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人の気持ちを「コーティング」する  辺見庸氏の怒り

(2012.04.15)  それほど期待して、見はじめたのではなかったが、しかし番組の後半には、ハッとされられた。

 NHK-教育「ETV特集 失われた言葉をさがして 辺見庸、ある死刑囚との対話」

である。ある死刑囚とは、確定死刑囚、大道寺将司のことである。団塊世代だ。1975年に逮捕されてから37年間を獄中で生活。死刑が確定してからでも25年がたつ。全共闘世代で団塊世代より少し年上の辺見庸氏や、ブログ子のような団塊世代なら、たいていは知っている名前だ。こういえば、死刑囚の思想のおおよその見当はつくだろう。贖罪の毎日だという。

 番組では、大道寺死刑囚が獄中から一千句以上がおさめられた

 大道寺将司全句集「棺一基(かんいっき)」

を出版するまでの経緯を、詩人、辺見氏がどういう思いで支援したかを軸に、つづったものである。

 そのこと自体には、それほど興味を持たなかった。いかにも元活動家、辺見氏らしい語り口だなあ、ぐらいにしか思わなかった。感心もしなかった。

 ハッとしたのは、石巻市出身の辺見氏が、年老いた母親を石巻市の施設に見舞ったときの話以降であった。被災地を歩きながら、彼は、おおよそ次のように話す。

 被災地を励ます言葉が氾濫しいてる現状を憂いて

 「きれいごというんじゃないよ。石巻の人たちは恐いんだよ」

 堰を切ったように怒り顔。耳障りのいい言葉だけがもてはやされていることに

 「ひと(被災者)の気持ちを(うわべだけの優しい言葉で)コーティングしている」

 と怒り、そのあさはかさをなじっていた。人の記憶を一律にしてしまう、いわば、つや出しをコーティングというのだろう。もっとはっきりいえば、言葉の乱暴なつや出しというわけだ。この言葉をはいたときは、いかにもにがにがしい様子だった。死んだ人にすまないという気持ちだからだろう。

 美しい言葉で、被災者の死を冒涜している

といいたいのだろうとも思った。

 その通りだ。ブログ子も、この一年、あまりに浅薄な、そして、あまりにお涙頂戴の写真や写真集の出版に怒りを感じていた。新聞紙面もそうだし、テレビの報道もそうだ。

 もう、ウソ報道はやめようと、この3月、ある大手新聞社のフォーラム「震災報道を考える いま求められているもの」で訴えたが、完全に無視された。非常識と思われたらしい。

 単行本もひどい。たとえば、たまたま書店で手にとった最近発行の

 『南三陸日記』。

 大手新聞社の記者の大震災この一年の連載記事をまとめたものだ。「出張して記事になりそうな出来事を「報道」するのではなく、被災地に住み込んで、そこで感じた日常の変化や人々の心の揺れなどを「報告」する」(はしがき)のが狙いらしい。その狙いは確かに鋭い。正鵠を射ているとも思う。

 しかし、この本の腰巻が

 「住んで、泣いて、記録した」

ということからも、わかるが、また、挿入写真はほとんど笑顔ばかりであることからもわかるが、まさに

 「コーティング」されたうわべだけの優しい言葉のオンパレード

だった。嫌悪感すら覚えた。やりきれない気持ちで、本を平台に戻した。

 ほかの3.11一周年本や写真集も大同小異だ。

 不謹慎といわれそうな言葉は極力排除される。うわべだけの優しい言葉づくりがあふれる風潮。被災者あるいは死亡した人たちをむしろ冒涜していると感じる。こんな気持ちになったブログ子は異常なのであろうか。

 震災後に詠んだという大道寺の俳句がある。

 暗闇の陰翳刻む初蛍

 原発に追はるる民や木下闇(こしたやみ)

 いずれも、大道寺が東京拘置所の三畳の独房で読んだらしい。なんとも暗い。が、そこには死んでいった被災者へのいたわりが、ひそとしてあるように思う。深夜、ブログ子と同じ団塊世代の死刑囚のどんな心境から、そんな気持ちがわいてきたのだろうと重く沈んだ。

 この俳句などに関して、この番組では、辺見氏は、

 自照

という言葉を持ち出していた。自分に思考の刃を向けないで、ほかの人にばかり刃を向けている現状を嘆いていた。このことが言葉を軽くしてきたと言いたいのだろう。

 「広辞苑」などによると、自照とは、自分自身を客観的に冷静に見つめることとか、自分自身をかえりみて、深く反省することとある。自照文学というジャンルがあるらしい。

 マスコミにはこの自照が極端にすくない。

  ところで、そういうあなたの生き方はどうなの?

ということにまったく無反省だったことを思いしらされた。その意味で、ブログ子などは長年、論説委員をしてきたが、無恥の偽善者だったのではないかとも思う。

 ただ、1600ページをこえる「学研 漢和大字典」(漢文を読むための字典)には「自照」という言葉は掲載されているものの、2500ページをこえる浩瀚な「新潮日本語漢字辞典」(日本語を読むための漢字辞典)には、この言葉はない。日本語の文章に出てくる漢字としては今はほとんど使われていない証拠かもしれない。

 37年間の隔絶した牢獄からつむぎだされる非日常的な言葉の俳句と、被災者へのうわべだけの世間の言葉との間の落差。なんと大きな落差なのだという怒りが番組をつくらせたのだということに気づいた。

 失われた言葉をさがして、たどり着いた牢獄。そこにしか言葉はないのかという、辺見氏の「怒りの旅」のような番組だった。

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