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静岡県で一番低い山 富士山は見えたか

(2012.10.08)  静岡県には日本一高い山、富士山があるが、それでは静岡県で一番低い山はどこか。国土地理院の5万分の1地図によると、それは

 佐鳴湖西岸にある岡のような根川山(浜松市西区)、標高32メートル

らしい( 写真 )。ご覧のように、高台にあるブログ子の自宅から淡水湖、佐鳴湖越しの向こう岸に見える山ともいえないうな小さな山だったのにはびっくりした。

 Image980 それでも山頂からは天気がよければ、富士山がかろうじて見えるという。好天の先日、山頂から富士山を拝もうと、散歩がてら湖を半周して、登って見た。湖岸にずらりと並んで植えられているメタセコイアの近くに登り口の案内がでていた。

 けものみちのような細い落ち葉の山道をのぼり始めてから、わずか15分くらいで、なだらかな山頂に到着した。いくら足腰が弱っているブログ子でも、楽々登れたのがうれしかった。

 なんにもないただの山頂だろうと思っていたが、意外にも、読みづらかったが、

 楠公600年祭記念のりっぱな歌碑(自然石を使った大きな石碑)

があった。これまた読みづらかったが、なんとか

 根も幹も枝ものこらず朽果てし 楠の薫りの高くもあるかな

と詠める。昭和10(1935年)年の建立らしい。600年前の1336年といえば、

 南朝の武将、楠正成(まさしげ)の敗死の年

にあたる。北朝の足利(尊氏)軍と戦い、摂津湊川で正成は戦死。

北朝の系統を正統として受け継ぐとしている江戸時代はともかく、あくまで天皇に忠誠を誓い、身命を投げ打って戦った南朝の忠臣武将として明治以降、称揚された。戦前の修身教科書にはかならずでてくるエピソードであるらしい。

 どうしてその楠正成をたたえる歌碑がここにあるのか、不思議だが、戦前の風潮を髣髴させて面白い。今では考えられないほど全国的に天皇崇拝、忠臣楠正成信仰があったことをうかがわせる(これとは逆に、天皇に弓を引いたということで、戦前はいかに足利尊氏が逆賊、逆臣扱いを受けたか、またののしられたかがなんとなくわかる)

 そんな話は、遠い過去のことだと思っていたが、身近な足元にその歴史が残っており、しみじみとした感興がわいてきた。

 ただ、残念なのは、樹木が伸び放題で、富士山はおろか、眼下の佐鳴湖さえ山頂からは見えなかった。

 県内一の低い山にも、忘れられてはいるが、富士山同様、歴とした歴史がある。

  補遺

 このコラムを書いたことで、なんだか、南北朝時代の小説を読みたくなってきた。天邪鬼かもしれないが、

 足利尊氏は、そんなに悪党だったのか

 楠正成はそんなに忠臣だったのか

という疑問も出てくる。とかくこの時代は複雑で込み入っているし、単純な悪玉・善玉史観には、どうも疑問がある。そんな思いで、

 吉川英治さんの『私本太平記』(全4巻、講談社)

が読みたくなったことを付け加えておきたい。

 吉川氏の歴史小説は、司馬遼太郎さん同様、できるだけ史実に忠実に、あるいは尊重して、しかも面白く書かれている。その意味で、ブログ子は両氏のファンである。

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