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映画「たそがれ清兵衛」と「武士の家計簿」

(2012.10.06)  10年前、映画館で見た「たそがれ清兵衛」(山田洋次監督)を、最近、テレビのBSプレミアム放送であらためて拝見した。たそがれとは、主人公のお城の職場仲間から付けられたあだなで、仲間同士との個人的な付き合いはしないという夕方「5時まで」男、まじめ人間のことらしい。

 見て、映画を二度鑑賞することのメリット、ありがたさをつくづく感じた。というのは、時代背景がともに幕末から維新であり、また主人公がともに、地方藩の平士(ひらざむらい)、つまり下級武士で、ともに職業は、軽くみられていた、いわゆる「そろばん侍」の

 「武士の家計簿」(2010年、森田芳光監督)

を見ていたからだ。禄高もともに50石程度のつつましい暮らし( 江戸時代は、写真のような五つ玉そろばんを会計経理役の藩御算用者は使っていたのだろう)。

 ともに時代の波に乗り遅れそうになっていた藩が舞台というのも同じ。

 違いは、「たそがれ」が今の山形県鶴岡市の庄内藩10万石での譜代大名の直臣物語であるのに対し、「家計簿」は、なんと言っても金沢市の外様大大名、加賀百万石の陪臣物語という違いぐらいだ。 Image1042 映画そのものの出来、質という点では、シリアスな「たそがれ」に軍配が上がろう。この映画では、お家騒動などの歴史的事実を裏付ける史料はほとんどなかったが、庄内平野を流れる最上川、遠くにみえる雪の美しい鳥海山などを背景に、藩命には逆らえない宮仕えの哀歓が、しみじみと伝わってくるリアリティがあった。

 しかし、歴史文献上の実証性、リアリティという点では、その史料の確かさ、主人公の家として、当時の下級武士の家が今もそのまま残っている家(金沢市・武家屋敷「大屋」)を舞台として選んでいるなど、コメディタッチとはいえ「家計簿」が断然優れている。

 ただ、監督が描こうとしたテーマについては、まったく同じだったことに気づいた。

 幕末から維新という先行き不透明な中、いとしい家族のため、自負と武士の忠誠心のはざまで苦しみ、そして人としていかに誠実に生きようとしたか、その地方の名もなき武士たちの姿が、一方はシリアスに、一方はコメディ仕立てで描かれていた。

 ここが、二つの映画と同じ時代背景ではあるが、京都、江戸、大阪を舞台とした華々しい2年前の大河ドラマ「龍馬伝」とは大きく違うと思った。薩長同盟締結などの歴史の大舞台はあったが、主人公の人間的な家族はなかったのに、ブログ子は少なからず違和感があった( 補遺 )。

 ここに、同じく不透明な現代の〝そろばん侍〟たるサラリーマンの共感を呼ぶみなもとがあるように思う。見終わって、そう感じた「たそがれ清兵衛」だった。

 補遺

 龍馬の妻については、

 鳥越碧(みどり)の小説『波枕 おりょう秘抄』(講談社、2010年)

に詳しい。小説仕立てになってはいるが、史実をぼ忠実に描いている。

 「それからの龍馬伝」として読めば、面白い。明治を生き抜いた妻、おりょうのすさまじい後半生の30年がつづられている。

 小説の最後、龍馬がおりょうに語りかけるシーン、

 「自分の人生を精いっぱい大切に生きてこそ、人間じゃき」

という言葉に読者は共感するだろう。

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