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論説 = 地域と研究者とジャーナリズムと        ------「左側のない男」からの報告

                                               (2012.11.30) 

 ● 要約と結論・提案  - あなたは、自分の仕事を社会と結びつけて語れますか 非線形型社会を考える

  今回の大震災は、地震予知の失敗や原発事故に限らず、地域の環境問題も含めて科学や技術が、多くの限界や制約に直面していることをあらわにした。

 これは一時的な見かけ上の〝不協和音〟ではない。つまり、科学や技術と、それらが対象にする自然や社会とが、もはや分かちがたくカップリングしていることに起因する。いわば、

 科学・技術と社会とが、非線形の関係

になりつつああることを示す。科学や技術側、あるいは社会の側といった片一方だけからのアプローチでは、出発時には思いもしなかった重大事が起こることを震災は示した。これまでのような片一方だけで、つまり切り離して考えればよかった線形社会とは問題の性質が異なる。当初の変化が小さくても、結果は思いもしない大きな変化を生む。ケースによっては、予測不能に陥る。この教訓をまず認識することが大事だろう。

 数学の非線形問題がそうであるように、非線形型社会では、専門家は研究をその影響を刻々受ける社会と結びつけて語れることが必須の教養である。一方、社会を見つめる科学ジャーナリストは、「科学の社会学」の最新の成果に精通するなど専門性を習得することが必須の教養となる。その上で、互いに対等の立場で共同して課題解決に取り組むことがぜひとも必要である。

 その共同作業のささやかな出発点となる原発事故の検証をめぐるシンポジウム(日本科学技術ジャーナリスト会議と同大共催)がこの10月、名古屋大学で開かれ、お互いに反省すべきことを話し合った。地震予知にしろ、原発にしろ、出発したときには的を射ていたのに、なぜ思いもしなかった事態を招いたのか。報道側にも、一部報道を除けば深刻な問題点があったことが明らかになった。

 本論考では、この自己反省シンポの報告を通じて、科学・技術不信、さらにはジャーナリズム不信が国民の中にますます広がる中、非線形型社会で専門家やジャーナリストそれぞれに求められるものを提示する。警告する、予防する科学ジャーナリズムのあり方、さらには、地域の問題解決を目指す研究者とジャーナリストによる

 パブリック・ジャーナリズムの可能性

や簡単な実践例にも言及する。最後に、アカデミズムとジャーナリズムが協力する場合の有効なルールづくりの必要性を訴えたい。

  ● 再検証の名古屋シンポで自己批判

  Dsc00265 福島原発事故に関する4つの事故調がまとめた検証報告書を再検証するシンポジウムが10月下旬、名古屋大学で開かれた( 写真上 )。

 このシンポは全国紙・地方紙・テレビ局の科学記者や論説委員などでつくる日本科学技術ジャーナリスト会議(事務局・東京)が名古屋大学とともに開いた。討論会のパネリストとなった元全国紙論説委員や元NHK解説委員といったジャーナリストたちはいずれも、これまでの数十年にわたる自らの活動を総括し、情報をう呑みにしすぎたなど報道姿勢が甘かったことを認め、自己批判した。

 パネリストの同大大学院教授(原子力工学)や名大副学長も、いわゆる〝原子力ムラ〟に所属していたことを認めた上で、じくじたる思いを語った。 

 このことからもわかるように、福島原発事故は、できるはずの予知ができなかった地震学界、あるいは事故を起こした東電をはじめとする電力・原子力ムラのみならず、新聞やテレビなどの報道する側の古い体質、つまり自律性の欠如にも強い反省を迫っている。

 したがって、以下、シンポで浮かび上がったように、今回の大事故を前もって合図することのできなかった報道する側の問題点とその背景にある構造的な欠陥をまず指摘する。

 そのことで、ニュースを伝えるにあたって、そこに客観報道があたかもあるかのような幻想や、評論や論説といった言論活動においては赤勝て白勝てといった公平・中立、不偏不党があたかも、問題解決に資するかのような、あるいは公正であるかのような報道界の根強い誤解や錯覚を打破したい。

 シンポジウムで表明されたジャーナリストや専門家の自己批判やじくしたる思いは、記者のみならず、一般にもある。これらの幻想や誤解をまず解消する必要性を図らずも、震災は示したといえる。

 ● 疑わしきは報道する

 確実ではないにしても、社会通念上、信ずるに足る合理的な根拠がある場合、ニュース性のある新規な出来事については、

 疑わしきは報道する

という倫理規範が報道界にはあることになっている。しかし、この警告の規範が、この50年にわたる原発報道や予知報道では、守られていなかったか、規範意識がきわめて希薄だった。少なくとも、だれに対し、どういうタイミングで、何を期待してというようなきちんとした形としてはほとんどなかった。ジャーナリストたちのシンポでの反省からもわかるが、これら3条件がなく、ただ騒ぎ立てるだけでは警告の名に値しない。

 これこそが、今の報道界が今回の予知失敗や原発事故を前もって合図することができず、不意打ちを食らったもっとも大きな理由だ。

 ● 報道ムラ、原子力ムラの非倫理性

 だは、なぜ規範意識が希薄なのか。

 この点について、シンポで報告した元NHK解説委員の小出五郎氏は

 原子力ムラのペンタゴン

と総括していた。官界、政界、業界、学界、報道界の五つ、ペンタゴンが互いに

 資金提供、ポスト(就職先)斡旋、便宜供与の3点セット

という接着剤で強固な構造として組み上がっていたと指摘している。運営は「あうん」の呼吸であり、和もって尊しとする共通の精神だとも分析している。

 Image1116 報道界も、記者クラブ制度に安住すれば確認する取材も要らず楽。その上、時たまリーク情報がもらえれば特ダネも書ける。そんな便宜供与のほか、定年後のポストも得やすい

という報道ムラの構造がある。政府とは独立しているはずの国民のためのNHKですら、政権与党についていればスクープ報道が得られるという組織体質が根強いという。

 一方、原子力ムラを構成する大学のアカデミズムも国からの研究費資金提供や業界からの協力金なくしては立ち行かない。企業、業界も記者クラブ制度という発表ジャーナリズムは経営的にも便利だ。メディア界にとって、電力業界からの広告収入は魅力的である。どのムラも、それを乱す異端者は村八分。日経新聞がこうした構造の上に経営されているとみられていることは、つとに知られた事実であろう。 

 小出氏は

 原子力ムラの非倫理性

を指摘していたが、記者クラブ制度を中心とした

 報道ムラの非倫理性

も、突然の大震災による被害拡大に加担したと指弾されてしかるべきであろう。少し大げさに言えば、負託された国民の知る権利を奪ったともいえる。

 ● 起きてから騒ぐジャーナリズムの悲劇

 このほかの具体的なシンポ再検証結果の報告については

 http://lowell.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-461c.html

に譲るが、今回の大震災は、報道界の疑わしきは報道する、警告するという行動規範が希薄であったがゆえに、不意打ちの出来事となり、被害を拡大させてしまった。

 報道界が学界依存体質を抜け出していさえすれば、警告の機会は何度もあった。巨大であれ、活断層地震であれ、およそ地震予知はもちろん、長期予測すらできないこともわかっていた。また記者クラブ制度に安住し、安全神話に寄りかかっていなければ、原発の安全性についても警告できる機会は何度もあった。

 なのに、ペンタゴン構造に組み込まれ続けた結果、ついに予見性を発揮するまでにはいたらなかった。その分、起きてから騒ぎ出す日本のジャーナリズムのヒステリー性は悲劇的ですらある。

 ● なぜ自律も専門性もないか

 それではなぜ、戦後以来、日本のジャーナリズムは学界などに依存するなど、自律性が発揮できなかったのだろうか。

 それは、日本では放送界にしろ新聞界にしろ、記者職は医師や弁護士のような一定の行動規範に基づいて自ら行動しなければならないという独立した専門集団とは見なされていない、あるいは自ら見なしていないという構造的な欠陥があったからだ。

 記者自身、記者職は、いわゆるジェネラリストであり、うだつの上がらない専門職ではないと自負している。専門知識を持っていることをむしろ嫌う。今もって歴とした大手新聞社なのに科学部やその関連部署がないのはこのせいの顕著なあらわれである。

 裏を返せば、一社に一生所属するエリート社員であるという意識が強い。記者は、異動ごとに俸給が上がるいわゆる総合職に位置づけられており、一般職や専門職ではない。ここには専門集団のような転職によるキャリアアップという考え方はほとんど皆無だ。

 こうしたエリート意識から、日本の新聞、特に共同通信社や時事通信社から配信を受けない全国紙では、1面トップは、ほぼ必ず、自社正社員である記者が書くという慣行が出来上がる。

 米新聞界にはこうした慣行はないのと大きな違いであることに注意したい。たとえば、ニューヨークタイムズ紙では、1面トップをフリーランス記者に、ピュッリツァー賞相当のスクープ記事のために提供している。そしてそれは、そう珍しいことではない。

 これに対し、日本では全国紙であろうと地方紙であろうと、専門職を生かして転職するなどは例外中の例外。社内では、専門知識を必要とする科学技術部門の記者ですら、文化部に異動したり、経営部門、事業部門に異動する。まれには営業・販売部門に異動することもある。それが記者職の総合職としてのエリートコースである場合が多いという特異性すらある。

 ● 報道界の構造的な欠陥

 こうした報道界の意識について、最近、在日10数年のM・ファクラー氏(ニューヨークタイムズ東京支局長)は、その著書の中で、同様に

 日本の記者は専門職ではない

と指摘をしている(『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』(双葉新書))。注目すべきは、同氏の経歴。

 イリノイ大学とカリフォルニア大学バークレー校のジャーナリズム学部でそれぞれ修士号取得。ニューヨークタイムズ記者、ブルームバーグ記者、AP通信記者、またニューヨークタイムズの記者に戻り、現在、東京支局長。

 会社をリクルートすることでキャリアアップし、同時に分析能力など専門性を高めるために学問的なレベルアップも図っている様子がわかる。こうしたことは、専門集団としてジャーナリズムが独立した行動規範を持っていなければできないことであることに注意すべきだろう。

 これに対し、日本では、メディアごとに、特に新聞業界では記者が守るべき行動規範がばらばらであったり、規範意識が希薄な環境であったりする。これでは

 疑わしきは社会にいち早く警告し、予想される事件を地域や国民に合図する

という、もともとのジャーナリズムの役割を果たすための行動規範を新聞界の倫理として実質化することはむずかしい。会社優先の報道界の構造的な欠陥を改善し、専門性を高める改革をすること、これが今回の大震災から報道界が学ぶべきもっとも大きな教訓であり、非線形型社会に対応する喫緊の課題である。ここでの専門性とは、科学の専門知識を持つというだけでなく、社会の側に立って報道するには、「科学の社会学」という社会科学の専門知識を持つことを意味する。

 ● 不確実性は予防する

 一方、もう一つ、すなわち

 (因果関係に)不確実性がある場合は予防する

という行動規範がある。これは、因果関係が明白でなく、3条件そろえて警告ができなくても、発生すれば、社会的に重大な結果を招く恐れがある場合、想定外、あるいは予見できなかったと済ますことのないよう、報道する側が予防する観点に立って行動するというルールだ( 参考文献の拙書『科学ジャーナリズムの世界』第15章 )。

 予防の報道という行動を起こすには、先の警告の行動ルールとは異なり、不確かさを具体的に何らかの枠組みで洞察する必要がある。また予防策のメリットとデメリットの比較検討などでは、アカデミズムの研究者たちとの協力がないと、行動できないことが多い。にも関わらず、実施にあたってあえてデメリットを許容するかどうか、費用対効果を含めた社会的な意思決定に向けた世論形成が不可欠。このことから、ジャーナリズムの果たす役割は大きい。

 予防原則ルールのための行動規範について、今回の再検証シンポではまったく報告はなかった。またパネル討論の場でも言及はなかった。このこと自体、現在の日本の科学ジャーナリズムが未成熟であることを示唆するものだが、この具体的なルールについて、欧州委員会が2000年に定めた

 「予防原則に関する欧州委員会の通達」

を参考に論じた先の拙書(共著)に詳しい。

 ● 問題解決型のパブリック・ジャーナリズムの模索

  ただ、注目したいのは、大震災の教訓から、政府・行政当局と科学コミュニティとの役割と責任に関して、政策形成の段階での行動規範づくりが、国の科学技術振興機構(研究開発戦略センター)などで始まろうとしていることだ(参考文献)。

 Image1276 今年3月にまとめられた報告書の行動規範試案には、ジャーナリズムが果たす役割については、ほとんど触れられていない( 写真下)。ある意味、当然である。ジャーナリズムが、自律的に地域とアカデミズムの研究者の関係構築に向けて、行動規範をつくり、実践していくべきものであろう。

 その場合に参考になるのが、アメリカで生まれ、欧米で試みられている地域の問題解決にジャーナリストが積極的に関与して、解決策を模索する

 問題解決型のパブリック・ジャーナリズム

である。日本では、ジャーナリズムは、公平・中立の考え方から時代に超然として活動しなければならないとする伝統的なジャーナリズム観が全国紙の場合、とくに根強く、この問題解決型の介入については定着するまでには至っていないのが現状である。

 ただ、アメリカに学び、地域コミュニティとつながる地方紙づくりとして、地方紙の河北新報( 仙台市 )の試みは興味深いことを付け加えておきたい( 参考文献 )。

 というのは、今回の大震災直後において、全国から駆けつけてきた多くの記者が現地で取材に当たったが、自衛隊員の献身的な活躍に比べて、何も支援できない傍観者的な自分たちの無力感を訴えていたケースが目立った。ここには、公平・中立、時代に超然という観念では割り切れない感情があり、ジャーナリズムの本旨、つまりよりよい社会に資するという理念との矛盾がある。地域の問題を解決する、関与する、あるいは自ら介入する新しいジャーナリズムの必要性を示唆している。

 今のようなセンセーショナルに騒ぎ立てるだけ、いつしか問題が知りきれトンボになってしまうジャーナリズムは、とても非線形型社会には対応できないだろう。

 このことも、先の構造的な欠陥の是正とともに、今回の大震災がジャーナリズムに突きつけた解決すべき課題といえる。

  日本におけるパブリック・ジャーナリズムの萌芽としては、最近の事例として

 朝日新聞と京都大学による食事の放射能調査(2012年1月19日付朝刊)

がある。放射性セシウムの内部被爆線量をめぐる共同調査だが、その読者からの反響や今後の課題について、同紙は2月10日付朝刊にも「食からの被爆、解明はこれから」と見出しを付けて記事化している。

 あるいは、東京新聞の独自取材に基づく一連の原発調査報道は果敢なジャーナリズム報道として評価できるともいえよう(参考文献)。

 ささやかだが、ここには、意識するかしないかは別にして、ジャーナリズムが介在することによって、科学・技術と社会が相互作用する非線形型社会に対応しようという試みとして評価できる。 

 ● 終わりに

  Image1280 いずれにしても、そうした課題を解決するためには、そして科学ジャーナリストが専門性を持つためには、ジャーナリスト自身も

  科学の社会学

の最新の成果を習得する必要性があるだろう。科学者の有力な武器が数学であるように、科学ジャーナリストの有力な武器は科学の社会学、あるいは科学論の成果である。社会と科学のあり方を論理的に、有効に分析する武器として科学の社会学の成果は有効だ。

  たとえば、非線形型社会における実践的な科学論として

 『科学論の現在』(参考文献)

がある。1990年代以降の科学論、つまり、社会と論争する科学(レギュラトリー・サイエンス)などが紹介されている。地域の問題を地域住民とともに、研究者とジャーナリストが共同して解決していこうとする場合の有効な科学論として注目したい。

    ( 写真中=  2012年10月22日付毎日新聞「社説」検証の特集 )

 ● 参考文献

   原発事故や原発報道について

    『原発報道 - 東京新聞はこう伝えた』(東京新聞特別報道部、東京新聞社、2012年) = 2012年度の菊池寛賞、日本ジャーナリスト会議(2012年度のJCJ大賞)

     2012年10月22日付毎日新聞 特集=戦後60年近くの毎日新聞原発「社説」検証

  「週刊金曜日」2012年10月19日号 特集= 原発報道の正体

  民間事故調『福島原発事故独立委員会 調査・検証報告』(日本再建イニシアティブ、ディスカヴァー、2012年3月)

    『原発再稼働 最後の条件 福島第一事故検証プロジェクト最終報告』(大前研一、小学館、2012年7月)

    『原発訴訟』(岩波新書、海渡雄一、2011年11月)

   『脱原発』(浜岡原発差し止め訴訟弁護団長+大下英治、青志社、2011年6月』

  地震予知や報道について

  「週刊ポスト」2012年11月9日号 地震学会「予知はできない」

  報告「地震予知計画の実施状況等のレビューについて」(測地学審議会地震火山部会、1997年)

    科学ジャーナリズムについて

  『「客観報道」とは何か 戦後ジャーナリズム研究と客観報道論争』(中正樹、新泉社、2006)

  『科学ジャーナリズムの世界』(日本科学技術ジャーナリスト会議編、化学同人、2004年)

    『科学論の現在』(金森修+中島秀人、2002年)

    『シビック・ジャーナリズムの挑戦』(寺島英弥、日本評論社、2005)

    政治と科学のあり方について

    戦略提言「政策形成における科学と政府の役割及び責任に係る原則の確立に向けて」(科学技術振興機構 研究開発戦略センター、2012年3月)

   米科学誌「Science」2012年9月7日号 「Rebuilding Public Trust in Science for Policy-Making」 T.Arimoto and Y.Sato 

  キーワード  地域と研究者とジャーナリズムと 

            パブリック・ジャーナリズム

           科学の社会学

                        大震災の教訓 論説

            浜名湖をめぐる研究者の会

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