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なぜ消された? 「テレビ会議」の録画       まるで清張の「点と線」、名古屋シンポ

(2012.10.30)  先日、日本科学技術ジャーナリスト会議と名古屋大学が共同で名古屋市内で開いたシンポジウムに参加した。テーマは

 福島原発事故の4つの調査報告書を再検証する

というものだった。

  主に、事故原因の解明や責任追及において大事なことが報告書から抜け落ちていなかったかどうか、報告書を受け私たちは今後どう行動するべきなのか、報告書とは別に報道する側に問題はなかったかどうか、ジャーナリストの視点から問題点を提起したり、自己反省してみようという討論会( すぐ下の写真 )だったように思う。

 Dsc00265_2 報告書から抜け落ちていなかったかどうかという点について、結論を先に言えば、東電のテレビ会議の映像記録と事故の推移について発表した会議副会長、高木靭生(ゆきお)さんのが注目される。(音声ありの)本店録画が、なぜ、事故翌日の3月12日22時59分から始まり、なぜ、15日0時06分で停止したのか、開始時期と停止時期の謎に迫った講演だった。

 まるで松本清張の社会派推理小説「点と線」

を地で行くような鋭い分析だった。ブログ子も聞いていて、さすが、元日経サイエンス編集長だけはあるとうなった。

 この謎については、東電報告書( 注記 )はもちろん、ほかの民間事故調、政府事故調、国会事故調のいずれの報告書も触れていない。事故直後の混乱とトラブルが原因と見極めもせずに即断し、見過ごしたのではないか、という印象を持った。

 しかし、時系列から浮かび上がったことは、偶然とは到底考えられない。講演では、東電の作為、つまり経営判断というトップの意思があったと示唆されており、説得力があった。発表が終わると、会場からは拍手が起きたのも無理はない。

 それでは、本店録画の開始(12日22時59分)前には何があったのか。そして、停止(15日0時06分)後には何があったのか。高木さんは、清水正孝社長と勝俣恒久会長の行動に注目している( 写真下。スライドの右上「16日0:06」というのは「15日0:06」の誤りだろう。写真をダブルクリックすると拡大される )。

 事故の知らせに、清水社長が出張先の関西から急きょ、東京の本社(本店)に到着したのは、12日午前9時ごろ。これは(音声のある)本店録画がスタートする約14時間前。

 一方、中国に出張中だった実力者、勝俣会長が本店に大急ぎで帰社したのは、12日夕方、18時ごろだったという。東電最高首脳2人が本店でそろったのは、本店録画が行われ始める5時間ぐらい前だった。

   2人が顔を会わせたときというのは、現場では、1号機の海水注入が始まったころに相当し、その後、中断や停止など事態は錯綜する状況になったことは注目される。

 この日12日早朝7時前後には、海江田経済産業相がベント(大気中への放射能放出)命令を出したり、菅首相が事故現場を空から視察するなど緊迫していた。そして、同日午後、15時36分には、ついに1号機建屋が水素爆発するという大惨事が始まっていた。

 そうした緊張の中で、この日18時以降、社長と会長が本店で、今後の対処方針を検討していたのだ。

 なのに、東電報告書によると、福島第一原発と本店とは、テレビ会議システムで常時、あるいは適宜、つながっており、指揮命令系統がはっきりしていたとされているのに、そして、東電の福島第二原発では、音声はないが、事故当日の11日の夕方18時26分からずっとテレビ会議録画が行われていたのに、

 (音声のある)本店録画が始まったのは、12日の、しかも首脳が顔を合わせた5時間後から

というのは、いかにも不自然。到底、混乱に伴う偶然であり、そこには作意はなかったではすまない事態だ。わかりやすく言えば、社としての対処方針が決まったので、テレビ会議録画のスイッチを入れたというのが真相ではないのか。そんな疑念が生じてもおかしくない。

 これはブログ子の想像だが、重要決定が外部に漏れることを恐れて、その部分のやりとりのある、つまり音声のある本店録画が消された。

  Image1158_2  12日夜の首脳2人による会合で今後の対処方針、つまり、ベントはするが、廃炉にはしないなどの重要な判断がひそかに決定された。これにしたがって、その後、東電は動き出す。たとえば、3号機について、13日早朝の「海水注入、早すぎる」といった指示が出されたりした。このあとも、さまざまな混乱が生じる。

 それもこれも、

 隠された真実

がここにあるのではないか、と推測される。

 また、両首脳がともに、12日の帰社前後で、ベントのみを電話などで協議していたとことさらに強調しているのは、逆に言えば、廃炉にはしないなどの重要決定事項から目をそらすためではなかったか。講演では、その疑念を強く示唆していた。確かにうなづけるものがあるように思う。

 それでは、(音声のある)本店録画が停止した15日0時06分前後には何があったか。

 この日の始まるころから未明にかけては、ベントも注水も不可能になり、2号機の原子炉が高圧のまま爆発する、つまりメルトスルーするかどうかの瀬戸際に追い込まれていた、日本破滅の、いわば

 運命の15日

といわれる日。それなのに、なんと、本店録画が停止していて存在しないという。こんな偶然はあるだろうか。

 しかも、危機が迫っていることから、清水社長自身が、官邸に深夜何度も電話をして、いわゆる「全員撤退の通告」をしようとしていたとされる時間帯なのだ。このときだけ何らかの不手際なのかどうか、録画映像がないとされているのだ。

 この日早朝、午前6時ごろ、4号機建屋が水素爆発、メルとスルーの危機が迫る2号機では、ごう音(とともに大量の放射能が大気中に放出)。

 この直前、東電の「全員撤退」通告に激怒した菅首相が本店に乗り込む(15日早朝5時40分)。この録画もないとされている。

 一連の本店のこうした動きに対して、(音声のある)テレビ会議録画が、それまで動いていたのに、その最中に(なぜか)停止し、ないことになっている。福島第二原発には、音声はないが、録画記録はあるのに、である。とてもこれは偶然とは考えられない。音声を意図的に消した疑いがあると思われても仕方がないだろう。

 そこには、まだ、東電報告書以外のほかの3つの事故調報告書がつかみきれていない

 隠された何か

があるというのが常識であろう。

 それでは、こうした一連のすべてを録画した(音声もある)テレビ会議録画は、もはや存在しないのか。

 高木さんは、こう疑問を講演で投げかけ、テレビ会議システムが当時つながっていて、しかも事故対応を遠くから冷静に見ていた

 東電の柏崎刈羽原発に保存されているのではないか

と推測していた。しかし、いずれの報告書もこの件については、言及していない。

 テレビ会議の録画記録は、事故現場に当分近づけない状況では、今後の東電の刑事責任を追及する上で、きわめて重要な物証である。さらに突っ込んだ検証が必要だろう。

 このほか、シンポでは、パネリストとして登壇したジャーナリスト全員が、会場からの求めに応じて、原発の安全神話に寄りかかっていて、いわゆる原子力村に対する追及が今から考えるとずいぶんと甘かったと自己批判した。聞きながら、ブログ子も、忸怩たる思いで反省したことを、正直にここに告白しておこう。

 その上に立って、次に、私たちは何をすべきか。

 それは、これだけの事故を起こして誰も刑事責任を問われないということがあっては、再発防止の点からも許されることではない。事故が風化していくのを防止するためにも、

 刑事責任を問う裁判

を強く検察に求めていくべきではないか。

 東電幹部らに対し刑法の業務上過失を問うには、裁判では事故の予見性と回避性が焦点となる。

 先日、東電は、自ら社内に設置した原子力事業に関するタスクフォース会合で、新しい社長と会長が出席した上で

 事故は回避できたのに、対策を怠っていた

ことを公式に認めた。対策を取れば反原発を勢いづかせるからだ。会議録画記録という物証もそろってきた。上記のような今後解明すべき問題点も、公判過程で明らかにできる可能性は高い。

 現在、告訴・告発を受理した検察庁は、起訴に踏み切るかどうか、犯罪の証明や公判維持の観点から見極めている。来年春までには結論を出すようだが、その成否は国民世論に大きく左右されるだろう。国民の信頼にこたえるよう、検察に強く訴えていく必要がある。

 シンポジウム全体を通じて、ブログ子が痛感したのは、原発事故に限らず、今回の大震災について、政府による総合的な公式記録がいまだ存在しないことだ。だけでなく、そうした公式記録をつくろうという動きすら、発生から1年半もたった今でもない。これは大きな問題だろう。

 これに対し、関東大震災では、震災から3年後には、政府の総合的な公式記録、

 『大正大震災志』(全2巻+付図)

が内務省社会局から刊行されている。政府の対応だけでなく、県単位でどういう救援行動を取ったのか、被害状況の詳しいマップ、海軍の軍艦ごとの出動状況の一覧表まで作成されているなど、詳細なものだ。

 戦後の政府はこうした災害記録づくりをしてこなかった。これには戦前の内務省のような強力な国内統制組織がなくなったこともあるが、現行の縦割り官庁の弊害でもあろう。

 これでは、この大震災を風化させず後世に教訓を残そうというのは、掛け声倒れになる恐れがある。政府は、その責任において、復興を急ぐとともに、復興に伴って失われる物や記録、記憶をきちんとした公式報告書として残す事業に一刻も早く取り組んでほしい。

 今回のシンポで、そのことをパネリストの何人かと共有できたことを、ブログ子は、うれしく思う。

 追伸。 

 なお、このシンポジウムには、開催地のブロック紙、中日新聞社も、浜岡原発をかかえる地元県紙の静岡新聞社の記者の姿も、どうも見当たらなかったのを、ブログ子はさびしく思ったことを付け加えておきたい。

  注記

 東京電力の最終事故報告書( 株主総会を直前に控えた2012年6月20日に公表 )については、

 http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/interim/index-j.html 

を参照。この中には、各号機ごとの主な時系列がまとめられている。 

 補遺

 上記した4つの事故報告書のほかに、最近、

 大前研一著 『 原発再稼働 最後の条件 -事故検証プロジェクト 最終報告書 』(小学館)

が刊行された。政府事故報告書や国会事故報告書ではわからない問題点について、図解や時系列を多用してわかりやすく解説している。ブログ子も読んでみて、もともと大前さんは原子炉設計者だっただけに、水素爆発のメカニズムなど専門家らしい指摘もあり、労作だとの印象をもった。

 シンポジウムで講演した山本章夫名大教授(原子力工学)も

 よく時系列を整理している

と評価していた。最も危険な原発といわれる浜岡原発の再稼働について、考える上で大いに参考になるだろう。

 また、このシンポで話されたことなどをまとめた

 『徹底検証 ! 福島原発事故 何が問題だったのか』(日本科学技術ジャーナリスト会議編、化学同人、2013年)

も参考になる。ただし、この本は

 原発報道は失敗に次ぐ失敗と懺悔した上で、つまり、総括した上で

 4つの事故調報告書でも、事故の全容は解明されておらず、ましてや事故原因の特定にはほど遠いと結論付けている。

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コメント

お世話になります。とても良い記事ですね。

投稿: グッチ バッグ 赤 | 2012年11月19日 (月) 02時44分

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