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ヒッグス粒子は見つかったけれど、道遠し

(2012.07.10)  まだ一週間もたたないのに、世界的な話題だった「ヒッグス粒子」発見か、のニュースは一般には忘れられかけている( 写真=  7月5日付朝日新聞朝刊1面トップ)。この紙、いや、神の粒子について、わけ知り顔の御仁に言わせれば、

 世の中、そんなもん。神の粒子といったって、しょせん言葉遊びだもの

いちいち、科学ニュースなんか気にしてらんない。関心ない。どうでもいい。そんな風潮なのだろう。

 Image720 しかし、このブログは「科学と社会」をテーマにしているので、そうそう、そ知らぬふりもできない。なんとか、社会現象にたとえて、この発見について、語ってみたいとこの一週間、考えてみた。その結果はこうだ-。

 刑事裁判の場合、裁判官が被告人は犯人であり、有罪の判決を安心して書けるというのはどういう場合であろうか。

 第一は、たとえば殺人事件の場合、被告人が現場で凶器を被害者に突き立てている様子を偶然、通りがかりの人が写真を取り、公判でそれが証拠採用された場合である。直接証拠がある。これなら、裁判官は安心して、ほかの証拠がどうあろうと、有罪判決を書く。

 第二は、そこまでの直接証拠はないが、現場にあった凶器に被告人のDNAが付着していて、被告人のものと一致したという場合も、犯人を特定する直接証拠であり、裁判官は有罪判決を安心して書ける。

 しかし、そうではない、目撃情報から犯人は丸い眼鏡をかけていたとか、大阪弁を話していたとか、現場近くにいたとの目撃情報が寄せられたとかという場合はどうか。日ごろから、被害者を恨んでもいた。そんな、いわゆる状況証拠ばかりがいくらたくさんあっても、それだけで裁判官は被告人を犯人として有罪判決を書くだろうか。書いたりはしない。疑わしきは、罰せずの原則もある。

 それでは、状況証拠だけでは、被告人を犯人とすることはできないのだろうか。状況証拠しかない場合でも、実際の刑事裁判では、裁判官が有罪判決を安心して書くケースがある。

 それは、被告人が犯人でなければ、とうてい合理的な説明ができない状況証拠が少なくとも一つはある

というケースである。たとえば、女性が一人住まいのマンションにいて、そこに被告人がたずねてきたとする。中から女性の肉声がして、被告人は入室する。10分後に、被告人は帰っていったが、中には女性一人しかおらず、凶器で殺されていた。死後5分ほど立っていた、という鑑識結果が出たような場合だ。現場には被告人を特定するいかなる遺留品もない。被告人以外の人の出入りはない。

 この場合、被告人が犯人でなければ、とうてい事件を合理的に説明することはできないだろう。したがって、裁判官は被告人に有罪判決を言い渡すであろう。

 犯人を特定する直接証拠がなくても、少なくとも一つこうした状況証拠があれば、有罪判決は書ける。

 もう一つこうした別の状況証拠があれば、裁判官は有罪であるという心証をますます確実にいだくだろう。さらに、もう一つあって、そんな状況証拠が3つもそろえば、裁判官は直接証拠と同様な心証で、ほぼ確実に有罪判決を下せるだろう。

 今回のヒッグス粒子の発見は、このたとえに似た論理で、被告人を犯人、つまり、ヒッグス粒子と判断した。

 巨大な加速器の中の衝突実験で、ごくわずかな時間しか、ヒッグス粒子は姿を見せない。しかし、その衝突の様子から、ごく短時間の間に発生し、消えていった粒子がヒッグス粒子でなければ、起きた現象を、現代の標準理論に照らして、とうてい合理的に説明できない、というわけだ。

 裁判と違うのは、科学実験でこうした状況証拠による存在確率は、裁判官の心証ではなく、厳格に確率で数値化して検証している点だ。

 さきほどの状況証拠が3つもあれば、実際の裁判では有罪となるだろう。疑わしきは罰せずの原則は適用しなくてもいい。有罪の確証がある。

 しかし、科学の場合は、そうした状況証拠のデータを可能な限り、多く集めて、

 99.999%以上

の確かさで存在するとなったような場合、つまり、データのばらつき指標、標準偏差σの4倍ぐらいの確かさあれば、「発見」の確証となる(3σ= 99.7%、2σ=95.4%、1σ=68.3%)。

 言い換えると、そうした実験を10万回行ったとしたら、統計学的に1回ぐらいは、犯人ではないのに、つまりヒッグス粒子ではないのに、ヒッグス粒子であると誤って発表するぐらいの高い精度で、ヒッグス粒子が発見された。

 今回のニュースは、そんな意味である。存在を写真にとることができれば、それこそ動かぬ直接証拠となるのだか、姿を現すとすぐに消えてしまうので、それは困難なのだ。だから、衝突を引き起こした前後の状況証拠から、論理的に攻めたのだ。 

 ところで、この大きなニュースを聞いて、ブログ子は、どんな感想を持ったか。正直に告白すると、

 素粒子論の現状は、この40年間、つまり1970年代と比べて、ほとんど進展していない

という失望感だった。

 素粒子論の理論面での黄金時代は、南部陽一郎さんの自発的対称性の破れ、ヒッグス粒子理論、標準理論(ヒッグス粒子を含めて基本素粒子は18個とする1972年の小林・益川理論や1960年代後半のワインバーク・サラム理論)の1960、70年代。粒子探し実験の黄金時代は5つの新素粒子が続々と発見された1970年代である。

 当時、ブログ子は理系の大学院生だったが、小林・益川理論は仮説の一つにすぎないとは思ってはいたものの、同じ大学の研究者が唱えた説だったこともあり、いまにも、これら標準理論を土台に、アインシュタインの夢、つまり宇宙に存在する重力、電磁気力、弱い相互作用力、強い相互作用力という性質の異なる4つの力を統一する

 大統一理論

が完成するかのように感じた。ところが、いまもって、整合性のある理論は、予測ができる、あるいは実験で理論の正しさを検証できるなど説得力のある形では、できていない。

 Image721 2008年のノーベル物理学賞受賞者、南部陽一郎さんは、ヒッグス粒子予測理論を支える考え方を1960年代初期に提唱している。

 近著『素粒子論の発展』(2009年、写真 )によると、1990年時点からみた素粒子論の将来展望として

 物理学の「〝究極の統一理論〟が近い将来に見出されるであろう、というものではなさそうです」

と語っている。理論面でのさまざまなアイデアが「袋小路に行き当たってしまったかのように、私には思われる」「過去10年ほどの間、実験的には真の進展といえるものはひとつもありませんでした」と語っている( 補遺 )。

 2012年の時点でも、この展望はおおむね変わっていないだろう。

 ヒッグス粒子の発見にこれほどの時間がかかったことを考えると、理論的に、ましてや実験的にも確立した大統一理論の完成に至る道は、はるか遠く、また険路だろう。ブログ子の生きているうちに、その端緒をつかむことすらできるかどうか、定かではない。

 南部さんは、先の著書の中で、この混迷状態を

 ポスト・モダン物理学

と自嘲している。こうなると、われわれがいまだ知らない新しい数学が、物理学の思考手段として必要なのかもしれないとすら思えてくる。さらに、今の人間の英知、つまり大脳の構造をこえたところに、大統一理論があるとも考えたくなる。

 これを逆に言えば、今の人間の大脳で宇宙の真理をすべて知ることができると思うのは、人間の浅はかさのせいなのかもしれない。その保証はどこにもないのだ。

 今回のヒッグス粒子の発見は、そんな暗い予測を物語っている、といったら言い過ぎであろうか。

  補遺 

 ヒッグス粒子の存在を予測する理論の基本的な概念「自発的対称性の破れ」を出した南部さんが、今回の発見について、どういう感想をもったかについては、発見報道の一週間後の2012年7月12日付朝日新聞朝刊「科学」欄にメールでの問いに次のように回答している。

 「新粒子が本当にヒッグス粒子かはまだ言えないが、(ほぼ確かな結果が出たことは- ブログ子の注記) LHCの最初の成果でもあり、めでたし、めでたしだ」

とメールで知らせてきたらしい。LHCとは、利用した加速器のこと。記事には「ヒッグスの成果「めでたしめでたし」」と見出しが付いている。

 アイデア提唱者としては、当然、当たり前のコメントであるが、鋭いのは

 「質量の大きさは基本粒子などの種類によって違い、その間に規則性がない。これはヒッグス理論では説明できない」

とポイントを突いて、残る課題を挙げた点だろう。説明できる理論は、予測から50年たった現在もあらわれていない。発見のニュース報道で、この点を指摘したものはなかったように思う。メールのポイントは、めでたしではなく、

 基本粒子の質量の違い、今も謎

であり、これを見だしに取るべきだったと思う。そうすれば、素粒子論の展望は、ヒッグス粒子発見でも、開けていないことが読者にはっきりとわかったはずだ。

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