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2012年10月

なぜ消された? 「テレビ会議」の録画       まるで清張の「点と線」、名古屋シンポ

(2012.10.30)  先日、日本科学技術ジャーナリスト会議と名古屋大学が共同で名古屋市内で開いたシンポジウムに参加した。テーマは

 福島原発事故の4つの調査報告書を再検証する

というものだった。

  主に、事故原因の解明や責任追及において大事なことが報告書から抜け落ちていなかったかどうか、報告書を受け私たちは今後どう行動するべきなのか、報告書とは別に報道する側に問題はなかったかどうか、ジャーナリストの視点から問題点を提起したり、自己反省してみようという討論会( すぐ下の写真 )だったように思う。

 Dsc00265_2 報告書から抜け落ちていなかったかどうかという点について、結論を先に言えば、東電のテレビ会議の映像記録と事故の推移について発表した会議副会長、高木靭生(ゆきお)さんのが注目される。(音声ありの)本店録画が、なぜ、事故翌日の3月12日22時59分から始まり、なぜ、15日0時06分で停止したのか、開始時期と停止時期の謎に迫った講演だった。

 まるで松本清張の社会派推理小説「点と線」

を地で行くような鋭い分析だった。ブログ子も聞いていて、さすが、元日経サイエンス編集長だけはあるとうなった。

 この謎については、東電報告書( 注記 )はもちろん、ほかの民間事故調、政府事故調、国会事故調のいずれの報告書も触れていない。事故直後の混乱とトラブルが原因と見極めもせずに即断し、見過ごしたのではないか、という印象を持った。

 しかし、時系列から浮かび上がったことは、偶然とは到底考えられない。講演では、東電の作為、つまり経営判断というトップの意思があったと示唆されており、説得力があった。発表が終わると、会場からは拍手が起きたのも無理はない。

 それでは、本店録画の開始(12日22時59分)前には何があったのか。そして、停止(15日0時06分)後には何があったのか。高木さんは、清水正孝社長と勝俣恒久会長の行動に注目している( 写真下。スライドの右上「16日0:06」というのは「15日0:06」の誤りだろう。写真をダブルクリックすると拡大される )。

 事故の知らせに、清水社長が出張先の関西から急きょ、東京の本社(本店)に到着したのは、12日午前9時ごろ。これは(音声のある)本店録画がスタートする約14時間前。

 一方、中国に出張中だった実力者、勝俣会長が本店に大急ぎで帰社したのは、12日夕方、18時ごろだったという。東電最高首脳2人が本店でそろったのは、本店録画が行われ始める5時間ぐらい前だった。

   2人が顔を会わせたときというのは、現場では、1号機の海水注入が始まったころに相当し、その後、中断や停止など事態は錯綜する状況になったことは注目される。

 この日12日早朝7時前後には、海江田経済産業相がベント(大気中への放射能放出)命令を出したり、菅首相が事故現場を空から視察するなど緊迫していた。そして、同日午後、15時36分には、ついに1号機建屋が水素爆発するという大惨事が始まっていた。

 そうした緊張の中で、この日18時以降、社長と会長が本店で、今後の対処方針を検討していたのだ。

 なのに、東電報告書によると、福島第一原発と本店とは、テレビ会議システムで常時、あるいは適宜、つながっており、指揮命令系統がはっきりしていたとされているのに、そして、東電の福島第二原発では、音声はないが、事故当日の11日の夕方18時26分からずっとテレビ会議録画が行われていたのに、

 (音声のある)本店録画が始まったのは、12日の、しかも首脳が顔を合わせた5時間後から

というのは、いかにも不自然。到底、混乱に伴う偶然であり、そこには作意はなかったではすまない事態だ。わかりやすく言えば、社としての対処方針が決まったので、テレビ会議録画のスイッチを入れたというのが真相ではないのか。そんな疑念が生じてもおかしくない。

 これはブログ子の想像だが、重要決定が外部に漏れることを恐れて、その部分のやりとりのある、つまり音声のある本店録画が消された。

  Image1158_2  12日夜の首脳2人による会合で今後の対処方針、つまり、ベントはするが、廃炉にはしないなどの重要な判断がひそかに決定された。これにしたがって、その後、東電は動き出す。たとえば、3号機について、13日早朝の「海水注入、早すぎる」といった指示が出されたりした。このあとも、さまざまな混乱が生じる。

 それもこれも、

 隠された真実

がここにあるのではないか、と推測される。

 また、両首脳がともに、12日の帰社前後で、ベントのみを電話などで協議していたとことさらに強調しているのは、逆に言えば、廃炉にはしないなどの重要決定事項から目をそらすためではなかったか。講演では、その疑念を強く示唆していた。確かにうなづけるものがあるように思う。

 それでは、(音声のある)本店録画が停止した15日0時06分前後には何があったか。

 この日の始まるころから未明にかけては、ベントも注水も不可能になり、2号機の原子炉が高圧のまま爆発する、つまりメルトスルーするかどうかの瀬戸際に追い込まれていた、日本破滅の、いわば

 運命の15日

といわれる日。それなのに、なんと、本店録画が停止していて存在しないという。こんな偶然はあるだろうか。

 しかも、危機が迫っていることから、清水社長自身が、官邸に深夜何度も電話をして、いわゆる「全員撤退の通告」をしようとしていたとされる時間帯なのだ。このときだけ何らかの不手際なのかどうか、録画映像がないとされているのだ。

 この日早朝、午前6時ごろ、4号機建屋が水素爆発、メルとスルーの危機が迫る2号機では、ごう音(とともに大量の放射能が大気中に放出)。

 この直前、東電の「全員撤退」通告に激怒した菅首相が本店に乗り込む(15日早朝5時40分)。この録画もないとされている。

 一連の本店のこうした動きに対して、(音声のある)テレビ会議録画が、それまで動いていたのに、その最中に(なぜか)停止し、ないことになっている。福島第二原発には、音声はないが、録画記録はあるのに、である。とてもこれは偶然とは考えられない。音声を意図的に消した疑いがあると思われても仕方がないだろう。

 そこには、まだ、東電報告書以外のほかの3つの事故調報告書がつかみきれていない

 隠された何か

があるというのが常識であろう。

 それでは、こうした一連のすべてを録画した(音声もある)テレビ会議録画は、もはや存在しないのか。

 高木さんは、こう疑問を講演で投げかけ、テレビ会議システムが当時つながっていて、しかも事故対応を遠くから冷静に見ていた

 東電の柏崎刈羽原発に保存されているのではないか

と推測していた。しかし、いずれの報告書もこの件については、言及していない。

 テレビ会議の録画記録は、事故現場に当分近づけない状況では、今後の東電の刑事責任を追及する上で、きわめて重要な物証である。さらに突っ込んだ検証が必要だろう。

 このほか、シンポでは、パネリストとして登壇したジャーナリスト全員が、会場からの求めに応じて、原発の安全神話に寄りかかっていて、いわゆる原子力村に対する追及が今から考えるとずいぶんと甘かったと自己批判した。聞きながら、ブログ子も、忸怩たる思いで反省したことを、正直にここに告白しておこう。

 その上に立って、次に、私たちは何をすべきか。

 それは、これだけの事故を起こして誰も刑事責任を問われないということがあっては、再発防止の点からも許されることではない。事故が風化していくのを防止するためにも、

 刑事責任を問う裁判

を強く検察に求めていくべきではないか。

 東電幹部らに対し刑法の業務上過失を問うには、裁判では事故の予見性と回避性が焦点となる。

 先日、東電は、自ら社内に設置した原子力事業に関するタスクフォース会合で、新しい社長と会長が出席した上で

 事故は回避できたのに、対策を怠っていた

ことを公式に認めた。対策を取れば反原発を勢いづかせるからだ。会議録画記録という物証もそろってきた。上記のような今後解明すべき問題点も、公判過程で明らかにできる可能性は高い。

 現在、告訴・告発を受理した検察庁は、起訴に踏み切るかどうか、犯罪の証明や公判維持の観点から見極めている。来年春までには結論を出すようだが、その成否は国民世論に大きく左右されるだろう。国民の信頼にこたえるよう、検察に強く訴えていく必要がある。

 シンポジウム全体を通じて、ブログ子が痛感したのは、原発事故に限らず、今回の大震災について、政府による総合的な公式記録がいまだ存在しないことだ。だけでなく、そうした公式記録をつくろうという動きすら、発生から1年半もたった今でもない。これは大きな問題だろう。

 これに対し、関東大震災では、震災から3年後には、政府の総合的な公式記録、

 『大正大震災志』(全2巻+付図)

が内務省社会局から刊行されている。政府の対応だけでなく、県単位でどういう救援行動を取ったのか、被害状況の詳しいマップ、海軍の軍艦ごとの出動状況の一覧表まで作成されているなど、詳細なものだ。

 戦後の政府はこうした災害記録づくりをしてこなかった。これには戦前の内務省のような強力な国内統制組織がなくなったこともあるが、現行の縦割り官庁の弊害でもあろう。

 これでは、この大震災を風化させず後世に教訓を残そうというのは、掛け声倒れになる恐れがある。政府は、その責任において、復興を急ぐとともに、復興に伴って失われる物や記録、記憶をきちんとした公式報告書として残す事業に一刻も早く取り組んでほしい。

 今回のシンポで、そのことをパネリストの何人かと共有できたことを、ブログ子は、うれしく思う。

 追伸。 

 なお、このシンポジウムには、開催地のブロック紙、中日新聞社も、浜岡原発をかかえる地元県紙の静岡新聞社の記者の姿も、どうも見当たらなかったのを、ブログ子はさびしく思ったことを付け加えておきたい。

  注記

 東京電力の最終事故報告書( 株主総会を直前に控えた2012年6月20日に公表 )については、

 http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/interim/index-j.html 

を参照。この中には、各号機ごとの主な時系列がまとめられている。 

 補遺

 上記した4つの事故報告書のほかに、最近、

 大前研一著 『 原発再稼働 最後の条件 -事故検証プロジェクト 最終報告書 』(小学館)

が刊行された。政府事故報告書や国会事故報告書ではわからない問題点について、図解や時系列を多用してわかりやすく解説している。ブログ子も読んでみて、もともと大前さんは原子炉設計者だっただけに、水素爆発のメカニズムなど専門家らしい指摘もあり、労作だとの印象をもった。

 シンポジウムで講演した山本章夫名大教授(原子力工学)も

 よく時系列を整理している

と評価していた。最も危険な原発といわれる浜岡原発の再稼働について、考える上で大いに参考になるだろう。

 また、このシンポで話されたことなどをまとめた

 『徹底検証 ! 福島原発事故 何が問題だったのか』(日本科学技術ジャーナリスト会議編、化学同人、2013年)

も参考になる。ただし、この本は

 原発報道は失敗に次ぐ失敗と懺悔した上で、つまり、総括した上で

 4つの事故調報告書でも、事故の全容は解明されておらず、ましてや事故原因の特定にはほど遠いと結論付けている。

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「源氏物語」を読む  古典の日を前に

(2012.10.28)  科学・技術と社会についてのブログもいいが、たまには、日本の古典文学もいい。そんな思いで、この夏以来、1970年代の学生時代に買って積んどいた大長編、

 円地文子訳『源氏物語』(全10巻、新潮社)

を、書庫代わりになっている倉庫から取り出して夜長に読んでいる( 写真左 )。

 Image1163 さすがに学生時代と違って冒頭だけの桐壺源氏には終わらなかったが、今は、光源氏が傷心の極にある第3巻「明石源氏」まで読み進んだ。ようやく、文体にも、光源氏の人間関係にも、あらまし慣れてきた。円地さんの現代語訳のおかげで、ずいぶんと読みやすい。

 冒頭「いずれの御時にか」(現代語訳では、いつの御代のことであったか)と巧みにぼかして断っててはいるものの、当時の天皇家の一大スキャンダルを軸に、これほどまでも男と女の心の奥の奥を描いてみせた紫式部の才能は、そのテーマの独創性、注目度抜群の時事性とともに驚嘆に値すると感じている。これからの光源氏の復活と、その後の因果応報が楽しみだ。

  そんな日々だが、読書週間中の11月1日は、みんなでさまざまな分野の古典に親しむ

 古典の日

と法律で定められた。「紫式部日記」の1008年11月1日に相当するところに、「源氏物語」についての記述があり、これを記念した日らしい。祝日ではないが、今年から始まった。おそらく、京都市あたりが積極的に動いたのであろうが、定められたことの意義は大きいだろう。

 現代語訳に一大決心で取り組んでいた円地さんを、同じ屋根の下でまじかに見ていたのが、後に自らも、生涯最後の仕事との思いで、源氏物語の現代語訳に挑むことになる若き日の瀬戸内寂聴さんだった。

 具体的に、どんな思いで、瀬戸内さんが1990年代初めに現代語訳に取り組もうとしていたのか。ブログ子は、思わぬところから、それを知った。

 月刊誌「一個人」2012年11月号の特集=源氏物語入門。この中に、瀬戸内さんの当時の決意を記した手帳の写真が、愛用の文具類とともに公開されている( 写真下 )。

 本文には、この決意について何も触れていないのだが、ブログ子は、この小さな写真に写っている瀬戸内さんの小さな文字で書かれた直筆のメモ内容を、愛用の天眼鏡で〝解読〟してみた。もう20年も前の決意話であり、時効と言ってもいいだろうから、ここにそれを紹介しても、瀬戸内さんは、きっと笑って許してくれるだろう。

 こうだった。

 源氏を完成させる為には

 1 健康 散歩、ヨガ、気功

 2 規則をつくる 仕事時間を決める、休みとる(土、日)、徹夜しない

 3 仕事の整理 引き受けない

 4 義理をかく  誰が死んでも

 5 経済を引き締める 慎ましい生活

 6 最後の仕事と思う

     収入は講演 ?  何とかなる ( 気分転カン )

 この後に、「4000枚」と完訳原稿量のことが書かれている。手帳には、日割り計算の原稿量まで載っており、周到な計画を立てて挑んだことがわかる、また、生計面での有力なスポンサーはなかったこともうかがわれるなど、手帳は〝一級史料〟だろう。

 出版計画についても、平安京の

 「建都1200年に合わす」

と書かれている。

 Image1124 平安京遷都は794年だから、1994年に焦点をあわせ、「1992年11月」に執筆開始。94年には出版社に原稿を「出しはじめる」との予定だったらしい。「1995年完成」( 脱稿の意 )予定で、執筆開始から6年後の1998年に完訳が講談社から出版された。これは、紫式部の執筆期間とほぼ同じくらいの時間をかけたことになり、ともに、いかに大事業だったかがわかる。

 だから、よくぞ、1000年もの間、読み継がれ、書き写されて現代まで生き残ってきてくれたか、感謝せずにはいられない。

 古典というものの持つ重み、その現代語訳のありがたさを具体的に知らせてくれるメモ内容であったように思う。

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画龍点睛を欠く中日新聞            原発放射能拡散予測 報道する側の問題点

(2012.10.26)  こういう記事を

 画龍点睛を欠く

というのだろう。ものごとの眼目となるところ、つまり大事なことが欠けていたという意味だが、10月25日付中日新聞朝刊は、原子力規制委員会が公表した

 防災対策が必要な30キロ圏について、いくつかの原発の放射能拡散のシミュレーション結果

について、1面はもちろん、数ページにわたって大々的に報道している。なのに、読者が最も知りたい大事なところが新聞には抜けていた。読者が一番知りたいのは、その結果もさることながら、どのくらいの精度でちゃんとシミュレーションできているのかという点なのに、そして、規制委員会はその点のデータをそれなりに公表しているのに、その意味合いをきちんと読者に伝えていない( 注記、注記2 )。

 Image1122_3   規制委員会は、それぞれの原発について、福島第一原発事故と同規模ケースと、その発電所のすべての原発が事故を起こしたと想定した、いわば最悪シナリオの2つのケースで、気象条件などもいろいろ考慮して、シミュレーションし、マップにまとめている。

  新聞には多数のその図が載っているのだが、その読みずらいのは別にしても、地元の浜岡原発を1面に掲載し、詳しく記事にしているのはいい。しかし、

 マップは目安、限界も

と1面中央に見出しを打っていながら、その分析があまりにお粗末。

 読者が知りたい精度に関するデータというのは、事故を起こした福島第一原発の拡散のシミュレーションの結果だ。この結果を実際に起きた事故の拡散マップと比較すれば、

 シミュレーションの精度が、定量的には限界があるとしても、少なくとも定性的には読者は、ほかの原発についても一定の精度があると説得力を持って読んだはずだ。

 ところが、この比較図が中日新聞にはない。おそらく、編集段階で、

 もう福島第一のすべての原発は廃炉であり、シミュレーションの結果を掲載するのは無意味

とそこつに早合点したのだろう。これでは、中日新聞読者はマップをどの程度信頼していいのか、さっぱりわからない。中日新聞が大きく報道したのは見識であり、それはいい。けれども、どの程度の精度かについて、きちんとした分析記事がないのは、画龍点睛を欠くどころではない、ひょっとすると大チョンボかもしれないと思う。

 このことと、天下のブロック紙、中日新聞には、組織として科学部という部署がないことと無関係ではないような気がする( 姉妹紙の東京新聞には科学部はある )。

 これに対し、同日付朝日新聞は、業界では比較的に科学に強いだけあって抜け目なく、この比較をし、

 福島第一の拡散予測、実際と類似

として、第2面で分析記事を載せている( 写真 )。単に中日のように「限界」とするような乱暴なことはせず、

 類似と、一定の限界

とをきちんと仕分けしており、訴求力がある。

 これを逆に言えば、規制委員会は、まず最初に事故を起こしたこの福島第一原発で、シミュレーションの有効性をチェックしているのだ。そして、「おおむね妥当」(規制委員会委員長)となるように、

 シミュレーションのプログラムのパラメーターを設定している

というのが、委員会は認めたくはないだろうが、実態だろう。この意味で言えば、定量的には一定の限界は( 当たり前だが )あるものの、定性的には妥当なのは当然なのだ。定量的にも定性的にも限界があるとなれば、たとえ地元自治体の今後の防災計画立案の参考資料用予測といえども、混乱を招くだけであり、公表などするはずもない。

 こうした突っ込んだ指摘は朝日新聞にも掲載されていない。日本の科学ジャーナリズムの批判精神のなさ、ひ弱さ、行政ないし学界依存体質をはしなくも露呈したといえる。

 もう一つ、この点で痛感したのは、

 なぜ7日間に積算線量100mSvなのか

という予測の前提ともいえる問題点について、突っ込んだ分析と批判がほとんど、どの新聞にもないことだ。あたかもそれを追認、追随しているかのような姿勢は、ジャーナリズムの怠慢であろう。

 この許容量は、緊急避難用の設定とはいえ、異様に高い安全マージンであろう。この指摘がない。あまつさえ、そのことでこれ以下なら安全という誤解が社会に浸透する風潮さえ出始めている。

 7日間というのは、放射源の放射性ヨウ素の半減期であり、これをすぎると放射性ヨウ素からのガンマ線(電磁波)が急速に弱まることを受けたものなのだ。しかし、放射性ストロンチウムやセシュウムなど降り積もった残留放射能は除染しない限り、いつまでも、少なくとも数十年は残る。また、ガンマ線以外の粒子線(アルファ線、ベータ線、中性子線)については、どの新聞にも問題点としてすら挙げられておらず、死角になっている。

 ブログ子の試算では、以前にもこのブログで紹介したが、チェルノブイリ事故の疫学的な調査や医学的な調査を元にして言えば、人になんとか、がんなどの健康被害が生じない限界は、つまり

 年間の許容量3mSv

であろう。これでも、進化の過程で人類が身につけてきた耐性値、年間1mSvの3倍もあることに注目したい。

  積算にしろ、年間当たりにしろ100mSvという数字は、広島・長崎被爆についての疫学的なデータからはじき出したものであり、国際放射線防護委員会などが認めるように、確実に健康に影響が出る量。つまり、科学的に確かめられた安全ラインではなく、危険ラインなのだ。安全ラインと危険ラインの間には、グレーゾーンがあることを忘れている。というのは、100mSv以下では安全という疫学的な相関データはないからだ。しかもそのデータはガンマ線という電磁波のみの影響なのだ。

 いずれにしても、人生100年として、年許容量1mSvだから、積算で100mSvまでなら短期で浴びても大丈夫だというような乱暴な議論には、ブログ子は加担したくはない。それは線形理論の愚といえるだろう。つまり、結果が同じだとは言えない。

 そう考えると、100mSvについては、グレーゾーンを考え安全マージンを1桁勘案して、

 100mSv × 10分の1=10mSv

というのが、積算にしろ、年間にしろ、とりあえずの概算の安全ラインだろう。

 これに対し、現実の安全ラインは、おそらくそれよりも低い、先ほどの年間3mSvであろう。人類の進化とチェルノブイリ事故はそのことを警告していると考えたい。

  注記

 規制委員会が配布した公表資料=予測試算の妥当性の検証については、この配布資料の最後のほうに「参考」として、出ている。具体的に言えば、

 http://www.nsr.go.jp/committee/kisei/data/0007_04.pdf 

である。実態を反映しているかどうか、疑問もあるが、ともかくも信頼度の「%表示」までしている。委員長の言う予測結果は「おおむね妥当」とした根拠がここにある。

  注記2

  念のため、前日24日付中日夕刊(東海本社版)をチェックしてみたが、ここでも、この拡散予測を、どういうわけか、1面、3面で図入りで詳しく報道している。力が入っているのだ。

 この3面の記事では「簡易版、精度に限界」と見出しをつけ、最後の最後に、わずか7行で、規制委員会が予測と実際とを比較し、

 「ほぼ同様の結果だったとしている」

として事実のみを伝えている。これをどう評価するか、その点には踏み込まなかったが、かろうじてかすってはいる。

  補遺

 ここでは、中日新聞のみをあれこれあげつらったが、実は、ほかの25日付新聞朝刊も似たりよったりなのだ。

 たとえば、

 毎日新聞は、3面「クローズアップ」の見出しで

 「条件単純化 実測と異なる公算」

とはしているものの、福島第一原発について実測と予測の比較はしていない。図もなく、全体的に地味なのが気になった。

 読売新聞は、1面準トップと3面「スキャナー」で記事化している。しかし、朝日新聞のようなこの比較はまったくしていない。ただし、年間にしろ、積算にしろ「100mSv」の意味合いについて、解説していたのは親切だった。日経新聞も、比較についての言及はない。

 それでは、現在、東海地震の震源域にあることから最も危険な原発といわれている浜岡原発を地元にかかえる地元紙、静岡新聞はどうか。

 第2面のしかも、準トップ扱い。図もないというそっけない扱い。だから、比較について言及がないのも無理はない。

 ただ、どういうわけか、静岡新聞は、拡散予測について社説には取り上げていた。

 主張となる見出しは

 「より関心高める契機に」

としていて、ごく常識的に予測を原発防災への一助にしてほしいと訴えていた。

 産経新聞も、

 「現実に即した防災計画を」

との社説を掲げている。冒頭、拡散予測の公表は「誤解される可能性をはらんでいるのではないか」との危惧を述べている。そういう割には、他紙同様、記事には福島第一原発での実測と予測との比較検討はしていない。社説では、単に予測は

 「精度や信頼性には、さまざまな限界がある」

としているだけだ。具体的にどういう限界なのか。その点について突っ込んだ考察はない。失礼ながら、いかにもおざなりな社説の感は否めなかった。

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浜松城 = 松江城  堀尾吉晴という男

(2012.10.23)  ブログ子は、20年ぐらい金沢で暮らしたが、今はまちなか公園となっている巨大な金沢城跡には、かつて天守閣があったらしい。しかし、今はその土台(天守台)も草むらの中。だから、せめてまちなかからよく見える辰巳やぐらを高い石垣の上に元通り復元し、金沢のシンボルにしようという運動に微力ながら、仕事の一つとして、いろいろかかわった。だから、天守閣や城づくりには格別の関心がある。

 Image475_2 定年後、小さくはあるが、家康の城、天守閣のある城がまちなかにある浜松に転居したのも、そのせいかもしれないと思うことがある。桜の季節の城は特にすばらしい( 写真 )。これに対し、静岡市の駿府城には、天守閣はもちろん、金沢のように石垣らしい石垣もないから、富士山がほどよくみえる県庁所在地なのに転居する気にはならなかったのだろう。まちに中心がないという頼りない印象なのだ。

 ところが、ほれ込む、あるいは思い込みというのは、おそろしい。浜松城の天守は、戦後に復元されたものだということは知っていたが、

 浜松城は復興あるいは模擬天守

で、もともとのものより、小さい天守だとは気がつかなかった。復元とはもとの状態にもどすこと。これに対し、復興とは、一度こわれたものをもう一度さかんにすること。

 現在の浜松城の天守は、復元ではなく、少し小さい復興天守( 3層3階 )

なのだ。だから、もともとの野面積みの石垣の天守台の一部が余っているのも、当然。おそらく、復元したくても、現代の建築基準では、土台を多少補強しても、倒壊の危険があり、人が出入りする建物としては認められず、復元をあきらめたのであろう。

 では、もともとの天守はどんなものだったのだろうか。

 それを知ったのは、先日から浜松市博物館で始まった

 特別展「浜松城主 堀尾吉晴」

だった。吉晴は、初代家康に続いて城の拡張、1590年代に天守をつくった2代目城主。

 最初は織田信長に仕え、秀吉配下でかずかずの軍功を挙げ、家康の時代に城主。吉晴は、保守本流の尾張直参衆なのだ。関ヶ原の戦いののち、遠江浜松12万石の城主から、隠岐・出雲24万石の城主に大出世した男である。

 そこで、築城にかかったのが、浜松城と同じ、平山城の松江城( 島根県松江市 )。特別展の会場にもこの城の写真と模型が展示されていた。

 一言で言えば、天守は5層6階の望楼式、総入り母屋造で黒板壁で囲む

というもので、「5層6階」の規模を除けば、そっくりだ。

 浜松城= 松江城

ということになりそうだ。

 ブログ子は、若い頃、森蔭から見え隠れする優美な天守閣のある松江城を松江市内から見上げたことがある。浜松城もかつては、あのような城だったのだろうと展示会場で思いにふけった。

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21世紀メディア論  放送大学大学院

(2012.10.22)  土曜日の夜、おもしろいテレビ放送がないので、仕方なく、深夜、もっともおもしろくないと思って、これまで一度もまじめに見たことのない

 BSの放送大学チャンネル、それも大学院課程

をのぞいてみた。科目は「21世紀メディア論」。視聴率がどれくらいか、失念したが、これが案外、面白い。

  ラフな格好をした若い東大大学院教授の水越伸さんが登場していた。金沢市出身で、地方紙の例として、普及率の高い北國新聞(本社=金沢市)に言及していた。ブログ子も金沢で20年仕事をしていたので、懐かしく感じたのも、何かの縁だろう。

 このときは、21世紀メディア論の前段として、20世紀メディアについて、駆け足で紹介していた。

 20世紀の新聞の特徴として、水越さんは

 1県1紙体制 / 記者クラブ制 / 宅配制 / 画一的紙面構成

の4点を挙げていた。各論的には、いろいろ異論もあるのだが、これらはよく言われていることでもあり、概観としてはおおむね妥当な解説。

  Image1260 現在の地方紙は1県1紙体制なのだが、戦前はどうだったのか。全国では1930年代にはなんと1400紙以上発行されていたと解説していたのには、びっくり。現在の10倍以上も地方紙があったということになる。

 水越さんは、ブログ子が暮らす静岡県内について、具体的に次のようにフリップにしてその様子(日刊紙)を地図に示してくれた。こうだ。

 浜松市では、浜松新聞(1500部)、駿遠日報(1500部)、東海詳報、日本民声新聞、静岡日報、遠州日日新聞の6紙

 静岡市では、静岡新報(35000部)、静岡民友新聞(30000部)、駿河新聞の3紙

  焼津市では、駿遠タイムス(2000部)の1紙

 清水市(現静岡市清水区)では、東海中正新聞(3500部)、清水日日新聞、清水港木材新聞の3紙

 富士宮市では、静峡日日新聞(2000部)の1紙

   三島市では、伊豆日報(5000部)、夕刊毎日新聞(2000部)の2紙

   沼津市では、沼津日日新聞(2500部)、沼津毎日新聞(2500部)、東静日日新聞、夕刊駿遠タイムスの4紙

 熱海市では、東海毎夕新聞(1300部)の1紙

  以上、21紙が発行されていたのだ。紙面は、今のような画一性はおそらくなかったであろう。

 これ以上のことは、放送では、言及されなかったが、このなかの比較的に発行部数が多く、また経営が安定していた

 静岡民友新聞、静岡新報、浜松新聞

などが1942年12月に合併して、現在県紙としては最も発行部数の多い静岡新聞(現在発行部数約70万部)が誕生した。誕生が真珠湾攻撃のちょうど1年後というのが、いかにも1県1紙体制の目的が何であったかを暗示している。

 先の地図では、伊豆半島が空白になっている。別法人だが、静岡新聞グループとして、現在

 伊豆新聞(本社=伊東市)

という地域紙が発行されている。地域密着紙として、同社は、静岡新聞と互いに情報を交換しながら、伊豆日日新聞(伊豆の国市)、熱海新聞(熱海市)も発行している。

 こんなことも、放送大学の授業を見なかったら、到底知らなかったであろう。たまには、放送大学もみておくのもいい。

  ただ、この講義を聴講して、さびしいというか、不満に思ったのは、

 20世紀メディアの特徴の一つに、夕刊紙

があり、この研究に言及がなかったことだ。フリップには、日刊ゲンダイ、夕刊フジの文字はあったが、水越さんがこれに言及することはなかった。

 Image1113 ブログ子は、30代後半、3年ほど大阪のある夕刊紙で修業をしたが、夕刊紙の研究がきわめて少ないことを残念に思っている。社会学者、清水幾太郎さんを論ずるのももちろん、結構だが、大衆紙としての新聞の20世紀的な役割は、夕刊紙抜きにしては語れないことも事実であり、このことを指摘しておきたい。 

 ブログ子の夕刊紙記者の経験については、講談社のPR雑誌「本」( 写真。1987年8月号)にその一端を寄稿した。いつしか、本格的な夕刊紙研究の著作を出したいと思っている。放送大学に限らず、大学のマスコミュニケーション論の授業に夕刊紙が果たしている役割が出てこないのは、言葉は悪いが、片手落ちだろう。

 テレビをみているうちに、そんなことを思い出したわけだが、放送を見たときのもうひとつの感想としては、地域に密着した放送内容にしてほしいということだった。見られる放送大学の条件だろう。

  補遺 2012.12.01

  この放送「21世紀メディア論」15回分のほぼ全部を見た感想は、以下の通りである。

 第一。基本認識として、マクルーハンや清水幾太郎がその代表であるような20世紀メディア論は、社会と一線を隔絶したアカデミズムの実証研究であったのに対し、21世紀メディア論は、アカデミズムも積極的に対象にかかわる実践的な研究であるという違いがある。

  このことは、研究者自身が対象に直接かかわる21世紀メディア論は、従来のメディア論の延長線上のものではなく、別次元であることを意味する。わかりやすく言えば、メディア研究者が体を動かし、対象にかかわることで、これまで見えなかった質的に違うものがみえてくるということ。

 つまり、批判的な分析的な知から、係わることで能動的な創造知へというわけだ。

 とはいえ、マクルーハンがいうところの「人間の拡張の諸相」の解明という点では、21世紀メディア論も同じではないかという気がする。この点では、従来のメディア論の延長ではないか、というのがブログ子の言い分である。

 第二。それでは、21世紀メディア論のポイントは何か。

 技術中心主義から一定の距離を置くこと

 グローバル主義からも一定の距離を置くこと

と水越さんは、講義の最終回で指摘していた。

 第三。それでは、グローバル主義から一定の距離を置くには、どういう視点があるのか。この点について、講義では

 メディア・ビオトープ論

を展開していた。生物多様性の考え方に小さな生態系として

 ビオトープ

という概念がある。ある特定な方法論ではなく、複合的なアプローチが大事であるというわけだ。

 この観点から、第13回講義では「メディア生態系をデザインする」と題して、

 空間的なメディアの多様性

を図示していた。横軸に、左から順にローカル、ナショナル、グローバルと3分類。縦軸に上から下に、「共」互酬性/コミュニティ、「公」再分配/政府、「私」交換/市場。

 上から、斜め下に、

 地域メディア、1県1紙体制/NHK+民放5局体制、巨大メディア

 これがメディア・ビオトープ論の骨格。

 しかし、生物界とは違い、これらの間はそのままでは、隙間を埋めてくれることはない。これがメディア・ビオトープ論の課題だという。

 何を、どう埋めて、回復するのか。そこで登場するのが、

 メディア=ビオトープ論の三層構造

 つまり、メディア遊び、メディアリテラシー、メディア実践という考え方。

 小さなメディアビオトープ同士が次々と社会的につながり、社会連携が広がっていくというのが、メディア=ビオトープ論のイメージである。

 テレビには中核となる新しい役割

があると話していた。はっきり言えば、今のような一方通行ではない役割だ。

 その意味では、午前零時からの

 NHK「WEB24」

は、マスメディアとツイッターとの連動として、評価できるのかもしれない。

 第三。アラブの春など、社会変革の強力なツールとしての21世紀メディア論がなかったのはさびしい。メディア=ビオトープ論が何を目指すのか、古くて新しい「人間の拡張の諸相」の新たな可能性を指摘してほしかった。

 以上、全体として、ブログ子も大学でメディア論を講じた経験があるが、それらを見直す、考え直す契機になった21世紀メディア論ではあった。

 

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何とか合格の朝日社説 参院「一票格差」

(2012.10.20)  たいていの人は、新聞の社説なんか読まない、意味ない、関心ないという「3ない」が常識だろう。

 新聞社でも、しゃあないと思っているのだが、それなら代わって、最近の「参院一票格差5倍」の最高裁判決「参院も違憲状態」について、ブログ子が一般紙をチェックしてみて、驚いた。

 2年前の参院選では神奈川県選挙区の一票の重みは、鳥取県のわずか5分の1以下という深刻さだが、各紙の社論があまりにずさんでひどい。そもそも主張がないのに書いている。

 朝日新聞がかろうじて合格という体たらくなのだ。国民ひとり一人に密接に関係する、しかも、参院が政局を左右するという喫緊の大問題なのにこんな風なのだ。これでは、天下国家を論ずると称している社説なんか読まないというのも無理はない。

 最高裁は判決で、もはや何「増」何「減」というような小手先の対応では、違憲状態を解消することは困難であり、限界と断じた。だから県単位の区割りをしている現行選挙制度そのものを根本的に見直すべきだと具体的に判示もした。全国をブロックに分けることを暗に提案している。それなのに、各紙の10月18日付社説は、主見出しで

 中日新聞「平等の実現に早く動け」

 産経新聞「衆参とも急ぎ格差是正を」

 日経新聞「1票の格差で立法の不作為は許されない」

 読売新聞に至っては

 「抜本改革へ最高裁の強い警告」

と、また毎日新聞も

 「抜本改革を突きつけた」

と最高裁判決の主旨そのものをそのまま主張している。ついでに

 NHKも解説委員による時論公論で「問われる政治の責任」

と、この種のものにはお決まりの見出しになっていた( 注記 )。改革案として、いろいろなものがあるとの解説に終始しているのが、新聞とは少し趣きが異なる。公平・中立でなければならないとする放送法上の限界がNHKにあるからだろう。

 いずれも、最高裁判決のオウム返し。判決を受けて、社説自体は何も踏み込んで主張していない。こんな楽な社説はないだろう。今のような地方区と全国をエリアとする比例区の仕組みでいいのかという問題だ。それを抜本改革するには、今立法機関の国会は何をするべきなのか、それを具体的に提案するのが社説ではないか。

 参院議員といえども、日本の憲法では、全国民の代表なのだ。何も県単位の区割りだから、県の代表というわけではない。

 さすがにそのことに気づいたのであろう、違憲状態を解消する抜本改革には、

 朝日新聞社説は

 まず、「参院のあり方論ずる時」

と主張している。参院の機能をどう位置づけるかという論点の提示だ。かろうじて合格だろう。これには、解散のない参院が政局を制している現状はどうかんがえても正常ではないとの基本的な現状認識も背景にはある。

 かつて参院議長が提案した全国9ブロック制の導入までは、朝日社説は具体的に提案しているわけではないが、それかそれに近い根本策をにおわしている。これだと、試算だが、格差は一気に2倍以内に解消する。

 手はあるのだ。しかし、現状を変えたくない現役参院議員の心理が事態を深刻化させている。この20年、ずるずると先送りしてきた原因がここにある。

 もうひとつ、各紙の社説を読んで思うのだが、主張するべき具体的な内容がないからか、朝日新聞を除く各紙の社説は、論理がゴタゴタしてわかりにくい。もってまわっている。

 天下の論説委員が書いた文章をけなすのは気が引けるが、わかりにくい。名文である必要はないが、もっとスパッとした切れ味のある達意の文章にしてほしい。社説書きに少しはかかわったブログ子でさえ、わかりづらいというのでは、話にならない。おそまつだ。

 このことは、読んでもらえる社説の(必要)条件でもあるのだ。

  注記

 わが愛する地元紙、静岡新聞に至っては、社説にすら取り上げていないのには、びっくりした。

 この日18日付の社説は、なんと、

 地震予知50年 「研究継続し、成果還元を」

という完全なるヒマダネの回顧社説。そのほとんどを50年前の、いわゆる予知のブループリントの話に終始している。極端な回顧社説。しかも、この主見出し、50年前につけてもおかしくないほどの陳腐なもの。せめて、新たな再出発を、と主張できなかったかと悔やまれる。前日から北海道函館市で始まった日本地震学会では

 学会「地震予知、現状は困難 学会改革計画」

としており、学会の地震予知検討委員会の名称を誤解を招かないよう、変更することまで決めている。なのに、しかも、そのことが同日18日付同紙第二社会面にでかでかと出ているのに、件の社説は「予知を取り巻く状況は厳しい」と書いておきながら、なんとこの学会のことには一言も触れていない。あたかも、そんな学会が函館で開かれていることなど知らないかのような書き方であり、不気味な異常さだ。

 これでは、わが愛する地元紙よ、しっかりしてほしい、といいたくもなる。

 さて、それはともかく、その18日付には、参院一票の格差については、まったく載っていないかというと、そうではない。社説ではないが、その下に共同通信からの配信記事

 「核心核論」 抜本的な改革が必要だ

をかかげている。「現在は格差を圧縮する「4増4減」案が参院で可決されたものの、政局の影響で、衆院継続審議となっている状態だ」「来年の参院選に向けて「4増4減」案を早く成立させつつ、抜本的な改革の議論をすぐにでも再開すべきであろう」と主張するなど、論理の道筋はわかりやすいし、書き方も明解。だが、この核心核論の主張は、静岡新聞社の社論ではなく、共同通信社の、いわば社論なのだ。

 これまた異常で、静岡新聞社には、社説を書く論説委員がいないのではないかと疑われても仕方あるまい。

 いとしいニュースとともに、いとしい社説もぜひ掲げてほしい。

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1日3食派、それとも1食派 ? さて判定は-

(2012.10.19)  たまには、こういうヒマダネもいいのではないか。「AERA(アエラ)」の10月22日号におもしろい健康記事( 写真 )が出ていた。

 1日夕1食。それも量は腹6分目。肉は食べない。空腹が人を健康にする

という今話題のイケメン南雲吉則医師の「若く見える」体験的健康法がいいのか。

 それとも、従来よく言われている

 1日3食、バランスよく好きなものを食べて「若返る」健康法、小太りが一番長生きする

という美容外科や長寿食事法で知られる高須克弥医師の健康法が、いいのか。高須さんは、1日1食は絶対にやめてと、件の新著( 写真下 )で訴えている。この本のまえがきにもあるが、「食べたいものを好きなだけ食べる」健康法といってもいいだろう。

 3人の医師に第三者の立場で判定してもらおうという企画である。

 Image1099 結論を先に言えば、南雲さんには悪いが、「1日1食+晩酌」派のブログ子が思うに、食べることを制限する「食べない」健康法は、いかに正しくても、よほどの強制力が働かない限り、その実践が伴わず、成功はしないということだ。南雲さんのような意識や知的レベルの高い人だけに有効な方法なのだ。俗人には到底無理。アメリカの禁酒法が長続きしなかったように、この健康法は、人間は聖人ではないということを忘れている。三日坊主の仏様健康法なのだ。

 これに対し、「好きなだけ食べる」高須健康法は、若返るかどうかは別にして、人間の欲望に沿ったものであり、たとえそれが多少いかがわしくても、長続きする。結果的に多くの人に効果がある。好きなものをバランスよく食べればいいというだけなら、バランスはともかく、俗人にもできる。世の中に小太りが多いというのも、この楽チン健康法のせいなのだ。何を食べてもいいと言ってほしい人のための健康法だから、バランスの取り方をあれこれアドバイスしさえすれば、あらかた効果がある。

  もっとも、命は短くてもいいから「若く見せたい」健康人生がいいのか、小太りでかっこ悪くても若返って長生きするのがいいのか、それはその人の生き方の選択だろう。

 ブログ子の人生観は、若く見えなくてもいい、若返らなくてもいい、その代わり、毎日ときめきのある暮らしがしたいというもの。

 さて、結論は出たが、3人の判定人のさまざまな項目ごとの評価は、おおむね、半々で、なかなか勝負はつきそうにない。

 ただ、ひとつ、

 肉は食べない

というのは、3人の判定人ともに、ダメ出しをしていた。菜食主義者にはショックだろう。

 乳腺外科医の南雲さんが、肉は食べないというのは、

 食べると乳がんになりやすい

というのが理由らしい。専門家らしい判断だ。

 一方で、肉を食べないと、脳卒中になりやすいという病因統計があるらしい。肉を食べると、血管に弾力性が生まれる。脳内出血や脳梗塞になりにくくなるという。

 酒やビールの効用については、両医師ともに少量ならいい、少なくとも否定はしていない。度をこさなければ薬というわけだろう。

 このように個々の項目では勝ち負けがあったものの、それらを総合した最終判定は記事ではどちらに軍配が上がったかは、不分明。考えてみれば、これは当たり前で、だれにでも当てはまる決定版健康法などあるはずもないのだ( 補遺 )。

 Image1110 そこで、判定人の健康法を最後にここに紹介しておく。

 食事は、家族などとおしゃべりしながら、とること

 1日1回は大笑いすること

 食事だけでなく、精神的な喜びやときめきが必要なこと

である。若く見えたり、若返るには、やはり、ときめきが必要なのだ。

 まとめると、1日1食にしろ、3食にしろ、男も女も1日1回笑って、好きななんとかビール

というのが、3判定人の最大公約数的な推奨健康法なのだろう。

 この記事を読んで、たった一つ、確かなことを発見した。年を取ったのに、ときめきもなく、苦虫をかみつぶして男は黙って何とかビールというのが一番体に悪い、という事実だ。

   補遺

 決定版食事健康法などないことを物語るいい例が、「プレジデント」2012年11月12号の

 後悔トップ20、シニア1000人調査。

 健康についてのトップは、

 歯の定期健康検診を受けていればよかった

という意外なもの。1食派にしろ、3食派にしろ、歯が弱いようでは話にならないという結果が出ている。ブログ子の尊敬する今年101歳の日野原重明医師(内科医、文化勲章受章者)は、歯が悪いと、食事ができなくなるばかりか、歯周病になり、その菌が血液を経て万病のもとの糖尿病になり、手の打ちようがなくなるとこの記事で指摘している。

 仕事と人間関係の項目では

 仕事を離れても、一生続けられる趣味を持てばよかった

という後悔。食事うんぬんだけでは、しょせん人間、健康なんて保てない。その意味では、南雲さんも、高須さんも、いい加減にしておきなさいよ、ということになろう。

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秋の一つ星 太陽系外惑星

(2012.10.17)  先日の土曜日、浜松科学館でちょっとおしゃれなコンサート付きのプラネタリウムを楽しんだ。ムーンライトセレナーデなどが演奏されるなど、星の世界のムードがたっぷりだった。

 久しぶりに夜空の解説を聞いた。夏の大星座や冬の豪華な星座に比べると、

 ちょっとさびしい

と女性解説員の話。

 Image1098 そんななか、秋の星座を楽しむポイントは、

 ほぼ真南にある、ひときわ明るい1等星、フォーマルハウト

なんだそうだ。「秋の一つ星」といわれているやつだ。なるほど、これなら、見失う心配がない。小さな星座「みなみのうお」座の青い星だ。周りにほとんど星が見えない分、目立つ。その上に「みずがめ」座があり、その東側に、ちょっとわかりづらいが、長細い「くじら」座。ミラという変光星がチカチカしている。

 北極星は、とさがすと、カシオペア座を目安に見つけることができた。そんなに明るくないから、案外に手間取った。

 このフォーマルハウトと並んで、秋の星座めぐりの第二のポイントは

 秋の四角形、ペガサス座

らしい。今頃の午後9時の星空を再現したプラネタリウムの巨大ドームのほぼ真上だった。

 そんな解説を聞きながら、ふと東の空を見ると、もう

 冬の大星座、オリオン座

がのぼってきていた。青白いリゲル星、有名なオリオンの三ツ星もぎりぎり見える。西はというと、

 わし座の1等星、アルタイル(七夕の彦星)

が沈みかけていた。

 解説員の女性は、今宵、ぜひ、本当の夜空を見上げてみてはいかがでしょうと、星空散歩にいざなっていた。

 この後、まちなかの行きつけの赤提灯で少し飲んで、高台の自宅に帰った。星座散歩のいざないもあったことから、久しぶりに、小学生時代に使った

 星座盤( 写真 )

を50年ぶりくらいに取り出して、今日、習った星座の復習をしてみた。そして、

 夜11時すぎ、実際の星空を見上げてみた。教えてもらったフォーマルハウトが健気にも南にはっきりと見えた。

 そして、ふと気づいた。

 この25光年先にある青く若い星には、周りを回る惑星がある。太陽系外惑星である。2008年にハッブル宇宙望遠鏡が、予測に基づいて、なんと、目視で発見したのだ(写真下=NASAの公開写真2008年)。

 250pxfomalhaut_with_disk_ring_and_e フォーマルハウトの星から、地球-太陽間の距離の110倍というから、太陽系の縁よりかなり遠いところを900年くらいの公転周期で回っているらしい。大きさは、だいたい木星ぐらい。この惑星のすぐ外側には、写真でもわかるように、チリのようなものがぐるぐる回っているらしい。

 太陽系も、もともとはこんな状態だったのだろうと想像すると、ぞくぞくするではないか。

 その様子が、ともかく宇宙望遠鏡を通して、目で確認できるというのは、この写真が初めてらしい。すごいの一言だ。なにしろ、太陽系全体を俯瞰しているようなものなのだから。

 秋の一つ星、フォーマルハウトには、こんなすごい光景があることを知って、なんだか楽しい気分になった。

  注記 2012.10.17

  テレビをネットにつないでいるので、大画面で科学ニュースを見ていたら、時事通信が

 4.3光年と、太陽系に最も近い恒星(ケンタウルス座のアルファ・ケンタウリB)で、質量が地球ほどの惑星が見つかった

と伝えていた。この星は、日本からは見えない星座の中にあり、おおよその位置は南十字星のあたり。ジュネーブ大の南米ESOでの観測。この恒星は、三重連星系。惑星はB星に近すぎて、とても生物は生存するような環境ではないらしい。

 それでも、太陽系に最も近い恒星でも惑星が見つかったことで、恒星の回りを回る惑星というのは、ごくありふれた存在であることがうかがえる。これを敷衍すると、今回の発見は宇宙には生命の存在する惑星が数多くあることを示唆する。

  詳しくは、英文だが、

 http://www.space.com/18099-earth-sized-planet-alpha-centauri-numbers.html

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「地球はオレの遊園地」 三浦雄一郎の挑戦

(2012.10.17)  「地球はオレの遊園地」-。

 先日、久しぶりに夜のNHK番組「ニュースウオッチ9」を見ていたら、80歳の誕生日を迎えたプロスキーヤー、三浦雄一郎さんを取り上げていた。この言葉は、そのときのもので、なぜ、冒険をするのですか、という趣旨の質問に対する答えだったと記憶する。いかにも冒険家らしい名言だ。

 何しろ、70歳でエベレスト初登頂、 2回目は75歳。そして、80歳の来年5月には、今度は、より難度の高い中国側からチョモランマ(エベレストのこと)の頂上に挑むという。

 戦前、イギリスの登山家、ジョージ・マロリーが、なぜエベレストに登るのですか、と問われて

 「Because it is there(そこに山があるからだ)」

とこたえたというのを、もじったものだろう。この場合、バカな質問をするなとたしなめたのだろうが、三浦さんは、明解に「遊園地だから」と返事をした。そこが、いかにも冒険家らしい素直さ、明るさがあると感心した。

 そんな番組をみていて、三浦さんの驚くべき体力の秘密は、一体、何なのだろうと思ったが、

 体の健康づくりでは、ヨーグルト、豆乳、納豆、卵

という食事らしい。

 心の健康づくりでは、やる気、勇気、あきらめない挑戦心。

 この二つをまとめて、一言で言えば

 人生に目標を持つ

ということだった。やや古いタイプの信条だが、これを少し言い換えて、

 人生になにかしら情熱を持つ

と言えば、多くの現代の若者にも、受け入れられるような気がしないでもない。

 その情熱が来年5月、結実するのかどうか、楽しみだ。 

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疑わしきは予防する 低線量被爆の脅威

(2012.10.16)  先日、浜松市内で定期的に開かれているこじんまりとした勉強会で、「サクラ調査ネットワーク」に参加している蔵下和男さんの話を聞いた( 写真 )。このネットワークはサクラの花びらの環境異変をこの10年継続して調べている全国的な民間組織。

 Image1096 蔵下さんは、現在は静岡県掛川市にお住まいだが、もともとは浜岡原発近くに長く暮らしていた。だから、浜岡原発の周辺のこと、環境の変化については、理屈よりも、まず肌身で、誰よりも実感で知っている。自負もある。

 そんな蔵下さんは、サクラの開花期、花びらをいろいろ調べてみると、普通、花びらが5枚なのにそうではない花びらがあったり、おしべが花びらになっていたりする〝異常〟が、どうも原発が立地していない遠いところより多いような実感を持った。遺伝的な特性が同じのクローンで増殖したはずのソメイヨシノの桜がなぜ、こんなに異常になるのか、という問題意識である。

 こうした異常は、何も原発からの放射能漏れや排気だけが原因ではないかもしれない。工場からの環境ホルモンの垂れ流しなどによる土壌汚染にも、公害で知られる大気汚染にも原因があるだろう。

 だから、まず、これらの原因候補をえり分けて、ひとつひとつ疫学的に確かに原発からの放射能の排出と、植物異常に強い相関があると科学的に、しかも有意に実証する必要があろう。しかし、この実証には、放射能に汚染されていない集団との比較が、科学的な証明にはどうしても必要であり、そのせいで、こうした複合汚染の原因の特定はなかなか一筋縄ではいかない困難さがつきまとう。

 また、たとえ、原発の排気と植物異常との間に疫学的に強い相関があったとしても、厳密には、それは原因が原発ではないかとの疑いを強めるだけであり、異常が原発によるものであるとまで因果関係を断定することはできない。つまり、見かけ上、相関関係があるように見えるだけで、その間に医学的な因果関係はなんら存在しないこともあるからだ。

 わかりやすく言えば、風が吹けば桶屋が儲かる、というたとえ。思わぬ結果であっても、そんなことは常には当てにならないというたとえであり、たまたまそうなっただけという意味。強い相関関係がたとえ統計的にあったとしても、風が吹くという気象現象と桶屋が儲かるという経済現象とが、原因と結果という因果関係にあるとは誰も思わないであろう。こうした見かけ上の相関は、このことわざがいみじくも指摘しているように、その間に、いくつかの媒介物がはさまっているときにあらわれる。このことは統計学の学徒なら常識であろう。

 しかし、だからと言って、サクラの花びらの異常が原発によるものではないとも、これまた科学的に言えない。電力会社がそう言いたいのはわかるが、科学的には証明はできないので、言えないのだ。

 蔵下さんにとっては、そんな小理屈よりも、サクラの花の異常は放射能の長期被爆に違いないという肌身で知った実感がある。この安全神話に寄りかからない実感こそ、福島原発事故後の今、大事にするべきことではないか。

 人への影響や異常を知る手がかりとして植物を選ぶ。植物は動かないという、いわば定点観測の利点を生かした話をうかがっていて、

 疑わしきは予防する 原因特定ができてからでは遅すぎる

 蔵下さんは、そう警告しているように感じた。 

 10年、20年という長い目で見れば、低線量ではあるが、長期にわたる放射能を体内に吸い込むなどして蓄積した(体内)被爆は、一度に大量に被爆する外部被爆と同様か、それ以上に危険かもしれないとブログ子は感じた。

 そのことを物語る報告書が出ている。チェルノブイリ事故から25周年を迎えたウクライナ政府が昨年4月に国際科学会議(首都キエフで開催)で公表した

 「Safty for the Future (未来への安全)」

という低線量被爆に関する医学的、疫学的な報告書である。原著(英文)は、

 http://www.kavlinge.se/download/18.2b99484f12f775c8dae80001245/25_Chornobyl_angl.pdf

である。

 これを読むと、先日、NHKのETV特集「ウクライナは訴える」でも放送していたが、直接の外部被爆をしていないはずの子どもに、甲状腺がん以外にも、さまざまな〝異常〟が通常考えられている割合をかなり超えて、見つかっていることがわかる。

 がん以外にも、

 心筋梗塞や狭心症などの心疾患、高血圧などの血液疾患、関節リュウマチなどの膠原(こうげん)病、目がにごる白内障。さらには骨格の異常

などの疾患が、なんと、30キロ圏内の立ち入り制限区域( 年間許容量線量5mSv以上 )から100キロ以上も遠く離れた町、コロステンの子どもにも起きているというのだ。

 つまり、事故直後の除染が十分でなく、事故から25年たった今でも、ところどころに年間5mSvをこえる放射能降下物がまだまだ残っているホットスポットがあり、その降下物による長期の低線量内部被爆が、子どもたちをむしばんでいるのではないかと疑われているのだ。

 ウクライナ政府は、この内部被爆の影響を報告書で訴えた。しかし、国際原子力機関(IAEA)などの国際機関は、子どもの甲状腺がんについては因果関係を認めたが、それ以外は、疫学的にみて、データの取り扱いがきちんとしていないなどの理由で認めていない。

 子どもたちの異常は、子どもたちの栄養状態の悪化、ストレスの増加

などが原因であるかもしれないからだ。

 これは、勉強会の蔵下さんと同じ、疫学的な解明の困難さをウクライナ政府も抱えていることを意味する。

 この報告書の衝撃は、

 年間5mSvであっても、長期的な被爆、おそらく汚染された食べ物などによる体内被爆の恐ろしさがある

という点だ。

 もう一つ、線量、線量というが、その線量の計測にも問題がある。

 年間1mSv程度の自然放射能からの放射線を人は常に浴びている。これは、地球の長い、長い歴史のなかで、今もって半減期が十分すぎていない物質によるものである。

 この量に対しては、人間は長い進化の過程でなんとか生きられる体力、耐性を身につけてきた。問題は、それとは別の人工の残留放射能の降下物である。

 これについては、降下物の放射線には

 アルファ線(ヘリウム粒子)、ベータ線(電子または陽子)、中性子線といった粒子線と

 ガンマ線、エックス線といった電磁波( 光 )

の二種類がある。

 ところが、われわれが福島原発事故で計測している線量は、主としてガンマ線だけである。粒子線は考慮外という落とし穴がある。

 つまり、モニタリングポストなど測定された被爆線量では、さまざまなものがあるうち測定されている線量というのは主として、少なくともガンマ線だけなのだ。ということは、浴びている線量の最小量にすぎない。残りの放射線による健康被害については、日本ではほとんど想定外なのだ。

 このことを考えると、今、日本では、

 年間許容量の目安として、20mSv、あるいは累積被爆線量では5年間100mSv

という基準が、がん労災認定などで一人歩きしているのが心配である。トータル100mSvまでなら安心という神話だ。

 ウクライナ報告書を読むと、自然放射能の5倍もの年間許容量5mSvでも、抵抗力のない子どもたちの場合、危険とかんがえるほうが妥当なように読める。実際には、それ以下がなんとか健康を守れるギリギリではないか。

  正確には、人類が長い進化の過程で獲得した年間許容1mSv( 毎時換算で0.23μSv )とチェルノブイリ事故についての今回の警告値あるいは危険値の年間5mSvの中間、

 つまり、目安の許容値は、年間で3mSv、つまり、毎時にして7μSv

だろう。これでも、自然放射能の3倍という危険なものなのだ。こうした許容値をこえた地域は、福島事故の場合、飯館村など30キロ圏の外にも、この夏時点でも、存在し続けている。

 日本を含めた国際水準の医学認識では、積算したトータルの被爆量が100mSvをこえると、被爆線量とがん罹患率との間にはっきりした比例関係があり、危険度は増す。100mSv以下については、比例関係などの相関があるのかもしれないが、一般には確認されているとまではいえない。

 世界的に知られたアメリカのジャーナリスト、W.リップマンは、その有名な著書『世論』(1922年)の中で、ニュースと真実を区別することを強調して、こう述べている。

 「ニュースの働きは一つの事件の存在を合図することである。真実の働きはそこに隠されている諸事実に光をあて、相互に関連づけ、人々がそれをよりどころとして行動できるような現実の姿を描き出すことである」

と近代ジャーナリズムの存在理由を明解に喝破している。事実であるかどうか疑わしいかもしれないが、真実への第一歩、それがニュースである。それが、人々の行動指針となる真実となるためには、いろいろな事実を関連付ける必要がある。

 低線量被爆の人の健康に与える影響の「真実」はいまだわからない。しかし、サクラの花びらの異常、あるいはウクライナ報告書というひとつ一つの「ニュース」は、真実への第一歩、合図であるようにブログ子には思える。

 その真実とは、

 長期的な低線量被爆が、がんだけではなく、心疾患、血管疾患など人のあらゆる健康に重大な影響を与えるという、今は隠されている「見えない真実」、その中身は未来への安全とは何かという「真実」

のことである。

 蔵下さんは、この「見えない真実」と今、戦っている。この闘いは、とりもなおさずチェルノブイリ事故に苦しむウクライナ政府の闘いと本質的には同質であることを忘れてはなるまい。

 この闘いが手遅れにならないためには、かつての環境汚染、環境ホルモン騒ぎでもそうだったが、

 「疑わしきは、予防する」

という賢明なる回避の原則を、環境異変の問題で確立することであると思う。

 疑わしきは国民の利益に

という原則といってもいいだろう。

 注記

 最後に、蔵下さんに教えていただいたのだが、こうした低線量の内部被爆の脅威や医学的な因果関係については、

 『人間と環境への低レベル放射能の脅威』(あけび書房、2011年)

に詳しい。

 戦後間もない広島で治療にあたるなかで内部被爆の恐ろしさに気づき、戦後一貫してこの問題と闘いつづけてきた被爆医師の肥田舜太郎さんと、竹野内真理さんの翻訳である。著者は、ラルフ・グロイブ氏とアーネスト・スターングラス。

 「ぺトカウ効果」と題された原著はチェルノブイリ事故前にまとめられており、人の内部被爆の影響を細胞レベル、分子レベルで解明しているのが特徴。被爆と健康被害との因果関係について、核医学のキー概念、ペトカウ効果という視点で論じられていることが注目される。

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何が読売新聞を大「虚報」に走らせたか

Image10871013 (2012.10.14)  iPS細胞に関する度外れた山中さんノーベル賞大報道をしたのが読売新聞。号外を出すなど新聞社のなかでもとびっきりの大報道だった。それもつかの間、別の研究者が同社記者に売り込んできたのを真に受けて、10月11日付読売新聞朝刊が大特ダネとして1面トップに

 「iPS心筋を移植」

と、これまた大々的な〝スクープ〟をやらかした。しかし、これは、ハーバード大学関連病院でそのiPS細胞を使って、動物実験を飛び越えていきなり、iPS細胞を患者に移植して成功したと称した、いわゆるウソの〝ガセネタ〟だった。

 10月13日付朝刊には、過去にもこうした虚報があった疑いがあるとして「ゆゆしき事態」を認め、今回の報道の検証記事が1ページにわたって掲載されている( 写真 )。

 このiPS虚報騒ぎでは、動転したのか、共同通信社までも大慌てで後追い配信する騒ぎとなった。が、一転、わずか2日後には、読売の記事は大「誤報」とわかった。読売自身も

 「iPS移植は虚偽  誤報と本社判断」( 写真下 )

と比較的小さめに報じた。

 これで一件落着、とは到底いかない日本の科学ジャーナリズムのひ弱さ、つまり自律性のなさを依然として見せ付けられたようで、怒りをこえて、同人として悲しい。

 度外れた大報道の読売新聞社が、これまた度外れた大「虚報」をやらかしたのは、決して偶然ではない。起こるべくして起きた事件である。一言で言えば、事実の報道にしろ、虚報にしろ、センセーショナルを旨とする報道が体質として根強く残っているということだ。確認取材のいらない行政の提供する

 発表(物)ジャーナリズム

にとっぷりつかっている記者たちの記者クラブ体質が、疑うことを知らない分、このセンセーショナル優先体質を後押ししている。

 そもそも読売新聞は今回の虚報を「誤報」(写真下)と書いているが、間違いである。虚報であろう。

  誤報というのは、伝えるべき事柄、出来事は事実としてあるが、それを一部正しく伝えていない報道のことだ。

 これに対し、

 虚報というのは、伝えるべき事実がそもそもないのに、意図的ではないかもしれないが、取材不足や確認不足で、まるであったかのように伝えること。誤報よりも深刻な事態である。

 ねつ造記事というのは、論外で意図的な虚報と言っていい。ウソ報道、悪質なでっちあげ記事、新聞社ではない場合は、あやしげなデマ情報という表現が使われることが多い。

 真実と信じるに足る「裏づけ」ができていないのに、売り込みをそのままうのみにした今回の報道は、確認不足、取材不足の「虚報」なのである。真実だと信じるに足る事実をつかんでいなかった。売り込みを信じた。

 正確なニュースの要諦は「第一に確認、第二に確認、第三に確認」とは知りつつも、絶好のタイミングを逃すまいとして、売り込みを真実だと信じたい心理状態に陥り、記者のみならず、あろうことか組織全体が、前のめりになり、チェックが甘くなったのが最大の虚報原因だ。

 これこそが、読売新聞を大虚報に走らせた。

 Image10911013 売り込み研究員のハーバード大客員研究員、東大特任研究員という実態のよくわからない虚名に踊らされたというのは、大した問題ではない。問題なのは、その虚名を信じて、ニュースの核心部分、つまり真実と信じるに足る移植の実施そのものの裏づけをとらずに記事を書いても堂々と通用するという新聞社の体質、はっきり言えば乱暴な無神経さそのものなのだ。

 この事実を、くだんの研究員はよく知っていて、それで売り込んだのだ。案の定、また引っかかったと研究員はひそかにほくそえんだであろう。

 不思議なのは、地方紙に記事を配信する共同通信社も後追いなのに虚報に連座したこと。地方紙の静岡新聞10月13日付朝刊に配信元の共同新聞社の検証記事が出ている。最後をこう締めくくっている-。

 「通信社として速報を重視するあまり、専門知識が必要とされる科学分野での確認がしっかりできないまま報じてしまった」

と結論付けている( 注記 )。

  共同通信が、地方紙デスクにいつもよくやる手の

 「一部全国紙にiPS移植成功のニュースが報道されていますが、現在、取材確認中です」

と、なぜ、時間を稼がなかったのか。いつもは慎重な同社のチョンボが悔やまれる。

 日本には科学ジャーナリズムが不在であると言われて久しいが、今もって未熟であることを象徴するような総括である。後追いなのに虚報というのは前代未聞だ。聞いたことがない。共同通信社の歴史に大きな汚点を残した出来事と言えよう。

 あまつさえ、読売新聞の10月14日付社説には、怒りを通り越して、笑ってしまった。

 新聞週間を直前に控えたこの社説は、新聞週間をテーマに取り上げ、主見出しで

 期待に応える紙面を届けたい

と主張している。賛成である。しかし、読んでみて驚いた。

 「読者の期待に応えて正確な報道と責任ある論説が提供できているのか。日々、自問しながら、最善の紙面を届けたい」

と書いていながら、三日前にしでかした大虚報の出来事については、一行の言及もない。ブログ子は、読む前少なくとも

 先の虚報を深く反省し、二度とこうしたことが起きないよう、紙面づくりや記者研修のあり方を改革するなど、あらためてここに誓いたい

ぐらいの、つまり今回の事態を奇貨とする反省の一文はあるだろうと思っていた。それが、新聞週間を前にした天下の大新聞のとるべき謙虚な姿勢だろう。それがない。社説を読んで、わが目を疑ったほどだ。

 自戒を込めれば、社説を書く論説委員とはなんと厚顔無恥、とは言いたくないが、これではそう思いたくもなる。 

  注記

 Image10861013_2 共同通信社の検証記事を参考として、ここに掲載しておこう( 写真右 )。10月13日付静岡新聞朝刊第二社会面に載ったもの。

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蒲(ガマ、別名はカバ)って、ナンですか ?

Image1081 (2012.10.13)  浜松市に暮らしていると、カバザクラとか、蒲冠者(かばのかじゃ)とか、地名でも蒲公園、蒲小学校とか、「蒲」というのがよく出てくる。

 蒲冠者とは、兄が源頼朝であり、弟が源義経という浜松出の源氏の武将、源範頼(のりより)のこと。平家都落ちを義経とともに追撃したことでも、義経ほどではないが、知られている。

 ブログ子の自宅近くの佐鳴湖北岸には範頼の別邸跡が残っていて、片隅に蒲桜が植えられていることは、以前、このブログでも紹介した。このあたりの湿地や湖岸にはカバが多く自生していたのであろう。だから、そこの出身ということで蒲冠者というわけだ。

 ところで、現在、ブログ子は、浜松科学館(浜松市)で、子どもたちを相手にサイエンスボランティアをしている。ささやかな社会奉仕だが、この夏、子どもたちから、突然、

  「蒲、カバっていうけど、先生、この茶色い〝フランクフルト〟のようなものはナンなの ? ソーセージのようなお肉 ?」

という素朴な質問を受けて、ハッとした。かつてブログ子も子どものころ、同じ疑問を持ったことを思い出したからだ。しかし、この50数年、一度もそれを確かめようとしたことはなかった。不覚だった。

  早速、カバを取ってきて、自宅で育ててみた。3週間ほどで、それが先日、写真のように、フワフワの羽毛のような白い花を咲かせていたのに、びっくりした。

 表面が堅い茶色いフランクフルト(花穂というらしい)は、なんと、茶色いタネ(雌しべ)がびっしりと並んでいるものだった。フワフワを一つ一つよく見ると、ごくごく小さなバドミントンの羽根の形をしている。羽子板遊びの羽根のほうがより正確かもしれない。羽根の先の点が茶色のタネだった。これが花粉のように秋風に乗せられて周りに飛んでいくのだろう。

  50数年ぶりに、子どものころの疑問が解けた。そう子どもたちに報告したら、

 「先生、だったら、おしべは、どこにあるの」

とかわいい女の子に言われて、絶句した。答えられなかったのだ。風に飛ばされるのは受粉後であろうから、カバ自身におしべがあるはずであるが、わからなかった。

 仕方がないので、カラー写真や図解が多いので20年以上前に買った『日本大百科事典(ジャポニカ)』で調べてみたら、なんと

 おしべは、フランクフルトから突き出ている20センチほどの細長く、硬い角(少し黒くなっている写真上部のつのの部分)

にくっついていた。雌しべに比べて、おしべの数はずいぶんと少ないことも知った。

 古事記(印旛の白兎)にも出てくる蒲(カバ、ガマ)だが、予断のない子どもたち相手にボランティアをしていると、子どもたちに導かれて、思わぬ〝大発見〟をすることがある。ブログ子にとっては、iPS細胞うんぬんよりも、こちらのほうが、ずっとすごい出来事だった。 

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ハプスブルグ帝国と『16世紀文化革命』

(2012.10.12)  テレビ番組の初回放送時には、それほど、その内容に気を留めていなかったのが、一定期間たって、しかも関連番組を後でまとめて拝見したら、ハッと気づかされることがある。

 今週一週間、ずいぶんな深夜に連夜放送された

 BSアーカイブス「ハプスブルグ帝国 双頭の鷲の下に」

はそんな番組だった。この10年ほどの間にNHKで紹介されたものを、5夜連続で拝見した。1000年の間のヨーロッパの複雑な政治的な動きや文化について、ハプスブルグ家というキーワードで映像をまじえて歴史的に俯瞰していた。

 Image1067 双頭の旗の下に、一致団結を呼びかけるハプスブルグ家出身の皇帝と、つまり支配する側と、民族自決、今で言えば反グローバリズムで抵抗する支配される側の、政略的な婚姻を含めた君主諸国との文化的、民族的な闘争。そして敵対国、フランスとの戦争。さらには帝国内での時の皇帝とローマ教皇という宗教をめぐる聖俗の対立。これらが織りなす結果としての帝国の繁栄と衰退を見事に描いていた。

 ブログ子は、高校時代、世界史が好きだった。しかし、今までわかっているようで、漠然としか理解していなかったことが、この連夜の放送で腑に落ちることも多かった。遅い晩酌をしながらではあったが、また『世界史小事典』(山川出版社)を近くにおいて確かめながらではあったが、ずいぶんと楽めた。

 理系出身のブログ子が最も腑に落ちたことの一つは、

 『16世紀文化革命』(みすず書房、2007年 写真 )がなぜ、西欧の、そのまた16世紀に起きたのか

ということについてだった。この本は、東大全共闘の闘士だった山本義隆さんの話題を呼んだ大著

 『磁力と重力の発見』(みすず書房、2003年)

の続編である。つまり、この発見など西欧の輝かしい科学革命は16世紀に準備されたものであり、そこには「職人としての芸術家や技術者にその変革のヘゲモニーがあったということ、すなわちこの変化をもたらしたものとして16世紀文化革命が(16世紀西欧には)あった」。このことを、山本さんは続編で説得力を持って提示している。

 この文化革命には、ラテン語から俗語へという言語革命までも関わっている本格的なものであり、この指摘は正しいように思う。

 しかし、当時、この正続の両方の本をずいぶんの時間をかけて読んだが、16世紀文化革命の主導権を握ったとされる職人としての芸術家や技術者がなぜ16世紀に変革に目覚めたのであろうか。しかも西欧の16世紀だったのか。言い換えれば、なぜ西欧の16世紀だったのか。このへんが、続編ではほとんど解答らしい分析はない。

 おそらく、分析がなされなかった原因は、民衆蜂起による革命を夢見た山本さんとしては、大学アカデミーからではなく、

 科学革命の準備が職人や芸術家による文化革命から起こった

ことを知って、そこで満足してしまったのではないかと思う。

 実は、ラテン語ではなく、それぞれの国の日常語による文化革命を職人や芸術家にうながしたのは、

 ハプスブルグ家出身の皇帝たち

だったのではないかと、ブログ子は件の一連の番組を見て気づいた。

  ハプスブルグ帝国は、「(ドイツ国民の)神聖ローマ帝国」のほとんどの皇帝を、650年間、独占していた。

 このことを可能にしたのは、さまざまな国の文化を皇帝自ら理解し、パトロンとして支援し、それぞれの国の言語についても皇帝自ら駆使し、国民の統合を図っていたかららしい。皇帝は何カ国語も話すことで、君臨する諸国の国民に親近感と支持をとりつけていた。その結果、帝国内ではさまざまな文化が融合した。

 具体的に言えば、それはハプスブルグ帝国の基礎を確立した

 マクシミリアン1世(第6代皇帝、在位1493-1519年)

と、ドイツからオーストリア、ハンガリーという東だけでなく、西のスペイン(とその獲得した新大陸)にまで、ハプスブルグ家の勢力を伸ばした孫の

 カール5世(第7代皇帝、在位1519-1556年)

ではなかったか。このとき、ハプスブルグ帝国は、新大陸、アメリカも含む「日の沈むことのない大帝国」と称された最大の版図を獲得し、繁栄の基礎を固めた。

 そして、首都を持たず、かれら王自らその土地に出かけていく、いわゆる〝出張統治〟も、アルハンブラ宮殿などイスラム文化も含めた融合という文化革命を促進するのに役立ったであろう。

 彼らこそが、16世紀文化革命を、それと意識しないまま、当時の職人や芸術家、技術者を刺激し、結果として文化革命を主導したといえないか。パトロンとして、その権威を高めるために莫大な富を戦争以外の建築、絵画などの文化政策に費やした。

 少し時代は下るが、たとえば、帝都ウイーンのハプスブルグ家の宮殿、

 シェーンブルン宮殿

は、フランスに対抗して、つくられ始めたのだが、ハプスブルグ家の精華を示す典型であろう。

 こう考えると、仮説だが、西欧だけに、しかも17世紀に科学革命が起こった理由が十分説明できる。16世紀に言語革命を伴って文化革命が起こったのもうなづける。

 以上、一言で言えば、多民族国家、ハプスブルグ帝国の成立期、16世紀に民族の文化融合や団結の結果として言語革命や文化革命が同時進行的に起きた

ということだろう。

 もっとも、こうした見方は、元全共闘の山本さんとしては、正否はともかく、あまり認めたくはないであろう、とブログ子は想像する。

 補遺  2012年、EUにノーベル平和賞

 神聖ローマ帝国、正しくは「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」であり、フランス皇帝、ナポレオンが登場するまで、つまり第20代皇帝、フランツ2世(在位1792-1806年)まで続く。第一ドイツ帝国はここでいったん崩壊するのだが、その後、ハプスブルグ家とは袂を分かち、ビスマルク帝国(第二ドイツ帝国)、第三ナチスドイツ帝国へと引き継がれる(このほか、ロシア皇帝もヨーロッパにはあった)。

 一方、ハプスブルグ家自身は、神聖ローマ帝国の崩壊後もオーストリア=ハンガリー帝国の皇帝として存続する。フランツ・ヨーゼフ皇帝が最後のハプスブルグ家出身の皇帝。民族自決の波に逆らえず、ついに第一次世界大戦の引き金を引く歴史的な役回りとなる。この敗戦で、初代皇帝ルドルフ1世以来650年の歴史を誇るハプスブルグ帝国は名実ともに完全に消滅する。

 この番組のおかげで、今週はずいぶん、高校時代に習った世界史の流れを思いだした。

  それにしても神聖ローマ帝国は統合、分裂、そして消滅を繰り返してきたが、今また、この逆、EU(ヨーロッパ連合)という再統合が政治統合も視野に登場しているのは、いかにもヨーロッパらしい。

 しかも、歴史は繰り返すとは言うが、これまた経済的に強いドイツを中心にしているところが、面白い。フランスとの確執もある。

 先ほどのニュースによると、 EUは、今年2012年のノーベル平和賞を受賞することになった。平和への貢献という意味合いがあるらしい。

 今もハプスブルグ家の当主が、美しく青きドナウの川を見下ろす山間の小さな古城に暮らしている。その様子が番組でも紹介されていた。神聖ローマ帝国は旧教、新教の違いはあるもののキリスト教の結束の同盟なのだが、イスラムのトルコまでが加盟に動いているEUの将来について、あるいはEU分裂の危機について、今どんな感想を持っいるか。そして、ハプスブルグ帝国消滅からまもなく100年、第四ドイツ帝国の時代は来るのだろうか。番組を見ながら、当主につい聞いてみたい気持ちになった。

  深夜、ひとり、ヨーロッパの歴史について、いろいろな思いを馳せたのは久しぶりだった。 

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「日本奥地紀行」  ローエル再発見の旅2

(2012.10.10)  10日ほど前、このブログで「ローエル再発見の旅」について書いたが、もうひとつ、最近、再発見した。P.ローエルは、明治22年5月に東京から能登への旅を決行したが、この11年前、すなわち明治11(1878)年6月に東京から東北地方、北海道を3か月間、たった一人で旅行した女性探検家がいたことを、BSテレビ放送で知った。

 見た番組は、NHKのBS放送「にっぽん微笑みの国の物語」で、今年2012年1月放送の再放送だ。案内役は中村梅雀さんだった。番組では、ゲストの出演者として、オックスフォード大学で卒業論文にこの女性探検家というか、旅行家をテーマに選んだという若いアイルランド人、デュンラ・バードさんが、登場していた。イギリスで英文学の教師をしているらしい。

 バードさんという女性探検家が明治期に日本に来たことは知っていたが、その詳細な

 旅行記「日本奥地紀行」

というきわめて民俗学的な学術調査報告書が出版されているとは、不覚にも知らなかった。明治初期の日本の地方の暮らしをつぶさに観察している。

 その著作の女性とは、大英帝国の婦人、イザベラ・バードさんで、著書の原題は

 『Unbeaten Tracks in Japan』

である( 初版は1880年=明治13年、全2巻。1885年には関西旅行部分をカットした版も刊行された )。書名を直訳すれば、日本の未踏の土地。著者自身の富士山などのイラストや現地の貴重な写真まで多数掲載されているのは、

 ローエルの『NOTO  人に知られぬ日本の辺境』

と同じだ。日本人通訳を伴い、馬や人力車に乗って北海道まで女性一人で出かけたのだから、すごい。

 内容は、当時の東北地方は、具体的には秋田県の米沢平野(置賜盆地)の散居村は、まるで

 「アジアのアルカディア(桃源郷)」

だと書いている。シャングリラ、東洋のエデンの園だというのだ。日本人は

 「勤勉で、素朴で礼儀をわきまえた民族」

とも記述している。また、ローエルの分析同様、「均一的で、没個性的」という観察もある。

 51813yfdy6l__bo2204203200_pisitbs_2 以前述べた仮説を検証するためにも、この旅行記はぜひ、せめて邦訳ででも読んでおきたいと思ったものだ。

 原著の初版邦訳として、

 『完訳 日本奥地紀行』(平凡社・東洋文庫。全4巻)

が、詳しい注釈を付けて、まもなく完成、発売されるらしい。楽しみだ。写真は、平凡社ライブラリーの『日本奥地紀行』(2000年)。 

 偶然見た番組だったが、ブログ子にとっては大変に意味のある番組であった。

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「第三の男」を忘れるな ノーベル医学賞

(2012.10.10)  今回のノーベル医学生理学賞の報道を新聞などで見て、ブログ子は、

 今年は、山中さん一人だけの単独受賞 ?

と、早合点してしまった( 写真 )。そう思った人も多いのではないか。それほどに山中さん大報道だった。

   読売新聞に至っては、昭和天皇崩御を思い出させるような「山中教授ノーベル賞」の大見出し号外まで都内で出した。おろかも、そして度をこすのも極まったといえる。

  不思議に思った理由は、最近の自然科学系のノーベル3賞はたいてい枠いっぱいの3人だったからだ。それほど先端的な研究は競争が激しく、しのぎを削る熾烈さがあり、賞を贈る側もどの人を優先的に評価するか、その選定に一苦労も二苦労もするのが常態化している。

 そこで、よくよく読んでみると、実際は、もう一人、ジョン・ガードン(英ケンブリッジ大教授)さんも共同受賞していた。これで、ブログ子も一安心。しかし、ガードンさんの記事は、各紙ともに見落としそうなほど〝ベタ〟記事扱いだったのが、残念だった( 注記 )。

 たとえば、科学ニュースに強いはずの朝日新聞(10月9日付)では、1面をほとんど使って報道しているのに、この共同受賞者については本文ではわずか10行足らず。それも、なんと山中さんの業績を引き立てるための〝脇役〟に追いやられている。これには、山中さん自身、怒りたい気持ちだっただろう。

 待ってましたとばかり、そして山中さんへの期待の大きさのあまり、こういう度を越したアンバランスな大報道は、山中さん自身にとっても迷惑であろうし、受賞の意義を正しく読者に伝える報道の役目を忘れている。はっきり言えば、放棄しているとしか思えない。これは裏を返せば、この分野についてきちんと評価できていない、あるいはそもそも分野の土台を理解していない証拠でもある。

 ガードンさんといえば、1950年代からのクローニング(細胞核の初期化とその後の複製技術)分野で常に先駆者、パイオニアの役割を果たし、今も現役で研究に携わっている偉大な老研究者である( 詳しくは、補遺2を参照 )。

 具体的に言えば、カエルの子ども、オタマジャクシの体細胞(具体的には腸)の細胞核を核移植し、見事、初期化とその複製に成功。1960年代(正確に言えば、1962年)の画期的な仕事だが、その細胞を、オタマジャクシにまで育ててもいる。

  ただ、大人のカエルではこのことは成功しなかったものの、これにより、分化してしまった細胞の細胞核はもとの万能性にはもう戻れないという当時の常識を打ち破った。同時に、ガードンさんのこの成果により、倫理問題が少ない体細胞(たとえば皮膚組織)の、それも人間というほ乳類の、そのまた大人の細胞核から、これまたなんと人工的に、胚と同様の万能細胞をつくるという目指すべき理想の研究成果への長い、長い道のりが始まった。

 この間には、クローン羊「ドリー・ショック」(1997年2月)もあった。このへんの生々しいいきさつについては、ドリーを生み出した英研究者たち自身がつづった

 『第二の創造』 ( 原著=2000年、翻訳=2002年、岩波書店。写真下 )

に詳しい。

  山中さんの歩んだ輝かしい業績については、もはやブログ子などがあれこれ、いう段階ではないので、ここでは省略するが、忘れてはならないのが、この長い道のりの初期には、

 第三の男

とも言うべき、 ガードンさんの良きライバル、ロバート・ブリッグスさんという米研究者がいたことだ。

 Image1075_3 カエルの受精卵から育った卵(胚)の細胞核を取り出し、それを別の卵子に核移植し、初期化に成功。それを複製しオタマジャクシにまでに育てた。1952年、というから、まだDNAの構造がどのようなものであるかがわからなかった1950年代の研究成果が、ガードンさんの1960年代の研究に火を付けた。

 今回の授賞選考では、さすがは選考委員会である、ガードンさんも共同受賞者に選んでいる。正当な、そして公平な選考といえるだろう。ただ、マスコミが正当に、そして公平には伝えていないだけなのだと気づいた。

 ガードンさんが共同で受賞するなら、同様の先駆者であるブリッグスさんも第三の男として、枠があるのだから選ばれてもなんらおかしくはない。ブログ子はそう思った。上記の『第二の創造』にも、ブリッグスさんの業績についてはしばしば、ガードンさんと並んで出てくる。

 なのに、選ばれなかった。とても不思議な気がした。

 そして、気づいた。ブリッグスさんは、今から30年近く前の1983年2月に惜しくもなくなっていたのだ。ノーベル賞は、どんなに優れた業績を上げたとしても、授賞決定時には受賞者は生きていなければならないという、ある意味非情ともいえる決まりがある。国籍は問わないが、亡くなった人には授与されない。

 それなら、最後の枠を別の研究者に〝回せば〟いいと、俗人は考えるだろう。それを選考委員会はあえてしなかったのはなぜだろう。それは、推測だが、選考委員会が、ブリッグスさんの業績を受賞に値するものと暗黙に認め、敬意を払う意味で「空席」にした。

 つまり、こういえば京都大学の職場で山中さんと苦楽をともにした若い共同研究者、T講師には少し気の毒ではあるが、ブリッグスさんの業績を高く評価したがゆえの、いわば〝永久欠番〟だったと受け止めたい。

 この意味で、今回の医学賞では、空席の「第三の男」を忘れてはならないだろう。

 山中さんの先ほど述べた成果については、スピード受賞と騒ぐ向きもある。しかし、以上のように考えると、むしろ1952年から60年にわたる長い歳月に一つ一つ積み上げた成果に対する授与なのだと考えるのが、おそらく正しい評価であろう。

 第三の男の存在もそうだか、こうした冷静な指摘がこれまでのところ、どの報道にもみられない。このことを、ブログ子は同人として恥ずかしく思う。

  この意味で、今回の手放し大報道は、はからずも日本の科学ジャーナリズムが依然として批判精神において未成熟なままであることを露呈したと言わざるを得ない。

  補遺

 10月10日夜のNHK「クローズアップ現代」では、山中さんはNHK京都支局に出向いて、女性キャスターの質問を受けていた。当初は「研究資金もごく少なく、暗闇の中でバットを振るような(手ごたえのない)状態だった」、その一方で「空振りでもいい。しかし、ボール(真理のこと)は確かに飛んできているとの感触はあった」とのコメントを引き出していた。

 山中さんは、ガードンさんに導かれて、研究を進めてきたとの趣旨を謙虚に語っている。その偉大な業績に敬意を表していた。これに対し、キャスターからは、まったく反応はなく、同氏に触れることはなかった。平生は知的で視野の広いキャスターであると思っていたのに、やや偏狭なインタビューであったと思う。ジャーナリストの限界を目の当たりにしたような印象を持った。

 補遺2

  マスコミの山中さん大報道については、ブログ子と似たような印象を持ち、踏み込んで書かれているブログがある。

 大隈典子さんの通信ブログ

 http://nosumi.exblog.jp/

である。ガードン卿と山中博士の受賞対象論文から考察するノーベル賞と題されている。

  少し専門的ではあるが、その分、また原著論文を読まずに記事を書いている新聞解説が多い中、そして、このブログを専門的な立場から補うのに非常に参考になる。

 山中さんの受賞理由に挙げられた原著論文(英文)とは

 http://www.cell.com/retrieve/pii/S0092867406009767?cc=y

である。今、山中さんの論文と言ったが、山中さんは、この論文の二番目。第一著者は、同じ大学の共同研究者、T京大医学部講師。実質的に誰が、研究を指揮していたかを選考委員会が見極めた上で、受賞者を決定していることをうかがわせる好例であろう。

 補遺3

  次のような山中論文の解説本も出ている。

 『山中iPS細胞・ノーベル賞受賞論文を読もう 山中iPS 2つの論文(マウスとヒト)の英和対訳と解説及び将来の実用化展望』(西川伸、一灯舎、1890円) 

 注記

 ノーベル賞の公式な発表については、ノーベル財団の

 http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/2012/

を参照してほしい。これでもわかるが、受賞者の最初はガードンさんで、その次が山中さんである。なかの業績紹介文もこの順序であることに注意したい。

  

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静岡県で一番低い山 富士山は見えたか

(2012.10.08)  静岡県には日本一高い山、富士山があるが、それでは静岡県で一番低い山はどこか。国土地理院の5万分の1地図によると、それは

 佐鳴湖西岸にある岡のような根川山(浜松市西区)、標高32メートル

らしい( 写真 )。ご覧のように、高台にあるブログ子の自宅から淡水湖、佐鳴湖越しの向こう岸に見える山ともいえないうな小さな山だったのにはびっくりした。

 Image980 それでも山頂からは天気がよければ、富士山がかろうじて見えるという。好天の先日、山頂から富士山を拝もうと、散歩がてら湖を半周して、登って見た。湖岸にずらりと並んで植えられているメタセコイアの近くに登り口の案内がでていた。

 けものみちのような細い落ち葉の山道をのぼり始めてから、わずか15分くらいで、なだらかな山頂に到着した。いくら足腰が弱っているブログ子でも、楽々登れたのがうれしかった。

 なんにもないただの山頂だろうと思っていたが、意外にも、読みづらかったが、

 楠公600年祭記念のりっぱな歌碑(自然石を使った大きな石碑)

があった。これまた読みづらかったが、なんとか

 根も幹も枝ものこらず朽果てし 楠の薫りの高くもあるかな

と詠める。昭和10(1935年)年の建立らしい。600年前の1336年といえば、

 南朝の武将、楠正成(まさしげ)の敗死の年

にあたる。北朝の足利(尊氏)軍と戦い、摂津湊川で正成は戦死。

北朝の系統を正統として受け継ぐとしている江戸時代はともかく、あくまで天皇に忠誠を誓い、身命を投げ打って戦った南朝の忠臣武将として明治以降、称揚された。戦前の修身教科書にはかならずでてくるエピソードであるらしい。

 どうしてその楠正成をたたえる歌碑がここにあるのか、不思議だが、戦前の風潮を髣髴させて面白い。今では考えられないほど全国的に天皇崇拝、忠臣楠正成信仰があったことをうかがわせる(これとは逆に、天皇に弓を引いたということで、戦前はいかに足利尊氏が逆賊、逆臣扱いを受けたか、またののしられたかがなんとなくわかる)

 そんな話は、遠い過去のことだと思っていたが、身近な足元にその歴史が残っており、しみじみとした感興がわいてきた。

 ただ、残念なのは、樹木が伸び放題で、富士山はおろか、眼下の佐鳴湖さえ山頂からは見えなかった。

 県内一の低い山にも、忘れられてはいるが、富士山同様、歴とした歴史がある。

  補遺

 このコラムを書いたことで、なんだか、南北朝時代の小説を読みたくなってきた。天邪鬼かもしれないが、

 足利尊氏は、そんなに悪党だったのか

 楠正成はそんなに忠臣だったのか

という疑問も出てくる。とかくこの時代は複雑で込み入っているし、単純な悪玉・善玉史観には、どうも疑問がある。そんな思いで、

 吉川英治さんの『私本太平記』(全4巻、講談社)

が読みたくなったことを付け加えておきたい。

 吉川氏の歴史小説は、司馬遼太郎さん同様、できるだけ史実に忠実に、あるいは尊重して、しかも面白く書かれている。その意味で、ブログ子は両氏のファンである。

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映画「たそがれ清兵衛」と「武士の家計簿」

(2012.10.06)  10年前、映画館で見た「たそがれ清兵衛」(山田洋次監督)を、最近、テレビのBSプレミアム放送であらためて拝見した。たそがれとは、主人公のお城の職場仲間から付けられたあだなで、仲間同士との個人的な付き合いはしないという夕方「5時まで」男、まじめ人間のことらしい。

 見て、映画を二度鑑賞することのメリット、ありがたさをつくづく感じた。というのは、時代背景がともに幕末から維新であり、また主人公がともに、地方藩の平士(ひらざむらい)、つまり下級武士で、ともに職業は、軽くみられていた、いわゆる「そろばん侍」の

 「武士の家計簿」(2010年、森田芳光監督)

を見ていたからだ。禄高もともに50石程度のつつましい暮らし( 江戸時代は、写真のような五つ玉そろばんを会計経理役の藩御算用者は使っていたのだろう)。

 ともに時代の波に乗り遅れそうになっていた藩が舞台というのも同じ。

 違いは、「たそがれ」が今の山形県鶴岡市の庄内藩10万石での譜代大名の直臣物語であるのに対し、「家計簿」は、なんと言っても金沢市の外様大大名、加賀百万石の陪臣物語という違いぐらいだ。 Image1042 映画そのものの出来、質という点では、シリアスな「たそがれ」に軍配が上がろう。この映画では、お家騒動などの歴史的事実を裏付ける史料はほとんどなかったが、庄内平野を流れる最上川、遠くにみえる雪の美しい鳥海山などを背景に、藩命には逆らえない宮仕えの哀歓が、しみじみと伝わってくるリアリティがあった。

 しかし、歴史文献上の実証性、リアリティという点では、その史料の確かさ、主人公の家として、当時の下級武士の家が今もそのまま残っている家(金沢市・武家屋敷「大屋」)を舞台として選んでいるなど、コメディタッチとはいえ「家計簿」が断然優れている。

 ただ、監督が描こうとしたテーマについては、まったく同じだったことに気づいた。

 幕末から維新という先行き不透明な中、いとしい家族のため、自負と武士の忠誠心のはざまで苦しみ、そして人としていかに誠実に生きようとしたか、その地方の名もなき武士たちの姿が、一方はシリアスに、一方はコメディ仕立てで描かれていた。

 ここが、二つの映画と同じ時代背景ではあるが、京都、江戸、大阪を舞台とした華々しい2年前の大河ドラマ「龍馬伝」とは大きく違うと思った。薩長同盟締結などの歴史の大舞台はあったが、主人公の人間的な家族はなかったのに、ブログ子は少なからず違和感があった( 補遺 )。

 ここに、同じく不透明な現代の〝そろばん侍〟たるサラリーマンの共感を呼ぶみなもとがあるように思う。見終わって、そう感じた「たそがれ清兵衛」だった。

 補遺

 龍馬の妻については、

 鳥越碧(みどり)の小説『波枕 おりょう秘抄』(講談社、2010年)

に詳しい。小説仕立てになってはいるが、史実をぼ忠実に描いている。

 「それからの龍馬伝」として読めば、面白い。明治を生き抜いた妻、おりょうのすさまじい後半生の30年がつづられている。

 小説の最後、龍馬がおりょうに語りかけるシーン、

 「自分の人生を精いっぱい大切に生きてこそ、人間じゃき」

という言葉に読者は共感するだろう。

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赤ちゃん、「進化」を歩む  サルとの比較 

(2012.10.03) 先日、深夜のプレミアム放送を見ていたら、赤ちゃんが生まれてから1歳になるまで、その驚異の適応力について紹介していた。

 しかし、ブログ子は、生まれた後の驚くべき適応力よりも、生まれたばかりの赤ちゃんが、いかにこれまでの人類の進化の足跡を残しているか、ということをあらためて〝発見〟し驚いた。

 赤ちゃんは、4足歩行から何らかの必要性から2足歩行に移行したという人類の進化の歴史の〝生き証人〟なのだ。

 生まれたばかりの赤ちゃんが、五体満足かどうか、チェックする方法として、一番簡単な方法は生まれたばかりの赤ちゃんを水槽にザブンとばかり、投げ込むだけでいいのだそうだ。たいていの赤ちゃんは、多少、ぎこちないが、五体満足であれば、なんと手足をバタバタして泳ぐ。そして魚のようにわずかだが、前に進む。

 その様子をブログ子は直接観察する機会があったが、確かに赤ちゃんは泳ぐ。これは人間がかつて「魚」だったことの反映らしい。赤ちゃんは教えられなくても、その骨格がかすかではあろうが、数億年前の魚時代のことを覚えている。

 件の番組では、生まれたばかりの赤ちゃんをかかえて、床に足がくっつくようにしてやると、なんとこれまた左右の足を交互に動かし、いかにももう歩いていますというようなしぐさをする。これにはびっくりした。サルにはこうしたしぐさはないらしい。人類がかつて、たとえば500万年前には歩いていたらしいことの一つの証拠であろう。骨格が当時のことを覚えているのだ。

 そればかりか、仰向けで生まれた人間の赤ちゃんは、はいはいの準備段階の寝返りが、チンパンジーの赤ちゃんよりも遅い。その分、はいはい期間は短い。サルは、その逆で寝返りが早く、いつまでもはいはい。おすわりはおぼつかない。人間の赤ちゃんは、はいはいという4足歩行の進化の記憶が薄れている。これに対し、サルは4足歩行の記憶をしっかり骨格に刻み付けている。2足歩行の準備段階であるおすわりは、サルの赤ちゃんにはなかなかできない、人間の赤ちゃんの得意芸なのだ。人類進化の記憶が骨格にあるからだろう。

 おすわりができれば、手が自由に使える。だから人間にとっては、早く4足歩行のはいはいをクリアし、おすわりができることが必要だった。おすわりができれば、いわゆる「立っち」まではあと一息だ。生まれて1年後には、立っち。そしてすぐに背中に重い荷物を背負うこともできるくらいにしっかりした足取りれになる。

 それに比べ、サルはそれがいつまでたってもできない。今も4足歩行のチンパンジーはおすわりができる必要はない。それよりもはいはいが早く、しかも長く確実にできることが生きるためには重要なのだ。サルの赤ちゃんの骨格がそうなっている。

 こうかんがえれば、人間の赤ちゃんの成長は理解できる。

 だから、赤ちゃんは「進化」を歩いているのだ。赤ちゃんは生まれた環境にたくみに適応できる天才だが、人類進化の生き証人でもあるのだ。

 これを言い換えれば、生まれたばかりの赤ちゃんは、生命が地球上に誕生して以来の記憶を持っているという意味で、約40億歳ともいえる。

   こう考えると、DNAという物質が主役であり、生物はその入れ物として一時的に存在するにすぎないのではないかとさえ思えてくる。

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理性と情熱  政治指導者の条件 

(2012.10.02)  このブログでは、政治そのものを直接論じることは意図していないが、これは例外としたい。というのは、ニュースを届け、それを論じる番組なのに、その番組自体がニュースだったからだ。

 野田内閣の組閣が行われたきのう、産経新聞グループのニュース徹底討論番組BSフジ「プライムNews」が、なんと、読売新聞グループの渡辺恒雄会長(読売新聞社主筆)に独占インタビューし、それを即日、番組枠2時間いっぱいを使って放送していた。しかも、インタビューしたのはスタジオではなく、これまたなんと読売新聞本社だった。

 渡辺会長は現在、85歳。

 今、日本の政治はどうあるべきか、について、政治記者歴60年の経験から、幅広く論じていた。

 杖をわきに置いての怪気炎だったが、若いころは共産党員として共産党宣言やマルクス・レーニン主義にほれ込む。が、思うところがあり、やがて転向。むしろ、いい勉強になったとカラリと話すその熱弁の様子は、頭脳は明晰、まだまだボケてはいない。

 そんな会長は、ズバリ、組閣人事を採点すると何点か、という質問に、即座に

 「60点」

と明言していた。論功行賞もしなければならないだろうから、と注釈をつけつつ、可もなく不可もない、ギリギリ合格という意味合いを持たせていた。

 ただ、どんなに遅くても来年3月までには解散せざるを得ないこんな内閣に入閣したいという政治家の気持ちが知れないと、辛らつな批評をしていたのが印象的だった。こんな短期間では何もできないのになぜ大臣になりたいのかという意味だろう。皮肉かもしれない。

 さて、番組最後に、恒例の提言。政治家、トップリーダーの条件について、会長は、墨で、葉巻をくわえながら、悠然と、そして足を組み、パネルをインタビュー者に持たせたまま、

 その1。ポピュリズムの超克

 その2。理性と情熱

を挙げた。これが二時間の熱弁の結論だ。超克とは、困難を乗りこえて、それに負けまいとする意味だ。それには、情熱が政治指導者には不可欠だと言っている。しかも、いくら情熱があっても、暴君の情熱であったり、独裁者のそれであってはならず、やはりそこには理性という歯止めが必要だと言っているのだ。

 その通りだろう。ただ、それが読売新聞グループの〝独裁者〟の経験と情熱から出た言葉というのが、ちょっと違和感を感じさせた。

 それ以外では、さすがは政界について経験の豊富な政治記者の骨太な話であると感心した。

 Image1039_2 もうひとつ、政治記者歴50年、現在77歳の岩見隆夫毎日新聞客員編集委員の名政治コラム「近聞遠見」が先日、23年間の連載を終了した。100行超を毎週掲載するだから、これは大変な重労働である。同社編集局次長なども長くつとめており、ブログ子も、紙面からさまざまな局面で教えられることが多かった。

 最終回は9月29日付の「60代はどこにいった」= 写真上 。戦後ずっとながめても60代リーダーがほぼ常態だった。たとえば戦後の歴代首相の就任年齢は平均63歳。それが今は、若返り、60代でトップをうかがう国会議員は見当たらないという。

 しかし、岩見さんに言わせると、国を背負うトップリーダーとして、50代は熟成度が足りないと思う場面を何度も見てきたという。

 結論として、今、55歳の野田佳彦首相、58歳の安倍晋三自民党新総裁(元首相)と、50代リーダーの時代を迎えた感がある。しかし、首相として国の舵取りを50代に任せるのは早すぎると書いて、締めくくっている。

 練達の政治記者の目であるだけに傾聴すべき見方であろう。

  Image1040_2 そんな岩見さんだが、同日付毎日新聞朝刊特集対談「尖閣問題で緊迫する中 日中国交正常化40周年」で、

 両国のトップリーダーの情熱こそが正常化交渉を成功へと導いたのだ

と力説している( 写真下 )。情熱という文言は、見出しにもうたわれている。同行特派員として当時北京に赴いて歴史的な状況をつぶさに現地取材した体験からの分析である。

 ここでも国の舵取りで、いみじくも「情熱」がキーワードとして出てくるのは、偶然ではあるまい。情熱とは、国語辞典的に言えば、目の前にある目的、対象に全身全霊で傾け尽くして、悔いを残さないひたむきさのことを指す。わかりやすく言えば、

 政治家たるもの、命をかけるに足るものを持て

ということだろう。

 これを一般化すると、大ベテランの二人の政治記者が共通して言いたいのは、政治の世界に限らず、

 60代よ、今、情熱を持って奮起せよ

ということだと受け止めたい。

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