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奥能登の廃城をゆく  

(2012.09.24)  Image998 ひょんなことから、そして金沢在住の親しい友人の誘いもあって、この連休、奥能登の廃城、穴水城跡を訪れた。かつてはこの城がたつ小高い山からは船の出入りなど穴水湾が一望できたであろう交通の要衝である。

 本丸跡らしきところに立った感慨を一言で言えば、夏草がうっそうと生い茂り、海なども見えず、芭蕉ではないが、

 夏草やつわものどもが夢のあと

という印象であった。戦国武将、前田利家の能登領国支配の拠点、七尾城を中心に、口能登の末森城と並んで奥能登の重要拠点の役割を担った山城であったとは、とても思えなかった。石垣や土塁のようなものも見当たらず、季節外れのアジサイだけが目に付いたぐらいだった。

 穴水城は、もともとは奥能登の国人領主、長( ちょう )氏の居城。1576年には越後の上杉謙信軍と長連龍(つらたつ)との攻防戦の舞台となった。廃城のふもとには、鎌倉武士の長信連(のぶつら)をまつる約800年の歴史を受け継ぐ長谷部神社があるのもうなづける。

 文献に初めて穴水城の名前が出てくるのは、柴田勝家書状、というか、織田信長の北陸総司令官だった柴田勝家がひそかに利家に宛てた密書(天正6年= 1578年)の中であるらしい。

 密書であるだけに、上洛をうかがっていた謙信軍との攻防戦の生々しい舞台裏がうかがえる。穴水城奪還に燃える謙信軍に対し、利家は援軍を越前の勝家に要請。密書はその返信で、もう少し持ちこたえよと督戦している内容。

 利家は1581年に越前から七尾城に入部。本能寺の変後の翌年、1583年には七尾城から金沢・尾山城(前身は尾山御坊=金沢御堂)に入る。翌年の越中・佐々成政との末森合戦をへて勝家旗下の利家の能登支配は確立する。

 そのことを示すかのように、穴水城、末森城のいずれも16世紀末には廃城になっている。

 石碑( 写真 )がなければ、廃城までに歩んだ戦国の世の激しい攻防のこうした歴史は一般には忘れ去られていたことだろう。

 立派な天守閣がある城だけが城ではない。廃城はそれ以上に、もののあわれを感じることのできる場、あるいは歴史を内省的に思索することのできる場である。そんなことを教えてくれた旅だったように思う。

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