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ハプスブルグ帝国と『16世紀文化革命』

(2012.10.12)  テレビ番組の初回放送時には、それほど、その内容に気を留めていなかったのが、一定期間たって、しかも関連番組を後でまとめて拝見したら、ハッと気づかされることがある。

 今週一週間、ずいぶんな深夜に連夜放送された

 BSアーカイブス「ハプスブルグ帝国 双頭の鷲の下に」

はそんな番組だった。この10年ほどの間にNHKで紹介されたものを、5夜連続で拝見した。1000年の間のヨーロッパの複雑な政治的な動きや文化について、ハプスブルグ家というキーワードで映像をまじえて歴史的に俯瞰していた。

 Image1067 双頭の旗の下に、一致団結を呼びかけるハプスブルグ家出身の皇帝と、つまり支配する側と、民族自決、今で言えば反グローバリズムで抵抗する支配される側の、政略的な婚姻を含めた君主諸国との文化的、民族的な闘争。そして敵対国、フランスとの戦争。さらには帝国内での時の皇帝とローマ教皇という宗教をめぐる聖俗の対立。これらが織りなす結果としての帝国の繁栄と衰退を見事に描いていた。

 ブログ子は、高校時代、世界史が好きだった。しかし、今までわかっているようで、漠然としか理解していなかったことが、この連夜の放送で腑に落ちることも多かった。遅い晩酌をしながらではあったが、また『世界史小事典』(山川出版社)を近くにおいて確かめながらではあったが、ずいぶんと楽めた。

 理系出身のブログ子が最も腑に落ちたことの一つは、

 『16世紀文化革命』(みすず書房、2007年 写真 )がなぜ、西欧の、そのまた16世紀に起きたのか

ということについてだった。この本は、東大全共闘の闘士だった山本義隆さんの話題を呼んだ大著

 『磁力と重力の発見』(みすず書房、2003年)

の続編である。つまり、この発見など西欧の輝かしい科学革命は16世紀に準備されたものであり、そこには「職人としての芸術家や技術者にその変革のヘゲモニーがあったということ、すなわちこの変化をもたらしたものとして16世紀文化革命が(16世紀西欧には)あった」。このことを、山本さんは続編で説得力を持って提示している。

 この文化革命には、ラテン語から俗語へという言語革命までも関わっている本格的なものであり、この指摘は正しいように思う。

 しかし、当時、この正続の両方の本をずいぶんの時間をかけて読んだが、16世紀文化革命の主導権を握ったとされる職人としての芸術家や技術者がなぜ16世紀に変革に目覚めたのであろうか。しかも西欧の16世紀だったのか。言い換えれば、なぜ西欧の16世紀だったのか。このへんが、続編ではほとんど解答らしい分析はない。

 おそらく、分析がなされなかった原因は、民衆蜂起による革命を夢見た山本さんとしては、大学アカデミーからではなく、

 科学革命の準備が職人や芸術家による文化革命から起こった

ことを知って、そこで満足してしまったのではないかと思う。

 実は、ラテン語ではなく、それぞれの国の日常語による文化革命を職人や芸術家にうながしたのは、

 ハプスブルグ家出身の皇帝たち

だったのではないかと、ブログ子は件の一連の番組を見て気づいた。

  ハプスブルグ帝国は、「(ドイツ国民の)神聖ローマ帝国」のほとんどの皇帝を、650年間、独占していた。

 このことを可能にしたのは、さまざまな国の文化を皇帝自ら理解し、パトロンとして支援し、それぞれの国の言語についても皇帝自ら駆使し、国民の統合を図っていたかららしい。皇帝は何カ国語も話すことで、君臨する諸国の国民に親近感と支持をとりつけていた。その結果、帝国内ではさまざまな文化が融合した。

 具体的に言えば、それはハプスブルグ帝国の基礎を確立した

 マクシミリアン1世(第6代皇帝、在位1493-1519年)

と、ドイツからオーストリア、ハンガリーという東だけでなく、西のスペイン(とその獲得した新大陸)にまで、ハプスブルグ家の勢力を伸ばした孫の

 カール5世(第7代皇帝、在位1519-1556年)

ではなかったか。このとき、ハプスブルグ帝国は、新大陸、アメリカも含む「日の沈むことのない大帝国」と称された最大の版図を獲得し、繁栄の基礎を固めた。

 そして、首都を持たず、かれら王自らその土地に出かけていく、いわゆる〝出張統治〟も、アルハンブラ宮殿などイスラム文化も含めた融合という文化革命を促進するのに役立ったであろう。

 彼らこそが、16世紀文化革命を、それと意識しないまま、当時の職人や芸術家、技術者を刺激し、結果として文化革命を主導したといえないか。パトロンとして、その権威を高めるために莫大な富を戦争以外の建築、絵画などの文化政策に費やした。

 少し時代は下るが、たとえば、帝都ウイーンのハプスブルグ家の宮殿、

 シェーンブルン宮殿

は、フランスに対抗して、つくられ始めたのだが、ハプスブルグ家の精華を示す典型であろう。

 こう考えると、仮説だが、西欧だけに、しかも17世紀に科学革命が起こった理由が十分説明できる。16世紀に言語革命を伴って文化革命が起こったのもうなづける。

 以上、一言で言えば、多民族国家、ハプスブルグ帝国の成立期、16世紀に民族の文化融合や団結の結果として言語革命や文化革命が同時進行的に起きた

ということだろう。

 もっとも、こうした見方は、元全共闘の山本さんとしては、正否はともかく、あまり認めたくはないであろう、とブログ子は想像する。

 補遺  2012年、EUにノーベル平和賞

 神聖ローマ帝国、正しくは「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」であり、フランス皇帝、ナポレオンが登場するまで、つまり第20代皇帝、フランツ2世(在位1792-1806年)まで続く。第一ドイツ帝国はここでいったん崩壊するのだが、その後、ハプスブルグ家とは袂を分かち、ビスマルク帝国(第二ドイツ帝国)、第三ナチスドイツ帝国へと引き継がれる(このほか、ロシア皇帝もヨーロッパにはあった)。

 一方、ハプスブルグ家自身は、神聖ローマ帝国の崩壊後もオーストリア=ハンガリー帝国の皇帝として存続する。フランツ・ヨーゼフ皇帝が最後のハプスブルグ家出身の皇帝。民族自決の波に逆らえず、ついに第一次世界大戦の引き金を引く歴史的な役回りとなる。この敗戦で、初代皇帝ルドルフ1世以来650年の歴史を誇るハプスブルグ帝国は名実ともに完全に消滅する。

 この番組のおかげで、今週はずいぶん、高校時代に習った世界史の流れを思いだした。

  それにしても神聖ローマ帝国は統合、分裂、そして消滅を繰り返してきたが、今また、この逆、EU(ヨーロッパ連合)という再統合が政治統合も視野に登場しているのは、いかにもヨーロッパらしい。

 しかも、歴史は繰り返すとは言うが、これまた経済的に強いドイツを中心にしているところが、面白い。フランスとの確執もある。

 先ほどのニュースによると、 EUは、今年2012年のノーベル平和賞を受賞することになった。平和への貢献という意味合いがあるらしい。

 今もハプスブルグ家の当主が、美しく青きドナウの川を見下ろす山間の小さな古城に暮らしている。その様子が番組でも紹介されていた。神聖ローマ帝国は旧教、新教の違いはあるもののキリスト教の結束の同盟なのだが、イスラムのトルコまでが加盟に動いているEUの将来について、あるいはEU分裂の危機について、今どんな感想を持っいるか。そして、ハプスブルグ帝国消滅からまもなく100年、第四ドイツ帝国の時代は来るのだろうか。番組を見ながら、当主につい聞いてみたい気持ちになった。

  深夜、ひとり、ヨーロッパの歴史について、いろいろな思いを馳せたのは久しぶりだった。 

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