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拝啓 地震学会殿  風通しはよくなったが-

(2012.11.08)  先月開かれた注目の日本地震学会の秋の函館大会について、「週刊ポスト」が最新号(11月9日号)で現地ルポの形で取り上げている( 写真 )。

 Image1253_2 東北大地震を予知できなかったことから、予知について、学会はどう対応していくのか、またM9.0の大地震は日本では起きないとの思い込みがあったという昨年秋の静岡特別反省シンポジウム。この反省に立って、具体的にどういう学会改革をするのか、論議が交わされた。その様子をジャーナリストの伊藤博敏氏がまとめていた。

 静岡大学で開かれた去年の静岡特別シンポでは、ブログ子も地元ということで、参加した。その時に比べて、記事を読むとずいぶん風通しがよくなっていた。予知などできるわけがないなどとする若手研究者と主導的な地震予知学者とが、それこそ喧々がくがく、渡り合ったらしい。

 この点は、評価したい。

 しかし、どうも、まだまだ、全体的には相互批判が希薄で「仲良しクラブ」の域は出ていないようだ。新しく学会長になった加藤照之(東大地震研教授)の

 「新しい組織に生まれ変わりたい」

というには、ほど遠い。なにしろ、具体的な対策として、

 地震予知

という用語の使い方の見直しをこれから検討していくことになったという程度なのだ。その手始めに、

 学会の地震予知検討委員会の名称変更

を検討するという。あたかも予知ができるかのような印象をあたえるからというのが理由だ。他愛もない話だが、提案者自身も、もちろん、看板の架け替えにすぎないことは承知だろう。

きっと

 地震調査検討委員会

という名称に変わる。そんな言葉遊びをしているほど、地震学会は暇ではあるまい。

 Image1254 いつまでも、予知がらみで研究費を獲得するためだけの「錬金術」にうつつを抜かしていれば、国民からの信頼は地に落ちるだろう。

 今回の学会では、事実上、阪神大震災後の15年前、国の測地学審議会地震火山部会の報告書(いわゆる「レビュー」= 写真下 )の

 「現段階では、地震の予知は困難」

という認識をそのまま追認したにすぎない。

  ことにあたって学者に 決断力を求めるのは無理かもしれない。しかし、学者に良心を求めるのは決して無理ではない。とするならば、こうだ-。

 なぜ、自分たちは、この50年間失敗し続けてきたのか、本格的な学際研究を学会挙げて取り組むことが信頼回復の王道だ。「失敗学」の権威ある、そして格好の教科書となるだろう。

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