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浜松城 = 松江城  堀尾吉晴という男

(2012.10.23)  ブログ子は、20年ぐらい金沢で暮らしたが、今はまちなか公園となっている巨大な金沢城跡には、かつて天守閣があったらしい。しかし、今はその土台(天守台)も草むらの中。だから、せめてまちなかからよく見える辰巳やぐらを高い石垣の上に元通り復元し、金沢のシンボルにしようという運動に微力ながら、仕事の一つとして、いろいろかかわった。だから、天守閣や城づくりには格別の関心がある。

 Image475_2 定年後、小さくはあるが、家康の城、天守閣のある城がまちなかにある浜松に転居したのも、そのせいかもしれないと思うことがある。桜の季節の城は特にすばらしい( 写真 )。これに対し、静岡市の駿府城には、天守閣はもちろん、金沢のように石垣らしい石垣もないから、富士山がほどよくみえる県庁所在地なのに転居する気にはならなかったのだろう。まちに中心がないという頼りない印象なのだ。

 ところが、ほれ込む、あるいは思い込みというのは、おそろしい。浜松城の天守は、戦後に復元されたものだということは知っていたが、

 浜松城は復興あるいは模擬天守

で、もともとのものより、小さい天守だとは気がつかなかった。復元とはもとの状態にもどすこと。これに対し、復興とは、一度こわれたものをもう一度さかんにすること。

 現在の浜松城の天守は、復元ではなく、少し小さい復興天守( 3層3階 )

なのだ。だから、もともとの野面積みの石垣の天守台の一部が余っているのも、当然。おそらく、復元したくても、現代の建築基準では、土台を多少補強しても、倒壊の危険があり、人が出入りする建物としては認められず、復元をあきらめたのであろう。

 では、もともとの天守はどんなものだったのだろうか。

 それを知ったのは、先日から浜松市博物館で始まった

 特別展「浜松城主 堀尾吉晴」

だった。吉晴は、初代家康に続いて城の拡張、1590年代に天守をつくった2代目城主。

 最初は織田信長に仕え、秀吉配下でかずかずの軍功を挙げ、家康の時代に城主。吉晴は、保守本流の尾張直参衆なのだ。関ヶ原の戦いののち、遠江浜松12万石の城主から、隠岐・出雲24万石の城主に大出世した男である。

 そこで、築城にかかったのが、浜松城と同じ、平山城の松江城( 島根県松江市 )。特別展の会場にもこの城の写真と模型が展示されていた。

 一言で言えば、天守は5層6階の望楼式、総入り母屋造で黒板壁で囲む

というもので、「5層6階」の規模を除けば、そっくりだ。

 浜松城= 松江城

ということになりそうだ。

 ブログ子は、若い頃、森蔭から見え隠れする優美な天守閣のある松江城を松江市内から見上げたことがある。浜松城もかつては、あのような城だったのだろうと展示会場で思いにふけった。

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