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下心の「恋」から、心が真ん中の「愛」へ      「終活」の旅  

(2012.09.28)  定年後は、ゆっくり下る「下山の時代」を楽しむというのがブログ子の信条である。まだまだといいたいところだが、就活ならぬ人生の最後をどう生きるか、どう締めくくるか自ら考える「終活」の歳でもある。

 60歳の還暦をすぎたら、これまでの生き方をガラッと変えて、経済的にはともかく、悠々とした生き方がしてみたい。

 そうはいっても、なかなか悟りとまではいかない。

 そう思っていたら、ふと、同世代かそれよりも少し上の先輩世代の人たちとバス旅行がしたくなって、快晴の先日、ある会( NPO法人「きずなの会」 )の旅行に参加した。岐阜県山県(やまがた)市富永の清流、武儀(むぎ)川のほとりに、ちょっと季節外れではあるが、アユ料理を食べに出かけた。もう少し西に行くと、明治の濃尾大地震( M8.0 )でできた根尾谷断層が地表に現れているという。

 食事をしながら、互いが寄り添って生きている人たちとの語らいは、なんとも穏やかで、家族的な雰囲気があった。

 Image1028 語らいながらの食後、ひとり清流に足を浸し、口をすすいで向こう岸を眺めていると、生きるというのは、こういうことを言うのかもしれないと感じた。

 近くにある

 あじさいの山寺、三光寺( 山号は龍王山 )を訪れ、住職の法話に耳を傾けた。弘法大師の真言宗の寺である。

  日暮しの、というか「終活」の極意とは、

 終わり良ければ、すべて善し

ということらしい。まだ間に合うという意味だろう。ありがたい。また、

 これまでのようなイエス、ノーだけのドライな2進法の暮らしから、

 1から0の間にいろいろな段階のある10進法の暮らし

を大切にすることだとも教えてくれた。なるほどと感心した。そして、最も印象に残ったのが、

 下心の「恋」から、心が真ん中の、いとしい「愛」へ

と説いていたことだった。仏の心とは、そういうことを言うのだろう。つまり、

 下山の時代は、心が真ん中にある暮らしを

といっているのだ。丁寧な暮らし、いとしい暮らしといってもいい。その通りだと確信した。

  もっとはっきり言えば、こころが真ん中にある高齢者福祉には、さまざまな悩みをいやしてくれるなど

 「安心して死んでいける仕組み」

こそが大事なのだということに気づいた。これに比べれば、バリアフリー対策などは、要らないとは言わないが、ごく、ごくささいなことなのだ。

  今回の旅で、アルツハイマー病の発症原因は、脳内に老人班、アミロイドβというたんぱく質が大量に蓄積し、脳神経細胞を破壊することだという話におびえていた自分がバカらしく思えてきたのは不思議だった。そんなことは、人生を生きる場合、なにほどのことだということがわかった。せいぜいが、高血糖値になるような食事習慣を控えようというぐらいのものなのだ。

 70歳代で2度のエベレスト登頂に成功しているプロスキーヤーで冒険家の三浦雄一郎さんは、今、79歳。誰にでもできるわけではないが、来年、80歳になるまでに3度目の登頂を目指してトレーニング中なんだそうだ。80歳になるまでに中国側からのルートでチョモランマ登頂。世界記録になるそうだ。その三浦さんは、老けない、ボケないためのトレーニングの一つとして、

 毎日、歯磨き後に舌出し体操、100回

をすすめている。これにより、脳が活性化するという。これなら、誰でもできる。ブログ子も始めている。

 そんな風で、心がなごみ、参加してよかったと思える「終活」の旅だった。この日の天気のように、ブログ子の心は晴れたように思う。つまり、心を真ん中にした丁寧な暮らしをしていこうと決意した日だった。

 帰りのまちなかでは、自民党新総裁に安倍晋三氏が選出されたことについての反響ニュースがかしましく、また騒がしく流れていた-。

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