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宇宙人はみんなどこにいる ? フェルミのパラドックス

(2012.06.08)  金星の太陽面通過を観察しようと思い立ったからかもしれないが、

 宇宙人って、みんなどこにいるのだろう ?

と考えるようになった。火星人なら、戦前、確かにいるかもしれないとアメリカでは信じられていた。1939年、火星人がニューヨークに現れ、人間を攻撃しているというので、実際にパニックが起きているくらいだ。テレビのない時代ではあるものの、パニックが起きたということは、火星人がいることをある程度信じていたことになる。

 Image620_2 最近では、どうやら、現在の地球人のような知的な文明を持つ生命は太陽系にはいないことは確実だ。いれば、地球にやってこないとしても、連絡や、少なくとも知的な文明が存在するなんらかの兆候、合図、信号が地球に伝わってくるはずだが、それが全くないからだ。

 それでは、太陽系外はどうだ。

 少なくとも4、50光年の範囲にはいないことも、これまた確実だ。というのは、そんな文明があれば、光の速さで飛行して、4、50年の範囲ということは、4、50年前に発射された電波が、少なくともいまごろまでには地球に届いているはずだ。ところが、この4、50年、こんなに電波天文学が地球で発達したにもかかわらず、ただの一度も確実に知的な文明からの信号、合図であると確証された情報は届いていないからだ。

  では、その50光年先の宇宙には、今の地球と同じ程度の、あるいはそれ以上の知的な文明を持った宇宙人はいないのか。知的な生命というのは、この10万光年の範囲に広がる銀河系の中には地球人だけしか存在しないのか、という疑問が出てきそうだ。

 この疑問については、地球文明が今のレベル、あるいはそれ以上のレベルであと10万年継続して続いていればわかる。まったく知的な文明からのものらしい信号、合図、兆候がなければ、このわが銀河系には、地球文明と似たような知的な生命は現在はいないということになる。今はただ、地球文明も地球外生命と連絡を取り始めてせいぜい50年くらいだからなんと言えないだけかもしれない。

 それでは、もし仮に、現在、わが銀河系に地球と似たような知的な文明を持っている惑星があるとしたら、その数( N )はどのくらいあるのだろうか。理論的には

 ドレイクの公式

というのがある。アメリカの電波天文学者が今から50年前に導いた公式であり、今もこの推計はいろいろ話題になっている。彼は当時の地球外知的生命探査国際会議でこの公式を発表している。F.ドレイク自身は当時、

    N = 約10個

と推計している。最近の日本の研究、たとえば、北海道大理学部の倉本圭教授( きよし、天文学)によると

  N = 30 - 120個

と推定されている。この種の推定には、かなりの誤差、あるいは未確定要素があるから、安全率として、±10倍をかけると、地球を除いて、

 N =  数個ないし千数百個

というところが、妥当な数字であろう。

 この数字の解釈はいろいろできるだろう。数個というのは、現在の銀河系には地球と似たような知的な文明は、誤差の範囲で、存在しないということもできる。また、千数百個というのは、10万年も待たなくても、その千数百分の一、つまり、運がよければ、あと百年もすればその太陽系に近い一個から合図、連絡、あるいは兆候がわかるという意味にも解釈できそうだ。

 とすれば、知的な生命が存在するならば、あと百年もすれば結果がわかることになる。ただし、存在しないというのを確かめるには、あと約10万年はかかる。

    ただ、ここまでの話は、宇宙人というのは、今の地球人に似たような知的な文明を持った生命であるとの前提がある(つまり、進化の結果、一個の大脳を持つようになった知的な生命)。この前提を外し、そうではない、たとえば複数の大脳を持った知的な生命がこの宇宙に存在していても、あるいはより根本的に三重らせんのDNAをもった生命がこの宇宙に存在していても、なんら不思議ではないが、これを含めて宇宙人を考えると、科学・技術の超高度化も考えたりできるので、空間範囲を銀河系に限ったとしても、確定的なことはほとんど何も言えないだろう。つまり、自由にどのような結論も導けそうだ。

 さらに、空間をわが3次元宇宙だけでなく、ほかの宇宙、たとえば時間も空間もない宇宙、時間はあるが空間のない宇宙、空間が3次元ではなく9次元、複数時間の存在する宇宙に存在する宇宙人を考えることも出来る。

 このようなさまざまな宇宙でも生物は存在できるだろう。少なくとも存在できないという確証は、今のところない。

 ここまでは考えないとしても、ブログ子には、わが宇宙について、一つの不思議を感じている。それは、

 生物にはなぜ心が宿る必要があったのか

ということだ。心とは自己決定権のこと。エネルギーや物質にはこの意味の心はないのに、生物にはなぜあるのか。

 エネルギーや物質は必然性の法則にしばられる。これに対し、情報を取り込む生物には偶然に支配される。神は最初の一撃さえすれば、あとは何も手を加えなくても、その後の宇宙の動きは必然的に決定される世界を退屈と考えたのか。だから、生物に心という偶然を導入したようにも思える。

 この哲学的な問いかけをここ十数年持ち続けている。

 補遺

 最近、思うのだが、人間とは無関係に存在するとされている

 物理学的な意味での「実体」とは何か

ということだ。

 さらに踏み込めば、

 自然界の実体である物理学的な事実、法則は、なぜ、人間の大脳が生み出したものにすぎない数学的な事実、定理と矛盾しないのか

ということだ。

 宇宙は人間の大脳とは無関係に存在しており、数学は人間の大脳だけから導き出されたものである。それぞれは別々なのだから、矛盾してもいいのに、宇宙のかかわる物理学の法則と数学の事実は矛盾しない。矛盾する事実はこれまで一例も見つかっていない。矛盾どころか、数学は論理的な帰結として予測すらしてくれる。物理学はその予測に大いなる恩恵を受けている。数学は物理学の武器なのだ。

 この数学と物理学の無矛盾性という関係は、とても不思議である。

 もう少し厳密に言うと、宇宙は人間の大脳とは無関係に存在するといったが、その存在をどう認識するかは人間の大脳での情報処理システムに依存する。だから、数学も物理法則も人間の大脳に立脚している。その論理はいずれも大脳の構造を反映している。それゆえにこそ、それぞれが矛盾しないのは、ある意味当然なのだと、大づかみにはいえるかもしれない。

 すると、数学と物理学の無矛盾性は、わが宇宙とは別の宇宙、あるいはわが宇宙にいるにはいるが、遠くの銀河にいて進化の道筋が地球人とはまるで異なる宇宙人でも成り立つのだろうか。

 言い換えれば、わが宇宙の外にいる宇宙人も、なぜ自分たちの「発見」した物理学が、自分たちの大脳から創った数学とは矛盾しないのだろうと頭を悩ましているだろうか(その宇宙人に頭があり、そこに大脳が少なくとも1つあるとして)。はたまた、もともと比較できないものをそのような比較をすること自体が無意味なのだろうか。

 こうなると、物理学者が人間の営みとは無関係に、つまり客観的に存在すると信じている「実体」とは何なのか、考え出すとなかなか眠れそうにもない。

  数学についても、人間の大脳から生み出されたことには違いないが、二重らせんのDNAを持ち、大脳1つを持つまでに進化した人間が「発明」したものなのか、それとも、そういう人間側の事情や経緯とは無関係に、もともと存在する(神が最初の一撃のときに授けた)真理の中から掘り起こされた「発見」なのか、どちらなのだろう。もし発見だとするなら、三つの大脳を持ち三重らせんDNAの宇宙人も同じ真理に到達しているはずだが、どうなのだろう(もし発明なら、宇宙人ごとに数学的な真理は異なる。だが、その数学と彼らの物理学の真理とは、ともにその宇宙人の大脳に立脚しているので、そこにはなんら矛盾ないともいえる)。 

 とんだ飛躍話になったが、いつの日か、このなぞ、つまり数学と物理学の無矛盾性についてきちんと、この欄で報告してみたい。

 ついでに言うと、なぜ、こんなことを考えるようになったか。それは、「JST news」(2012年6月号、科学技術振興機構)の「先駆ける科学人」に

 理化学研究所 脳科学総合研究センター 脳回路機能理論研究チームの寺前順之介副チームリーダーが登場していたからだ。かれは、この欄で、「数学を武器に脳の秘密に迫る」と題して、脳が自らつくる「ゆらぎ」を、生物が刻むリズムの「非線形」とあわせることであいまいさをうまく利用した情報処理をしていることを数学を武器に解明していると書いている。

 これを読んで、ふと思ったのだ。こうだ-。

 脳自身から生み出された数学を脳自身に適用し、脳がどういう仕組みで情報処理をしているのか、数学を使って解明する。この再帰性(リカーシブルな)をなんとも不思議に思ったのだ。あるサブルーチンにおいて、そのサブルーチン自身を呼び出すプログラムなのである。下手すると、無限に呼び出しが続いて、条件によっては永遠に結論に到達しない恐ろしさもありそうだ。

 サブルーチンプログラムのように、もし仮に数学が人間の脳による「発明」であった場合、この脳研究には堂々めぐりになる恐れがあるような気がする。

 堂々めぐりといえば、これはちょうど、鏡に映った自分を再び鏡に映すとどこまでも自分の姿が鏡の中に映り続けるだけのようなものだ。新たなものは何も見えてこない。脳科学の場合、何か、真理が見えてくるのだろうか。

 先ほど、ブログ子は数学や物理学はともに人間の脳に立脚点=土台を置いているから互いに矛盾はしないのではないかと無造作にいった。しかし、その脳を、発明にしろ、発見にしろその生産物である数学や物理学で解明するというのはどういうことなのだろう。

 先駆ける科学人は、どこまでこの恐さ、深淵さ、わかりやすく言えば、つまり堂々めぐりを認識しているのだろう。

 以前、この欄で取り上げた(5月1日付)「ベンハムのこま」の色の考察にも、同様な恐さがあるような気がする。

 またまた、今夜も眠れなくなりそうだ-。  

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