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ファーブルはなぜ進化論に否定的だったか

(2012.05.27)  ファーブルの昆虫記は、冒頭、

 「ざっとこんな具合に話が進んでいった。」

で始まる(  写真 =  『完訳 ファーブル昆虫記』(奥本大三郎、集英社) )。そして、ただちに、くそ虫、スカラベの行動のおどろくべき観察の様子が語られるのである。なんとしても多くの読者に知らせたい、わかってもらいたいという気概が伝わってくる簡潔な出だしだ。ずばり核心を突く書き方と言ってもいい。全10巻のこの大著、原題は「昆虫学的回想録」。この不朽の名作となったこの著作で、著者、ファーブルは、何を読者わかってもらいたかったのだろう-。

 このことを、ブログ子はずいぶん以前から気にしていた。

 折りしも、BS-プレミアムで、先日、三夜連続で

 「ファーブル昆虫記」

を再放送していたので、深夜にもかかわらず、見た。

 Image575 ハイビジョンの美しい映像と、虫好きの仏文学者、奥本大三郎さんと昆虫写真家、海野和男さんの二人の案内がうまく調和していて、楽しい番組に仕上がっていた。ファーブルが100年前の南フランスで観察したこと、実験したことを、南フランスと似た環境、気候の長野県小諸市の海野別荘兼研究室にある現代のハイテク機器で再現したり、ファーブルがしようとしてできなかったことをやってみせていた。虫好きの執念と恐ろしさに感嘆した。これには天国のファーブルも手をたたいて、喜んだであろう。

 それらを通じて、ファーブルの著述意図は、どうやら

 本能とは何か。その驚くべき精妙さを知ってほしい、わかってほしい

ということだったことが、理解できた。

 回想録の大部分がハチの記述に費やされているのも、そのせいなのだろう。というのも、本能の働きは、生き物の中では昆虫、特にハチやアリで高度に発達しているからだ。昆虫の生活誌や行動をつぶさに観察したり、実験したりすれば、本能とは何かが具体的にわかる、というわけだ。

 たとえば、テレビでも再現されていたが、ジガバチの例。上記の本によると、このハチは、イモムシやシャクトリムシなどのガの幼虫を麻痺させたまま、つまり生きたまま、地中に蓄え、それに卵を産みつける狩りバチの仲間。産みつけるその穴も事前に自分で掘る。穴は獲物を〝収納〟したあと、その入り口を、それこそ後足で砂をかけて、きちんと閉じる。その外敵対策の周到さにはびっくりする。

 一方、地中の幼虫は、その生かした獲物を殺してしまわないよう、順序を〝考え〟ながら、少しずつ食べて、ついに獲物がなくなるころ、成虫になる( 奥本完訳の第1巻下 )。

 ハチはまた、生まれながらの〝麻酔の名人〟だという。

 アラメジガバチの例。それはまさに「もっとも高名な解剖学者もうらやむような巧妙さ」だと、ファーブルは感嘆している。毒針を用いて獲物の筋肉に刺激を送る大もとの神経中枢を刺す。この瞬間の再現実験( 海野和男氏)がテレビで紹介されていたが、確かにその正確無比は現代の腕のいい解剖学者でも、とうていマネはできないだろう。ファーブルが

 「獲物についての正確な解剖学的知識が、ハチの針を導いているのである」

と記しているのも、うなづける( 第2巻上)。

 獲物をこのように殺さずにその運動能力だけを奪う。その鮮やかな狩りを司るものはものは何か。神業とも言うべきその見事な麻酔技術が、ダーウィンの言うように、少しずつ進歩(進化のこと)していくことなどあり得ないと言うのである。

 ここから、ファーブルは、ハチは生まれながらにして麻酔の名人であり、

 その「本能は、獲得されるものではなく、もともと具わっていたもの」

と結論付けている。

 ファーブルは、具体的には、まずアラメジガバチの観察と実験とが合わないことから進化論を疑うようになった

ということだろう。その後、いろいろ疑問が出てきたのだ。 

 その一方で、ファーブルは、このおどろくべき本能も、いったんスイッチが入ると、その後状況が変化しても、その変化に対応して、とるべき方策を類推し、その結果をもとに行動するという、人間ならだれでも備えている柔軟性はないとも指摘している。

 さらに、第2巻下では、ヌリハナバチに関する観察をもとに、

 「昆虫の心理についての短い覚え書」

という興味ある一章を設けて、昆虫には、人間のような類推能力はないと結論づけている。理性はないといいたいのだろう。

 これらの観察事実は、当時、ヨーロッパの科学界をにぎわしていたダーウィンの進化論に深刻な〝つまづき〟を与えたらしい。 ファーブルは、これでもかと言わんばかりに

 「進化論への一刺し」

との皮肉たっぷりの一章も設け、狩りバチの獲物と適応力について、論じている。

 進化論の説明のためにダーウィンが導入した「適応力」がもし本当にあるとするならば、なぜ動物は食物を限定するのか。ダーウィンの言う激しい生存競争に勝つためには何でも食べたほうが有利なのに、狩りバチは獲物をきちんと選んでいて、決まっている。なぜ昆虫にはそんな雑食性はないのか。

 進化論では、昆虫の食物選択を説明することはできない

と、手厳しく、批判している。これには、生前、ダーウィン自身も、心中穏やかではなく、ファーブルの精密、綿密極まる観察と実験は頭痛の種だっろうことは容易に想像できる。

 捕食、生殖や育児にかかわる昆虫の本能に関するファーブルの40年近い観察の結果、本能の精妙さや堅実性を根本的にゆるがす(ダーウィン進化論的な)事実はなかったとして、全10巻完成(1910年)後に書かれた、つまり決定版とも言うべきハードカバー判の「序」には

 「特に、知性を持ち出して昆虫の行う多くの行為を説明出来ると信じた進化論は、その主張を少しも証明したとは見えない。本能の領域は我々のあらゆる学説が見逃している法則によって支配されているのだ」(『完訳ファーブル昆虫記』山田吉彦・林達夫訳、岩波文庫、1993年)

と結論付けている。ここから、ファーブルは

 「いくら昆虫の形態を分類学的に吟味しても昆虫の習性はわかるものではない」

との理解に到達している(山田/林完訳第7巻)。むしろ、進化論の論理とは逆に、本能が形態を支配するとさえ説いているのだ。本能が昆虫の形を決め、本能が道具を使わせているというのだ。

 いわば、ダーウィン進化論では種の変化の方向は漸進的な自然選択説であるのに対し、ファーブル進化論は本能決定説であり、種は変化するとしても、漸進的ではない

ということになる。

  それでは、ファーブルの言う「本能の領域は我々のあらゆる学説が見逃している法則によって支配されている」ときのその法則とは何か。

 この点については、ファーブルは、それ以上言及していないようだが、思うに、

 当時のフランス哲学者、H.ベルクソンの主著の一つ『創造的進化』(1907年)

ではなかったか。「生の哲学」あるいはキーワード「生命の跳躍(あるいは飛躍)」という考え方である。

 ダーウィンのような進化の漸進主義ではなく、あるとき突然創造されたとでも言うべき、生命の飛躍的なある種の変化が、生き物の本能の起源である。

 そうファーブルは考えていたとしても、不思議ではない。

 これを身近な事例でたとえると。

 天竜川の上流でかけて小石ができたとする。そのでこぼこの石が数百キロという気の遠くなるような距離を長い長い時間をかけてコロコロと転がるうちに、ついに河口付近では美しい滑らかな小石になる。これがダーウィン流の考え方。小さな変化が、途方もない時間をかけて、最初には想像もできないほどの驚くべき変化につながる。人間も昆虫もその結果だというわけ。

 これに対し、ファーブルの考え方。

 そうは言っても、その美しく、滑らかな小石は小石である。もともととそう変わらない。いくら時間をかけても、腕時計のような精密機械にまで変化することは到底無理だ。本能という働きは、その精密腕時計ほどの見事なものなのだ。ダーウィンの考え方は本能にもとづく行動を等閑視しすぎている

というわけだ。

 この考え方をさらに現代流に〝発展〟させたのが、神の御手による創造説の変種、ID説。インテリジェント・デザインという意味だ。神の御手を現代的に言い換えて、人間を、あるいは精妙な行動をする昆虫を生み出したのは、知的な設計者によるものだという考え方である。知的設計者とは「神」の言い換えであろう。先のたとえで言えば、石を腕時計にまで跳躍させたのが、知的設計者なのだ。ダーウィンの言うような、自然の川の流れではないというわけだ。

 実証主義者のファーブルは、ここまでは主張しないであろうが、ダーウィン進化論よりはベルクソンの考え方、「生の跳躍」には、驚嘆すべき本能の働きを知っただけに共感を持ったであろうことは想像できる。

 同時代に生きたダーウィンとファーブルの研究成果やその解釈の違いはどこから来るのだろうか。

 これまた、たとえで言うと。

 南フランスをフィールドとして昆虫を観察したファーブルは、「地球は平坦」と考えた。

 これに対し、

 ビーグル号で世界を回ってさまざまな生物にであったダーウィンは、「地球は丸い」と考えた

 この違いであろう。

 少し解説すると、ダーウィンは世界周航でも地質学的な時間スケールで過去を記述したライエルの『地質学原理』を携えるなど、時間軸を研究に取り込み、生物の外側から「種は(時間的に)変化する」「種は(環境的にも)変化する」ことを示そうとした。

 これに対し、ファーブルは、時間軸ではなく、昆虫の生活誌や行動を、その内部に入り込んで本能とは何かを研究の軸とした。その態度は、観察するだけでなく、そこから仮説を立てて昆虫の行動を実験で確かめるという実証主義的なもので、ダーウィンを上回る徹底したものだった。

 生命の設計図DNA時代を迎えた現在では、ダーウィンの進化論は、生物の形態変化の謎を除けば、1980年代に進化中立説にとってかわられている。種は変化するというダーウィンの慧眼は正しいが、その原因はダーウィンの考えた自然選択によるものではないことがわかっている。環境に適した適者生存ではなく、運のいいものが生き残る、ただそれだけなのだ。

 また、ファーブルの本能とは何かという点については、今も謎のままであり、解明が待たれている。その意味で、100年前の研究態度は甲乙つけがたいし、すぐれたものだったというべきだろう。 

 もう一つ、この貴重な番組をみて、考えさせられたことがある。それはファーブルの生き方である。

 ファーブルが昆虫記という回想録を後半生をかけて書こうと決心したのは、教師を辞めさせられたことで、定収入がなくなったことがきっかけだったことだ。家族をかかえ、貧困に苦しんだが、

 「よし、働こう」

と、果然、二足のわらじから、昆虫観察や著述業に専念したのだ( 注記3 )。ライフワークに没頭するかたわら、科学普及書を書き出した。そのわずかな印税で、40年近くの後半生の生計を立てた。

 ファーブルの生涯を一言で言えば、逆境に強い一生だった

ようだ。

 このことが、徹底した観察に基づく洞察力とともに、この大著を世界的な感動の名著にしたように思う。

 忘れてならないのが、生計は苦しかっただろうが、その暮らしぶりはそれまでとはくらべものにならないほど、ファーブルにとっては

 至福の歳月

だったと思う。そのことは大著の回想録からも伝わってくる( 注記2 )が、50代からの後半生を過ごした南フランスの田舎村、セリニアンの自宅、つまり

 自由に昆虫観察ができる自然いっぱいの広い前庭と、研究室を兼ねた自宅

からもよくわかる。狭いベッドの脇で、いきいきと観察に没頭した様子がテレビ番組でここを訪れた奥本さんの案内でよくわかる。

 「アルマス(荒地)」とファーブル自身が名づけたこの場所は、昆虫記10巻を完成させたところでもあり、現在、博物館になっている(ファーブルは47歳のとき教師を辞めさせられたが、54歳の時、昆虫記第1巻を刊行。インクであろうか、表面が真っ黒に汚れている執筆に使った小さな机も展示されている 「注記」 )。

 ブログ子が、ファーブルの生き方に感動するのは、五木寛之氏の言う

 人生、下山の時代こそ、実りの時

との主張に対し、ここにその具体的な事例があると気づいたからだ。さらに言えば、経済的に余裕のある下山の時代よりも、かえって貧窮の下山である場合、より大きく花開くものである。富裕な一生を送ったならば、ファーブルは果たしてあの不朽の名著をものにしただろうか。環境さえ整えれば、良い研究ができるとは限らない。そんな思いがした。

 お金に困らない富裕な一生を送り、国葬並みの葬儀が行われたC.ダーウィン。種は変化すると喝破するなど、確かに偉かった。しかし、同時代に生きたH.ファーブルは、その生き方においてそれ以上に偉大であったと信じさせる番組であった。

  「人生に生きる価値はない」と書いた、あるいは主張する哲学者が日本にはいる。言葉のお遊びに明け暮れる哲学者のひねくれ人生は、あるいはそうかもしれない。しかし、ファーブルの92年の人生には、生きる価値が十分にあったと確信して言える。

 最後の第三夜は徹夜に近い視聴だったが、そんなことを知っただけでも、うれしかったことを正直に告白しておこう。

 注記 

 物理と数学の教師となったファーブルが昆虫に本格的に興味を持ったのは、番組によると、南フランス本土から地中海の孤島、コルシカ島に中学物理教師として赴任したことがきっかけらしい。太陽輝くこの島の海辺の生き物に

 「圧倒的に屈服した」

とファーブルは大著でその興奮を回想しているらしい。4年間のこの島での生活により、(無味乾燥な) 数学の sin、cos の世界から生き物、とくに昆虫の世界にのめりこむことになる。ファーブル25歳前後のことだというから、昆虫記刊行の30年も前のことである。番組では触れられていないが、このころすでに、ファーブルは、発表されたばかりのダーウィン進化論について、自分独自の見解(おそらく、懐疑的な)を持っていたらしい。 

  注記2

  スカラベの行動観察から始まった昆虫記だが、第1巻出版から18年後に出版された第5巻には、ついに、それまでどうしても突き止められなかった

 スカラベの食料付きゆりかごとも言うべき「育児球」づくりの一部始終の発見

が報告されている。その秘密の全貌が克明に図入りで説明されているのを見ると、ファーブルの100年前の感動が今も伝わってくる(奥本完訳第5巻上)。ファーブル70代に入ってからの発見である。そして、全巻完成に向かって、あと12年の歳月が流れたのである。

 この輝ける、そして、あくなき不屈の闘いこそ、ファーブルにとっての至福のときであり、不朽の名作につながった理由であろう。

  注記3  回想録を書こうと決意した動機は何か

  それは、ダーウィンの進化論『種の起源』(1859年)の続編ともいうべきベストセラー『人間の由来』(1871年)を失業直後の48歳のころに読んで、これは誤りだと確信したからだろう。以来、それまでの観察結果を整理し、コツコツと原稿に書き溜めて、54歳の時に回想録第1巻として出版にこぎつけた。第1巻の終わりに、ジガバチの事例を進化論に懐疑的な証拠として紹介されているのも、これだとうなづける。全10巻の最初から疑問をいだいていた証左だろう。

 上梓して確信を得たファーブルは、第2巻では、別の事例、つまりアラメジガバチの麻酔名人ぶりを紹介。さらに「進化論の一刺し」や「心理についての覚え書」を執筆することで、ますます、ダーウィン進化論は到底受け入れ難い誤りであると主張するようになった。

 そう考えると、回想録の執筆動機は、48歳ごろに読んだダーウィンの『人間の由来』(1871年)であり、その根本的な誤りをただしたい、世に問いたいためだったといえそうだ。

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