静岡藩 ? そんなのあったっけ
(2012.08.21) 定年後、静岡県に引越ししてきて丸3年のブログ子だが、
駿府藩
という徳川家康の藩があったことは、歴史好きということもあり、知っていた。家康のいわゆる大御所政治の舞台であり、
出身地の三河、遠江、駿河、甲斐、信濃の5国
からなる大藩。いずれも家康が戦国武将として実力で奪い取った領地であり、駿府城(静岡市)は大御所政治の象徴だった。家康死後は、幕府領に替わり、それぞれの藩には城代が置かれ、幕末、明治を迎えたらしい。
では、幕末から明治の混乱期、つまり、明治維新(明治元年= 1868年)、版籍奉還(明治2年)、廃藩置県(明治4年)で幕府が崩壊した後、
どのような経緯で今の静岡県になったのか
という疑問が出てきた。
きょう8月21日は、静岡県が明治9年に誕生した記念日
なんだそうだ。県の「県民の日」カラーパンフ( 写真 )によると、現在の静岡県は、
幕末に、浜松藩などの遠州、沼津藩などの駿河、韮山代官領などの伊豆の3国に分かれていた。それが、明治4年の廃藩置県で、それぞれ浜松県、静岡県、足柄県となった。それらが、明治9年相次いで合併して、現在の静岡県になった。
なるほど、と理解した。
しかし、幕末の3国から、明治維新後の版籍奉還(明治2年)、さらに廃藩置県(明治4年)まではどういう変遷をたどったのかについては、パンフでは省略されていることに気づいた。
『日本史辞典』(角川書店)で調べてみて、驚いた。静岡県には、ほかの県では考えられないようなことが起きていたのだ。土地と人民を朝廷に返還した版籍奉還の前、つまり、
明治元年に、遠江、駿河の70万石という、新しい藩(駿河府中藩、のちの静岡藩)
ができた( 注記 )。これらは徳川家康のもともとの領地だった上記の5か国のうちの東海地方の国だ。言い換えると、これらの国は家康の、あるいは徳川家の本拠地、金城湯地なのだ。
何のための新藩か。
それは、江戸城明け渡しの明治維新で徳川将軍家だった徳川宗家、具体的には徳川慶喜の行き場がなくなったので、急遽、新しい藩をつくり、そこに江戸から家康以来の〝里下がり〟をさせるためだったと考えられる。旗本たちの多くも不承不承、徳川慶喜に付き従って新藩に移住するようになったわけだ。
次いで明治2年の版籍奉還。このときこの新藩の藩名が、「府中」という言い方がまぎらわしいからか、ともかくどういう経緯でなぜ改称されたかは知らないが、「静岡藩」に改称。ここに初めて「静岡」という地名が登場する。
そして、明治4年の廃藩置県で、先ほどの3県、つまり浜松県、静岡県、足柄県が誕生する。
結局、駿河府中藩時代を含めても静岡藩が存在したのは、維新の明治元年から、廃藩置県の明治4年までのわずか4年足らずということになる。藩名として静岡藩が正式に使われたのは実質、わずか2年だった。
最近は、静岡県を県民は「ふじのくに」と称しているが、以上の激動を静かに見守ってきたのであろう。
最後に、静岡県に苦言を一言。せっかくの、りっぱなカラーパンフなのに、解説は半ページと、ほとんどこうした県誕生の踏み込んだ歴史的な記述がないのを残念に思う。県の「ふじのくに」ホームページには詳細が書かれているが、パンフでもせめて見開き2ページで解説してほしかった。パンフの中身がほとんど施設紹介、イベント紹介に終わっていては、それも大事だが、もったいない ( 7万部印刷、一冊 11円 )。
過去の歴史を知ることは、県内の地域の県民意識の違いを理解するもとになる。そのことはそれぞれの地域の文化を大切にしようという意識につながる。「ふじのくに」づくりは、観光客のためだけでなく、県民のためのそんな地道な取り組みであってほしい。
注記
2010年12月に静岡市で開催された「徳川家と静岡」展には、
駿河府中城主70万石下賜沙汰書(原本、慶応四年=明治元年の日付)
が展示されていた。所蔵者は徳川記念財団。また、慶喜のあとの宗家を受け継いだ徳川家達(いえさと)宛ての
静岡藩知事任命書(原本、明治二年六月)
も展示展示されていた(徳川記念財団所蔵)。これで、静岡藩の発足は、このときであるとわかる。
さらに、同財団からの特別出品として青銅製の大きな
駿河藩印
も展示。明治元年につくられたという。
明治元年の駿河府中藩から、明治二年六月に静岡藩と改称、そして明治四年の廃藩置県で静岡県へと変遷していったことが、この展示でわかる。
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