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何が読売新聞を大「虚報」に走らせたか

Image10871013 (2012.10.14)  iPS細胞に関する度外れた山中さんノーベル賞大報道をしたのが読売新聞。号外を出すなど新聞社のなかでもとびっきりの大報道だった。それもつかの間、別の研究者が同社記者に売り込んできたのを真に受けて、10月11日付読売新聞朝刊が大特ダネとして1面トップに

 「iPS心筋を移植」

と、これまた大々的な〝スクープ〟をやらかした。しかし、これは、ハーバード大学関連病院でそのiPS細胞を使って、動物実験を飛び越えていきなり、iPS細胞を患者に移植して成功したと称した、いわゆるウソの〝ガセネタ〟だった。

 10月13日付朝刊には、過去にもこうした虚報があった疑いがあるとして「ゆゆしき事態」を認め、今回の報道の検証記事が1ページにわたって掲載されている( 写真 )。

 このiPS虚報騒ぎでは、動転したのか、共同通信社までも大慌てで後追い配信する騒ぎとなった。が、一転、わずか2日後には、読売の記事は大「誤報」とわかった。読売自身も

 「iPS移植は虚偽  誤報と本社判断」( 写真下 )

と比較的小さめに報じた。

 これで一件落着、とは到底いかない日本の科学ジャーナリズムのひ弱さ、つまり自律性のなさを依然として見せ付けられたようで、怒りをこえて、同人として悲しい。

 度外れた大報道の読売新聞社が、これまた度外れた大「虚報」をやらかしたのは、決して偶然ではない。起こるべくして起きた事件である。一言で言えば、事実の報道にしろ、虚報にしろ、センセーショナルを旨とする報道が体質として根強く残っているということだ。確認取材のいらない行政の提供する

 発表(物)ジャーナリズム

にとっぷりつかっている記者たちの記者クラブ体質が、疑うことを知らない分、このセンセーショナル優先体質を後押ししている。

 そもそも読売新聞は今回の虚報を「誤報」(写真下)と書いているが、間違いである。虚報であろう。

  誤報というのは、伝えるべき事柄、出来事は事実としてあるが、それを一部正しく伝えていない報道のことだ。

 これに対し、

 虚報というのは、伝えるべき事実がそもそもないのに、意図的ではないかもしれないが、取材不足や確認不足で、まるであったかのように伝えること。誤報よりも深刻な事態である。

 ねつ造記事というのは、論外で意図的な虚報と言っていい。ウソ報道、悪質なでっちあげ記事、新聞社ではない場合は、あやしげなデマ情報という表現が使われることが多い。

 真実と信じるに足る「裏づけ」ができていないのに、売り込みをそのままうのみにした今回の報道は、確認不足、取材不足の「虚報」なのである。真実だと信じるに足る事実をつかんでいなかった。売り込みを信じた。

 正確なニュースの要諦は「第一に確認、第二に確認、第三に確認」とは知りつつも、絶好のタイミングを逃すまいとして、売り込みを真実だと信じたい心理状態に陥り、記者のみならず、あろうことか組織全体が、前のめりになり、チェックが甘くなったのが最大の虚報原因だ。

 これこそが、読売新聞を大虚報に走らせた。

 Image10911013 売り込み研究員のハーバード大客員研究員、東大特任研究員という実態のよくわからない虚名に踊らされたというのは、大した問題ではない。問題なのは、その虚名を信じて、ニュースの核心部分、つまり真実と信じるに足る移植の実施そのものの裏づけをとらずに記事を書いても堂々と通用するという新聞社の体質、はっきり言えば乱暴な無神経さそのものなのだ。

 この事実を、くだんの研究員はよく知っていて、それで売り込んだのだ。案の定、また引っかかったと研究員はひそかにほくそえんだであろう。

 不思議なのは、地方紙に記事を配信する共同通信社も後追いなのに虚報に連座したこと。地方紙の静岡新聞10月13日付朝刊に配信元の共同新聞社の検証記事が出ている。最後をこう締めくくっている-。

 「通信社として速報を重視するあまり、専門知識が必要とされる科学分野での確認がしっかりできないまま報じてしまった」

と結論付けている( 注記 )。

  共同通信が、地方紙デスクにいつもよくやる手の

 「一部全国紙にiPS移植成功のニュースが報道されていますが、現在、取材確認中です」

と、なぜ、時間を稼がなかったのか。いつもは慎重な同社のチョンボが悔やまれる。

 日本には科学ジャーナリズムが不在であると言われて久しいが、今もって未熟であることを象徴するような総括である。後追いなのに虚報というのは前代未聞だ。聞いたことがない。共同通信社の歴史に大きな汚点を残した出来事と言えよう。

 あまつさえ、読売新聞の10月14日付社説には、怒りを通り越して、笑ってしまった。

 新聞週間を直前に控えたこの社説は、新聞週間をテーマに取り上げ、主見出しで

 期待に応える紙面を届けたい

と主張している。賛成である。しかし、読んでみて驚いた。

 「読者の期待に応えて正確な報道と責任ある論説が提供できているのか。日々、自問しながら、最善の紙面を届けたい」

と書いていながら、三日前にしでかした大虚報の出来事については、一行の言及もない。ブログ子は、読む前少なくとも

 先の虚報を深く反省し、二度とこうしたことが起きないよう、紙面づくりや記者研修のあり方を改革するなど、あらためてここに誓いたい

ぐらいの、つまり今回の事態を奇貨とする反省の一文はあるだろうと思っていた。それが、新聞週間を前にした天下の大新聞のとるべき謙虚な姿勢だろう。それがない。社説を読んで、わが目を疑ったほどだ。

 自戒を込めれば、社説を書く論説委員とはなんと厚顔無恥、とは言いたくないが、これではそう思いたくもなる。 

  注記

 Image10861013_2 共同通信社の検証記事を参考として、ここに掲載しておこう( 写真右 )。10月13日付静岡新聞朝刊第二社会面に載ったもの。

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