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新・平家物語ゆかりの地をゆく 熊野の長藤

(2012.05.04)  浜松市に暮らすようになって3年近くになる。NHK大河ドラマのせいで、最近では吉川英治の超大長編『新・平家物語」を読んでいる。そんな関係で、そのゆかりの身近な土地をちょこちょこ訪れている。

 先月のこの欄では、

 源範頼の蒲桜

を見に浜松市中区富塚をたずねたことを紹介した。Image538_2 今回は、かつて平安時代末までにぎわった東海道池田宿の行興寺(ぎょうこうじ。現在の磐田市池田)境内の

 熊野(ゆや)の長藤(ながふじ)

を見に出かけた。 平清盛の嫡男、平宗盛に見初められて側室となった遠江国池田の庄司、藤原重徳(しげのり)の娘、熊野が植えたと伝えられる見事な藤である。だから、樹齢800年ぐらいで、国指定の天然記念物、つまり国宝らしい。おそらくこの木からさし木したのであろう樹齢300年にもなる藤も境内には何本かあった。

 訪れた日、5月3日は、ちょうど彼女の命日にあたり、この見事な長い藤が咲き誇っていた( 写真 )。この藤が見える能舞台では、三曲による

 謡曲「熊野」

が合奏されていた。雨上がりの清澄な五月空の中、平安の雅び、今ここにありの風情にひたった。

 病に伏す母親を見舞うため帰郷したいとの願いを込めた歌、

 いかにせむ

    都の春も惜しけれど

   なれし東の

    花や散るらん

 平宗盛とともに京・清水寺の花見に出かけたときに詠んだという。とうとう宗盛も帰郷を許す。帰郷して彼女が植えたのが件の藤だったという。

 一方、この後、宗盛は平家に追われ、都落ちする。さらに壇ノ浦で源氏に破れ、一門は滅亡することになる。

 『新・平家物語」では、彼は壇ノ浦では生け捕りにされ、源氏の頭領、源頼朝の待ち受ける鎌倉まで連行される。取調べの終わった帰り道、息子清宗とともに近江の篠原宿で、源義経の見守る中、処刑(斬首)されている。とすれば、壇ノ浦以後、鎌倉までの行き帰りに東海道池田宿や、この藤の咲く土地ちかくを通ったことになる。天竜川の渡し舟に乗るために、この宿に囚人としてではあるが、宿泊したとしてもおかしくない。

 ただ、『新・平家物語』には熊野については、言及はないのが、さびしい。

 長藤は、こうした二人のはかない幸せと悲しみを映して、今も静かに4月下旬ごろになるとその花を咲かせる。その風情に当時の雅びと哀れさを感じざるを得ない。

  浜松には凧揚げ、屋台まつりなど勇壮な文化が多い。しかし、遠州にも平安のみやびを今につたえる風情は残っている。そんな思いだった。

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