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名伯楽の賀茂真淵  古事記編纂1300年

Image1015_2 (2012.09.30)  広く世界を知ることは大事だが、暮らしている足元について知ることは、ある意味、それ以上に大事だ。世界を知る土台になるからだ。

 そんな気持ちで、ブログ子の自宅近くにある国学の祖、賀茂真淵の和歌や著作を展示する賀茂真淵記念館には、散歩がてら、ときどき出かけていく。

 何しろ、高台にある記念館(浜松市中区東伊場)の隣りが、賀茂真淵をまつる縣居(あがたい)神社。縣居とは、真淵の雅号だそうだ。高台のふもとが真淵の生誕地であり、今も生家の井戸が残っている( 写真の右端 )。

 さて、賀茂真淵という名前は、よく知られているが、どれほどえらいのか、記念碑を読んで初めて知った。万葉集を読み解いて、大著『万葉考』をまとめた。

 しかし、ブログ子は、それもえらかったかも知れないが、それよりも、一期一会で出会った若き本居宣長の才能を見抜き、世に出したことのほうが真淵の真骨頂だったと思う。

 宣長は、江戸時代中期、当時ほとんど誰も読めなかった古事記について、注釈をつけた畢生の大著『古事記伝』を真淵との出会いから、いろいろ教えを受けながら30数年後にまとめている。それまでの古めかしい古学を、日本人の本質、あるいは日本文学の本質は「もののあはれ」であると喝破。それをバックボーンとする国学という新しい学問分野を切り開き、古学を生きた学問として確立させた。

 もちろん、真淵も、日本人の本質が古事記に書かれている大和心であることは知っており、その前段として万葉集の研究に打ち込んだ。しかし、ついに古事記研究までは手が回らなかったという。それを受け継いだのが、若き宣長だった。真淵は、この意味で名伯楽だったと言えよう。

 Image1043_2 古事記( 写真 = 国宝真福寺本 )は、漢字を使ってはいるが、古代の日本語で書かれている、いわゆる和漢混交文の歴史書。この点が、同じ歴史書の日本書紀とは違う。日本書紀は漢文に翻訳された歴史書である。中国人にも内容がわかるという利点はあるものの、翻訳であり、日本語ではない。

 日本人の本質は、このような翻訳ではわからない。日本人の心は、日本語でしかわからない。漢字を使ってはいるものの古代の日本語で書かれた古事記こそ、大和心を知る道だと喝破したところに真淵の偉さがあろう。

 今で言えば、英文に翻訳された英語では日本文化はわからない。アルファベット文字は同じでも、せめてものことローマ字で書かれたものによってはじめて日本人の心はわかると言っているのだ。

 江戸時代には、つまり論語など四書五経の漢文全盛の時代に、日本人なのだから古代の日本語を大切にしよう、漢文では大和心はわからないとした真淵や宣長の態度は傾聴に値する。さらに言えば、

 世界を知るのも大事だが、もっと大事なのは足元の日本文化ではないか、やまとごころではないのか

と言っているのだ。

 古事記編纂から今年で1300年。グローバルの今の時代にも、りっぱに通用するメッセージであると思う。 

  敷島の大和心を人問はば朝日に匂う山桜 本居宣長

  補遺

 古事記の内容を一般の人にもわかりやすく解説したものに

 2012年7月15日付中日新聞「大図解 古事記編さん1300年」

がある。天孫降臨、出雲伝説に出てくるスサノオのヤマタノオロチ退治、神武天皇の東征、ヤマトタケルノミコトの東西遠征などが地図上でルートを示して描かれている。

 

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