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物理学は数学の〝道具〟 ?  物理学=数学

(2012.09.19)  深夜、ひまに任せて、二夜連続でNHKのBS放送の数学番組を見た。

 いずれも人気のあった番組の再放送だが、一つは、素数の並び方に関する未解決のリーマン予想であり、もう一つは、4年ほど前に解決した位相幾何学に関するポアンカレ予想がテーマ。どっちもブログ子にその数学的な内容がおぼろげにでもわかるはずもない。だから、初めから、ふむ、ふむと聞き流すように見ていた。

 二夜見終わって、はたと気づいた。

 数学は物理学の道具である、とはよく言うが、その逆、つまり

 物理学は数学の道具である

ということがわかって、驚いた。いずれの番組でも、なんと、数学者が証明において、物理学の知識を使っていた。ポアンカレの予想では、熱力学の法則を、リーマン予想では、原子核物理学のエネルギー準位に着目していたのだ。特に、なんの規則性もないようにみえる素数の並び方には、実は原子核物理学に帰着できる規則性があるらしいことがわかったというのだ。

 互いが道具関係にあるということになると、ひょっとすると、物理学と数学は、数学で言う恒等的な同値関係の

 数学=物理学

なのかもしれないと気づいた。

 しかし、これはちょっと考えるとおかしい。なぜなら、数学というのは、人間の大脳から純粋に発明または発見という形で生み出されたものである。一方、物理学は人間の脳とは無関係な、つまり客観的な自然界の法則なのだから、一致するとは限らない。いや、別々なのだから、一致しない、互いに矛盾があるほうが自然だ。

 しかし、現実には、数学を武器として使うと、物理学は数学と矛盾しないどころか、予測すらしてくれる。最近のヒッグス粒子の発見は物理学の勝利であるとともに、数学の予測能力の高さをまざまざと見せ付けた。

 物理学は数学を優れた武器として使うことで発展してきた。その数学者もまた、上記のように物理学を武器に、100年、150年と天才数学者を悩ましてきた数学の大予想に挑んで成果を上げているらしい。

 これはなぜなのだろう。おそらく、数学を生み出す脳も自然界とは完全に独立ではなく、自然の一部であるというところにカギがあるように思える。

 とすると、人間の存在とは別に客観的に存在すると信じられている自然界の実体、つまり実在とは何か、という問題に突き当たる。

 この問題は、ポアンカレ予想やリーマン予想よりも、はるかに?難問のようにみえる。あえて言えば、人間の進化の過程で生まれた脳が自然の一部であることを考えると、人間には自然、たとえば宇宙の法則を知るのには一定の限界があるということだ。

 Image994 この意味を理解してもらうために、あえてたとえる。大脳が一つしかない現在の1脳人間の自然認識と、進化した3脳の未来人間では自然認識はまったく異なるという結論に至る。もちろん、互いにそれらの間で矛盾はない。1脳人間は空間として3次元としか認識できない。これに対し進化した3脳人間は空間の認識は、たとえば9次元が常識であり、この自然の実体にそって自然法則を打ち立てる。しかも互いに矛盾はしない。

 つまり、脳の構造が自然認識を決定し、それにそった自然法則を選択している

ということになろう。このことは、突き詰めれば、人間と、たとえば昆虫では空間認識や時間認識がことなるということになる。昆虫には時間という人間には当然備わっている次元認識はおそらくない。昆虫でなくても、サルにも未来とか、過去という抽象概念は存在しないだろう。人間と、昆虫、サルとは脳の構造が違うからだ。

 脳は自然の一部

と考えると、こんなにも自然の見え方が違ってくるのに驚いた。

 こう考えると、

 数学=物理学

というのは当たり前だとわかる。ともに自然の一部分の脳が生み出したのだから。互いに矛盾はしないのも当たり前。

 だから、

 いくら物理学が進展しても、人間の脳が進化しない限り、自然界の実在についてすべてを知ることはできない、つまり限界がある。

ということになる。

 このことは数学についても言える。いくら数学が進歩しても、人間の脳が進化しない限り、すべての数学的真理を手に入れることはできない。それができるのは、進化とは無縁の〝神〟だけである。言い換えれば、人間は、あるいは生物はその進化段階に応じた真理を手に入れるだけである(補遺2)。

 その意味で、今もって未解決のリーマン予想が、果たして現在の人間の進化段階で解決できる問題なのかどうかはわからない。数学者たちが150年にわたって解決できるはずだと信じてきただけなのだ。そんなことを番組を見終わって、独断的かもしれないが、感じた。

そうした限界があるとしても、一見ばらばらにみえる数学の素数の並び方と、ミクロの物理世界の秩序とが密接な関係があるということの発見には驚いた。ここまで来るには、なにしろ、あの大数学者、オイラーも、そのあとを引き継いだ数学の帝王、ガウスもほとほと手を焼いた。そして150年前のリーマンによる予想の定式化である。さすがは大天才数学者、リーマンである。神々への挑戦といってもいい大予想のような気がした。

 ブログ子には、この程度にしか番組の感想を書けないのを、少し恥ずかしく思う。

 それはともかく、番組によると、円周率や自然対数とも密接に関係する素数の並びと量子物理学を結び付けているのが、非可換幾何学であるという。この数学研究が進んで、素数の並びの大予想の証明によって、神が創った宇宙の設計図の秘密にまで人間の手が届くのかどうか、ここに述べた物理学と数学の限界仮説からも、興味のあるところだ。

  深夜のほろ酔い気分で見たにしては、思索的な感想になった。いい番組とはそういうものなのだろう。

 ( 写真は、「日経サイエンス」(2011年12月号)  特集実在とは何か? )

 補遺 2013年1月25日

 最近、このブログと同じような問題意識を持った著作があることを知った。

 『神は数学者か?』(マリオ・リヴィオ、千葉敏生訳、早川書房、2415円)

  この本では、

 なぜ数学はあり得ないほど役に立つのか

あるいは、

 宇宙は数学的な構造そのものか

という問いかけについて、こたえを得ようとしている。

 また、素数に関するリーマン予想の比較的にやさしい解説書に

 『リーマン予想の探求』

という予想研究30年の数学者の手になる本が、「知りたい!サイエンス」シリーズとして、技術評論社から出ている。

  補遺2  2013年1月28日  ゲーデルの不完全性定理について

 ここで、「いくら数学が進歩しても、人間の脳が進化しない限り、すべての数学的真理を手に入れることはできない。」と書いた。

 ところが、2013年1月31号の数学者の「藤原正彦の管見妄語」によると、

 いくら人間の脳が進化しても、なんと、数学的に定式化された命題が数学的に正しいかどうか、数学者は

 「未来永劫に判定できない命題が存在することを証明してしまったのである。(1930年、オーストリアの数学者、ゲーデルが証明した)不完全性定理と呼ばれているものである」

という。

 こうなると、素数に関するリーマン予想という命題は、正否の判定が永遠にできない問題であるかもしれないということになる。

 となると、リーマン予想の問題は、この不完全性定理の例ではないことを、まず証明するのが先であるような気がする。どういう数学的な構造だとこの定理の例になるのかという問題である。この例であることを証明すれば、リーマン予想は、数学的に解けないという形で、〝解けた〟ことになる。

 物理学で言えば、試行錯誤の失敗の末、そもそも永久機関が存在するという(暗黙の)仮定そのものが正しいかどうか、まず見極めるところから、19世紀中ごろ、物理学者は普遍的な量としてエネルギー保存則に到達したように。 

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コメント

物理学と数学の関係について以前から興味をもってきました。関連する本も何冊か読みましたが、どれも独立に考えられた数学が自然現象をうまく説明できたという事実を列挙しているだけでした。このテレビ番組は見逃しましたが、同じ人間の脳に発するのだから、数学=物理学ではないか、というお説にハっとするものを感じました。これは証明できるものではないかも知れませんが、さらなるご考察を期待しております。

投稿: 砂粒 | 2012年9月22日 (土) 21時17分

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