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ベンハムのこま ボランティアを楽しむ

(2012.05.01)  Image523 小さな子どもたちに科学で遊んでもらおうと、定年後は浜松科学館でサイエンスボランティアをしている。大型連休とあって家族連れでにぎわった先日は

 びゅんびゅんごまを作ろう、遊ぼう

だった。ブログ子も小さい頃、ボタンにひもを通し、手を左右にタイミングをはかりながら回して遊んだのを懐かしく思い出した( 写真 )。ただ、それだけなのだが、それだけでも子どもたちは大喜びで作ったり、回したりしていた。ボランティアとしては、その回し方を子どもたちに体で覚えてもらうよう手伝いする。  

   こまといっても、白いボール紙を半径5センチくらいの円形にくりぬき、中心付近にひもを通す穴を二つあける。ただそれだけなのだが、この白い円盤にいろいろな色で「ぬりえ」をして遊ぶ。どんな絵を描いてもいい。出来上がったら、こまを回して、円盤に描いた絵がどのように変化するかを楽しむという按配だ。

 同心円上に一色で一様にぬりえすると自明だが、回転しても変化はない。同じ同心円上でも色を変えると変化するのがおもしろい。

 さらに、こまであることを意識せず、まったくのぬりえとして描くと、意外に美しい回転模様が浮かび上がる。親子ともども歓声を上げたりするのがうれしい。

   それはそれでおもしろい。

   ところで、実は、ぬりえをしなくても、白黒のパターン( 上の写真 )を描くだけで、なんと、こまを速く回すと茶色に、比較的ゆっくり回すと黄色の模様が浮かび上がることを〝発見〟した。実験室の蛍光灯のもとでの話だが、びっくりした。念のため、窓の近くの太陽光(白色光)のもとで同じ白黒パターンのこまを回しても、そんな色は浮かび上がらなかった。白と黒の中間の灰色がぼんやりと見えただけだった。

 不思議だ。目の錯覚ではないか

 というのも、あまりに不思議なので、証拠として、浮かび上がった茶色や黄色のパターンをカメラで撮影したが、これまた不思議なことに色は写っていなかった。とすると、やはり目の錯覚か、つまり錯視か。

 ブログ子は不覚にも知らなかったが、こういうこまを

 ベンハムのこま

という。ベンハムという人は、100年以上も前のイギリスのおもちゃ製造業者で、その販売を通じてヨーロッパ中にこのおもちゃが広がったらしい。上の写真に写っているこまは

 大魔王

という。

 ベンハムのこまには、もっと単純なパターンもある( 写真下 )。このほかにも、多数のパターンが見つけ出されているという。

 Image526bjまた、名前がついているくらい歴史的にも有名なこまなのだから、ほかにもさまざまなパターンを使って実験している科学好きな人がきっといるに違いない。ネット上をいろいろとさがしてみた。

 あざやかなカラー写真付きで、しかも分かりやすいものを以下のアドレスで見つけた。

 http://www2.tokai.or.jp/seed/seed/minna7.htm

である。ブログ子の観察とおおむね同様だったが、こちらのほうは、より詳しく、丁寧に実験していた。結果の考察もなかなか鋭い。

 どうやら目の錯覚、つまり、

 人の目で受け取った光の情報が視神経細胞のパルスを通じて脳にどのように伝わり、処理されているか

ということが、このベンハムのこまは示唆しているらしいことがわかった。

 現在のところ、詳しいそのメカニズムはわかっていない(解明されれば、ノーベル賞ものらしい。補遺 )。しかし、

  脳への情報伝達システムの仮説が

 『理系への数学』(2008年5月号、西山豊・大阪経済大学経営情報学部)  数学を楽しむ 

にその概略が述べられている。同氏は大学の講義でこのベンハムのこまを事例として学生たちに教えているという。

 http://www.osaka-ue.ac.jp/zemi/nishiyama/math2010j/benham_j.pdf

にも再掲されている。

 それによると、わかりやすく言えば、こうだ-。

  まず、円盤のたとえば、左半分を黒く塗った場合、こま回しをしない時は当然だが、反射率の低い黒部分は黒、反射率が高い白部分は白のままだ。非常にゆっくり回転した場合もおおむね、色などに何の変化もない。黒の部分は目への反射光がほとんどなく、いわば目を休めている状態にあたると考える。

 それに対し、回転を次第に上げた場合。目が一点を見つめていると、白、黒、白という風に反射率が、目の網膜にある受光器上で極めて短時間に変化する。

 この時、目の網膜にある受光器は、反射率の変化を刺激として受け取り、視眼神経細胞を通じて脳にパルスを送る。これにより、脳は色などの感覚が発生する。

 十分にゆっくり回した場合、反射率の変化はゆっくりで、それに対応するパルスも十分時間間隔を置いて脳に届けられる。これでは何事も起こらない。

 問題は高速でこまを回したときだ。

 ここで目の受光器について、刺激を受けた瞬間からパルス発生までの時間間隔に仮定をおく。目が刺激されていた、あるいは刺激されていなかった時間が長いほど、パルスを発生させる反応が早いと仮定する。分かりやすいたとえで言えば、準備時間が長いと立ち上がりは早いとするのだ。

 つまり、白でも黒でもパターンが長く続くと、その継続時間に反比例して、白、または黒パターンへの切り替わった瞬間から受光器がパルスを発生させるまでの時間間隔(ディレータイム)は短くなると仮定する。生体のディレータイムは、事前の状態に依存することは一般に知られており、合理的である。この仮定は根拠のないことではない。

 この仮定の下で、こまを次第に速く回転させ、このデイレータイム程度の時間で一回転するほどまで高速にする。

 その状態で目をこまの一点を見つめながら、白、または黒パターンの通過を観察する。比較的短い白パターンが通過した後、〝目のお休みタイム〟の比較的長い黒パターンが通過し、次に白パターンに変わったとする。すると、出遅れた前の白パターン・パルスに後の白パターン・パルスが追いつき、重なり、脳に届く前に〝衝突〟する可能性がある。つまりパルスの〝干渉〟が目の情報伝達経路で起きる。踏み込んでいうと、脳の感覚器官には白でも黒でもない色の干渉信号が届くことになる。

 これが白パターンと黒(お休み)パターンの中間色ではない干渉色、つまり、茶色や黄色という、それも主観的な色になってあらわれるおおまかな原理ではないか。

 光源の違い(太陽光=白色光、蛍光灯)やこまの速度によって見え方が違うことや、人により見えたり見えなかったり、見えても発色に違いがあるというのもうなづける。ベンハムのこまから立ち上ってくる「色」は、人によって異なる、つまり主観色というのも、納得できそうな気がした。また、低速回転では人によらず、どの人も色は見えないのも当然なように思う。

 光の干渉パタンーとして知られるニュートンリングでたとえるとすれば、主観色は原理としては光の干渉によってできる静的なニュートンリングと同様だが、その干渉が体内で動的に起きるために出てくる現象ということになる。もう少し踏み込めば、

 刺激に対する生体の反応速度の違いが生み出す干渉色

だともいえるかもしれない。

 とすれば、個人差もあり、しかも主観的な現象でもあることから、定性的な理論を量的にもきちんと実験で証明するのは、現代の生化学でも難しいような気がする。ニートンリングの場合のように簡単には定量的な実証はできないだろう。

 この意味で、子どもたちの楽しんでいた

 びゅんびゅんゴマ

は今も解明を待つ謎なのだと知って、ボランティアの醍醐味や楽しさを味わった。

 その夜、このブログを書き終わって晩酌をしていたとき、ふと、

 色とは、そもそも主観ではないのか。色とは何だろう

という哲学的な認識論に思い至った。

  周波数とか波長が同じ光でも、人間以外の動物が感じる色と、人間が感じる色とは、波長が同じでも感覚器が違うのだから、当然同じ色に見えるとは必ずしもいえない。むしろ違うだろう。別の言い方をすれば、同じ波長でも、犬の感じ方と人間の感じ方とは同じではない。まてよ、しかも、それが違っているのか、同じなのか、どうして確かめたらいいのか。原理的に人間の目で確かめることなど果たしてできるのだろうか。

 そう思うと、さても色とは不思議なものだ。

 補遺 「JST news」2012年6月号(独立行政法人科学技術振興機構) 

 この広報誌を見ていたら、

 先駆ける科学人

という欄で、寺前順之介氏(理化学研究所 脳科学総合研究センター 脳回路機能理論研究チーム副チームリーダー)が、

 数学を武器に脳の秘密に迫る

として、ゆらぎと非線形をあわせて考えることで脳の情報処理の仕組みを探る研究を紹介していた。

 非線形とは、生物が刻むリズムに非線形的な法則が当てはまらず、「2つのものを入力すると、それらが作用しあってまったく別のものが出てくる」というものらしい。ベンハムのこまもこの種の非線形な現象なのではないかとブログ子は直感した。

 これに生物が持つ生体反応である脳自らがつくりだす「ゆらぎ」を加えることで、脳神経細胞同士はあいまいさを上手に利用して入力情報を処理をしているという。こうした非線形情報理論により、脳が働く原理の手がかりがつかめるらしい。

 ベンハムのこまは、このように最先端の脳科学とかかわっているらしいことを知り、驚いた。  

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コメント

ネットを検索していて偶然この記事を見つけました。丁寧に私の仮説を解説していただき有難うございます。ベンハムのコマに関心を持ったのは、『無限大』(日本IBM広報誌、1979年)に記事を書いたのが最初で、依然として未解決のようです。大魔王というのはヘルムホルツが考案したパターンに似ていると思いました。貴ブログを拝見して、関心といい、文章のタッチといい、なぜか不思議な感じがしました。プロフィールを見て、同年齢、同窓なのですね。これまたびっくりということでした。

投稿: 西山豊 | 2012年5月28日 (月) 13時11分

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