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もう一つの「原発のできなかった町」珠洲     告白的ジャーナリズム論

(2012.08.22)  終戦記念日の深夜、NHK総合テレビでずいぶんと遅い深夜、偶然に

 模索 原発のできなかった町

という番組を見た。中部地方だけの地域番組の再放送なのだろう。模索とは、過疎地に暮らす住民の豊かさへの模索という意味だ。

 三重県大紀町錦と南伊勢町古和浦地区に、1960年代、中部電力によって計画され、約40年近い住民反対運動の末、結局撤回された芦浜原発計画の一部始終を映像化したものである。

 浮かんでは消え、消えてはまた浮かんだこの計画がたどった軌跡を一言で言えば、静岡県御前崎市にできた浜岡原発(1号機=1976年営業開始)の〝裏面史〟といえるだろう( 注記 )。そしてまた、芦浜裏面史のそのまた裏面史といえるのが、1975年に計画が中部電力によって公になった能登半島突端の珠洲原発計画(石川県珠洲市高屋地区)における28年の軌跡であろう。名古屋経済圏に近い芦浜の原発計画の、仮の、あるいは予備の計画という意味である。

 その珠洲原発計画は、まったく芦浜と同様、立地地形がそっくりであるばかりでなく、突然の計画撤退の結末、つまり住民の絆をずたずたに引き裂くという無情な結末に終わったという点でもまったく同じであった。

  ただ、違うのは、撤退時期と撤退の原因である。

 芦浜計画の撤退(2000年)では、前年の1999年秋、東海村臨界事故が起きる。2人の作業員が急性放射線障害(多臓器不全)で死亡したのが、決定的だった。

 一方、珠洲原発の撤退(2003年)では、名古屋経済圏に送電するには送電ロスが大きいという難点がもともとあった上に、2003年から電力の自由化が本格化しはじめ、電力会社に余力がなくなったことが大きい。本格的な調査に一度も入ることなく、撤退するという事態自体に追い込まれていった。

 1990年代、ブログ子は珠洲原発の高屋地区を何度も取材で訪れていた。芦浜の地区にも一度取材に出向いていた。しかし、上記のような構図があるとは、推進派だったブログ子も当時ほとんど気づいていなかったことを正直に告白しておきたい。

 むしろ、珠洲原発計画は、能登半島中部にある北陸電力の志賀原発(1号機= 1993年営業開始)に建設や増設、稼働をめぐる反対運動が集中させないようにするための〝弾除け〟、あるいは風除けという見方をしていた。電力会社のカモフラージュ作戦であり、本気で建設するつもりなどないとみていた。

 今から思うと、表面的な理解だったと思う。中部電力は二つの計画とも必死だったのだ。とりわけ、名古屋圏に近い芦浜には力を入れていたと思う。

 1970年代半ばに浜岡原発ができたこともあり、1960年代の計画をいったん白紙に戻したものの、10年後の1990年代にはふたたび計画が持ち上がる。それが臨界事故の影響で2000年に撤回。

 それから10年後、2011年2月にも、原発の発電比率を10%台から50%以上にすることを目指して、3度目の芦浜原発計画が中部電力から持ち上がる。芦浜地区の原発予定地は中部電力の所有地であることからも、芦浜に電力会社がいかに強い関心をもっているかがうかがえる。

 そして、この直後の3月、東日本大震災が発生する。

 原発のできなかった町の裏面史に共通するのは、

 模索と翻弄の歳月

だったこと。しかし、その歳月は今、無駄ではなかったことが証明された。翻弄は終わったが、豊かさへの住民の模索は続くけれども。

  注記

 浜岡原発では、原発のあるところから、ほんの鼻の先に

 市立御前崎総合病院

がある。浜岡原発が稼働して10年後、1986年に開院。現在では20以上の診療科目が受診できる。豊かさの象徴だろう。

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