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トイレのなかに芸術を わが家の場合

(2012.12.26) クリスマス・プレゼントのような随筆風コラムに出合って、うれしくなった。12月22日付朝日新聞の

 暮らしのなかに芸術を採り入れてみよう

という金子由紀子さんの「お金のミカタ」エッセーである。ブログ子は、ご本人を知らないのだが、金子さんは、いわゆるシンプルライフを実践しているフリーライターらしい。

 「芸術は、制限された生活の中にあって、「永遠」と「無限」に触れることのできるツールです」

と書いていたが、その通りだろう。東京芸大の「尊厳の芸術展」を見た感想をつづったものだが、素直な文章に感心した。

 ただ、ちょっと気になったのは、

 「遣えるお金が少ないことは、自由を制限し、世界を狭くするかもしれません」

という言い方。多分、これは、失礼な話だが、勘違いだろう。ひょっとすると、この自由を制限し、というのは、物理的な自由を制限し、という意味だろう。

  Image546_2 なぜなら、定年退職して、使えるお金の少なさでは「汲々」で、使える自由時間の多さでは「自適」という「汲々自適」を信条としているブログ子にとって、今は

 世界をとても広くしている

からだ。言い方を変えれば、

 丁寧な暮らし

をしているという実感がある。お金のある現役時代のマスコミ生活とは比較にならない充実感である。汲々の生活がこんなに面白いとは思わなかった。金子さんのいう精神的な自由がそう感じさせているのかもしれない。

 そういうブログ子だが、現役時代に手に入れたちょっと値の張る絵画を

 トイレのなか

に飾っている。写真がそれだ。もう10年以上も前にあるきっかけで手に入れた。わが家では一番豪華な場所なのだ。

 作者は、二紀会会員の砂場三郎画伯。画伯の

 画文集 スケッチ紀行『スペインのいなか街』(日本文教出版)

にも、この淡い色の水彩画「分かれ道」が、ほかの何枚かのスケッチとともに紹介されている。写真に写っている本がそれだ。

 トイレのなかで、この絵画をひとり、じっと眺めていると、確かに、金子さんの言う永遠と無限を感じることもある。なによりも、肩の力を抜いて生きる。そんな力がわいてくるのが不思議だ。金子さんのいう

 厳しい環境でも心を守ることのできる

 芸術の力

なのだろう。守るというよりも、バランスを保つことのできるといいたい。

  え? それにしても、なぜトイレなんかに、だって?

 窮屈で小さなオリのようなトイレにこそ、ひととき、尊厳の芸術が似合う。芸術は、不自由なオリにこそふさわしい。

 取り付けたときは、そこまでは思わなかったのだが、このエッセーで、そう確信するようになった。とすると、このトイレの絵、一生の財産かもしれない。随筆を拝見して、そう思うようになった。

 これまでの、そして、これからの人生の「分かれ道」。トイレ同様、長い付き合いになるだろう。

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