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出合いの自由価格『天皇陛下 科学を語る』  神田古本屋街をゆく

Image936 (2012.08.28)  久しぶりに、東京・神田古本屋街をぶらついた( 写真 )。

  街全体から受けた印象を一言で言えば、少しずつ食べ物屋が進出している、あるいは食べ物屋に侵食されているというものだった。それでも、周りを超高層ビルに囲まれつつあるとはいえ、20年以上も前の落ち着いた雰囲気が、今もどうにか残っているのがうれしかった。

 ただ、本の売り方が大きく変化していることに気づいた。新刊書店なのに、店先にワゴンを出し、古本を販売している。新刊書が並ぶ店内の広いスペースにも堂々と古本商いをしている。

 さらには、新刊書店が店先に

 「自由価格本」

として割り引き販売をしていた。新刊書は、出版元のつけた定価で販売するのが、現行の再販売価格維持制度の下での書籍流通の原則。つまり、新刊書籍は、新聞同様、数少ない再販商品なのだ。

 この原則の例外が、古本と違って、一度も読者の手に渡っていないのに、割り引いて販売してかまわない自由価格本。出版社の意志により、指定された書籍に限り、売り手が自由に値付けができる。再販商品のように、定価で販売する必要のない、いわゆる非「再販」商品である。定価の4割引から7割引が相場らしい。

 こうなると、いつの日か、古本屋の店先に、新刊書がずらりと並び、定価で販売される、あるいは定価を割り引いて販売される時代が来るのではないかと思ったりもした。よく考えると、古本屋にとって、自由価格本こそ、それなのであり、すでにそんな時代が始まっている。

 道路に突き出たいくつかの古本屋の店先のワゴンには、古本の特価本・雑書・文庫本と並んで、一度も読者に渡ったことのない新本が自由価格本として売られていた。おそらく、その多くは版元に返本された「見切り本」が主なものなのだろう。

 Y書店のそんな自由価格本のコーナーに

 『天皇陛下 科学を語る』(朝日新聞出版編/宮内庁侍従職協力、2009年。定価2000円+税)

が並んでいた。確かに一度も読者に渡ったことのないような新本で、6割引の「特別定価800円」だった。講演や執筆原稿、ハゼの分類学に関する論文などが載っている( 注記 )。著者は明仁(あきひと)。略歴には、昭和天皇の第1皇男子として生まれ、「1989年、天皇即位」とあった。

 じっくり読んでみたい、そして、一期一会の本になればと、特別定価で買った。

 正直、こんな本まで自由価格本になるとは、旧人類に入るブログ子には驚きであるが、それほど再販制度は大きくゆらいでいる証拠でもあろう。あえて言えば、天皇の自由価格本の流通は、もはや再販制度という保護の時代の終わりを象徴的に告げているといえないか。

 本の定価とは、家電量販店にたとえれば、

 メーカー希望小売価格

に相当するものに変わろうとしているといえまいか。

 一方では、古本屋街の一角には「書物復権」と大書されたポスターが貼られていた。再販制度を守ろうという意味なのかどうかわからないが、書物の復権は、再販制度の徹底ではなく、はっきりと言えば、書き手の情熱がその紙にいかに込められているかどうかである。これをおいて書物の復権はない。古書店内の棚に並ぶ重厚な書物には、それが確かにある。これを書かずに死ねるかという著者の執念が伝わってくる。手軽に編集できる、手軽に入手できる電子書籍ではあっても、この執念かなければ、これまた手軽に捨て去られる。

 そう考えると、一生に一冊でいいから、情熱を込めた著作に出合いたいし、出版してみたいという気持ちになる。端的に言えば、理系の本にしろ、文系の本にしろ著者の人格を髣髴させる著作といえばいいかもしれない。古書店では、比較的に個人全集が大切にされているのも、このせいだろう。

 別の例を挙げれば、このブログでも紹介したが、亡くなる直前までの40年の歳月にわたって執筆を続け、資金繰りに苦しみつつ刊行した『ファーブル昆虫記』全10巻のような著作。進化論を否定したファーブルの鋭い観察と情熱がこの著作を不朽のものにしている。はたまた進化論を支持したシートンの一連の『動物記』全10巻もまた、動物行動学者の枠をこえたかぎりない愛情あふれる書物である。第一巻のピューマの遊び心、第二巻のオオカミの騎士道などは傑作だと思う。

 古書店とは、そういう著作と著者、あるいは執念に出会える「一期一会」の場であると思いたい。ひさしぶりにたずねた古書街でそう思った。

 そう考えれば、一度も読者の手に渡ったことのない自由価格本も、見切り本と切り捨てる必要はない。それなら自分がその値打ちを値踏みしてみようという新しい発見の楽しみも出てくる。その必要のない「古典」を読む場合にはない面白さだといえるだろう。

 自由価格本では、読者の眼力も試される。そんなつもりで、陛下の自由価格本を手に入れた。

  注記

 陛下の最初の論文は、この本によると、親王だった皇太子時代に学術誌「魚類学雑誌」に発表された

 「ハゼ科魚類の肩甲骨について」(1963年12月)

である( 論文での「甲」の漢字は、月へんに甲 )。海水にも淡水にも広く生息しているハゼの分類について50年近い研究歴をもつ生物学者であることを知る国民はそう多くはないだろう。しかも、公務の合間をぬっての仕事なのである。

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