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2012年8月

静岡県は住んでよし、訪れてよしの     「ふじのくに」のはずなのに

Image950 (2012.08.31)  静岡県のキャッチコピーは

 住んでよし、訪れてよし「ふじのくに」

なのに、8月30日付の新聞各紙1面トップ( たとえば、写真= 中日新聞 )に、たいていの静岡県民はがく然としただろう。

 南海トラフを震源とする3連動巨大地震が起きれば、最悪の場合、つまり、冬場の深夜で比較的に静岡県の陸地に近い震源域で考えられる最大規模の巨大地震M9.1が起きれば、県内死者10万人以上となる。そのほとんどは津波によるものらしい。避難に余裕のあった東日本大震災と違い、その余裕がほとんどないからだ。お隣の愛知県、神奈川県よりも断然被害が大きい。

 しかし、これはまだいいほうなのだ。これに加えて、もし仮に、考えたくもないが、富士山噴火と浜岡原発メルトダウンが連動したら、おそらく静岡県の西部、中部、そして伊豆を含めた東部はいずれも、当分は再起不能だろう。

  この内閣府の専門家検討委員会の想定被害の意味とは、正確には、どういう意味か。それは、こうだ。

 南海トラフで「次」に起きる巨大地震については、いつかは、たとえば今世紀中にはほぼ確実に来るといえるが、具体的にいつ、どのような規模のものであるかは、地震学の未熟さもあって、さっぱりわからない。しかし、現時点での科学的な根拠をもとに想定すると、たとえ、どんな地震が起ころうとも、どの地域でも、ここに示した以上の被害は出ないという意味だ。

 次に来る巨大地震がこのような被害をすべての地域に一度にもたらすという意味ではない。言い換えれば、次にどんな地震が来るとしても、それに備える対策についてそれぞれの地域の設定目標を提示したものである。

 浜岡原発については、防潮堤のかさ上げうんぬん論議ではもはや済まされない。福島原発事故調の報告書では、津波が来る前に福島原発の重要なプラントが地震で一部損傷した可能性があると指摘されているからだ。津波の対策だけでは再発防止策が片手落ちになる。原発は、ほかのエネルギー源に比べてコストがかかり、廃炉が得策という現実的な選択を早く電力会社はするべきだろう。 

 富士山噴火も現実味を帯びてきた。昨年の東日本大震災では、地震直後、富士山直下で大きな地震が発生。ほとんどの火山学者は富士山が噴火すると考えたと言われている。今でも、数年以内に噴火するのではないかという推測が専門家の間でも根強い。世界的にみて、M9.0以上の巨大地震には、それに伴い震源付近で巨大噴火が例外なく起きているからだ。

 日本でも、富士山が直近で大噴火したのは、大被害を出した宝永東南海地震(1707年10月)の2か月後だった。この地震では、東海地方から四国地方までが大きな被害にみまわれたことから南海トラフ巨大地震であったことがわかっている。おそらく、3連動型なのだろう。

 静岡県も県民も、今、現実味のあるものとして地震、津波、原発、噴火の4連動巨大災害に直面しているという危機意識を持つべきだろう( 注記 )。

 住んで地獄、訪れて恐ろしい「ふじ噴火と原発のくに」静岡県

が現実にならないよう、今、この危機意識で手を打たなければ、後悔しても後悔しきれない時がきっと来る。

 巨大地震はとめることはできない。津波も富士山噴火もとめられない。しかし、数十年にわたってその災いが県内で続くかもしれない浜岡原発は県民の意志一つでとめることができる。今、静岡県民の歴史に残る英知が試されているといえるだろう。

  補遺

 と、書いて、このブログを締めくくったが、9月1日付朝日新聞「天声人語」でも、さすがに静岡県に少し〝同情〟してか、莫大な想定死者数に

 「心穏やかではない」

 「想像を絶する想定には、つい目を背けたくなるものだ」

とわが身に引き付けて書いている。「巨大地震の被害想定も、脅かしではなく「目覚まし」と受け止めたい」とまとめるのがやっと。一方で「備えあれど憂いありだ」けれども、「防災対策は悲観に悲観を重ねて講じたい」とも。意図的かどうかは知らないが、全体として、ややしどろもどろのコラムに仕上がっていた。

 しかし、当事者の静岡県の県民までが、しどろもどろであってはこまる。

 住んでよし、訪れてよし「ふじのくに」をこれからも維持するには、具体的にはどうすべきか。今こそ、その行動の時である。

  注記  地震学者20人予想 南海トラフ巨大地震

 「アエラ」2012年3月19日号の「20人予想 今後の大地震」によると、

 アンケートに回答した地震学者20人のうち半数10人が、はっきりと「いつ」と特定することはなかなか言えないとしながらも、確率を明確に数値で表すのは難しいとしながらも、

 今後40年以内には、つまり今世紀半ばまでには、東海地震を含めた南海トラフ巨大地震がほぼ確実に起きる

と回答している。南海トラフ沿いの過去の巨大歴史地震の繰り返し周期が約100年であることからの予測だろう。「その時」は私たちの世代なのだ。

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竜巻はなぜ起きるのか その日本の最前線

(2012.08.29)  竜巻の恐ろしさが、アメリカ同様、日本でも知られ始めている。今年の大型連休時( 5月6日 )の茨城県つくば市での強烈な竜巻は記憶に新しい。

 時速にしてその移動速度は約400キロ(風速約100メートル)。新幹線の2倍ものスピードで地上を駆け抜けるのだから、風圧の衝撃で車が上下逆さまになったり、民家などは土台ごと破壊されたりしたのもうなづける。

  Image920 しかし、その恐ろしさの割には竜巻がなぜ起きるのか、その詳しいメカニズムは、竜巻被害大国、アメリカでも日本でもいまだにわかっていない。だから、予報については、アメリカでも発生直前、10分前くらいにしかできないらしい。竜巻の姿が雲間から見えて地表に着地してから警報を出す始末なのだ。

 しかし、これでは、警報を知っても住民に避難する時間的な余裕はほとんどない。メカニズムがわかっていないので、経験則から発生するかどうか割り出すというのだから、これも無理もない。

 なんとか、竜巻が地表に着地する前、つまり、発達する巨大積乱雲の段階、それが無理なら、せめて積乱雲に伴う激しい雷雨の段階で、どこに発生するか予測できれば、その警報は避難には大いに役立つだろう。

 先日、8月26日日曜日深夜、教育テレビ(Eテレ)の科学番組「サイエンスZERO」で、竜巻が発生する瞬間をとらえた映像が紹介されていた。発達する巨大積乱雲の中心から少し離れたところに竜巻のタネともいうべき回転渦がドップラー映像でとらえている(ガストフロントの発見。ドップラーレーダーによる発見=藤吉康志北海道大教授。ビデオ映像による発見=小林文明防衛大学教授)。

 もっとも、ごく大まかな竜巻のでき方はわかっている。つまり、

 広い領域にわたって中心に上昇気流のある発達した巨大積乱雲があること、第二に、上昇気流を回転させる異なる方向の風が吹き込んでくること

-という二つの気象条件が少なくとも必要である。

 ブログ子がボランティア活動をしている浜松科学館(浜松市)にも、この上昇気流と回転力を生み出す風の吹き降ろしで、見事な〝竜巻〟ができる人気の実験装置が展示されている( 写真 )。この装置では、下から出てきたドライアイスの上昇気流の中に立ち上る一本の太い渦巻きができる。異なる方向の風がぶつかってできる。

 しかし、実際の竜巻を詳しく観測してみると、決して、上昇気流のある積乱雲の中心部には竜巻は発生しない。かならず、そこから一定程度離れたところ、つまり周辺部に、しかも、複数できることが多い。そして、竜巻の大きさ(太さ)は、上昇気流の範囲より、一桁から二桁も狭い領域。直径約10キロの上昇気流に対し、竜巻の太さは数10ないし数100メートルである。このような基本的な違いがある。

 このことを考えると、科学館の竜巻発生装置は、上昇気流の存在と回転力の存在という原理を知るにはいいが、もう少し詳しく言えば、以下に述べるメソサイクロンができるメカニズムとしてはいいが、実際の竜巻の発生メカニズムを忠実に再現したものではないことがわかる。

 番組では、巨大積乱雲の中心部にできる急速に回転する上昇気流、メソサイクロンができることが、竜巻発生の第1の必要条件と紹介していた。これは、上空と地表で異なる方向の風が吹いていて、積乱雲が全体としてツイストする、つまりねじれることからできる。これはねじれているが、竜巻ではない。

 このツイスターの上空周辺部が冷えて、下降気流になる。それが地表で積乱雲の中心部に吸い寄せられる。もともとの上昇気流の近くで、再びゆっくり上昇する。このときの冷えた気流の上昇スピードは、もともとの中心部の暖かい上昇気流より、遅い。

 この中心部から少し離れた、しかも狭いところで、もともとの上昇速度と、地表周辺からめぐってきた冷たい気流の上昇速度の違いにより、小さい渦、これが先にとらえたガストフロント、つまり急速な横倒しの回転力を生む。このガストフロントが立ち上がって竜巻になるという。ガストフロントの発生が、第2の必要条件である。番組では、この瞬間をとらえた小林文明教授がビデオで紹介していた(解説ゲスト=新野宏東大大気海洋研究所教授 )。

 この様子を詳しく追跡したドップラーレーダー映像も番組では紹介されていた。ドップラーでとらえた研究者(藤吉教授)によると、このような竜巻のタネをとらえた映像は世界で初めてではないかと興奮気味だった。

 これが、竜巻の正体、つまり発生メカニズムだとすると、竜巻が地表に着地するかなり前、つまり竜巻の〝タネ〟=ガストフロントの段階で、ドップラーレーダーによる竜巻の発生予測ができるようになるだろうという気がした。

 まず、巨大積乱雲の中心部に、上空と地表の風向きの違いによって形成されるねじれたような巨大なメソサイクロンができる。これが竜巻発生の第一の必要条件。そして、いよいよ第二の必要条件であるガストフロントが中心部から少し離れた地表付近にできる。それが立ち上がってきたら、竜巻警報を出すという順序だろう。

 竜巻発生予測研究の重要なステップが解明されようとしていることを実感させるような番組だった。

 注記 

 アメリカ南部では、大小あわせて、なんと毎年1000件前後の竜巻が発生している(BS1 世界のドキュメンタリー「巨大竜巻の謎に迫る」2012年5月29日夕方再放送)。

 それによると、主に4月から5月にかけての2か月、アメリカ南部に竜巻が集中するという。その中でも史上最悪は、

 ジョブリン(2011年4月、アメリカ南部に発生し、甚大な被害。ジョブリンとは、被害の大きかったミズーリ州の都市名から付けられた)。

 アメリカでも、車に積んで移動、追跡できるドップラーレーダーが発生予測研究で活躍している。その様子が、このドキュメンタリーで紹介されていた。

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大量放射能漏れは東電の過失 これで刑事責任は問える

(2012.07.23/08.29)  原発事故に対する4つすべての事故調査委員会の最終報告書が出そろった。これらの報告書をつぶさに読んでみたが、一言で言うならば、

 大量放射能漏れは東電の重大な過失であり、これらにより業務上過失致死傷罪などで東電の刑事責任が問える

というものだった。

 Image9320 この件に関して、多数の福島県民が東電の役員や原子力安全・保安院の責任者らを福島地検に刑事責任を明確にしようと告訴・告発し、受理された。その代理人をしている河合弘之弁護士も同意見であることを知った。

 8月27日付朝日新聞朝刊「私の視点」( 写真 )で、

 今こそ検察が本格的な捜査に乗り出し、起訴にこぎつけるべきだ

と主張している。賛成だ。そのためには、

 なにより重要なのは免震重要棟と東電本店などを結んだテレビ電話会議の詳細な録音・録画だ。

としている。海水注入や最後の手段である格納容器からの排気がなぜ遅れたのか、その答えが詰まっているからだ。

 この現物は、先のBSフジの夜の討論番組「プライムニュース」(2012年8月22日)に出演した広瀬直己東電社長によると、膨大な量であるが、きちんと社内に保存されている様子を紹介していた( 注記 )。

 河合弁護士は、検察の力で強制的にでも入手する必要がある

と強調している。というのは、東電側は、映っている社員のプライバシー保護を理由に全面公開を拒否しているからだ。しかし、国家存亡の事故の処理をする人間は公的な存在であり、プライバシーうんぬんを議論する余地はないと河合弁護士はこの論考で述べている。その通りだと思う。

 今回の戦後最大の事故の原因には、昭和20年当時、終戦処理に当たった天皇を中心とする軍部や政治指導者の統治システムと同様な無責任さがあると指摘されている。この無責任さが終戦をずるずると何も決められないまま、数か月もの時間をいたずらに費やしたというのだ。今回も、これらの報告書から、決められない政府の危機管理体制、つまり無責任な危機管理がもたらした右往左往のもたつきが、とめられたはずのメルトダウンの連鎖や、その結果である外部への大量放射能漏れを引き起こしたのではないか。そんな問題点として浮かび上がっている。

 検察は、録画入手でこの大きな問題、巨悪にメスを入れるべきであろう。たとえば、いろいろな要因が重なって発生した組織事故で、特定の個人の責任が問えるかなど、いかにも専門家らしいテクニカルな法律論議で、国民の期待を裏切ってはなるまい。

 検察は、今年度内にも立件できるかどうか判断すると言うが、組織事故でも当然刑事責任が問えるという、検察の社会正義の姿勢を貫いてほしい。

  注記

  2012年8月30日付朝日新聞社会面によると、加工されていない原本のコピーについて、東京地裁で株主代表訴訟の原告側(代理人=河合弘之弁護士)と東電は、地裁の仲介と説得により

 東電のテレビ会議記録 原本コピー保管に合意

した。合意では、東電側は原本を捨てたり消去しない、原告側が提出コピーの改ざんの有無を確認できるようにする-などが盛り込まれたという。重要な証拠が保全されることになり、刑事責任を問う裁判でも、これで起訴が可能になるのではないか。

 コピーについては、事故当日の3月11日から同月末までの分で、コピーはDVD99枚とブルーレイディスク56枚にものぼる。原本をそのままコピーしたのは、東電側。

 補遺 2012年10月12日  福島原発事故の東電、「事故は対処可能だった」と不作為の責任認める

 CNN( http://www.cnn.co.jp/world/35023017.html )によると、

 東電自身が原子力事業改革のために設置した「原子力改革特別タスクフォース」で、東電は震災前に原発の安全性リスク、危険性を把握していたと証言した。しかし、海外の事例を参考に安全設備の多様化など対策を講じるとかえって反原発運動を勢いづかせる懸念があり、その結果、原発が閉鎖に追い込まれる恐れがあることから、危険性を意図的に過小に評価していたことを認めた。この会合には、広瀬直己社長や下河辺会長も出席していた。

 これは、事故の予見性と並んで、刑法の業務上過失致死傷罪の成立に必要な「事故の回避性」が可能であったことを東電は事実上認めたことになる。東電が刑事責任で起訴された場合、裁判ではこの証言は大きな影響を与えるだろう。 

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出合いの自由価格『天皇陛下 科学を語る』  神田古本屋街をゆく

Image936 (2012.08.28)  久しぶりに、東京・神田古本屋街をぶらついた( 写真 )。

  街全体から受けた印象を一言で言えば、少しずつ食べ物屋が進出している、あるいは食べ物屋に侵食されているというものだった。それでも、周りを超高層ビルに囲まれつつあるとはいえ、20年以上も前の落ち着いた雰囲気が、今もどうにか残っているのがうれしかった。

 ただ、本の売り方が大きく変化していることに気づいた。新刊書店なのに、店先にワゴンを出し、古本を販売している。新刊書が並ぶ店内の広いスペースにも堂々と古本商いをしている。

 さらには、新刊書店が店先に

 「自由価格本」

として割り引き販売をしていた。新刊書は、出版元のつけた定価で販売するのが、現行の再販売価格維持制度の下での書籍流通の原則。つまり、新刊書籍は、新聞同様、数少ない再販商品なのだ。

 この原則の例外が、古本と違って、一度も読者の手に渡っていないのに、割り引いて販売してかまわない自由価格本。出版社の意志により、指定された書籍に限り、売り手が自由に値付けができる。再販商品のように、定価で販売する必要のない、いわゆる非「再販」商品である。定価の4割引から7割引が相場らしい。

 こうなると、いつの日か、古本屋の店先に、新刊書がずらりと並び、定価で販売される、あるいは定価を割り引いて販売される時代が来るのではないかと思ったりもした。よく考えると、古本屋にとって、自由価格本こそ、それなのであり、すでにそんな時代が始まっている。

 道路に突き出たいくつかの古本屋の店先のワゴンには、古本の特価本・雑書・文庫本と並んで、一度も読者に渡ったことのない新本が自由価格本として売られていた。おそらく、その多くは版元に返本された「見切り本」が主なものなのだろう。

 Y書店のそんな自由価格本のコーナーに

 『天皇陛下 科学を語る』(朝日新聞出版編/宮内庁侍従職協力、2009年。定価2000円+税)

が並んでいた。確かに一度も読者に渡ったことのないような新本で、6割引の「特別定価800円」だった。講演や執筆原稿、ハゼの分類学に関する論文などが載っている( 注記 )。著者は明仁(あきひと)。略歴には、昭和天皇の第1皇男子として生まれ、「1989年、天皇即位」とあった。

 じっくり読んでみたい、そして、一期一会の本になればと、特別定価で買った。

 正直、こんな本まで自由価格本になるとは、旧人類に入るブログ子には驚きであるが、それほど再販制度は大きくゆらいでいる証拠でもあろう。あえて言えば、天皇の自由価格本の流通は、もはや再販制度という保護の時代の終わりを象徴的に告げているといえないか。

 本の定価とは、家電量販店にたとえれば、

 メーカー希望小売価格

に相当するものに変わろうとしているといえまいか。

 一方では、古本屋街の一角には「書物復権」と大書されたポスターが貼られていた。再販制度を守ろうという意味なのかどうかわからないが、書物の復権は、再販制度の徹底ではなく、はっきりと言えば、書き手の情熱がその紙にいかに込められているかどうかである。これをおいて書物の復権はない。古書店内の棚に並ぶ重厚な書物には、それが確かにある。これを書かずに死ねるかという著者の執念が伝わってくる。手軽に編集できる、手軽に入手できる電子書籍ではあっても、この執念かなければ、これまた手軽に捨て去られる。

 そう考えると、一生に一冊でいいから、情熱を込めた著作に出合いたいし、出版してみたいという気持ちになる。端的に言えば、理系の本にしろ、文系の本にしろ著者の人格を髣髴させる著作といえばいいかもしれない。古書店では、比較的に個人全集が大切にされているのも、このせいだろう。

 別の例を挙げれば、このブログでも紹介したが、亡くなる直前までの40年の歳月にわたって執筆を続け、資金繰りに苦しみつつ刊行した『ファーブル昆虫記』全10巻のような著作。進化論を否定したファーブルの鋭い観察と情熱がこの著作を不朽のものにしている。はたまた進化論を支持したシートンの一連の『動物記』全10巻もまた、動物行動学者の枠をこえたかぎりない愛情あふれる書物である。第一巻のピューマの遊び心、第二巻のオオカミの騎士道などは傑作だと思う。

 古書店とは、そういう著作と著者、あるいは執念に出会える「一期一会」の場であると思いたい。ひさしぶりにたずねた古書街でそう思った。

 そう考えれば、一度も読者の手に渡ったことのない自由価格本も、見切り本と切り捨てる必要はない。それなら自分がその値打ちを値踏みしてみようという新しい発見の楽しみも出てくる。その必要のない「古典」を読む場合にはない面白さだといえるだろう。

 自由価格本では、読者の眼力も試される。そんなつもりで、陛下の自由価格本を手に入れた。

  注記

 陛下の最初の論文は、この本によると、親王だった皇太子時代に学術誌「魚類学雑誌」に発表された

 「ハゼ科魚類の肩甲骨について」(1963年12月)

である( 論文での「甲」の漢字は、月へんに甲 )。海水にも淡水にも広く生息しているハゼの分類について50年近い研究歴をもつ生物学者であることを知る国民はそう多くはないだろう。しかも、公務の合間をぬっての仕事なのである。

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「心技体」の陸上男子100m ボルトの場合

(2012.08.25)  好事魔多し。ロンドン五輪のあとに、五輪の前に放送されたBS1のスポーツ・ドキュメンタリー

 世界最速の男、ウサイン・ボルト

というのを見て、つくづく、そう感じた。ものごとが順調すぎるときほど、ふと、魔がさす、思いもかけぬ失敗をする、まさかの事態が起きるという意味だ。

 陸上男子100mのボルト選手( ジャマイカ )は、2008年の北京五輪の金メダリスト。そして、2009年の世界陸上( ベルリン大会 )で、人類初の

 9秒58

の世界新記録で金メダル。実況アナウンサーの

 「また人類は速くなった」

との名言まで飛び出した大会だった。

 そして、2011年の世界陸上( 韓国テグ大会 )。スタートに苦手意識のあるボルト選手だったが、予選も準決勝も、おどろくほど見事なスタートで、最後は軽く流して決勝へ。順調な仕上がりに、金メダルは確実視されていた。本人はもちろん、冷静なコーチすら、そして多くがそう確信していただろう。

 だが、決勝で、本人すら予想しなかったフライングで一発で失格。「あり得ない」事態に試合、ボルト選手は直後半狂乱に陥ったらしい。

 番組で、このときのことを聞かれて、ボルト選手は

 「行け、との声が頭に鳴り響いた」

と語っている。修練に修練を積んできたが、最大の敵は自分だったと冷静に分析している。いわゆる油断から、あるいは過信から魔がさしたのであろう。あまりに順調だったので、集中力を欠いたのかもしれない。

 それでも、2012年のロンドン五輪の決勝では、スタートがわずかにほかの選手から遅れたものの、自信のある後半で巻き返し、結局、

 9秒63

で金メダルを獲得した。スタートの遅れには、おそらく1年前のテグ大会の悪夢が脳裏をよぎったことが影響していたのではないか。それでも、優勝したのだから、強靭な精神力である。

 カール・ルイス選手が、1991年の世界陸上( 東京大会 )で人類で初めて10秒00を切って、9秒86の世界新記録を出したときには、スポーツ科学の専門家は、9秒80前後が人類の限界だろうと予想した。しかし、その予測は、見事に外れた。今のボルト選手は、ゴールでルイス選手を2メートル以上引き離す計算になるのだ。

 今回のドキュメンタリーを見て思うことは、2020年までには、9秒50を切る日がきっと来るだろうということ。今のボルト選手をゴール近くで1メートルも引き離して優勝する。決して、それは荒唐無稽ではないような気がする。

 いや、このペースでいけば、9秒40を切る日が、ブログ子が生きている間にすら実現するかもしれないと思ったりもする。全盛期のルイス選手を4メートルも引き離して、ゴールする日だ。

 好事魔多しの格言を跳ね返し、選手が集中力を高めるなど、自分をいかにコントロールできるかにかかってくるのではないか。

 こうなると、100mは、もはや練習に耐える体力や素質、技術の勝負というよりも、つまりスポーツ科学の範疇というよりも、つまるところ精神力の強さが勝負を決める。 

 日本流で一言で言えば、100mは、「心技体」が三拍子そろわないと勝てない。

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不思議な感覚「逆さまの地球」          SFの新「トータル・リコール」のような

(2012.08.24)  仮に、ロンドンで、地下深く、地球の中心まで掘り進み、さらに、そのままドンドン地球の裏側までまっすぐ掘り進む。そして、ロンドンから、パチンコの玉を落とすと、どうなるか。

 おおよそだが、イギリスの首都、ロンドンから落下した玉は、中心までは加速して落下。その後、今度は反対に減速しながら、ニュージーランドの首都、ウェリントンの地表でピタリと止まる。ロンドンとウェリントンとは、そんな位置関係にあるということを〝発見〟した。

 おそらく、首都同士がおおよそ、こんな位置関係にあるのは、地球ではここだけだろう。なにしろ、南半球の地表はほとんどが海洋で、陸地と陸地の関係になっているのは地球全体の面積の数%らしい。ブログ子の暮らす浜松の〝真下〟は、ブラジルのリオの真南、1400キロの海上なのである。

 この自由落下時間というか、移動時間は高校物理程度で計算できるが、計算すると約20分。重力にただ乗りなので、燃料費はゼロとすばらしい。

 この原理を使った乗り物が、先にこのブログでも取り上げた

 公開中の映画、新「トータル・リコール」

に「ザ・フォール」という名で登場する( 写真。ただし、上下逆さまにしてある )。この映画では、イギリス付近にあるらしい富裕層が暮らす「ブリテン連邦」と、オーストラリア付近にあるらしい労働者が暮らす世界、コロニーに地球の人々は分断されていると設定されている。

  Image8892_2 この分断された二つの世界をつなぐ巨大エレベーターがフォールで、労働者は、毎日17分かけて、ブリテン連邦に通勤する。当然だが、地球中心では、すべての力がつりあって無重力状態になる。ここで上下が反転する。上と思っていたものが下に、今まで床だったものが、天井になるのだ。なかなか物理的にはよくできた設定になっていた。

 フォールとは、自由落下(フリー・フォール)からつけたのだろう、と映画を見ていたときに気づいた。

 映画はSFなのだが、この発想をドキュメンタリーとして描いたのが、

 「逆さまの地球」

という作品。先日深夜、NHK総合テレビで再放送されていた。なんでも、ドキュメンタリーの大家、ビクトル・コサコフスキー( ロシア )とNHKの共同制作らしい。

 上海の中心部の人ごみの真下には、アルゼンチンの荒野がある。ハワイの人気のない溶岩地帯の真後ろにはアフリカ南部、ボツワナの野生動物の群れが生息していたといった具合に映像を、それこそぐるぐる回転しながらつないでいた。

 だから、じっと見ていると、目が回りそうになった。とても不思議な作品だった。

 地球は丸いのだから、地表の営みを地球の中心から眺めるとどういうことになるかという発想は、SFにしろ、ドキュメンタリーにしろ面白いと思った。

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神の〝一撃〟以前                「無」の前の痕跡に迫る観測的宇宙論 

(2012.08.24)  Image926 ブログ子は、若い頃、大学で宇宙天体物理学を専攻していたから、最近の理論的宇宙論や観測的宇宙論の目覚しい進展には目を見張っていた。絵空事ではなく、宇宙論がりっぱに実証を旨とする科学になってきている。理論と観測がうまくかみ合うようになってきたからだ。そんな折、このお盆に、ふと目に留まったのが、

 いったい宇宙とは何であるのか

という「アエラ」( 2012年8月13日・20日合併号 )の記事( 写真 )だった。引き出しにしまってあった、いわゆる「ヒマだね」だと最初は思った。ありきたりな事実を並べただけの陳腐な、例によって例の如くの記事であろうと嵩をくくって、気楽に読み始めた。しかし、初めてこの記事のすごさに驚いた。

 宇宙の誕生時の「神の一撃」から始まった超加速度的な膨張宇宙のときに、その後の宇宙の一切が決定されていたというあまりに衝撃的な内容もさることながら、そんな難しい内容のこの記事を書いたのが、

 「ライター 長谷川 煕(ひろし) 」

だったことだ。もう今では御歳80歳に近いのではないだろうか。確か、朝日新聞記者だった人で、国際関係や戦争調査報道を一貫して取材していた記者と記憶している。平記者で退職して、20年にはなるだろう。

 確かに、一文にいろいろなことを書き込み、読みづらい文章だが、宇宙論の最先端で今何が論じられているのか、何が焦点となっているのか鋭く突いた記事になっている。しかも、

 観測的宇宙論の世界的なキーパースン、小松英一郎氏(37歳)

に、二度も取材している。あいかわらずの「足でかせぐ記者」魂は少しも衰えていない。取材前に慣れない宇宙論について、現代宇宙科学の3本柱など詳細に勉強していたことも記事内容から伝わってくる。

 その取材と理解の上で

 「この世」は、ごく宇宙初期に決定済み、そもそも無とは何か、時間と空間の揺らぎなのか、時間も空間もない無から宇宙出現までを記述するは刺激的な試み、そのとき誰が、あるいは何が、「この世」の物理法則を設計したのか、さらには、超加速度的な宇宙膨張の「前」の痕跡が、NASAの精密宇宙背景輻射観測(NASAの精密WMAP)データから今後見つかるのではないか、また日本もこの観測的宇宙論に資する衛星が近く打ち上げられる

ことや結論を多くの専門家の取材をもとに、科学的な則(のり)をこえないことに注意しながら、つづっている。 長谷川氏は、取材の動機として、前文で

 「現代の宇宙物理学の最前線に、根本的な疑問を投げかけてみた」

と書いている。表題の「いったい宇宙とは何であるのか」という宇宙論の壮大な疑問だ。ここに同氏の並々ならぬ執筆意欲が伝わってくる。この疑問にかなった記事冒頭の写真( 馬場岳人撮影 =上記写真 )も見事である。

 そう考えると、これは単なる科学記事ではないことに気づく。科学的な事実を踏まえた上質な哲学が語られている。だからといって哲学者にありがちなこけおどしの、意味不明な思弁とはまったくことなる科学的な態度で終始論じている。取材先が行き届いているなど、さすがは老練な文系記者が書いた科学論考だと感服した。読者の理解を助ける脚注もおどろくほどしっかりしている。

 最後に、この記事を読んで、

 この「わが宇宙」だけが唯一ではないかもしれない

という印象を強く持った。遠くのほうほど加速度的に宇宙は膨張しているというこの10年の観測結果、あるいは最近の「ヒッグス粒子」発見などとあわせて考えると、

 今、コペルニクス以来500年ぶりに宇宙論の大転換期を迎えている

ような気がしてきた。

 この夏、一番の読み応えのある科学論考に出合ったことをうれしく思う。 

 補遺

 宇宙誕生のごくごく初期のこの超急速膨張については、この理論の提唱者、佐藤勝彦氏自身による近著

 『宇宙はこうして誕生した』(株式会社ウェッジ)

がある。

また、

 『宇宙96%の謎』(佐藤勝彦、実業之日本社。2003年)

もカラー解説図が豊富でわかりやすい。

 Dsc00320 補遺2 2012.11.09

  BSプレミアムの「コズミック・フロント」で、11月8日夜

 素粒子が解き明かす宇宙の始まり その1秒間

というのを放送していた。ビッグバンでヒッグス粒子などのクォークが創生されたが、その前は

 宇宙のインフレーション

だという話。真空のエネルギーが倍々ゲームで膨張し、ビッグバンに。

 ここまでは、ブログ子もなんとか理解したが、この番組は驚くべきことに、その前にまで言及していた。

 つまり、インフレーションの前は何だったかという問題。宇宙誕生の10のマイナス44乗秒以前のことを現代物理学がどうとらえているか、解明して見せていた。

 番組の話。

 宇宙は「無」から生まれる

という。時間も空間も存在せず、また真空のエネルギーすらも存在しない世界。そこは、時間と空間が生成したり、消滅したりしている「ゆらぎ」の世界だというのだ( 写真下= テレビ画面から )。

 番組では、米タフツ大学のアレキサンダー・ビレンキン教授が登場していた。こうした「無」の泡は、ワイングラスの中のシャンパンの泡のように、無数にあるらしいことがそれとなく言及されていた。ボトルにはなかった泡がグラスに注がれると泡がこつ然と現れるように、時空のゆらぎをすり抜けて、こつ然と「無」から時空が立ちあらわれてくるというのだ。

 そう言われると、なんだか、われわれの宇宙以外にも、無限の数の宇宙、泡があるような気もしてくる。

 ひょっとすると、そのシャンパンを悠然と飲んでいるのは、「神」かとも思う。とすると、神は何を祝っているのだろう。

 もしかすると、それは泡のなかに誕生した人類かもしれない。

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もう一つの「原発のできなかった町」珠洲     告白的ジャーナリズム論

(2012.08.22)  終戦記念日の深夜、NHK総合テレビでずいぶんと遅い深夜、偶然に

 模索 原発のできなかった町

という番組を見た。中部地方だけの地域番組の再放送なのだろう。模索とは、過疎地に暮らす住民の豊かさへの模索という意味だ。

 三重県大紀町錦と南伊勢町古和浦地区に、1960年代、中部電力によって計画され、約40年近い住民反対運動の末、結局撤回された芦浜原発計画の一部始終を映像化したものである。

 浮かんでは消え、消えてはまた浮かんだこの計画がたどった軌跡を一言で言えば、静岡県御前崎市にできた浜岡原発(1号機=1976年営業開始)の〝裏面史〟といえるだろう( 注記 )。そしてまた、芦浜裏面史のそのまた裏面史といえるのが、1975年に計画が中部電力によって公になった能登半島突端の珠洲原発計画(石川県珠洲市高屋地区)における28年の軌跡であろう。名古屋経済圏に近い芦浜の原発計画の、仮の、あるいは予備の計画という意味である。

 その珠洲原発計画は、まったく芦浜と同様、立地地形がそっくりであるばかりでなく、突然の計画撤退の結末、つまり住民の絆をずたずたに引き裂くという無情な結末に終わったという点でもまったく同じであった。

  ただ、違うのは、撤退時期と撤退の原因である。

 芦浜計画の撤退(2000年)では、前年の1999年秋、東海村臨界事故が起きる。2人の作業員が急性放射線障害(多臓器不全)で死亡したのが、決定的だった。

 一方、珠洲原発の撤退(2003年)では、名古屋経済圏に送電するには送電ロスが大きいという難点がもともとあった上に、2003年から電力の自由化が本格化しはじめ、電力会社に余力がなくなったことが大きい。本格的な調査に一度も入ることなく、撤退するという事態自体に追い込まれていった。

 1990年代、ブログ子は珠洲原発の高屋地区を何度も取材で訪れていた。芦浜の地区にも一度取材に出向いていた。しかし、上記のような構図があるとは、推進派だったブログ子も当時ほとんど気づいていなかったことを正直に告白しておきたい。

 むしろ、珠洲原発計画は、能登半島中部にある北陸電力の志賀原発(1号機= 1993年営業開始)に建設や増設、稼働をめぐる反対運動が集中させないようにするための〝弾除け〟、あるいは風除けという見方をしていた。電力会社のカモフラージュ作戦であり、本気で建設するつもりなどないとみていた。

 今から思うと、表面的な理解だったと思う。中部電力は二つの計画とも必死だったのだ。とりわけ、名古屋圏に近い芦浜には力を入れていたと思う。

 1970年代半ばに浜岡原発ができたこともあり、1960年代の計画をいったん白紙に戻したものの、10年後の1990年代にはふたたび計画が持ち上がる。それが臨界事故の影響で2000年に撤回。

 それから10年後、2011年2月にも、原発の発電比率を10%台から50%以上にすることを目指して、3度目の芦浜原発計画が中部電力から持ち上がる。芦浜地区の原発予定地は中部電力の所有地であることからも、芦浜に電力会社がいかに強い関心をもっているかがうかがえる。

 そして、この直後の3月、東日本大震災が発生する。

 原発のできなかった町の裏面史に共通するのは、

 模索と翻弄の歳月

だったこと。しかし、その歳月は今、無駄ではなかったことが証明された。翻弄は終わったが、豊かさへの住民の模索は続くけれども。

  注記

 浜岡原発では、原発のあるところから、ほんの鼻の先に

 市立御前崎総合病院

がある。浜岡原発が稼働して10年後、1986年に開院。現在では20以上の診療科目が受診できる。豊かさの象徴だろう。

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静岡藩 ? そんなのあったっけ

(2012.08.21)  定年後、静岡県に引越ししてきて丸3年のブログ子だが、

 駿府藩

という徳川家康の藩があったことは、歴史好きということもあり、知っていた。家康のいわゆる大御所政治の舞台であり、

 出身地の三河、遠江、駿河、甲斐、信濃の5国

からなる大藩。いずれも家康が戦国武将として実力で奪い取った領地であり、駿府城(静岡市)は大御所政治の象徴だった。家康死後は、幕府領に替わり、それぞれの藩には城代が置かれ、幕末、明治を迎えたらしい。

 では、幕末から明治の混乱期、つまり、明治維新(明治元年= 1868年)、版籍奉還(明治2年)、廃藩置県(明治4年)で幕府が崩壊した後、

 どのような経緯で今の静岡県になったのか

という疑問が出てきた。

 きょう8月21日は、静岡県が明治9年に誕生した記念日

なんだそうだ。県の「県民の日」カラーパンフ( 写真 )によると、現在の静岡県は、

 Image924 幕末に、浜松藩などの遠州、沼津藩などの駿河、韮山代官領などの伊豆の3国に分かれていた。それが、明治4年の廃藩置県で、それぞれ浜松県、静岡県、足柄県となった。それらが、明治9年相次いで合併して、現在の静岡県になった。

 なるほど、と理解した。

 しかし、幕末の3国から、明治維新後の版籍奉還(明治2年)、さらに廃藩置県(明治4年)まではどういう変遷をたどったのかについては、パンフでは省略されていることに気づいた。

 『日本史辞典』(角川書店)で調べてみて、驚いた。静岡県には、ほかの県では考えられないようなことが起きていたのだ。土地と人民を朝廷に返還した版籍奉還の前、つまり、

 明治元年に、遠江、駿河の70万石という、新しい藩(駿河府中藩、のちの静岡藩)

ができた( 注記 )。これらは徳川家康のもともとの領地だった上記の5か国のうちの東海地方の国だ。言い換えると、これらの国は家康の、あるいは徳川家の本拠地、金城湯地なのだ。

 何のための新藩か。

 それは、江戸城明け渡しの明治維新で徳川将軍家だった徳川宗家、具体的には徳川慶喜の行き場がなくなったので、急遽、新しい藩をつくり、そこに江戸から家康以来の〝里下がり〟をさせるためだったと考えられる。旗本たちの多くも不承不承、徳川慶喜に付き従って新藩に移住するようになったわけだ。

 次いで明治2年の版籍奉還。このときこの新藩の藩名が、「府中」という言い方がまぎらわしいからか、ともかくどういう経緯でなぜ改称されたかは知らないが、「静岡藩」に改称。ここに初めて「静岡」という地名が登場する。

 そして、明治4年の廃藩置県で、先ほどの3県、つまり浜松県、静岡県、足柄県が誕生する。

 結局、駿河府中藩時代を含めても静岡藩が存在したのは、維新の明治元年から、廃藩置県の明治4年までのわずか4年足らずということになる。藩名として静岡藩が正式に使われたのは実質、わずか2年だった。

  最近は、静岡県を県民は「ふじのくに」と称しているが、以上の激動を静かに見守ってきたのであろう。

 最後に、静岡県に苦言を一言。せっかくの、りっぱなカラーパンフなのに、解説は半ページと、ほとんどこうした県誕生の踏み込んだ歴史的な記述がないのを残念に思う。県の「ふじのくに」ホームページには詳細が書かれているが、パンフでもせめて見開き2ページで解説してほしかった。パンフの中身がほとんど施設紹介、イベント紹介に終わっていては、それも大事だが、もったいない ( 7万部印刷、一冊 11円 )。

  過去の歴史を知ることは、県内の地域の県民意識の違いを理解するもとになる。そのことはそれぞれの地域の文化を大切にしようという意識につながる。「ふじのくに」づくりは、観光客のためだけでなく、県民のためのそんな地道な取り組みであってほしい。

 注記

 2010年12月に静岡市で開催された「徳川家と静岡」展には、

 駿河府中城主70万石下賜沙汰書(原本、慶応四年=明治元年の日付)

が展示されていた。所蔵者は徳川記念財団。また、慶喜のあとの宗家を受け継いだ徳川家達(いえさと)宛ての

 静岡藩知事任命書(原本、明治二年六月)

も展示展示されていた(徳川記念財団所蔵)。これで、静岡藩の発足は、このときであるとわかる。

 さらに、同財団からの特別出品として青銅製の大きな

 駿河藩印

も展示。明治元年につくられたという。

 明治元年の駿河府中藩から、明治二年六月に静岡藩と改称、そして明治四年の廃藩置県で静岡県へと変遷していったことが、この展示でわかる。

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モグラたたき大明神 ビートルズとは何だったのか

(2012.08.20)  BSフジの2時間徹底討論番組「プライムニュース」を時々みていたが、最近は、ちょくちょく見るようになった。月曜日から木曜日までは政治・経済などの硬派が中心テーマ。金曜日は、ガラッと変わって肩のこらない軟派系の趣向。

 これが意外にも、出演者やゲストの本音が出ていて、あるいはざっくばらんな意見が出ていて面白い。金曜日の夜というリラックスムードも手伝っている。先日は、

 ビートルズとは何か

について、論じ合っていた。メンバーが固まった1962年8月からこの8月で50年という節目での総括をしようという狙いらしい。

 ゲスト出演していた佐藤良明さん(東大名誉教授、アメリカ文学、ポピュラー音楽)が最後にこのテーマにズバリ答えていた。

 せん滅するのが難しい「モグラたたき大明神」

というのだ。クラシツク界から、何だかんだと、たたかれても、たたかれても生き延びて、そのたびにかえって支持者を増やし、ポピュラー音楽全盛期をつくりだしてくれた大恩人というわけだろう。見事な総括だと感心した。ポピュラー音楽とは善であるというのが教義だと了解した。

  毎日新聞は、8月2日付で社説「美しく常識を破った」をかかげているが、大明神説に比べれば的外れとは言わないまでも、衒学的であるように思った ( 写真 )。

 また、佐藤さんは、1960年代のあの大フィーバーの原因は

 どこの国でも普通のお嬢さんが飛びつけるスマートで清潔感のあるバンド

であったことに秘密があるとも指摘していた。

Image80050 精神的な清潔感である。不良ではない。プレスリーやマイケル・ジャクソンには、この清潔感がない。その違いだというのだ。だから、当時の親たちは安心して、その熱狂を見ていられたのだという。確かにビートルズの一面を言い当てている。何しろ、女王陛下ですら、彼らに「サー」を贈ったぐらいなのだから。

 ビートルズ世代のブログ子が、ビートルズとは何かに一つ加えるとすれば、

 当時の世相を反映し、「ちょこっと左翼」だった

ということだ。ブログ子が大学生だったときの1968年8月に発表した

 「ヘイ、ジュード」

などは、その典型だろう。反戦歌と言っても、居丈高に反戦を叫ぶのではない。また、革命支持の歌といっても、声高に革命を叫ぶでもない。暗さもない。毛沢東なども軽くからかっていたりする。それが息長く、そして広く世界の人々に共感をもたらした理由だ。歌の持つ力であり、モグラたたき大明神といわれる所以でもあろう。

 かれらをそういうように仕向けていった

 「五人目のビートルズ」とも言われるプロデューサー、ジョージ・マーティ

の存在を忘れてはなるまい。ビートルズの幸運は、イギリス紳士の典型であるこの人を得たことにあったと思う。

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合格点は中日新聞 「終戦」社説を読む

(2012.08.20)  8月15日付朝刊の各紙「社説」を読んでみた。陳腐ではない明確な主張があるか、新しい視点が提示されているかという二つの評価基準で採点した結果は

 合格点は中日新聞のみ

という結果になった。基準のいずれにも当てはまる。次いだのが、朝日新聞、産経新聞だった。あとは、評価の基準をいずれも満たさず「落第」。

 中日新聞。

  未来世代へ責任がある 戦争と原発に向き合う

というのが主見出しであり、主張である。8月というのは、原発事故後は戦争と原発に向き合う月となったという視点を提示している。先の戦争と、今回の戦後最大の惨事は、その無責任な統治機構という点からは似ているという指摘があり、新しい視点である( 注記 )。

 主見出しに出てくる「責任」とは、社説が「脱原発こそが、われわれの未来世代に対する倫理」であり、「原発ゼロの選択の勇気と気概、覚悟」が要ると主張していることから、この覚悟を指すものと考えられる。

 つまり、勇気や気概、覚悟にわたしたちは今後ずっと責任を持とう

と呼びかけている。読者を叱咤激励した社説になっているのは評価できる。

 週刊誌だが「週刊金曜日」8月10日号は、「敗戦」特集として

 原発と原爆

を特集している。闘いつづける老写真家を取り上げ、「ヒロシマからフクシマへ」を論じている。ブログ子は支持しないが、一つの見識だろう。

 朝日新聞。

 戦後67年の東アジア グローバル化と歴史問題

 韓国大統領の突然の竹島上陸を取り上げているが、主見出しで何を主張しようとしているのかはっきりしない。「何々と何々」という言い方は、主張すべきことがない場合に、体裁をつくろい、形を整えるときによく使われる論説専門用語である。

 案の定、結論は陳腐。歴史問題で「大事なことは、基本的な事実認識を共有しながら、相互理解を深めることである」とサジをなげている。具体性のないことはなはだしい。

 産経新聞は威勢がいい。

 終戦から67年 英霊に顔向けできるか 平和と繁栄守る「強い国家」を

として遺骨収集をもっとしっかりやれと政府をしかりつけている。上陸問題にしても何にしても国が体たらくだからだ。その象徴が収集問題なのだと主張している。他紙とは一味も二味も違う。視点は相変わらずだか、陳腐ではない明確かつ具体的な主張がある。

 読売新聞はひどい。

 「史実」の国際理解を拡げたい 日本の発信・説得力が問われる

 何を主張したいのか、これだけではわからないが、どうやら、上陸問題では国際司法裁判所に堂々提訴しろと言いたいらしい。それにしても、主見出しは、陳腐そのもの。主人持ちの論説委員ではこれが限界だろう。

 毎日新聞は

 終戦記念日に考える 体験をどう語り継ぐか

 上陸問題を取り上げてはいるが、かろうじて、これまでの毎日新聞の殻を破って

 「自虐史観ではない、バランスある成熟した議論作り上げたい」

としている。陳腐のきわみだが、毎日新聞としてはずいぶん踏み込んだつもりなのだろう。

 日経新聞。

 経団連広報誌なのだから、当然、終戦日社説は半分社説で、主見出しは、なんと、

 「いつか来た道」にならないために

 恐れ入った事大主義的な主張で恐れ入る。上陸問題はおろか、最近の領土問題に一切触れていない。そうならないためには「歴史に学ぶ姿勢を大事にすべき」とは、なんともはや陳腐な結論。何も主張することがないから、苦し紛れに書いたのだろう。50年前に掲載された社説といっても、通用するだろう。ひどい。

 地元紙の静岡新聞。 

 終戦の日 歴史に学び誓い新たに

 原発事故に一言も言及していないのは異様。これまた50年前の社説をそのままコピーしたと言っても、通用するような社説。新しい視点はもちろん、陳腐ではない明確な主張のない社説の典型であり、びっくり。

 それくらいななら、北國新聞のように、終戦社説を掲載しないというのも、ひとつの明確な主張であり、見識であろう。地元に根付いた地ダネ社説が掲げられていたのに、むしろ好感を持った。

  注記

 戦争最高指導者会議など、終戦をめぐる天皇と最高指導者たちの間の無責任な統治機構は

 終戦を早く決められなかった大きな原因

となった。8月ではなく、ソ連参戦の情報をつかんだ6月、日本は、その気になれば終戦を決定できた。しかし、現実は、ずるずると、何も決められないで日時を費やすことになった。

 一方、戦後最大の大惨事となった原発事故では、政府の危機管理システムは、

 メルトダウンの連鎖を早くとめられなかった原因

となった。無責任といえるほどに、混乱を極め、危機管理のシステムがまったく機能しなかった。このことは、政府が終戦処理をめぐる外交交渉の失敗の教訓を今も何も学んでいない証拠だろう。

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映画「トータル・リコール」とは何か ? 原作を読む

(2012.08.20)  「我思う、ゆえに我あり」と言ったのは、近代哲学の父、ルネ・デカルト。自己を確認した安心感が伝わってくるが、この言葉は主著『哲学原理』に載っている。

 お盆休みというので、公開中の映画、新「トータル・リコール」を見に出かけた。SF作家、P.K.ディックの短編小説『記憶売ります』( 邦題 。原題= We Can Remember It for You Wholesale 。注記 )が原作。

 Image886 今の自分の記憶は、誰かに人工的に脳の中枢部に植え付けられたものではないのか、と思い始めた男の物語である。今の自分は仮の姿であり実在せず、もともとの本当の記憶を持つ自分は別にいるのではないか。そんな自分探しに出かけるSFアクション映画 ( 写真 )。

 映画を見た感想を一言で言えば、そしてアクション部分を取り去って述べれば、

 「我思う、けれども我とは果たして何者なのだ。ゆえに我あり、といえるのか」

という、自己確認できない恐怖感だった。言い換えれば、今ここにいる自分とは何者か、確かに実在するといえるのか、その場合の実在とは何なのか、そう考えている自分という存在の不確かさには、デカルトのいうような安心感がまるでない ( 補遺2 )。

 植えつけられた記憶がもし、本物の記憶以上に精緻であり、記憶を裏付ける証拠現物が手元にあるとしたら、どうなるか。

 それでも、自分の脳に蓄えられた記憶は、自分のものかという問いかけである。単純に「我思う、ゆえに我あり」とはいえないのではないか。我思うの我とは、考えている自分。我ありの我とは、自分の脳。心と肉体の分離の世界が描かれているのだ ( デカルトは、心身合一論者 )

 騒がしいアクション部分を取り去って考えると、そんなことを考えさせる哲学的な映画だった。

 トータル・リコールとは、完全なる( トータル ) 回想 ( リコール )

という意味である。本物以上に細部鮮やかな消えることのないリアルさ、現物の裏付けもある記憶、つまり、完全なる回想という意味を込めて映画タイトルをつけたのだろう。

 これは、前作、今回作の監督に共通した隠されたメッセージである。小説の原題の意味をよく咀嚼して、短くズバリと表現した。こうしたことは、映画だけをみていたのではわからない。ブログ子は、原作を読んで初めてわかった。

 もう一つ、映画を見ていて気づいたことがある。レン・ワイズマン監督は、明らかに

 バーチャル電脳空間映画「マトリックス」( ウォッシャウスキー兄弟監督、1999年)

を意識していたということだ。マトリックスは、今ここにいる自分はバーチャルで、実在は別のところにあるという逆転世界を描いている。マトリックスでの電脳空間での有名な戦いのシーンが、トータルリコールでも、地球中心部の無重力空間という場で演出されている。

 これは明らかに、監督からのもう一つの隠されたメッセージ

であろう。今見ているシーンは、マトリックス同様、現実ではない、バーチャルである

というメッセージだ。

 最後に一言、映画解説、批評への辛口批評。

 日本の映画批評は、あまりに幼稚である。批評とか、解説の名に値しない。思わせぶりな単なる宣伝文句の羅列に堕している。それだけではなく、ぐだぐだと饒舌なわりには、中身がほとんどない。十分映画の内容を理解していない証拠だ。

 映画批評家を含めて映像大好き人間のレベルの低さと言ってしまえばそれまでだが、もう少し知性のあるきちんとした解説、批評文化があってもいい。「ネタばれ」になるのでという言い訳で、自分の表現力不足、能力不足をごまかしてはならない。

 映画は文化度をはかるバロメーターである。映画の魅力アップや批評力を上げるには、映画の質を上げることもさりながら、解説する、批評する人を含めて映画ファンの知性のレベルアップが必要である。この映画をみて、つくづくそう思った。思わせぶりで、解説がずさんだった。

 結論。現状では、日本には映画批評文化は事実上存在しないと言い切れる。せいぜい映画産業に隷属したごく程度の低い妾文化の段階といえよう。こういえば、お妾さんのほうが「バカにするな」と怒るかもしれない。

   注記

 入手では、ハヤカワ文庫SFの中のディック短編集「トータル・リコール」が便利だろう。原作は、なんと1960年代に書かれたもの。

  補遺

   SF映画「アバター」(ジェームス・キャメロン監督、2009年)は、記憶をいじるのではなく、逆に、記憶はもとのままに、分身(アバター)をつくりだし、その分身に自分のDNAを改変して超肉体をつくりだすという物語。

 「トータル・リコール」は普通の人間の姿ばかりなのに対し、「アバター」は人間の物語なのに人間とは似ても似つかない超人間(心は人間)ばかりが登場するという構図の違いがある。

  補遺2

  この疑問をさらに延長していくと

 脳を考えているのは脳であるという唯脳論

に行き着く。ちくま学芸文庫『唯脳論』(養老孟司、1998年)は、この分野では、解剖学者の画期的な著作である。脳を外科移植手術でほかの人のものと取り替えると、手術から目覚めた人はどうなるか。一読をすすめたい本だ。トータル・リコールの世界の深遠さにも気づくだろう。

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科学者の過失は問えるか            イタリアのラクイラ地震「安全宣言」裁判

(2012.08.19)  日本では地震に伴う福島原発事故で、東京電力の刑事責任(過失致傷罪)を問う福島市民の告訴が福島地検で受理された。今、イタリアでは、高名な複数の地震学者が過失致死罪にあたるとして訴えられている。予知が十分できたのに、あろうことか、起きないという「安全宣言」を出したからだというのだ( 補遺2 )。

 ローマ北東部のラクイラで起きたこの2009年3月の地震については、在野の地元地震学者が地震学的なデータ(地中のラドンガスの増減測定値)を示して具体的に予知し、しかも地元に警告していた。これが見事に的中したから、大騒ぎになったらしい。それでなくても群発地震に市民は不安をいだいていたのに、多くは「安全宣言」で一様にホッとして、家の中にいたら、予知どおり、大地震が起きた。しかも、このラクイラは歴史的にイタリアでも大地震がしばしば起きる地震地帯であったから、事は、科学者の不注意もはなはだしいと余計に問題化した。

 数か月前から数百回にものぼる群発地震が続いていた。しかも、民間とはいえ具体的なデータを示した予知警告もあった。なのに、よく検討もせず、当然払うべき注意義務を怠ったのは、予知はできないと思い込んでいた学者も、学者の見解をもとに安易に安全宣言を出した行政当局もけしからん、怠慢この上ないというわけだ。先日夜のBS1ドキュメンタリーWAVEでも取り上げられていた。

 前代未聞というよりも、国の安全宣言が外れたからといって、いくらなんでも過失で科学者を裁判に訴えるなんて無茶な話であり、ブログ子は何かの間違いではないかといろいろネット上を探してみた。ところが、なんと「ネイチャー」電子版(2011年9月14日号)も、

 http://www.nature.com/news/2011/110914/full/477264a.html

で、詳細に裁判での科学的な論争や問題点を取り上げていた。

 少し長かったが、読んでみた。読んでみて、事は最初に考えたほど単純なものではないことに気づいた。以下、ブログ子が気づいた3つの問題点を取り上げてみたい。

 一つは、いくら市民の動揺を抑えたいという善意からとはいえ、二者択一の安全宣言を出した国やそれに利用された、あるいは加担した科学者の対応は責められてしかるべきであるということ。現時点で科学的には、二者択一、つまり、できるともできないとも白黒はっきりしない地震予知について、どこをどう間違ったか、あえて二者択一した責任は重い。訴えた市民勝訴の可能性があるのではないか。少なくとも、門前払いのような全面敗訴はあり得ないだろう。

 二つ目は、民間の地震学者 (ジュリアーニ氏) の予知の根拠となるデータは、科学的に合理的な根拠があったこと。地震発生直前に、地中のラドンガスが増加するかどうかを検知するものであり、決していかがわしいものではない。

 地下の岩盤が破壊されるとき、ひずみからラドンが出ることはよく知られている。ラドンガスが巨大地震の発生前に、岩盤のひび割れから地表に出てくることは、今回の東日本大震災でも確認されている。地中から空に噴出した荷電ラドンガスが上空の電離層に変化を引き起こす。東日本大震災では、その様子を日本のGPS衛星ははっきりとらえていた。

 Image798 たとえば、この非地震学的な現象は、千葉大学の服部克巳教授が3次元上に再現している。大震災が起きる3日前ぐらいには東北三陸沖の上空には、岩盤のひずみから出てきたラドンガスが上空にたまり出し、電離層に影響を与えている。阪神大震災(1995年)でも同様だったという ( この件については、「週刊新潮」の「サイエンス宅配便」を担当する科学ライター、竹内薫氏の2012年8月9日号記事( 写真 )が参考になる )。

 地震の予知は、非地震学的な観測で、もしかすると可能かもしれない。予兆は、地下ではなく、上空にでる。そんな期待がふくらむ。

 イタリアの民間地震学者はこの方法を10年以上前から採用し、予知につなげていたらしい。しかし、この方法は、いまだ世界の地震学界では一部でしか有力視されていない。日本では、この方法を支持している大物地球物理学者に上田誠也学士院会員(東大名誉教授)がいる。

 そんな中で、裁判が起きた。いや、こういう状況だからこそ裁判が起きたのだろう。家族を失った市民はあきらめきれないのだ。予知などできない、今回たまたま的中しただけに過ぎないと、簡単には門前払いできない事情が裁判にはある。

  三番目は、逆に、巨大地震は予知できると言っていたはずなのに、今回の東日本大震災ではまったく不意打ちとなり、予測できなかった東北大などの地震予知研究者を、注意義務を怠った過失致死罪で裁判に訴えることはできるか、ということ。予知できると思っていたのは、私たち地震学者の根拠のない「思い込み」でした、意図的ではないにしろ結果的にウソをついたことになりすみませんでした、という風に倫理違反ですまされるか。

 日本の裁判では、刑法の過失致死傷罪が成立するためには、原因と結果に因果関係があることを具体的に証明することはもとより不可欠。その上で、原因の予見性があり、かつ、致死傷という結果を招かない回避策があったことを検察は具体的に証明する必要がある。十分予見できたのに、注意義務を怠ったがために回避できたはずの対応が取れず、多くの犠牲者が出た。それは科学者の重大な過失のせいである、と裁判所に納得させることができるかどうかである。

 こう言い換えてもいいだろう。イタリアの場合は、「安全宣言」という積極的な作為が問題になっている。これに対し、日本の場合は、できると言ったのに、何の注意情報も出さなかったという「不作為」が、倫理違反であるばかりか、刑法違反でもあるのかどうかという問題だ。

 医療過誤をめぐる薬害エイズ裁判では、この不作為が医師にも製薬企業にも問われた。一審の東京地裁判決では、予見性も回避性もあったとして医師でもあるエイズ研究者が有罪判決を受けている( 企業に対しても有罪判決が確定している )。

 こうなると、イタリアの裁判の行方次第では、つまり、訴えた市民のなんらかの主張が認められるなど勝訴すれば、日本でもウソをついたという倫理違反ではすまされないことになろう。日本の地震学者がこの裁判に少なからず注目しているのは、この恐れがあるからだ。

 Image1032 ラクイラ裁判の判決は、早ければ、この秋にも下されるという。久しぶりに科学裁判のあり方がクローズアップされており、また、東海地震の警戒宣言の出し方、あり方など社会に与える影響の大きいところから、注目したい ( 補遺 )。予想では、裁判所から、科学者たちへ何らかの警告メッセージが発せられるように思う。

  補遺

 地震発生時の速報「この地震による津波の心配はありません」という津波安全宣言の出し方にも、判決の結果次第では影響するだろう。

  補遺2

  2012年9月27日付朝日新聞には、続報として、科学者らに

 地震予測に失敗 禁固4年を求刑

という外電記事が出ている( 写真下 )。判決は今年中にも出されるというが、裁判官は、どういう判断をするか、注目したい。

 補遺2 2012.10.23

  驚くべきことだが、国(市民保護局)の防災委員会の科学者ら7人に対し、裁判所はこの検察の求刑を上回る

 執行猶予なしの禁固6年の実刑判決

を、10月23日に言い渡したと外電は伝えている。イタリアの有力紙も

 「驚くべき判決」

と、大見出しで伝えているらしい。もちろん、過失致死傷罪に問われた科学者たちは控訴。

 300人以上の犠牲者が出たのだから、という理由にしても、執行猶予がつかないのは、お国柄なのか。それとも、行政に対する市民の怒りがあまりに強すぎたのか。

 これでは、日本でも、東海地震などで警戒宣言は出せまい。出すこと自身はそれほど問題ではないが、いつかは解除しなければならないからだ。しかし、これが安全宣言となり、もし直後に地震が発生した場合、判定会の地震学者や、判定会の具申に基づいて警戒宣言解除を首相に進言した気象庁長官が、当然払うべき業務上の注意義務を怠ったとして、刑法の過失致死傷罪に問われかねない状況になる。

 この意味で、この控訴審に注目したい。

 補遺3  2012.10.30

  補遺2で、

 「これでは、日本でも、東海地震などで警戒宣言は出せまい」

と書いたが、だからなんだということは、書かなかった。

 この点について、10月29日付朝日新聞は、社説「地震と科学」で、このイタリアの事件を取り上げている。2012年10月の函館での日本地震学会の

 「地震予知は困難」

との学会としての統一見解もからめて、次のようにこの社説は締めくくっている。

 「政府と国会は、東海地震の予知を前提とした(現行の)大規模地震対策特別措置法の改廃を急がねばならない」

 正解であろう。問題は、イタリアの事件にとどまらないことを指摘した点で、大変に鋭い。

 また、「予知は困難」という見解は、15年前、すなわち、阪神大震災後の国の

 測地学審議会地震火山部会 

 「地震予知計画の実施状況等のレビュー(報告)」(1997年6月)

でも、すでに示されている。この見解は、それまでの30年間の総括をした上でまとめられたものであることを考えると、断層地震でも、またプレート型地震でも予知はきわめて困難というのが、現在の学問水準での結論であろう。

 この上に立つならば、特別措置法の前提が崩れたことを意味するものであり、見直しを急がなければ、かえって危険ということになろう。

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脱原発のコスト 1世帯平均年1万円を10年

(2012.08.07)  野田総理が、ついに脱原発、つまり、このまますべての原発を再稼働せず原発依存度ゼロにした場合、各電力会社や世帯、企業に与える影響など、幅広くその課題と問題点を検討するよう、経産相などの関係閣僚に指示した。

 このブログでは、脱原発の1世帯当たりコスト、

 つまり、電力会社に支払う電気料金の負担増と、所得税相当の負担増

を具体的に、弾き出してみた。ブログ子は、現在浜松市に暮らしているので、中部電力から毎月送られてくる

 電気ご使用量のお知らせ

の「電気料金」および、中部電力がこの4月に公表した

 平成23年度( 昨年4月から今年3月まで ) の連結決算報告

をもとに算定した。中電は、この一年、すべての浜岡原発を停止した。このため、報告によると、原発から火力発電に切り替えたことに伴う燃料価格の上昇分は604億円であった。このことに注目する。

 詳しく述べる前に、その結論を先に言えば、

 脱原発コストは、依存度ゼロの態勢が整うのに10年かかるとして、その間、標準的な世帯の電気料金の負担増は平均で年1万円。

 この管内の電力会社に支払う負担増のほか、国に収める税金の負担増には、

 概算で、サラリーマン1人当たり、支払う所得税額に換算して平均1%程度アップ

がある ( 総額では2000億円 ) 。

 これらの負担を重いと思うか、軽いと思うかは、世帯それぞれの事情で異なると思う。しかし、今こそ脱原発の好機と考えれば、この平均的な負担はそれほど重いとはブログ子は考えない。

 情緒的な反対から抜け出し、この負担で、脱原発の着実な一歩を踏み出したい。国民にもそれなりの覚悟が要る。

 さて、脱原発に伴い、電力会社に支払う電気料金の負担増を試算してみる。

 その負担増には二種類ある。まず、先に述べた原発を止めることに伴う燃料費のアップ ( 中電の場合、年約600億円 ) であり、もう一つは、太陽光発電や風力発電など再生可能エネルギーの固定価格買取制度(この7月にスタート)による電力会社の、いわゆる「逆ざや」負担分の電気料金への転嫁がある。

 この逆ざやの顧客への転嫁負担については、この8月から、ご使用量お知らせに

 再エネ発電促進賦課金 (単価=1kWh当たり、0.22円)

として、表示されるようになった。ブログ子の世帯のように小さい規模では、毎月50円、現在のところ標準的な世帯では100円前後であろう。年間で、標準世帯で1200円。

 問題は、脱原発には、原発が現在背負っている発電割合、20%強をすべて太陽光など再エネが引き受け、肩代わりした場合、現行の再エネ1%程度から20倍に移行期間の終わる10年後までに増やす必要がある点だ ( 現在の原発発電比率は実績では26%前後だが、このうち5%分程度は節電で対応すると仮定 )。

 法律で高めに設定された買取価格で電力会社は否応なく引き取らねばならない。再エネ発電の促進を図るのが法律の狙い。電力会社は、もっと安い電力が手元にあるのに、高い単価の再エネ発電の電気を強制的に全量買い取りることが義務付けられている。これを賦課金として、お客様にそんぐり負担してもらう仕組みだ。

 単純に考えれば、年間1200円の賦課金がこれから毎年どんどん増えて、20倍の年間24000円にもなると考えがちだ。しかし、普及とともに、政府が決める買取価格は、だんだん低く設定され、だんだん非再エネ発電コストに近くなる。つまり、少しずつ逆ざやが解消される。 

 Image880 最近の技術革新のスピードからすると、10年ないし20年後には逆ざやはほぼ解消されると見られる( 写真= 科学技術振興機構 JSTNEWS 2012年7月号 ) から、だから、そう単純に年24000円にはならないだろう。現在の買い取り価格、たとえば1kWh当たり、太陽光の場合、42円)は、今後10年で半値ぐらいには下がる(同ニュース掲載の分析グラフからの概略試算。写真 )。これに伴い、逆ざやも改善に向かう。

 とすると、賦課金は、年1200円程度から12000円程度

となるであろう。再生エネ発電の普及が今の10倍になったところあたりから、逆ざやが急速に改善されていく。そして、ついには、賦課金の単価はゼロになるだろう。再エネ発電が採算ベースに乗り出したことを意味する。

 一方、年間燃料費604億円の負担増。これを世帯と、非世帯、つまり企業や商店などで折半して負担するとして、

 世帯負担分は燃料費302億円

となる。中電の顧客、つまり世帯数は静岡県など5県で約660万世帯。

 燃料費上昇分の負担 1世帯当たり、年4600円 ( 月々 380円)

と弾き出される。この燃料費は、再生エネルギー発電の普及とともに、減少していくだろう。現在の原発発電比率20%強をすべて、当初の火力発電から太陽光発電に引き渡した時には、当然、燃料費の価格上昇負担分はゼロになる。

 このときをもって、脱原発の態勢が整ったといえる。

 以上をまとめると、電気料金の負担増は、上記の2つの費目、つまり賦課金と燃料費上昇分を加算して、

 電気料金の家計負担増は、当初の年5800円から、最高でも年17800円。

 10年間を平均すると、電力会社に余分に支払う脱原発コストは、1世帯平均年約1万円

といえそうだ ( 補遺 )。

 注意すべきことは、電力会社から送られてくるお知らせの「電気料金」には、原発が停止した場合に備える積立金、廃炉に備えるための積立金がもともと含まれている点。こうしたバックエンド費用が含まれているために、直接の発電コスト(単価= 1kWh当たり5-10円) よりも通常高く設定される。中電の場合

 1kWh当たり、20円前後

である。

 また、先の1世帯年平均1万円については、中部電力より、かなり原発依存度の高い関西電力や九州電力では、その分の燃料費がかさみ、負担増もやや、試算では2、3割、割高になるであろう。

 次に、国に収める税金の負担増である。

 国は、今でも研究費、開発費、立地対策費などの名目で原発関連の財政支出をしている。その総額は年4000億円。立地自治体に交付する、よく知られた電源三法交付金やもんじゅ開発・運用維持費などがこれに含まれる。

 脱原発では、この4000億円の枠の中でやりくりしながら脱原発に移行することもできないわけではない。しかし、仮に、同額を家庭の所得税と、企業などの非家庭の法人税とで折半し、追加の財政支出を図るとする。つまり、年2000億円は、脱原発促進税制といってもいいだろう。

 国に収められる所得税の総額は景気動向に左右されるが、最近では、おおよそ毎年20兆円。とすると、サラリーマンの所得税に換算して、2000億円というのは1%の負担増ということになる。

 中堅サラリーマンの給与所得税の例で言うと、この負担は年4000円程度。

 以上まとめると、1世帯平均で電気料金で年1万円と、所得税では年4000円を追加で負担すれば、費用バランスの面では、10年で脱原発の態勢が整う。態勢が整えば、以上の負担は家庭でも企業でも要らなくなるのは、いうまでもない。

となる。

 それでは、脱原発の問題点とは何か。簡単に言ってしまえば、

 冬場と夏場、夜と昼、地域ごとの天候などに左右されない安定したベース電源としての原発がなくなると、エネルギー確保の安定性がゆらぐことだ。また、電源確保の多様化の原則が崩れる。国際情勢に大きくは左右されない安定した国づくりには、大規模な蓄電技術の開発が、脱原発の推進とともに、大きな課題となろう。この分野への研究開発に税金を投入してほしい。

  そのほかの問題点としては、脱原発では、再エネ発電に切り替わるまでの間、一時的に火力発電、つまり化石燃料をこれまで以上に使わざるを得ないが、温暖化防止の観点から、脱原発は、これまでの国内政策、国際公約と整合性がとれないという難問がある。この問題に真正面から取り組んだ脱原発支持者は今のところ見当たらないように思う。

  脱原発を叫ぶことは、簡単だが、説得力をもたせるには整合性のある政策も同時に提示していくことが欠かせない。二酸化炭素を増やすアクセルと、抑制するブレーキを同時に踏む国政運営では、国という車は壊れるし、乗っている国民の安全も確保できないだろう。

 注記

 今回は、世帯の電気料金というミクロな視点から、具体的に試算したが、Photo_2

 マクロ的な原発、脱原発のコストに関する考察としては、

 近著『原発のコスト』( 大島堅一立命館大教授、岩波新書 )

が参考になる。

  補遺

 以上は、世帯を中心にした話。これに対し、企業負担も含めた国民全体では、年間平均どのくらいの総額負担で脱原発の態勢が整うか、以下、試算する。

 以上のデータから、

 東電を除いて、原発をすべて止め、火力発電に切り替えたときの年間燃料費の価格上昇分は、実績で約1兆6000億円。8月1日付読売新聞によると、まだまとまっていない東京電力を除く4月-6月期の電力会社全体の燃料費上昇分は約4000億円。年間ではその4倍。東京電力分を加えると概算だが、総額は2兆円前後だろう( 2012年8月22日のBSフジ「プライム・ニュース」に出演した広瀬直己東電社長によると、事故前には燃料費は年間約2.0兆円。事故後は、火力に切り替えたことで燃料費が年間で約2兆4500円に高騰。差し引き、年間で約4500億円の負担増の見込みだという。だから、この概算2兆円はおおむね妥当といえるだろう)

 しかし、これは脱原発の取り組みの当初の費用であり、原発依存度が下がるとともに燃料費負担は減り、態勢が整えば、代替燃料費負担は、当然ゼロになる。したがって、先ほどの総額は、理論値のように半分とはいわないまでも、実際には多くても1兆5000億円程度だろう。

 これに、再エネ発電費用を加えればいい。再生エネ発電の上記賦課金の平均は、6000円程度であり、全世帯では2500億円。企業などの非世帯も同額を負担すると仮定すると、おおよそ、再エネ転換費用は、総額年間5000億円。

 したがって、双方加えると、

 脱原発のコスト= 年間約2兆円 × 10年間

ということになる。これで、脱原発の態勢は整い、以後は国民負担の要らない採算ベースになる。

   これは、別の言い方をすれば、国に収めることになった消費増税5%のうち、1%分に相当すると言えば、わかりやすいかもしれない。

 最新の連結決算報告や再エネ賦課金の実績から弾き出した結論が、

 池内了氏 ( 総合研究大学院大教授 )の別の角度(かなりの節電と、新たに一般家庭に太陽光発電設備を800万台設置する場合)からの試算結果、

 つまり、年間2兆円10年で採算

と大筋で一致していることに注目したい ( 2012年2月8日付中日新聞朝刊「時のおもり」 ) 。

 2月の時点では、連結決算が未定であり、しかも再エネ賦課金の算定もできていなかったのに、一致したということは、試算が大筋で実態を反映した合理的な数字であることをうかがわせる。

 ただ、池内氏の一般家庭発電のケースと、ブログ子が想定した電力会社経由のメガソーラー方式のケースにおいて、ビジネスの経済効果などの精査は、必要であろう。それぞれのケースの得失の差は、電力料金や発電設備費用の算定に大きな影響を与える点を見逃してはなるまい。

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風がつくる10億年の芸術  「氷点下」展

(2012.08.05)  子どもたちに興味を持ってもらうには、本物を見せること、実際に体感してもらうことが一番いい。そんなことをあらためて実感した「氷点下の世界」展(浜松科学館)だった。

 Image828 早々と入場者1万人を突破した先日、ブログ子も入場してみた。入り口にホッキョクグマのはく製が仁王立ちで展示されている( 写真 )。迫力満点で、子どもたちが取り巻いていた。「さわらないでください」と書かれているものの、ついつい、その白い毛皮にさわってみたくなった。白い毛は、ストロー状になっていて、体温をできるだけ逃がさないよう断熱効果を高めているらしい。

 展示されていた「南極の氷」というのは、さわってもいいらしいので、さわってみた。家庭の冷凍庫で水からつくれる普通の氷と同じ感触。どこが違うのだろうと考えていて、はっと気づいた。

 氷点下の南極では、北極でも同じだが、雪が押しつぶされて、氷になる。つまり、南極の氷には、雪の中の閉じ込められた無数の空気の泡が含まれるのだ。だから、これが全反射して、透き通った氷にはならない。ここが、水からつくる家庭の氷とは違う。氷山が白く輝くのもこのせいなのだ。透き通った、いわばオンザロックのような氷山なんてないのだ。

 だからこそ、南極やグリーンランドの白い氷をボーリングすると、そのサンプルから過去の空気に含まれている二酸化炭素の割合がわかる。過去40万年の間に、二酸化炭素の増えたり減ったりしている温暖化の様子の歴史がわかる。 

 さらに、「南極の石」にも驚いた。ブログ子は、南極の石をまじかに見るのは初めて。その異様な姿にびっくりした。写真のように、いわば、巨大な蜂の巣のような姿だった。

 なぜこうなったか。不思議だ。

  南極は年中氷点下なので、地上の雪や氷は常に上空の空気を猛烈に冷やす。そうすると、南極では下降気流が発生し続ける。南極の地表では猛烈な風が発生する。それが岩にあたり、ごくわずかずつではあるが岩を削る。10億年間でこんな姿になったというわけだ。

 Image821_2 だから、日本にはこんな岩石はない。また、年代測定でも、この岩のような昭和基地近くの岩石は5億ないし10億年も前にできた岩石らしい。日本列島ができた数千万年前よりも遥かに遠い過去の姿を今に伝えている。生き物が陸上を動き回る以前、つまり、海だけに生物がいた先カンブリア期の岩石なのだ。それが目の前にあるのは、圧倒的な迫力だ。

 これは、いわば10億年の時間と風がつくりだした〝芸術〟

といえるだろう。

 最後は、氷点下20℃を体験した。家庭にある冷蔵庫の冷凍室に入ったらどんな感覚か。それが体感できる。半そでシャツから出た手が、ぴりぴりと痛い。1分とは入っていられないだろう。

 日本の最低気温記録 ( 北海道旭川市 ) は氷点下41℃というから、この記録がいかにすごいかがわかった。最低気温の世界記録は南極ボストークロシア基地の氷点下89℃。もはや感覚外である。ドライアイス(固化した二酸化炭素)よりも冷たいのだ。

 それでも、光の当たっていないところの月面の気温に比べれば、まだまだ〝暖かい〟。月面の夜の部分の気温は、大気がないこともあって、なんと、氷点下150℃ぐらいという。これでは、ほ乳類、いや爬虫類や両生類でも生きてはいけない。いかに、生き物にとって地球の大気がありがたいかがわかる。

 この展示、小学生の夏休み自由研究に格好の材料を提供するだろう。子どもには驚きを、大人には考える材料を提供すると思う。

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北斗七星の輝く夜に  佐鳴湖畔の花火

(2012.08.05)  湖のちょうど真上に北斗七星が輝いていた。柄杓( ひしゃく )の先の二つの星、つまり指極星は確かに北極星を指していた。

 Image8422 先の土曜日夜、佐鳴湖湖畔の花火大会に出かけた。高台にある自宅から、快晴の夜道を歩きながら、七ツ星を見るのは何年ぶりだろうと思った。

 そしてまた、湖の向こう側に日没直後の光芒の美しさを眺めるのも、久しぶりである ( 写真下 )。

 花火大会そのものは、全国的にみた場合、規模としては、大きいほうではない。何万発ではなく、一桁低い。それでも、スターマインが始まると歓声が上がる。

 徳川時代には、火薬の製造については、家康が特例として扱いを認めた岡崎市などの地域以外では厳しく制限されたらしい。徳川家康の故郷、岡崎市が近いとあって、ブログ子が暮らす遠州でも花火は今も盛んである。

 この日も、実演があった「手筒花火」は、竹に荒縄を巻いたものであり、その筒を腕にかかえて持ち、美しい花火を夜空に放つ。全国的にも珍しい花火である。

 花火の夜父逝きし日と縁に居る  (福田蓼汀。『合本俳句歳時記』)

 ブログ子も、花火の夜、静かに8月8日の「母の命日」をしのんだ。亡くなって、17年がたつ。

 注記

 全国的には、秋田県の大仙市大曲( おおまがり )の

 秋田花火競技大会

が有名。100年の歴史がある大会だが、2012年8月25日にも、上弦の月の下、全国の花火師28人がその技を競った。プレミアム生中継で拝見したが、課題玉と自由玉で競う。なんと、数十万人の観客が集まるというから驚きだ。

 感想を一言でいえば、

 花火とは、夏の夜空を舞台に、光と音で奏でる一大交響曲

という印象だった。それくらい、華やかだった。その典型例が、最後の

 10号割物30連発大スターマイン

だろう。事実、クラシツクが会場に流れていた。

Image8381

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ロンドン五輪、私たちは何を見ているのか

(2012.08.03)  このところ、連夜、ロンドン五輪を見ている。

  Image8880802_2  表題の問いかけに対して、皮肉屋はこういうだろう。「少なくとも、アマチュア精神にのっとってフェアプレイで正々堂々と戦う姿を見ているのではないことだけは確かだ」と。バドミントン種目では互いに「わざと負け」に必死になるという前代未聞の珍事が起きたことをいいたいのだろう。最終的にメダルを獲得するためには、目の前のゲームは負けたほうが有利とみて、互いになりふりかまわず勝つ努力をあえて怠ったとして、一度に4組、計8選手が失格になった( 写真= 8月2日付中日新聞朝刊 ) 。

 確かに、メダル獲得のためならば、五輪精神もなんのその、手段を選ばないということがまかり通るとしたならば、スポーツマン精神は、五輪ではもはや死んだといえよう ( 注記 )。

 これとは、逆に、身体的にも、精神的にも、人間の限界を見たいために観戦しているのだと主張する人は多いだろう。

 このことは、体操男子の個人総合で優勝した内村選手の

 「ようやく自分が自分であることを証明できた」

という喜びの発言でもわかるだろう。自分が、「金」をとることを期待されていた選手であることを証明できたという意味だろう。限界に挑む「金」への期待があるからこそ、そこに人間賛歌という感動が生まれるのだと素直に言い切る人たちだ。これも確かに、一理はある。

 これに対し、スポーツ関係者は、そんな情緒的なことではないと、覚めた目でこうこたえるだろう。「スポーツ基本法ができて1年。その成果をチェックしたり、今後の課題を探るため大会に役員として参加もし、テレビで観戦しているのだ」と。基本法では、プロスポーツを含めスポーツ立国を目指すとうたっている。これまでの「振興」から、競技スポーツに力点をおくなど国家戦略として「立国」を目指す。この方針の下、この3月にできたスポーツ基本計画では、人材養成として

 「五輪金メダル獲得ランキングで夏季で5位以内、冬季で10位以内を目指す」

と具体的な目標もかかげている。

 5位以内なら、「金」は少なくとも15個は必要であり、10年後の達成を目指すとしてもかなり高い目標である。しかし、夏季5位以内というのは、かつて大日本帝国が一等国5か国に入っていたことを踏まえたものだろう。だから、目標として、これを引き下げるわけにはいかないのだ。

 栄光の金メダル一番乗りの女子柔道の松本選手に、その闘争本能丸出しの気迫とともに、思わず、よくやったと感動したりするのも、この高い目標の一里塚といいたいのだろう。「金」だ、「金」だ、(ランキングづけとは関係のない)「銀」など要らないという発想に基づくスポーツ関係者の考え方にも一理はあるように思う。

 だからこそ、五輪は、人類最強の人間は誰か、それはどこの国かを決める試合であり、誤審は絶対にあってはならないのだというわけだ。ビデオ判定もそのためであり、当然だ。

 異例中の異例だった男子柔道(66キロ級)の準々決勝の海老沼選手と韓国選手の旗判定にも、勝ったには勝ったが、ハラハラどきどきだった。主審、副審の3審判員のほかにも、場外に、もっとえらい審判員を審判する審判委員、ジュリーというのがいることは、当を得ているというのも、スポーツ関係者としては無理からぬ論理ではあろう。

 しかし、間近にいる審判員、それも3人もいて、最終判定に事実上、当事者能力がないというのは、どう考えてもおかしい。「私がルールブックだ」と審判員の権威を守ったかつての審判員の心意気はどこへ行ったのか。畳の上よりも、その場外にいる、それも一人の人が試合判定を〝助言〟という形で最終的に決めるというなら、審判員の権威どころか、審判員そのものが要らないという論理にまでなりそうだ。日本はジュリーがいて助かったとはいえ、この制度は狂っているとしか言いようがない。審判員は進行係ではない。

  そんなこんなを見終って、ふと、思った。これらを要するに、今時の五輪とは一体何なのだろうかと。そして、私たちはロンドン五輪で何を観戦しているのだろうかと。

 どこの国の国民も、自分たちの国は、身体的にも、文化的にも、すばらしいと考えたがるし、考える。ただ、それを目に見える形で、しかも、客観的に、そして明確にランキングする方法がほしい。

 あけすけに、はっきりと言えば、

 五輪とは、金メダル獲得個数という客観的な尺度で、4年に一度改訂される上等国ランキングの順位決定大会

なのだ。

 つまり、五輪とはスポーツ版ノーベル賞授賞式

なのだ。だから、ノーベル賞の場合同様、ルールや選考は厳格を極める。私たちはロンドン五輪で、この授賞式を見ている。

 国際オリンピック委員会とは、ノーベル委員会同様、その権威ある認証機関なのだ。だから、個別種目の、それも個人の闘いである世界選手権大会には関心はなくとも五輪には関心が集まる。五輪ランキングの発想は、自然系ノーベル賞受賞者数による国別ランキングと同じであり、ともに国籍が特に問題になる。だから、隣国同士は近親憎悪もあって、金メダル争いが熾烈になる。

 だから、スポーツには、五輪憲章がいうように、国境はないのだが、その金メダルには国籍が必ずついて回る。無国籍金メダルなんてナンセンスなのだ。こう考えれば、金、銀、銅のメダルを贈る表彰台では、金メダルをとった国の国歌だけが流れるのも当然だろう。

 だから、「銀」メダルは要らないという発想にもつながる。だから、スポーツにも、日本は今後50年で自然系受賞者30人輩出という数値目標を10年前からかかげた科学技術基本計画とまったく同じ発想で、「金」による数値目標が今年から導入されたのだ。

 だから、ノーベル賞の場合同様、金メダリストとそうではなかった五輪出場者とはある意味、今まで以上の差別ともいえるような扱いを受ける。基本計画策定で、このことが今後ますます浮き彫りになるだろう。

 五輪は、もはや景気浮揚策でも、ビジネスでも、ましてや「肉体と意志と知性を全体として結合させる人生哲学」(憲章・根本原則)なんかではない( 注記3 )。

  注記

 このことは、バドミントンだけではない。

 サッカー女子、なでしこジャパンが決勝トーナメント進出をかけた予選リーグ最終戦、対南ア戦でもみられた。0対0で引き分けた試合である。引き分ければ、決勝トーナメントに出場できるだけではなく、日本にとって強敵であるアメリカには決勝戦まで対戦しないという状況になる。勝てば、遠い試合会場に移動しなければならない。

 そんな中、

 佐々木監督は

 「この対南ア戦については、負けではならないが、勝つ必要はない。引き分けで十分。グループ2位でいい。だから、

 試合後半、選手にシュートを打つな

と指示した」

と、その時の苦渋の決断について五輪直後のNHK総合特別番組で語っている(2012年8月14日夜「涙と笑いのなでしこジャパン」)。

 ブログ子もこの試合を中継で見ていたが、無気力試合のようにも感じた。しかし、批判があることを覚悟した上での佐々木監督のぎりぎりの駆け引きであったと思う。

  注記2  ロンドン五輪「金」獲得数

 アメリカが「金」46個で第一位。第二位は38個の中国、第三位は29個のイギリス、第四位は24個のロシア、13個の韓国が第五位。

 第六位は「金」11個のドイツ。7個の金メダルを獲得した日本は、「金」7個のオーストラリアに次いで第十一位。

  注記3  最新イギリス事情

 こうした指摘に対して、きっと新聞社の論説委員のなかには、

 メダルなんか気にするな、のびのびと

という論説を書く御仁も出てくるだろうと思っていた。

 案の定、8月15日付朝日新聞朝刊の「記者有論」という欄で、西村欣也編集委員が

 日本と五輪 「メダル数にこだわりすぎだ」

と「金」、「金」と連日大騒ぎしている日本人の熱狂ぶりや、金メダル獲得数で世界第5位内を目指すとしている政府のやり口をたしなめていた。

 西村編集委員は、ロンドン五輪を現地で取材している。この欄では「金」、「金」と騒ぐようなことのなかったロンドン市民の成熟した応援態度に感心し、共感している。もっと日本はロンドン市民を見習うべきだといいたそうだ。

 そして、金メダル獲得に目の色を変えることをやめ、五輪招致に大金を注ぐぐらいなら、もっとその費用をお寒い状況の生涯スポーツの振興に回したらどうだと嘆いてみせていた。

 ところが、どっこい、イギリスだって、アテネ五輪後、ロンドン開催が決まった途端、大慌てで競技スポーツの強化にどんどん予算をつぎ込んでいるのだ。:深刻な経済不況の中、総額では日本の強化費用より1桁も多く毎年つぎ込んだという。

 その結果、イギリスはアテネ五輪では「金」9個で第10位だったのが、北京五輪を経て、今回「金」29個の第3位に大躍進。ロシアを上回った。この間、日本はアテネ五輪「金」16個の第5位から、今回「金」7個の第11位にまで転落。

 これが、今回の日本と同じ「金」7個ぐらいで終わっていたら、開催国としての責任問題で今ごろ、イギリス国内は大騒動だろう。

 ロンドン市民の成熟した応援態度は、あるいは学ぶべきではあろう。しかし、それもこれも、「金」29個の第3位という余裕のなせる業なのだということを忘れてはなるまい。上っ面を見てくるだけではなく、そのへんを踏み込んで現地でしっかりと見極めてきてほしかった。

 以上、少し大人気ない指摘で恐縮だが、現地に行ってきた編集委員というえらい人の「有論」にしては、あまりにお粗末なので、ついつい、たしなめたくなった。

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