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現実をSFにする映像技術  透明人間も

(2012.11.26)  映画館でSF映画を見たことがある人は多いだろう。

 ブログ子も、3D映画「アバター」を公開された3年ほど前に見た。その時は映画館の観客席で特殊なメガネをかけると、観客席と2次元のはずのスクリーンが一体になって、映画の仮想空間が、観客席という現実の世界にせり出し、飛び出してくるような感覚を覚えた。手を伸ばせば、そこに浮かんでいる映画の世界のものにさわることができるかのような視覚効果に驚いたものだ。メガネのせいで、見る人をSFという仮想現実に入り込ませてくれる。

 ところが、先日のNHK番組「サイエンスZERO」を見ていたら、メガネもかけずに、現実のほうをSFの世界にする映像技術、プロジェクション(投射)技術が紹介されていた。

 具体例では、この秋、復元された東京駅丸の内駅舎が踊り、動き回り、あるいはせり出し、崩れたり、消えたりするという仮想現実の映像を見せていた。

 東京駅に集まった多数の見物人も映ったそのイベントの実写映像は、たとえば

 http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1209/24/news103.html

でも、みることができる。まさしく、驚きの

 踊る東京駅

なのだ。これまで、人や建物というのは、映す被写体だった。それを、何か、仮想的なものを投射(プロジェクション)してそこに加算する、あるいは引き算するベースにする。その加算、引き算をするために、現実と仮想の継ぎ目をパソコン内でマッチングさせる技術をマッピングというらしい。

 いったんこの面倒な作業が出来上がってしまうと、仮想を加えたり、あるいは引き去ったりすることは、ベースを基準にパソコン内で容易にできる。踊らせるなり、壁を移動させたり、飛び出させたり、そして東京駅を消し去ることも自由にできる。

 3DのSF映画「アバター」は、仮想世界に観客席という現実が入っていくという融合。これに対し、このイベントはそれとは逆で、私たちが暮らす現実がまずあって、つまり東京駅丸の内駅舎がまずあって、それが踊る、せり出すという仮想の世界を加えることで現実と仮想が融合する。アバターの世界の舞台は、あくまで現実離れしたSFの世界なのに対し、これは舞台のベースになるのは現実の社会なのだ。それだけに衝撃的だ。

 この衝撃は「アバター」映画とは比較にならないほど新鮮。なにしろ、現実がそのまま仮想化するように見える映像技術なのだ。

 この駅舎を舞台にしたイベントは何か仮想的なものを駅舎という現実に加算する実例だが、引き算することで、

 透明人間もつくりだすことができる

ようになっていたのには、驚いた。この現実から、邪魔者を引き算する仮想現実については、

 再帰性反射材とハーフミラーとプロジェクター

を組み合わせることで実現しているらしい。このカモフラージュ的な

 光学迷彩

について、番組では慶応大学大学院(メディアデザイン)の稲見昌彦教授の研究グループが実演して見せていた。なるほど、映した人の後ろにも背景が映っており、透明人間の登場のように見えるところから、引き算効果が光学的に実現している。これはやってきた光の方向に光をほとんど減光することなく反射させるという再帰性反射材を着込んでいることがミソだとわかる。

 この再帰性反射材を使った光学迷彩の原理については、

 http://mcm-www.jwu.ac.jp/~physm/buturi03/camou03/aboutkm.html

にわかりやすく、解説されている。実験結果も載っていて面白い。また、こうした

 現実から映像を視覚的に〝引き算〟する技術

を使って、人は透明人間になれる。その実例として、透明人間マントが開発されている。具体的には、たとえば

 http://matome.naver.jp/odai/2127650387710824501

で紹介されている。これを着れば、あなたも透明人間になることができる。

 番組では、こうした原理などについては、今ひとつわかりずらかった。しかし、原理がわかってしまうと、それほど不思議なマントではないことも理解できた。

 リアルな現実に仮想を加算する、あるいは、透明人間のように現実から仮想を引き算するのはわかったが、問題は

 現実と仮想を融合させるという手法は、遠近法が発明された500年前にすでにあったということだ。具体的には、ダ・ビンチの

 最後の晩さん

の絵画で、ミラノの教会の修道士の食堂に飾られていた。巧みな遠近法で、本物の食堂が絵とまるでつながっているかのような効果をダ・ビンチの手によって生み出されている。食堂という現実に、絵画という二次元の仮想が遠近法により、ぴったりつながっている。修道士はまるでキリストとともに、1500年もの時空を超えて、ともに一緒に食事をしているかのような錯覚を覚える。

 ダ・ビンチは、遠近法を駆使して、

 新しい現実空間

を視覚的に生み出したともいえよう。

 さて。加算、引き算の重ね合わせのほかに、番組では何もそれには触れていなかったが、映像技術には掛け算、割り算はないのだろうか。

 リアルな現実に、ある変換をする演算子を作用させることで新しい現実空間を生み出す

ことも考えられるのではないか。たとえば、時間や空間が収縮する相対論的な時空を体験することもできる。番組を見ながら、そんな夢想までしてみた。

 さらに、飛躍して、この駅舎イベントもそうだったが、見物人の脳はこれまで通りとしている。

 Image886 しかし、どうだろう、駅舎に何も手を加える必要はない。仮想など加えたり、引き算したりする必要もない。その替わり、見ている人の脳のほうに直接働きかける。

 このことで、駅には何にも変化はないのに、まるで駅舎が踊りまくるように、視覚を司る脳のほうに何らかの刺激、作用を働かせる。これでも同じ効果を見物人は持つのではないか。

 たとえば、多くの見物人に脳の視覚に働きかけるサブリミナル波のような電磁波をいっせいに浴びせる。すると、駅舎には何も変化が起こらなかったのに、駅舎がSF的に動き回り、みんなが一様にすばらしいと感動する。

 これは、20年以上も前に日本でも公開された米映画「トータル・リコール」の世界であり、今年の新「トータル・リコール」の世界(写真)であるように思う。完全なる仮想の記憶旅行の世界である。

 現実に対し仮想を加算するにしろ、引き算するにしろ、ある演算子を現実に作用させるにしろ、その行き着く先の技術というのは、見ようとする人の視覚効果を司る脳の機能への直接的な働きかけのような気がする。

 そう考えると、この映像技術に驚いてばかりはいられないのではないか。

 なぜなら、リアルとバーチャルが融合した世界では、

 一体、実在とは何か

という問題に突き当たるからだ。

 私たちは、私たちの脳とは別に厳然と自然界には法則などの実在があると信じている。しかし、それは本当か。この目で見たから確かだ、実在するというのは、もはや必ずしも確かなことではない。それと同様、脳を離れて客観的な実在などないとも言えるのではないか。脳というのは、人間の進化、わずか500万年に発達してきたもの。永遠の実在なんてものはないことになる。脳の進化で、実在も変化する。

 Dsc0186720130629 番組を見終わって、少し、哲学的になったのは酔っていたからだろうか。

 ● 補遺 復原なった東京駅

 この踊る東京駅の舞台となった本物の「復原東京駅」に、ブログ子は、このブログを書いた半年後に見てきた。

 それが、最下段の写真である。撮影は、2013年6月29日午後。

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