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2012年9月

名伯楽の賀茂真淵  古事記編纂1300年

Image1015_2 (2012.09.30)  広く世界を知ることは大事だが、暮らしている足元について知ることは、ある意味、それ以上に大事だ。世界を知る土台になるからだ。

 そんな気持ちで、ブログ子の自宅近くにある国学の祖、賀茂真淵の和歌や著作を展示する賀茂真淵記念館には、散歩がてら、ときどき出かけていく。

 何しろ、高台にある記念館(浜松市中区東伊場)の隣りが、賀茂真淵をまつる縣居(あがたい)神社。縣居とは、真淵の雅号だそうだ。高台のふもとが真淵の生誕地であり、今も生家の井戸が残っている( 写真の右端 )。

 さて、賀茂真淵という名前は、よく知られているが、どれほどえらいのか、記念碑を読んで初めて知った。万葉集を読み解いて、大著『万葉考』をまとめた。

 しかし、ブログ子は、それもえらかったかも知れないが、それよりも、一期一会で出会った若き本居宣長の才能を見抜き、世に出したことのほうが真淵の真骨頂だったと思う。

 宣長は、江戸時代中期、当時ほとんど誰も読めなかった古事記について、注釈をつけた畢生の大著『古事記伝』を真淵との出会いから、いろいろ教えを受けながら30数年後にまとめている。それまでの古めかしい古学を、日本人の本質、あるいは日本文学の本質は「もののあはれ」であると喝破。それをバックボーンとする国学という新しい学問分野を切り開き、古学を生きた学問として確立させた。

 もちろん、真淵も、日本人の本質が古事記に書かれている大和心であることは知っており、その前段として万葉集の研究に打ち込んだ。しかし、ついに古事記研究までは手が回らなかったという。それを受け継いだのが、若き宣長だった。真淵は、この意味で名伯楽だったと言えよう。

 Image1043_2 古事記( 写真 = 国宝真福寺本 )は、漢字を使ってはいるが、古代の日本語で書かれている、いわゆる和漢混交文の歴史書。この点が、同じ歴史書の日本書紀とは違う。日本書紀は漢文に翻訳された歴史書である。中国人にも内容がわかるという利点はあるものの、翻訳であり、日本語ではない。

 日本人の本質は、このような翻訳ではわからない。日本人の心は、日本語でしかわからない。漢字を使ってはいるものの古代の日本語で書かれた古事記こそ、大和心を知る道だと喝破したところに真淵の偉さがあろう。

 今で言えば、英文に翻訳された英語では日本文化はわからない。アルファベット文字は同じでも、せめてものことローマ字で書かれたものによってはじめて日本人の心はわかると言っているのだ。

 江戸時代には、つまり論語など四書五経の漢文全盛の時代に、日本人なのだから古代の日本語を大切にしよう、漢文では大和心はわからないとした真淵や宣長の態度は傾聴に値する。さらに言えば、

 世界を知るのも大事だが、もっと大事なのは足元の日本文化ではないか、やまとごころではないのか

と言っているのだ。

 古事記編纂から今年で1300年。グローバルの今の時代にも、りっぱに通用するメッセージであると思う。 

  敷島の大和心を人問はば朝日に匂う山桜 本居宣長

  補遺

 古事記の内容を一般の人にもわかりやすく解説したものに

 2012年7月15日付中日新聞「大図解 古事記編さん1300年」

がある。天孫降臨、出雲伝説に出てくるスサノオのヤマタノオロチ退治、神武天皇の東征、ヤマトタケルノミコトの東西遠征などが地図上でルートを示して描かれている。

 

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ローエル再発見の旅  没後100年を前に

Dsc00208_2  (2012.09.28)  ちょっとした縁で、10年前に設立した日本ローエル協会( 小尾信弥会長=東大名誉教授 )の研究集会に先日、1泊合宿で参加した。

 P.ローエルというのは、100年以上前、あの火星人説をとなえたアメリカの天文学者。1889(明治22)年5月には東京から中部日本を横断し、能登半島の突端近くの穴水町まで旅行した。

 だから、今回のワークショップ( WS )も、穴水町で開かれた。

 今、なぜローエルかという、研究対象の現代性と、もう一つ、なぜローエルは能登半島にやってきたのかという、探検といってもいい旅行の目的、そして、なぜ、旅行後、火星人説を唱えるようになったのか、その合理的な理由、最後に、文系、理系に秀でた大富豪のローエルとは、結局、何者だったのかという人物評価にブログ子はこれまで興味を持ってきた。

  結論を先に言えば、今回のWSは、ようやくブログ子なりに、その人物評価ができそうなローエル再発見の旅だった。

 ローエルは、天文学者というよりも、当時としては珍しい国際ジャーナリストだった

というのがブログ子の仮説である。WSでは、このことを裏付けるような発表がいくつかなされたように感じた。

 一つは、ハッとさせられた金沢市在住の会員の発表。旅行中に撮られた大量の写真に関する分析であるが、何を被写体にしているかという観点から、人物に焦点を当ててはいるものの、ローエルは人物の後ろや脇に、山や道標、目印の石、目印の家など背景をたくみに写しこんでいる。

 このことは、人物だけでなく、その人物と背景との関係を見るものに知らせようとローエルが考えていた証拠である。

 まさに、報道写真、つまり「ニュース写真」の撮り方

なのだ。写真が何の目的で、どこで、いつ撮られたか、あとでわかるように工夫している。単なる文化人類学的な手法ではない。ましてや人物だけを写す記念写真や珍しいもの、あるいは見栄えのいいものを撮る観光写真のやり方ではない。人物を写すにしても風景を重視した撮り方なのだ。これはローエルがジャーナリスト的な目で旅行していることを示唆している。

 第二は、現代日本文明論を大学で講義している東京都在住のゲスト研究者の発表だった。

 Image1004_2 『極東の魂』( 1888年 )、『オカルト ジャパン』( 1894年。注記 )など、ローエルの日本人論は多くの外国人に影響を与えたが、その一人に、ラフカディオ・ハーンがいることはよく知られている。来日前のアメリカでは「タイムス・デモクラット」紙の新聞記者であり、来日後には神戸市で発行していた「クロニクル」紙の記者を引き受けている。小泉八雲として日本に帰化までしている。

 ローエルがジャーナリストの目を持っていたからこそ、同じ新聞記者だったハーンもローエルに引き寄せられるように来日したのであろう。

 ブログ子の先の仮説が妥当であるとすれば、ハーン以外にも、国際的に活躍する新聞記者が当時まだまだいたはずだと思う。

 その一人が、ゲスト研究者が取り上げた

 グアテマラ生まれで、パリでコラムニストとして活躍していたE.G.カリージョ

だと知って、驚いた。やっぱりいたのだ。

 同氏によると、カリージョの文学論、社会論、紀行などはスペイン語圏の人々をとりこにしたという(2003年7月1日付読売新聞夕刊「海外の文化」)。

 同氏は今回の研究会で、

 「カリージョを『ラテンアメリカのハーン』と形容しても、さほど唐突ではなかろう」

と発言している。元グアテマラ大使だった同氏であるだけに、重みのある指摘であると思う。

 第三は、ベテラン会員によるローエル死去に伴う追悼演説の翻訳紹介。この追悼は、C.M.マコーレーによって書かれたものであるが、ローエルは一つの枠にとらわれないで国際的な活躍をしたことが如実にわかる演説である。 

 それでは最後に、そんなローエルはなぜ、日本横断を企画し、実行し、その結果を『NOTO 人に知られぬ日本の辺境』(1891年)にまとめたのだろう。能登行きはこの2年前の1889年5月。

 この著作の冒頭では「ふとした思いつきで能登に出かけることにした」と書いてはいる。その思いつきは、どこから得たのであろうか。この著作の翻訳に心血を注いだ協会の名誉会長は、かつてブログ子に「ある意味、それは謎」と話してくれた。

 それは、まだ推測だが、米ジャーナリストで、アマチュア探検家、H.スタンリーの世界的なベストセラー『暗黒大陸横断記』(1878年)に刺激を受けたのではないか。横断記には、イギリスの探検家でアフリカで行方不明になったリビングストン救出の様子が詳しく書かれている。

 もう一つ、コンゴなど、当時よくわからなかった中央アフリカの内陸部の様子をいきいきとつづった、これもスタンリーの『暗黒のアフリカ』(1980年)にも、この本の発行前からのさまざまなジャーナリスティクな情報などにより、ローエルに能登行きを決意させたのではないか。

 というのも、ローエルもスタンリーも、野望をいだくと、行動は大胆であり、学会と対立することもいとわないなど、性格が似ている。ローエルも負けていられなかった。

 ローエルはスタンリーの行動を聞くにつけ、自分も能登までの日本横断記を書いてみたいと競うように思ったとブログ子は想像している。これが能登旅行を「ふと思いついた」理由である。

 Dsc00237_2 だが、ローエルの場合、ユニークな日本人論にはたどり着いたものの、スタンリーのようなジャーナリスティクな、あるいは欧米人を驚嘆させるような劇的な発見はなかった。

 この点、当時はまだダーウィンの死後まもないころで、ダーウィンの進化論との関係で、アフリカに欧米人の関心が高まっていたのとは、大きな違いがあった。

 すでに外交官たちが良港探しでローエルよりも先に能登に訪れていることを旅行先で知ったのも、ローエルを大いに落胆させたであろう。

 しかし、穴水湾を小さな船で航行するうちに、当時ヨーロッパで論争になっていた「火星表面の線状模様」は火星人による〝運河〟ではないかという着想に、進化論との関係から、たどり着いた。能登と火星の接点がここに生まれる( ローエルが船から穴水に上陸した地点=写真下、穴水町川島 )。

 ローエルがなぜ能登旅行後、あんなに火星にのめりこんでいったのか、その謎がこれで解けそうだ( ローエルは1895年に『火星』を出版している。同じ年には、なんと改訂版『NOTO』も出版している )。ローエルをして地球文明論にまで踏み込ませたのが、穴水旅行だったと思う。このことは、先のマコーレーの追悼文の中にあるローエルの進化論的な考え方とよく符合する。

 以上は、まだ仮説だが、一応のつじつまは合うと思う。

 こうした解釈や仮説から、ローエルの現代性に対する見通し、たとえば学際研究の重要性なども、概略見えてきた。火星人説も、それまでとは違って科学的に検証可能な仮説にした点で、学際研究から生まれたものだったように思う。

 4年後の2016年は、ローエル没後100年。それを前に、久しぶりに知的な刺激を受けた。ローエル再発見の予感を感じさせた1泊2日の旅だったように思う。

  注記

 このWSでは、会員によってこのローエルの著作が日本で初めて日本語に翻訳され、近々、出版の運びになったとの報告があった。ローエル以後の日本人論に、いいにつけ悪いにつけ、大きな影響を与えた著作であり、特筆に価する。日本人あるいは日本文明論を論ずるときの基本文献の役割を果たすよう、期待したい。  

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下心の「恋」から、心が真ん中の「愛」へ      「終活」の旅  

(2012.09.28)  定年後は、ゆっくり下る「下山の時代」を楽しむというのがブログ子の信条である。まだまだといいたいところだが、就活ならぬ人生の最後をどう生きるか、どう締めくくるか自ら考える「終活」の歳でもある。

 60歳の還暦をすぎたら、これまでの生き方をガラッと変えて、経済的にはともかく、悠々とした生き方がしてみたい。

 そうはいっても、なかなか悟りとまではいかない。

 そう思っていたら、ふと、同世代かそれよりも少し上の先輩世代の人たちとバス旅行がしたくなって、快晴の先日、ある会( NPO法人「きずなの会」 )の旅行に参加した。岐阜県山県(やまがた)市富永の清流、武儀(むぎ)川のほとりに、ちょっと季節外れではあるが、アユ料理を食べに出かけた。もう少し西に行くと、明治の濃尾大地震( M8.0 )でできた根尾谷断層が地表に現れているという。

 食事をしながら、互いが寄り添って生きている人たちとの語らいは、なんとも穏やかで、家族的な雰囲気があった。

 Image1028 語らいながらの食後、ひとり清流に足を浸し、口をすすいで向こう岸を眺めていると、生きるというのは、こういうことを言うのかもしれないと感じた。

 近くにある

 あじさいの山寺、三光寺( 山号は龍王山 )を訪れ、住職の法話に耳を傾けた。弘法大師の真言宗の寺である。

  日暮しの、というか「終活」の極意とは、

 終わり良ければ、すべて善し

ということらしい。まだ間に合うという意味だろう。ありがたい。また、

 これまでのようなイエス、ノーだけのドライな2進法の暮らしから、

 1から0の間にいろいろな段階のある10進法の暮らし

を大切にすることだとも教えてくれた。なるほどと感心した。そして、最も印象に残ったのが、

 下心の「恋」から、心が真ん中の、いとしい「愛」へ

と説いていたことだった。仏の心とは、そういうことを言うのだろう。つまり、

 下山の時代は、心が真ん中にある暮らしを

といっているのだ。丁寧な暮らし、いとしい暮らしといってもいい。その通りだと確信した。

  もっとはっきり言えば、こころが真ん中にある高齢者福祉には、さまざまな悩みをいやしてくれるなど

 「安心して死んでいける仕組み」

こそが大事なのだということに気づいた。これに比べれば、バリアフリー対策などは、要らないとは言わないが、ごく、ごくささいなことなのだ。

  今回の旅で、アルツハイマー病の発症原因は、脳内に老人班、アミロイドβというたんぱく質が大量に蓄積し、脳神経細胞を破壊することだという話におびえていた自分がバカらしく思えてきたのは不思議だった。そんなことは、人生を生きる場合、なにほどのことだということがわかった。せいぜいが、高血糖値になるような食事習慣を控えようというぐらいのものなのだ。

 70歳代で2度のエベレスト登頂に成功しているプロスキーヤーで冒険家の三浦雄一郎さんは、今、79歳。誰にでもできるわけではないが、来年、80歳になるまでに3度目の登頂を目指してトレーニング中なんだそうだ。80歳になるまでに中国側からのルートでチョモランマ登頂。世界記録になるそうだ。その三浦さんは、老けない、ボケないためのトレーニングの一つとして、

 毎日、歯磨き後に舌出し体操、100回

をすすめている。これにより、脳が活性化するという。これなら、誰でもできる。ブログ子も始めている。

 そんな風で、心がなごみ、参加してよかったと思える「終活」の旅だった。この日の天気のように、ブログ子の心は晴れたように思う。つまり、心を真ん中にした丁寧な暮らしをしていこうと決意した日だった。

 帰りのまちなかでは、自民党新総裁に安倍晋三氏が選出されたことについての反響ニュースがかしましく、また騒がしく流れていた-。

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正体は〝ヘスダレンの光〟?          UFOとは何か

Image1012ufo (2012.09.25)   NHKのBSプレミアム番組を見ていたら、UFO現象の驚異の正体というドキュメンタリーを放送していた。ブログ子も、かつて金沢市上空にあらわれたソロバン玉形のUFOをビデオ撮影することに成功したとされる金沢市職員の話を取材したことがある( 写真=1989年7月上旬の夕方、金沢市上空 )。だから、興味を持って拝見した。

 結論を先に言ってしまうと、UFOの正体は

 ノルウェーでときどき見られる大気中のプラズマ発光現象〝ヘスダレンの光〟

ではないかというのだ。実験室で強力な電磁波を発生させた検証実験でも、目撃情報に似た発光現象がほぼ再現できていた。正体解明に向けた有力な仮説であろう。

 UFOというと、とかく高度な文明を持った宇宙人を思い浮かべがちだ。しかし、これまでの50年間、疑わしい1例を除いてただの一度も、そうした宇宙人からの何らかの連絡が電波望遠鏡でとらえられたことはない。本当に宇宙人がUFOに乗って地球にやってきた、あるいは宇宙に宇宙人が存在するなら、地球に出かける前、あるいは向かっている途中に何らかの信号を地球に送信してくるはずだろう。

 ところが、当然あってもいいのに、いくら待ち受けていても、そんな電波はどこからも地球には届いていないのだ。

 一方、米国防省から依頼を受けた世界的な天文学者、アレン・ハイネック博士はUFO現象について世界中から目撃情報を大量に収集し、その分析を報告書(1966年)にまとめている( 注記 )。

 それによると、収集した目撃情報のうち正体不明の割合は約20%。ウソでもいたずらでも、インチキでもないのに、いくら検討しても、科学的、合理的にその正体を説明できない、つまり正体不明としかいいようのないものがこんなにあるというのだ。その後、1995年にまとめられた米異常現象分析センターの最終レポートでも、パイロットなど信頼できる人物からの目撃情報を基にした分析からも、なんと同程度の割合が正体不明だった。

 さらに、フランス国立宇宙研究センターの未確認飛行物体研究所(GEIPAN)も、この50年近くに収集した目撃情報1200件近くを分析した。同研究所のホームページ( http://www.cnes-geipan.fr/ )上に公開されている最新の分析によると、これまた22%が正体不明なのである。

 宇宙人からの連絡がこの50年に一度も地球には届いていないのに、科学的には正体不明としか言いようのない現象が、どの機関でもほぼ同じ20%前後というのは、どう解釈すればいいのだろう。

 もっとも素直な解釈は、

 UFO現象は大気圏外の宇宙現象とは無関係であり、大気圏内の地球現象である

ということだろう。しかも、国を変えても、分析の時期を変えて調べてみても、正体不明の割合が20%前後で一定だということは、

 UFO現象は、一定の条件を満たしさえすれば、いつでも、どこでも起こり得る自然現象である

ということになる。ウソやいたずらなどの気まぐれな人間現象では、いくら巧みに専門家のを目をごまかしたとしても、常にほぼ一定割合にはならない。人間現象には、流行ったり廃れたりがあるからだ。少なくとも正体不明20%の大部分は、条件さえ整えばいつでも起きる自然現象なのだ。

 では、どんな自然現象か。

 番組では、正体不明のUFO発光現象の光の分光観測から、その成分を割り出していた。すると、窒素、酸素などの空気の成分と、鉄、珪素などの土の成分が検出されたというのだ。つまり、一定の条件を満たした地上の土が舞い上がり、それが地上からの強い電磁波を受けてプラズマ発光するという仮説を紹介していた。

 電磁波の発生源は、石英などがとれた鉱山跡などらしい。そこから発生した弱い電磁波が、何らかの条件が整うと、強められる。それが空中に漂う土ぼこりに発光現象を引き起こさせるというのだ。

 Image1072ufo この仮説の検証が実験室で再現されていたが、もっともらしい結果になっていた。発光するだけではなく、オーロラのように動き回る様子にブログ子もびっくりした。しかし実験室で成功したからといって、発光条件を整えにくい屋外や自然環境の中で成功するとは限らない。今後、さまざまな仮説を立てて、さらに検証する必要があろう。

 こうなると、UFOは非科学的だ、とはなから切り捨てるのは、科学的な態度とは言えないということになりそうだ。正体不明とされた目撃情報を納得いくまで合理的に突き詰めていく態度こそ、本当の科学的姿勢だといえるだろう。

  注記

 アレン・ハイネックの報告書の概要と博士の見解については

 『UFOとは何か』(角川文庫、1981)

が参考になる( 写真下 )。

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奥能登の廃城をゆく  

(2012.09.24)  Image998 ひょんなことから、そして金沢在住の親しい友人の誘いもあって、この連休、奥能登の廃城、穴水城跡を訪れた。かつてはこの城がたつ小高い山からは船の出入りなど穴水湾が一望できたであろう交通の要衝である。

 本丸跡らしきところに立った感慨を一言で言えば、夏草がうっそうと生い茂り、海なども見えず、芭蕉ではないが、

 夏草やつわものどもが夢のあと

という印象であった。戦国武将、前田利家の能登領国支配の拠点、七尾城を中心に、口能登の末森城と並んで奥能登の重要拠点の役割を担った山城であったとは、とても思えなかった。石垣や土塁のようなものも見当たらず、季節外れのアジサイだけが目に付いたぐらいだった。

 穴水城は、もともとは奥能登の国人領主、長( ちょう )氏の居城。1576年には越後の上杉謙信軍と長連龍(つらたつ)との攻防戦の舞台となった。廃城のふもとには、鎌倉武士の長信連(のぶつら)をまつる約800年の歴史を受け継ぐ長谷部神社があるのもうなづける。

 文献に初めて穴水城の名前が出てくるのは、柴田勝家書状、というか、織田信長の北陸総司令官だった柴田勝家がひそかに利家に宛てた密書(天正6年= 1578年)の中であるらしい。

 密書であるだけに、上洛をうかがっていた謙信軍との攻防戦の生々しい舞台裏がうかがえる。穴水城奪還に燃える謙信軍に対し、利家は援軍を越前の勝家に要請。密書はその返信で、もう少し持ちこたえよと督戦している内容。

 利家は1581年に越前から七尾城に入部。本能寺の変後の翌年、1583年には七尾城から金沢・尾山城(前身は尾山御坊=金沢御堂)に入る。翌年の越中・佐々成政との末森合戦をへて勝家旗下の利家の能登支配は確立する。

 そのことを示すかのように、穴水城、末森城のいずれも16世紀末には廃城になっている。

 石碑( 写真 )がなければ、廃城までに歩んだ戦国の世の激しい攻防のこうした歴史は一般には忘れ去られていたことだろう。

 立派な天守閣がある城だけが城ではない。廃城はそれ以上に、もののあわれを感じることのできる場、あるいは歴史を内省的に思索することのできる場である。そんなことを教えてくれた旅だったように思う。

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物理学は数学の〝道具〟 ?  物理学=数学

(2012.09.19)  深夜、ひまに任せて、二夜連続でNHKのBS放送の数学番組を見た。

 いずれも人気のあった番組の再放送だが、一つは、素数の並び方に関する未解決のリーマン予想であり、もう一つは、4年ほど前に解決した位相幾何学に関するポアンカレ予想がテーマ。どっちもブログ子にその数学的な内容がおぼろげにでもわかるはずもない。だから、初めから、ふむ、ふむと聞き流すように見ていた。

 二夜見終わって、はたと気づいた。

 数学は物理学の道具である、とはよく言うが、その逆、つまり

 物理学は数学の道具である

ということがわかって、驚いた。いずれの番組でも、なんと、数学者が証明において、物理学の知識を使っていた。ポアンカレの予想では、熱力学の法則を、リーマン予想では、原子核物理学のエネルギー準位に着目していたのだ。特に、なんの規則性もないようにみえる素数の並び方には、実は原子核物理学に帰着できる規則性があるらしいことがわかったというのだ。

 互いが道具関係にあるということになると、ひょっとすると、物理学と数学は、数学で言う恒等的な同値関係の

 数学=物理学

なのかもしれないと気づいた。

 しかし、これはちょっと考えるとおかしい。なぜなら、数学というのは、人間の大脳から純粋に発明または発見という形で生み出されたものである。一方、物理学は人間の脳とは無関係な、つまり客観的な自然界の法則なのだから、一致するとは限らない。いや、別々なのだから、一致しない、互いに矛盾があるほうが自然だ。

 しかし、現実には、数学を武器として使うと、物理学は数学と矛盾しないどころか、予測すらしてくれる。最近のヒッグス粒子の発見は物理学の勝利であるとともに、数学の予測能力の高さをまざまざと見せ付けた。

 物理学は数学を優れた武器として使うことで発展してきた。その数学者もまた、上記のように物理学を武器に、100年、150年と天才数学者を悩ましてきた数学の大予想に挑んで成果を上げているらしい。

 これはなぜなのだろう。おそらく、数学を生み出す脳も自然界とは完全に独立ではなく、自然の一部であるというところにカギがあるように思える。

 とすると、人間の存在とは別に客観的に存在すると信じられている自然界の実体、つまり実在とは何か、という問題に突き当たる。

 この問題は、ポアンカレ予想やリーマン予想よりも、はるかに?難問のようにみえる。あえて言えば、人間の進化の過程で生まれた脳が自然の一部であることを考えると、人間には自然、たとえば宇宙の法則を知るのには一定の限界があるということだ。

 Image994 この意味を理解してもらうために、あえてたとえる。大脳が一つしかない現在の1脳人間の自然認識と、進化した3脳の未来人間では自然認識はまったく異なるという結論に至る。もちろん、互いにそれらの間で矛盾はない。1脳人間は空間として3次元としか認識できない。これに対し進化した3脳人間は空間の認識は、たとえば9次元が常識であり、この自然の実体にそって自然法則を打ち立てる。しかも互いに矛盾はしない。

 つまり、脳の構造が自然認識を決定し、それにそった自然法則を選択している

ということになろう。このことは、突き詰めれば、人間と、たとえば昆虫では空間認識や時間認識がことなるということになる。昆虫には時間という人間には当然備わっている次元認識はおそらくない。昆虫でなくても、サルにも未来とか、過去という抽象概念は存在しないだろう。人間と、昆虫、サルとは脳の構造が違うからだ。

 脳は自然の一部

と考えると、こんなにも自然の見え方が違ってくるのに驚いた。

 こう考えると、

 数学=物理学

というのは当たり前だとわかる。ともに自然の一部分の脳が生み出したのだから。互いに矛盾はしないのも当たり前。

 だから、

 いくら物理学が進展しても、人間の脳が進化しない限り、自然界の実在についてすべてを知ることはできない、つまり限界がある。

ということになる。

 このことは数学についても言える。いくら数学が進歩しても、人間の脳が進化しない限り、すべての数学的真理を手に入れることはできない。それができるのは、進化とは無縁の〝神〟だけである。言い換えれば、人間は、あるいは生物はその進化段階に応じた真理を手に入れるだけである(補遺2)。

 その意味で、今もって未解決のリーマン予想が、果たして現在の人間の進化段階で解決できる問題なのかどうかはわからない。数学者たちが150年にわたって解決できるはずだと信じてきただけなのだ。そんなことを番組を見終わって、独断的かもしれないが、感じた。

そうした限界があるとしても、一見ばらばらにみえる数学の素数の並び方と、ミクロの物理世界の秩序とが密接な関係があるということの発見には驚いた。ここまで来るには、なにしろ、あの大数学者、オイラーも、そのあとを引き継いだ数学の帝王、ガウスもほとほと手を焼いた。そして150年前のリーマンによる予想の定式化である。さすがは大天才数学者、リーマンである。神々への挑戦といってもいい大予想のような気がした。

 ブログ子には、この程度にしか番組の感想を書けないのを、少し恥ずかしく思う。

 それはともかく、番組によると、円周率や自然対数とも密接に関係する素数の並びと量子物理学を結び付けているのが、非可換幾何学であるという。この数学研究が進んで、素数の並びの大予想の証明によって、神が創った宇宙の設計図の秘密にまで人間の手が届くのかどうか、ここに述べた物理学と数学の限界仮説からも、興味のあるところだ。

  深夜のほろ酔い気分で見たにしては、思索的な感想になった。いい番組とはそういうものなのだろう。

 ( 写真は、「日経サイエンス」(2011年12月号)  特集実在とは何か? )

 補遺 2013年1月25日

 最近、このブログと同じような問題意識を持った著作があることを知った。

 『神は数学者か?』(マリオ・リヴィオ、千葉敏生訳、早川書房、2415円)

  この本では、

 なぜ数学はあり得ないほど役に立つのか

あるいは、

 宇宙は数学的な構造そのものか

という問いかけについて、こたえを得ようとしている。

 また、素数に関するリーマン予想の比較的にやさしい解説書に

 『リーマン予想の探求』

という予想研究30年の数学者の手になる本が、「知りたい!サイエンス」シリーズとして、技術評論社から出ている。

  補遺2  2013年1月28日  ゲーデルの不完全性定理について

 ここで、「いくら数学が進歩しても、人間の脳が進化しない限り、すべての数学的真理を手に入れることはできない。」と書いた。

 ところが、2013年1月31号の数学者の「藤原正彦の管見妄語」によると、

 いくら人間の脳が進化しても、なんと、数学的に定式化された命題が数学的に正しいかどうか、数学者は

 「未来永劫に判定できない命題が存在することを証明してしまったのである。(1930年、オーストリアの数学者、ゲーデルが証明した)不完全性定理と呼ばれているものである」

という。

 こうなると、素数に関するリーマン予想という命題は、正否の判定が永遠にできない問題であるかもしれないということになる。

 となると、リーマン予想の問題は、この不完全性定理の例ではないことを、まず証明するのが先であるような気がする。どういう数学的な構造だとこの定理の例になるのかという問題である。この例であることを証明すれば、リーマン予想は、数学的に解けないという形で、〝解けた〟ことになる。

 物理学で言えば、試行錯誤の失敗の末、そもそも永久機関が存在するという(暗黙の)仮定そのものが正しいかどうか、まず見極めるところから、19世紀中ごろ、物理学者は普遍的な量としてエネルギー保存則に到達したように。 

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最も危険な「浜岡5号機」は間に合わない

Image991 (2012.09.16)  「原発ゼロ」を目指す、と政府の新エネルギー政策が総選挙を前にあわただしく打ち出されたが、これを一言で評すれば、

 現状を維持する

ということだろう。節電の夏を原発なしでせっかく乗り切ったのに、とまっている原発を再び稼働させるというのだから、現状を維持するとまでも言えないかも知れない。

 15日付新聞各紙を点検してみた( 写真 )。似たような見出しが1面に踊っているが、朝日新聞は「矛盾抱え「原発ゼロ」」と打った。横見出しなのも、ニュースを重要視していることがわかる。これに対し、日経新聞は「「原発ゼロ」矛盾随所に」と縦見出し。

 ともに「矛盾」という文字を使っているが、朝日は「原発ゼロ」に力点を置いた見出しなのに対し、日経は「矛盾随所」を強調している。ほぼ同様な内容なのに、見出しの縦横、力点の置き方が違った。

 このことは、両紙の社説ではっきりする。

 朝日社説は、「「原発ゼロ」を確かなものに」という主張の下、「原発が抱える問題の大きさを多くの人が深刻に受け止めていることを踏まえての決断を、評価したい」と好意的だ。「とはいえ、脱原発への道筋が明確になったとはいえない」としていくつかの注文もつけている。

 これに対し、半分社説の日経は「国益を損なう「原発ゼロ」には異議がある」と主張している。経団連の〝広報紙〟とも揶揄されている同紙としては無理もないように思う。「国益」という言い方をしているが、「企業益」の意味だろう。

 それはさておき、どんな異議か。「 そこ(30年代には原発ゼロにする戦略を決めたこと)には国の安全保障と国民生活の将来について責任をもって考え抜く 姿勢があったようにはみえない」という認識であり、異議だ。戦略はつぎはぎだらけで一貫性を欠くと、痛いところを突いて厳しい。

 厳しいが、日経社説は八つ当たりの主張であり、ではどうするのかという建設的な意見がない。だから説得力がない。否定ばかりでは、国民は納得しないし、行動もできない。

 ここが、問題はあるが、実現に向け、こうして行こうという建設的な朝日とは基本的に異なる。たとえば脱原発基本法の法制化を提案している。たとえ、その提案がやや非現実的ではあったとしても、人はそれなりに動くものだ。

 まず、ブログ子は、この脱原発ゼロを実現するための3原則、40年廃炉の厳格適用、安全確認後の原発再稼働の容認、新増設はしない-では、

 最も危険な浜岡原発5号機の廃炉は2030年代ではなく、2040年代後半

となり、南海トラフ巨大地震の発生に間に合わないという点を特に強調したい。このブログでも先に、文献を示して論じたように、南海トラフ巨大地震は、21世紀半ばまでには、過去の発生の周期性から見て、ほぼ確実に起こるとされているからだ。次に危ない浜岡4号でも30年代半ば。

 これまでに重大な事故を起こしたり、地震で被災した原発、さらには巨大地震の危険が迫っている原発を優先して廃炉にする政策にまで、早く踏み込むべきである。現状維持かどうかというのんきな論議よりも、これが大事だ。実をとるときだ。何のために廃炉にするのかということを考えれば、ここまで踏み込まないと意味がない。

 設計上からの判断、つまり40年運転原則は正しいとしても、廃止において優先順位をきちんと精査する、あるいはせめて言及することが、政策の本気度を試す試金石ともいえる。

 第二。

 急ぐべきは、各原発に一時保管されている大量の使用済み核燃料の安全保管なのに、これまたきちんとした政策が打ち出されていない。この問題は使用済み再処理問題以上に緊急性がある。その恐ろしさが見落とされていて「死角」となっていたことを、福島原発事故はあらためて私たちに突きつけた。日本破滅の元凶といいたい。

 脱原発は、当代の流行り言葉ではない。具体的な政策、工程表の提示のない原則論の時期はとっくにすぎている。

 第二の福島原発事故が、今度は静岡県、つまり最も危険な浜岡原発で起きる悪夢はなんとしても避けなければならない。

 それには、国民もまた、脱原発への道では、最終的な電気料金の大幅な値上げ、節電の痛みを引き受ける覚悟が必要だ。

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J-アラートは正常に届いたか             わが家の場合

(2012.09.15)  J-アラート、また失敗という毎日新聞の記事(9月13日付。写真下 )を読んで、わが家にも訓練アラート文が届いているか、パソコンのメールボックスを開いてみた。

 Image989j 確かに最初の一通は届いていた。

 J-アラートというのは、地震や津波の恐れがある場合、あるいは日本に向かってミサイルなどを発射された場合に備えて、国、具体的には内閣府の危機管理部門が消防庁を経由して、自治体や住民になど全国に瞬時にその情報や警報を発するシステムのことである。自治体の同報行政無線から警戒すべき内容が音声で市民に伝えられる。

 記事によると、今春の沖縄のとき同様、全国でまた音声が出ないなどのトラブルが全国で相次いだらしい。静岡県でも、菊川市、伊東市なで8市町でトラブルが起きた。

 今回の全国一斉訓練では、内閣府から自治体への伝達のほか、そこからあらかじめ希望して登録した住民のパソコンや携帯電話にもメールが届くはずの訓練だった。訓練は2回行われた。

 わが家も登録してあったので、メールボックスをのぞいて見たら、

 訓練の第1回目の午前10時送信分については、写真(上)でもわかるとおり、11分後にJ-アラートメールが届いた。成功である。

 浜松市の「防災ホッとメール」が、つきまといや徘徊、火災、気象情報など身近なケースだけでなく、全国的な警戒情報を瞬時に伝えるために活用されることは大変に心強い。大きな前進だ。

  しかし、第2回目(午前10時30分送信)については、届いていない。

 先ほどの毎日新聞記事によると、全国でもトラブルは第2回目に多く発生している。

 Image975j 浜松市は、この事態について、原因を突き止め改善するなどきちんと対応すべきである。危機管理はこうした小さな取り組みの積み重ねで成り立っている。

 1回目は正しく届いたのに、なぜ第2回目の通信文は届かなかったのか。

 一見、些細なことのようにみえる。しかし、この小さな失敗、トラブルが重なると、いつかは重大な事故が起きる。

 たとえば、このままでは、警報の第1報は届くが、その後どうなったか、住民や自治体はどうすべきかという続報が届かないという、危機管理上の大きな欠陥をかかえることになる。

 常識的な格言ではあるが、油断は大敵であると心得たい。

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ウナギが〝絶滅危惧種〟に指定 ?

(2012.09.15)  昨年の地上デジタル放送化後の最近のテレビでは、もはや新聞の番組欄を完全に無用なものにした。テレビ自体に番組表が送信されてくるからだ。その上、紙メディアの新聞の強みのはずのニュースでも、速報ではテレビに追い抜かれようとしていることを実感した。

 インターネットに接続されているテレビ画面をリモコンで操作していたら、

 読売新聞電子版が、ニホンウナギ、準絶滅危惧種に指定検討 環境省

とあって、浜松市に暮らすブログ子はびっくりした。産経新聞にも同様の記事がある。

 今すぐというほど深刻ではないが、近い将来には生息基盤が崩れ、絶滅する恐れのある絶滅危惧種になる。東アジアに広く生息するニホンウナギのことである。生まれ故郷はフィリピン東方沖の深海らしい。

 そのニホンウナギが、このままでは近い将来、コウノトリやイリオモテヤマネコのような絶滅危惧種(ⅠA類)や、イヌワシ、ライチョウのようなⅠB類の絶滅危惧種の仲間入りをするかもしれないというのだ。トキは、5年ほど前、絶滅したことは記憶に新しい。

 だから、そうならないよう今のうちに、いわゆる「レッドリスト」にその前段階の準絶滅危惧種(I I類)に指定し、国が保護措置を取ろうというのだ。準危惧種には、現在、アホウドリや、浜松の遠州灘の砂浜が産卵地になっているアオウミガメが指定されている。ニホンウナギも近々、この仲間入りをするらしい。

 指定されると、もうウナギは食べられないのか、というとそうではない。EUやアメリカに比べて遅れていた資源管理を国が主体となって本格的に行おうということになる。

 なにしろ、1960年代前半には、ウナギの稚魚、つまりシラスウナギの国内漁獲量は年平均200トン以上であったのに対し、この5年間では、その20分の1、つまり年平均10トン以下にまで激減した。

 Photo_3 なのに、琵琶湖産とか、浜名湖産という名称で国内に出回っている天然ウナギはもちろん、日本の養殖ウナギは、シラス段階ではすべて輸入もの国内ものを問わず天然由来 ( 写真 )。天然シラスに頼らない完全な人工養殖は2、3年前に成功したばかりで、いまだ実用化に向けて研究段階なのだ。

 準危惧種に早急に指定することは国際的な資源管理の立場からやむを得ない。指定された場合、完全養殖の実用化も急ぐ必要があろう。

 それまでの間、シラスウナギの乱獲は厳しく取り締まることも必要ではないか。

 と、こんなことを書いてきたが、ここで紹介した基本的なデータは、テレビ画面からほぼ30分ぐらいで、メモを取りながら簡単に入手できた。社説などの論説やコラムなどの評論もその日のうちに読むことができる。

 こうなると、ウナギの話をまとめながら、日本では約150年の歴史のある新聞紙の役割とは何だろうと考え込まざるを得なかった。

 そして、ふと気づいた。日本ウナギもさることながら、

 宅配する新聞紙も準絶滅危惧種、いや、もっと深刻な絶滅危惧種に指定すべきなのかもしれない

ということを-。

 テレビの3D放送が去年あたりから、衛星放送、CS放送で始まり始めたのを考えると、2D写真ばかりの新聞紙の役割は、生き残れるかどうか、ますます絶滅の感がする。

 注記

 ウナギの養殖で知られる浜名湖だが、高度成長時代直前、1960年代前半までは、浜名湖はもちろん、浜名湖につながる淡水湖、佐鳴湖の北岸、あるいはそこに流れ込む街中の小川にもウナギをよく捕まえることができたらしい。夜釣りである。

 地元の人によると、子どもたちは地元ではウナギのことを、

 めせろ

と呼んでいたそうだ。遠州弁で

 若いウナギ、細いウナギ

を指す。八目じゃないぞ「めせろ」だぞ、というように使うらしい。

それほど、馴染みの魚だったことがわかる。

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マーフィーの法則  アポロ13号から何を学ぶか

(2012.09.14)  先日夜、BSプレミアムを見ていたら、「アポロ13号 奇跡の地球帰還」というドキュメンタリー番組を放送していた。映画ではずいぶん昔、1995年に公開されているあの感動の物語である( 写真 )。翻訳本も出ている( 写真下 )

曰く、

 最も成功した「失敗」

だと。その通りだろう。あらためてドキュメンタリーとしてみたが、確かにその通りだった。

 Image978 なにしろ、3人の宇宙飛行士を乗せて月に向かったアポロ13号、つまり、互いがつながった指令船(飛行士の居住室)と機械船と月着陸船が、まもなく月に到着するというときに、機械船が爆発し、大きく損傷。まさか、まさか、まさかの事故である。しかし、急遽、着陸船を帰還軌道修正用のロケットとして利用し、地球に戻ってきたのだから。

 驚くべきNASAのこの危機管理能力には、感動する。アメリカの科学技術能力の高さは、人類初の有人月着陸、アポロ11号よりも、こちらのほうが数段勝っているといえるだろう。

 映画と違って、このドキュメンタリーのすぐれたところは、NASAの危機管理能力の高さはどのようにして培われてきたのか、という点に焦点を当てていることだ。

 それを一言で言えば、失敗の許されない本番の有人月着陸計画において、過去の数々の痛ましい失敗に徹底して学んだことだった。

 運のいい成功はあるだろう。しかし不運な失敗はない。失敗には必ず合理的な理由がある。そこから成功の道がつづいている。

 この確信がNASAの危機管理能力を支えたのだろう。

 起きる可能性が少しでもある事故は、(起きないと思いたいかもしれないが)いつかは必ず起きる。Image99513

  想定外としたことも、いつかは必ず起きる。

 マーフィーの法則と言われるものである。だから、起きれば大惨事になるときは、その対策を怠るなということを、マニュアルの形でNASAは徹底した。

 そして、危機に陥ったときは、あわてず

 まず、有効な対策が見つかるまでは、考える時間を稼ぐことができる対応をとる。その後、できるだけ、選択肢の多い順に対策を実行する。失敗すれば、その時点ですべてが終わるようなあわてた対策は、できるだけ後回しにするというのだ。その後にとり得る選択肢が同数なら、成功する確率の高いほうから実行するのは当然である。

 NASAはこれらを忠実に帰還計画において実行した。

 だから、最も成功した「失敗」

と言われているのだろう。

 今、原発事故をめぐる原因の特定、再発防止について、さまざまな検討が日本でもなされつつある。そんな中、マーフィーの(失敗の)法則を思い起こしたい。後世、

 日本で最も成功した「失敗」

と言われるように。そんな感想をいだいた番組だった。 

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急ぐべきは「使用済み」の安全保管           浜岡原発差し止め訴訟の原告代表は訴える

(2012.09.12)  こじんまりとした勉強会だったが、講師の白鳥良香(よしか)さん、80歳の意気軒昂が伝わってくる会合(浜松市佐鳴台)だった。白鳥さんは、元静岡県議で、今は浜岡原発運転差し止め訴訟の原告代表を引き受けている。

 中部電力を相手に、浜岡原発の運転差し止めの仮処分を静岡地裁に申し立てて10年、福島原発事故をはさんで、今、東京高裁で控訴審(仮処分と本訴)の最中である。

  今回のような大惨事が浜岡、いや静岡県でも、近い将来、きっと起きる。いまのうちに手を打たなければ、ふるさとは大変なことになる。そう確信した白鳥さんの思いを、提訴した10年前、いや2年前ですら、漠然とした不安はあったかもしれないが、静岡県民の多くは容易には信じなかっただろう。見たくないものを人は簡単には信じたくないからだ。それが今や、多くの人の危機感の中で共有されようとしている。

 そんな白鳥さんは、原子炉の運転そのもののをできるだけ早く止めることが大事だが、今、急ぐべきは、

 膨大な量の「使用済み核燃料棒」の安全な保管

だと訴える。これらは、原子炉から役割を終え、取り出されて、原子炉建屋内のプールの水に浸して貯蔵されている。

 では、なぜ、津波対策より、使用済み核燃料の安全保管を優先すべきなのか。その理由はこうだ-。

 Image972 それは、1号機から5号機まで合計で6500体以上もの燃料棒が原発の安全対策のいわば「死角」になっているからだ。このことが大震災であらわになった。

 これがもし、震度7級の巨大南海トラフ地震により、建屋のひとつでも倒壊し、燃料棒が水面から顔を出すような事態になれば、大変なことになるからだ。燃料棒にへばりついている崩壊熱を出す放射性物質が大気に直接まきちらされる。そうなれば原発周辺にはもはや人は近づけない。原発敷地内からの総員退避である。そうなれば、原子炉は制御不能となり、静岡県は破滅的な事態になる。

 これは仮定の話ではない。今回の福島原発事故の4号機であわやという瀬戸際まで行った。

 福島原発の民間事故調による検証報告には、政府の原子力委員長作成の、いわゆる首都圏3000万人避難の最悪シナリオ全文が公表されている。作成は、事故発生から2週間後。

 この原発事故で、アメリカの原子力規制庁がもっとも恐れたのは、運転中の原子炉のメルトダウンでもなんでもなく、地震発生時には定期点検で停止中だった4号炉の使用済み核燃料だった。これが地震あるいは余震によってプール表面に顔をのぞかせるのではないか。余震や本震で、原子炉の真上にあるプールの底が抜けて燃料棒が大気中にむきだしになる。あるいは、冷却水が注入できずプールの水が燃料棒からの崩壊熱で蒸発し、これまた外界にむき出しになることを恐れたのである。

 このシナリオの報告を受けたからこそ、当時の菅直人首相は、すべての浜岡原発の一時停止を中部電力に強く要請する決断をしたのだろう。

 国の最悪被害予測では、南海トラフ地震では原発のある御前崎海岸には約5分で19メートルの高さの津波が襲う。だが、これほど高い壁をつくっても、敷地内の軟弱な地盤ではとうてい防ぐことができない。壁自体がそもそも津波に耐えられないというのだ。そんな工事はそもそも無駄だというのだ。

 それでも、これまで防潮壁(堤)のなかった浜岡原発では、現在、高さ18メートルの防潮壁の建設を急いでいる。しかし、白鳥さんによると、地盤の軟弱な浜岡では津波が来る前に、地震による敷地内の不等隆起で建物間の配管などが破壊されるだろうという。

 この予測はあながち空想ではない。具体的に言えばこうだ。

 福島原発事故では、震源域は沖合い約100キロ。これに対し、南海トラフでは浜岡原発から沖合い、10キロ程度。福島原発では、津波は地震発生から3、40分後に海岸にやってきた。これに対し、浜岡では、数分後には津波が押し寄せてくる。それほど震源は近い。

 浜岡原発が地球の重力、つまり980ガル以上の約1000ガルの振動加速度に耐えられるというが、これだけ震源域に原発立地が近いと、南海トラフ地震では、1000ガルをはるかに超える振動加速度となるだろう( 注記 )。そうなると、稼動中の原発の場合、プラント損傷だけでなく、本体の原子炉がきちんと緊急停止するかどうかすら、不安がある。

 そもそも浜岡原発の地盤に問題があることは、2009年8月の駿河湾地震の地震でも判明している。M6.5と、今回の大地震の数百分の一の規模にすぎないこの地震ですら、もっとも海側に立地する5号機がほかの号機にくらべて異常に高い振動加速度があった。地下の構造が一様ではなく、軟弱なところもあることを示唆している。このことを考えれば、敷地内の不均一な隆起や、陥没もありえる。そうなれば配管は地震でズタズタになるというのも、あながち否定できないだろう。白鳥さんの危惧はうなずける。

 事実、国会事故調の報告書によると、福島原発事故では、少なくとも1号機では津波が来る前に配管破断など重要部分のプラント損傷があった可能性は否定できないとしている。配管損傷が、原子炉内の主蒸気逃しや格納容器から外界への、いわゆるベントができなくなるという重大な事態を引き起こしかねないのだ。

 地震発生後一定の時間がたてば、こうした不安は増す。が、しかし、少なくとも発生直後においては、使用済み燃料棒を貯蔵するプールが損壊し、総員退避で原子炉のコントロールが不能になることを防ぐことが先決である。そうでないと作業自体ができなくなる。地震発生直後の原発には、使用済み核燃料施設という「死角」がある。これが今回の原発事故から学ぶべき重大な教訓である。

 だから、浜岡原発の場合、津波よりも、使用済み核燃料の安全保管対策のほうに、より緊急性がある。具体的には、たとえば敷地内の高台に空冷式などの乾式で貯蔵する方式が考えられる。

 ところが、これに電力会社が容易には踏み切れない事情がある。それというのも使用済み核燃料の安全対策を強化することは、電力会社自ら、原発の地震に対する安全性に不安を持っていることを認めることになるからだ。だから電力会社としては「使用済み」うんぬんの話は切り出せない。認めれば事実上の廃炉になるからだ。電力会社はこれをもっとも恐れている。

 しかし、こんなことで、県民の命をもてあそぶようなことがあってはならない。

 最後に、浜岡原発についての一連の裁判については、弁護団長、河合弘之弁護士と、ノンフィクション作家、大下英治氏による

 『脱原発』(青志社、2011年6月、写真)

に詳しい。大震災直後にまとめたものだ。これを読むと、控訴審でも予断は許されないが、白鳥さんの執念が実る日は、そう遠い先ではないような気がした。

 また、浜岡原発訴訟以外の事情を知るには

 『原発訴訟』(岩波新書、海渡雄一、2011年11月。写真下)

が大変に参考になる。

  注記

 東日本大地震では、震源域が海岸からずいぶん離れていたにもかかわらず、

 内陸部の宮城県栗原市で震度7、強震計は約3000ガルの加速度を記録

した。

 付言。

 Photo_2 今年2月に県庁で、全交流電源喪失と原子炉のメルトダウンを想定した原発防災図上訓練が実施された。しかし、死角の使用済み核燃料の露出に伴う総員退避については、想定外だった。図上訓練とはいえ、実態が反映されていない空論的な演習といえる。改善を求めたい。

 また、防災の日にちなんだ先の訓練では静岡空港を使った訓練も行われたようだ。しかし浜岡原発から北北東20キロにある空港は、原発の風下にあり、放射能汚染の真っ只中。あるシュミレーションでは急性放射線障害がただちにあらわれる恐れもある。むしろ空港が閉鎖されたという想定こそが必要ではないか。好都合な想定にもとづく訓練は役に立たないばかりか、かえっていざというときに混乱する。

  補遺 

 静岡県内では、白鳥さんたちの取り組みとは別に、県内の弁護士らを原告として3号機から5号機の永久停止を求める

 浜岡原発廃炉訴訟

が、福島原発事故後の昨年10月から中部電力を相手取って静岡地裁で審理されている。3号機から5号機の原発の廃炉と、1号機から5号機に貯蔵されている使用済み核燃料の安全保管を求めた民事裁判である。大震災後の新知見に基づいた本格的な裁判として注目したい。

  裁判は原告にとって険路が予想されるが、よもや裁判官も、仮処分のときの判決のように、他人事として受け流すことは、もはやできないのではないか。法曹界を右顧左眄するような判決態度は世論の指弾を受けると覚悟してほしい。差し止めなどは政治の仕事であり、司法になじまないというのでは職場放棄に等しい。後世の評価にたえる毅然とした判断を望みたい。

 それには、県内では比較的に関心の薄い浜松市民も裁判の行方に無関心であってはなるまい。

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夏の終わりに、悠仁さまのショウリョウバッタ

( 2012.09.09)  去りゆく夏の終わり、というわけでもないが、まだ残暑が厳しい日曜日の午前、ブログ子のご近所同士が総出で大草取りを行った。久しぶりのおしゃべりタイムというわけだ。

 Image969 ほんの三カ月前、6月に草刈したばかりなのに、一面雑草。1時間ばかり汗を流した。ご近所同士で話は弾んだが、ふと草むらにショウリョウバッタを見つけた( 写真 )。

 先日、秋篠宮さまご夫妻の長男、悠仁(ひさひと)さまが、6歳の誕生日を迎えたときに宮邸で捕まえ、報道陣に自慢そうに見せていたあの昆虫である。

 近所の虫好きの人の話によると、ショウリョウバッタとは「精霊」バッタのことだという。ブログ子には、オス、メスの区別はわからなかったが、

 飛ぶときに、キチ、キチと鳴くのがオス

と虫好きさんはいう。捕まえたのは、体も大きく、どうやらメスらしい。

 ジッと見つめていたら、小さいころ、夏の川原でキチ、キチと鳴くショウリョウバッタを夢中で追いかけていたことを思い出す。確か、

 キチキチバッタ

と呼んでいたが、あれはオスのショウリョウバッタだったと思い当たった。

 午後、所用で浜松中心部に出かけた。途中、西の空にいくつもの積乱雲が連なり、きらきら輝いていた。

 重陽( ちょうよう )の節句。今晩の晩酌では、久しぶりの精霊バッタとの出会いを、菊酒で祝ってみたい。

 機織虫の鳴き響きつつ飛びにけり 高浜虚子

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「ヒッグス」は粒子か 場の古典論 

(2012.09.04/09.08)   理論的には素粒子には質量がないはずなのに、なぜ現実の素粒子はみんな質量を持っているのか。

 Image9663 素粒子に質量を与えるべく、素粒子と相互作用するヒッグス場が存在するからである。そう喝破したのは、若きヒッグス博士だった。1964年秋、東京五輪前後のことである。そのヒッグス場が励起すると、ヒッグス粒子になるというわけである( 論文は米物理学会誌「PRL」)。

  このアイデアは、

  超伝導についての物性論から、電気抵抗ゼロの超伝導物質も、電磁気的な現象がからまると、抵抗を持つ

という事実に着目したものだった。つまり、

  素粒子についての場の量子論から、質量ゼロの素粒子も、ヒッグス場の相互作用がからまると、質量を持つ

というわけだ。

 場とは何か、ということをブログ子が初めて理解したのは、

 場の古典論

を学んだときだった。空間を上下、左右に結晶構造のように振動子(粒子)を並べ、その間をバネで結ぶ。ある振動子をたたくと、その振動が波となって上下左右に伝わって、空間全体が振動する。つまり、励起する。

 このとき、( 力学的連結調和 )振動子の数を無限に大きくしていくと、この振動子の動きを表す「場の古典論」の基礎方程式は、場の量子論という極微の世界の基礎方程式、つまりKG波動方程式に収斂する。

 大学でこのレポート課題が出題されたとき、その導出に成功した日のことを今でもよく覚えている( 注記 )。しかも、このように古典場の振動波を量子化すると、外場の影響、つまり相互作用は( 古典場の )粒子の質量項となり、素粒子の質量の起源は場との相互作用によって生じることを示唆していた。

 ヒッグス博士は、さきほどの超伝導でのアイデアをもとに、ヒッグス場という場の量子化で、素粒子に質量をもたせることに成功した。

 先日、NHKの科学番組「サイエンスZERO」で、ヒッグス粒子は、場である。その場が励起されると場は粒子のような性質を持つという解説をしていた。相互作用していない非励起状態では、磁場がそうであるように波となって広がっているだけで、粒子としては姿を現さないというわけだ。なかなか見事な紹介であったと感心した。

 場の古典論をやさしく説明するために、磁場を身近な「場」の実例として取り上げていた。

 ただ、6種類の基本粒子( 写真= 「GRAPHICATION」2012年181号、池内了氏記事「現代科学の見方・読み方」より)の質量がみんな異なる理由については、ヒッグス機構では今も説明できていない。素粒子の質量がバラバラで規則性がないのはなぜか、今も謎なのだという。

 これ以外にも、ここで述べた慣性質量と重力場での重力質量がなぜ厳密にいっちするのかというのも謎らしい。

 Image952 「ヒッグス」以後は、それらの謎を解く有力候補とも言われている超対称性理論にも今後注目が集まるようにも思う。

 さらには、重力とそのほかの相互作用を統一する大統一理論への模索も本格的に始まると言えるのではあるまいか。

 それはともかく、日常の世界とは本質的に異なる極微の世界を、日常の言葉で説明できるためには、説明する人がよくわかっていないとできない。この番組を拝見して、このことを痛感した。

( 写真下= 日経新聞2012年9月3日付朝刊「迫真」。発見、ヒッグス粒子 半世紀の夢 現実に 7月4日の世紀の発表前後の様子をドキュメント風にまとめている )

 注記

 この懐かしい演習問題は、次の文献にも見える。

 http://osksn2.hep.sci.osaka-u.ac.jp/~naga/kogi/handai-honor08/yr08-02-field-concept08.pdf  

 この文献には

 古典場の力学振動モデル

について、イラスト付きでわかりやすく詳述されており、ここからクライン-ゴードン( KG )基礎方程式が導出されている。今も大学の物理学科ではこの導出演習があることを知ったので、ここに紹介しておきたい。ブログ子は、この基礎方程式の導出については、40年以上前、一、二週間ほどかかってやっとできたことを告白しておこう。

 この解析的な導出により、ブログ子なりに極微の世界のイメージがどうにかできるようになったことを記憶している。

 蛇足。

 ヒッグス粒子予言論文については、

 http://astand.asahi.com/magazine/wrscience/2012072700004.html 

が面白い。ひょっとすると、この粒子の事実上の予言者は南部陽一郎氏かもしれないという記事であり、1964年8月31日前後の緊迫した優先権争いの微妙でデリケートな内情を伝えている。とすると、この粒子は「南部粒子」とも言えそうだ。

 もっとも、南部氏自身は、2012年7月12日付朝日新聞朝刊「科学欄」で

 「理論の数式を提唱したのはヒッグス博士だから、『ヒッグス粒子』と呼ぶのはきわめて自然だと思う」

とヒッグス氏の功績をたたえてはいる。理論の数式を提唱したのは彼だが、その理論の土台を提供したのは、そして、複数の粒子の存在を示唆したのは私といいたいともとれる発言である。

 この記事で南部氏は「めでたし、めでたしだ」と喜んではいるが、忖度するに、これほど反響が大きいと、ノーベル物理学賞をもう一個もらえたのに、と心は穏やかではあるまい。

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まるで3D映画「アバター」のような                 ネバーエンディング・ストーリー

(2012.09.08)  国会も閉会したので、政治からちょっと離れて、気分を変えたいと思っていたら、偶然、BSテレビで映画「ネバーエンディング・ストーリー」を上映していた。ドイツ人、M.エンデが原作。古い映画だが、ファンタジックなそのストーリーについつい最後まで見てしまった。女の子と見間違うほどの美少年が、竜の背中に乗って大冒険の旅に出かける話なのだ。

 この1984年公開の作品を見た感想を一言で言えば、ストーリーは

 まるで3D映画「アバター」(2009年)のような作品

だと感心した。しかし古さを感じさせない。むしろ、アバターと違って、さすがヨーロッパ映画はファンタジックといっても洗練されていると思った。ハリウッド映画のような騒々しい、そして、がさつさがないのがいい。なにしろ、この世の中の「虚無」を退治するために、地の果てまででかける美少年にすべての希望を託するというのだから、アバター同様、面白い。哲学的でもある。この点を除けば、ストーリーは、アバターの場合、美少年ではないが、似ている。

 誤解を恐れずに言えば、美少年が登場するビスコンティの

 「ベニスに死す」

の映画を見たときのような気持ちになった。

 ただ、気になったのは、原作ではどうなっているかは知らないが、人間の子どもを捜しに地の果てまで行くというストーリーなのに、人間の美少年が冒険に出かけるというのはどういうことか、違和感があった。

 もう一つ、これまた原作は知らないが、映画の最後は、いじめっ子をやっつけるシーンで終わっているのが、いかにも取って付けたようで、これまた変だと感じた。原作はこんな終わり方をしているとは到底思えない。これでは、いかにもやんちゃなヤンキー映画的だと思った。笑っちゃう。ヨーロッパ映画では間違ってもこんなシーンはつくらないだろう。どういう事情があったのだろう。

 この映画をみて、やっぱり原作をきちんと読まないと本当の原作の理解はむずかしいと感じた。

 言い換えれば、当たり前だが、文字の文学と、目で楽しむ映画とはしょせん別物だと、見終わって気づいた。それさえわきまえていれば、面白い映画に仕上がっていたといえる。

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教えて、この魚って何 ?  クロウシノシタ

Image958 (2012.09.07)  久しぶりに、というか、久々に浜松市の舞阪漁港の近くの河口で魚を釣ってみた。棹の使い方もほとんど知らないが、半日がかりで釣り上げたのが写真のカレイかヒラメの仲間。

 目が、進行方向の左側についているので、「左ヒラメに右カレイ」だから、ヒラメと〝断定〟した。

 しかし、近くのスーパーの魚屋さんに聞いたら、

 これはカレイの仲間。詳しくはカレイ目ウシノシタ ( 牛之舌 ) 科の仲間

と教えてくれた。地元では黒ウシノシタと言うそうだ。今ごろ、駿河湾より南の太平洋側で、よく釣れるという。海底の砂地に生息する。

 この魚、ヒラメなの、それともカレイなの。わからなくなった。カレイにも、右側ばかりではなく、左に目があるのもいるのかもしれない。

 魚屋さんに、これ食べても大丈夫ですか、と聞いたら、魚屋さんはあきれ顔で、

 「もちろん、食べることができます。煮魚としておいしい。白身がうまい。今晩、煮付けにしたら」

と話してくれた。そこで、早速、カレイかヒラメの煮付けをつくった。

 煮汁として、

 水と、その半分くらいの酒、醤油、みりん、砂糖、塩少々

をフライパンに加えて、魚を中火で煮込んだ。久しぶりの料理だったが、なんとかできた。味は煮すぎたせいか、味が濃くなった。白身のうまさが飛んでしまったらしい。薄味派のブログ子だが、冷酒とともに味わい、晩酌がすすんだと言っておこう。

 延長国会が終わり、秋の選挙を前に政局があわただしい。たまには、のんびり、釣りもいい。そう感じた一日だった。

 ただ、食べた魚が、カレイなのか、ヒラメなのか、妙に気になった。

 ● 注記 2014年9月30日

 このように書いたら、「ムニエル」さんという方から、

 海の中ではこんな感じです☆
https://www.youtube.com/watch?v=1qpCkns_cuM 

とのコメントをいただいた。見てみたら、なるほどと納得した。読者というのはありがたい。

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「人為ミス」という事故原因はあるか。ない

Image954 (2012.09.05)   米軍の輸送機、オスプレイの墜落原因について、「機体の構造に問題はなく、副操縦士が操縦マニュアルに従わない操作を重ねた人的ミスが原因」とする報告書を日本の防衛省はまとめた。そんな記事が8月25日付中日新聞夕刊に出ている( 写真 )。

 米側の調査結果と同じだが、複数の要因が重なって起きる組織事故において、そもそも事故原因が「人為ミス」ということはあり得るか。ないと思う。

 組織事故での人為ミスは結果であり、訓練されていたはずの副操縦士が、なぜマニュアルに従わない操縦を繰り返さざるを得なかったか、その原因を追及することこそが真の原因を突き止めることになる。

 死人に口なしとばかり、日本がアメリカに追従する必要はないのではないか。むしろ、人為ミスが原因というのは、真の原因を突き止める気がないことを意味しているととられても仕方があるまい。

 まもなくこの一連の事故の原因について、日本政府として最終判断をするという。人為ミスの原因は何か、きちんと解明すべきである。人為ミスでお茶を濁してはならない。

  オスプレイ事故だけでなく、実は、たとえば2005年4月にJR福知山線で起きた脱線事故の大惨事も若い運転手の「人為ミス」と最初は片付けられそうになった。しかし、よくよく調査してみるとそうではなく、それは結果であり、その結果を招いた原因は組織の体制にあった。長い年月の間に、効率重視の観点から、少しずつ〝安全マージン〟を削り取り、事故は起きるべくして起こっていた。この恐ろしい事実から目をそむけるべきではない。

 こうした考察には、

 ジェームズ・リーズン著『組織事故』(日科技連)

が詳しい。「人為ミス」説は、最初に結論ありき、の安易な、そして真の原因を覆い隠す危険な論理から生まれる。

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コーヒー1杯分のエネルギー革命        夏を乗り切った「電力」

(2012.09.02)  今年の夏は、脱原発元年の始まりとして、日本の歴史に長く記憶されるであろう。

 Image946 もっとも原発依存度の高い関西電力管内の電力供給が、原発の再稼働なしでも、需要の多い7月、8月の二か月間を乗り切れることが証明されたからだ。実際に使われた需要実績が、ピーク時(8月3日)でも、原発なしの場合の給電力約2750万kWよりも、約70万kW、率にして3%下回ったことが、中日新聞の調べでわかった(8月29日付=写真 )。停電などは起きなかった。

 実際には、大飯原発2基が、この夏場、再稼働していたが、再稼働がなくても、乗り切れたことが立証されたのは大きな成果だ。

 これは、原発が再稼働しなければ、約14%もの電力不足になるとの関西電力の事前の見通し、あるいは脅しを覆えすものである。

 ただ、今年のピーク時の実績電力供給は、去年のピーク時に比べて、約100万kW少なかったのが幸いした面もある。電力会社に供給余力をもってもらうには、節電をより強力に進めることが欠かせないこともわかったといえそうだ。

 たとえば、年平均で5%程度、夏場では15%程度の節電努力を私たちも覚悟する必要がありそうだ。

 関西電力は、先の冬場にも、2月には約10%ほどの電力が不足し、停電の心配を訴えていた。しかし、そうした事態は起きなかった。

 電力会社としては、原発の代替で火力の燃料費が大変な重荷となっていることは事実であろう。どの電力会社も、この一年赤字決算だった。

 いずれ、この燃料費の負担増が利用者に回ってくることが考えられる。大雑把な計算だが、どの電力会社でも、東京電力の今月からの家庭電気料金の平均値上げ幅、月々350円と同じくらいであろう。

 家庭については、この値上げ幅を、この機会に節電5%分でカバーする努力をしてみては、どうだろう。

 「コーヒー一杯分」の節電を呼びかけたい。

 これは、国民にとって、コーヒー一杯分のエネルギー革命であろう。

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