴に値する考え方だ。

 このシステムができたあかつきには、

 「家庭から出るごみの半分は紙で、不燃物は10%ちょっとです。この割合が大きく変わらない限り、焼却熱を考えると、すべてを混合して焼却するにはとても都合の良い燃料と考えられます」(『リサイクルしてはいけない』)

として、粗大ごみも一緒に

 「分別せずに収集し、(輸送コストの少ない)近い場所の自治体で焼却する。(10分の一ぐらいに減った残りの)灰は(人工鉱山のある)遠くに送る」(同著)

 そこで将来に備え貴重な原材料を備蓄するというわけだ。ただし、水銀などの有毒物を含む電池などはのぞくとしている。そんな巨大な人工鉱山を引き受ける遠くの自治体があるかどうかは不安だが、システムとしては合理的なように思う。

 一言で言えば、そして誤解を恐れずに言えば、

 分別しない、という考え方で地球環境にやさしい社会づくりを

というのが骨子。誤解というのは、人工の灰置き場にあたる人工鉱山が実現すればという前提を忘れてはいけないという意味だ。それがない今は、分別しないでごちゃ混ぜにするのは、混乱するだけで、もってのほかであり、無責任ということになる。 

 詳しいことは、同著を読んでほしいが、ポイントは再生品はかならず環境に過酷な負荷をかけるが、その負荷をできだけ軽減することはできるという構想だ。分別しない方法もあるというわけだ。今の分別万能主義は、複雑であると同時に、その分、手間隙がかかり、やればやるほどますます環境に負荷をかける。このことは確かだ( 注記1、2 )

 ● 混乱のペットボトル市場

 折りしも、その複雑な事情を垣間見せてくれる記事が、2012年12月22日付朝日新聞に出ている( 写真下 )。原油価格の乱高下で、

 混乱するペットボトル再生市場

の様子がレポートされている。

 Image551 ペットボトルのリサイクルが複雑すぎて、ペットボトルを利用する事業者団体や、容器包装リサイクル法に従ってリサイクルにかかわるリサイクル協会、ごみ処理の責任を負い回収にあたる市町村自治体が、在庫処理や入札をめぐって翻弄されているという。今のような、それぞれの間の直接取引を改めて、市場原理導入を考えるべきだという意見も出始めているという。

 このように、ペットボトルの高品位から低品位へのリサイクルについて具体的に知れば知るほど、理想と現実が乖離し、今の分別収集のあり方には深刻な問題があることがわかってくる。読んでいて、このままでは早晩、リサイクル事業が行き詰るような気がしたのは、ブログ子一人ではあるまい。

 ● 浜松市のごみ処理費用、年間約80億円

 上記冒頭のパンフによると、浜松市民は、赤ちゃんも含めて、一人当たり年間平均約300キロのごみを出す。1日にして1キロ。これにかかる浜松市の処理費用はこのところ、年間約80億円前後で推移している。

 そんなこんなで、武田教授の提案もさることながら、現状のリサイクルが本当に合理的な環境保護につながっているのかどうか。まずはパンフをしっかり読んで、きちんと理解する。ここから現状の改革を考えていかなければならない。そんな気になったことは確かだ。

 ブログ子が暮らす地域には、数千年前の縄文人集落のごみ捨て場、

 蜆塚遺跡

が国の史跡として大切に保存されている。近くの佐鳴湖でとれたのであろうシジミのおびただしい貝殻が捨てられている。そんな貝塚が集落の周りに何か所も出土している。

 このように、ごみ問題は、程度の差はあれど、実は、人間にとって社会が自然環境とどう共存していくかという具体的、総合的なたたかいなのだ。

 家庭ごみと資源物の出し方パンフレットをみながら、そう思った。

  ● 注記1 今すぐにできること 

 武田教授によると、人工鉱山づくりとそこからの精錬学の構築のほかに、環境に負荷をかけるリサイクルを今すぐにでも極力減らす方法がある。私見もまじえて、言えば、こうだ-。

 まず、メーカーは、モデルチェンジ、新製品を今のように次々と、頻繁にしないこと。設計上の耐用年数に見合う5年ないし10年に一度、満を持して新しい家電製品やモデルチェンジをするという見識を持ちたい。そうすれば、その分、買い替えに伴う廃棄リサイクルが減り、環境負荷がずいぶんと軽減できる。現在では、家電の場合、耐用年数の半分ぐらいで買い換えている。いかにも異常であり、もったいない。

 また、消費者も、新製品を買うのは、その家電製品の耐用年数がすぎてから考えるという節度がほしい。買い替えるほうが、環境に真にやさしいという新製品、モデルチェンジの家電など、もはやほとんどない。環境にやさしいと称する新製品、モデルチェンジ製品でも、よくよく考えると、買い替えない場合に比べて環境に過酷な負荷をかけている。

 しつこいようだが、環境にやさしいと称する新製品に、その通りであったためしはない。 ましてや、月々の電気代が1、2割お得などという程度では、まあ、ほとんど売るためのまやかしといえる。そんなのは環境にやさしい家電製品のうちには、とても入らない。そう心得るのが、環境に賢い真の消費者というものだろう。

 むやみにモノを買わない、買い替えない。このことを、これからの循環型社会の美徳とする新しい消費文化を根付かせたい。これは、何を買ってもリサイクルしさえすればいいという今の社会のあり方とは異なる。現状の大量リサイクル社会は、リサイクルしない場合に比べて環境により過酷な負荷を強いているからだ。

  ● 注記2 海外の成功事例紹介を

  環境守るには「リサイクルしてはいけない」という主張は、私たちの「常識」にやや反する。誤解も起きやすい。

 これをただすには、武田教授の上記2著作に、リサイクルしないでもうまくやっている海外事例を、少しでもいいから盛り込んでくれていたら、ずいぶんと説得力は増しただろう。現状を変えるには、環境先進国といった海外の成功実践例をもっと紹介すべきであろう。

 あるいは、かつての日本人の知恵についても紹介してほしかった。そうすればリサイクルしないという考え方や選択肢に対する理解者も、ずいぶんと増えてくるだろう。今後の課題だ。

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