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2012年4月

人間くさい葛藤と対立 科学者映画の限界

Image519_2 (2012.04.29)  大型連休に入ったが、こののんびりした機会に、これまで読まなかった何冊かの偉人伝や、つい見そびれた偉人科学者の映画を何本か見てみた。そして、あらためて

 偉人科学者の映画はなぜ面白くないか

その共通の理由に気づいた。まじめではあるが、なぜ苦痛なのかと言ってもいいだろう。

 面白い小説や映画には当然だが、常識を覆す事実、奇抜なストーリーの提示のほかに、

 登場人物間の人間くさい対立や、そこからくるそれぞれの人間の心の中の葛藤

が、巧拙は別にして描かれている。この二つは、小説や映画が名作といわれる絶対条件だ。

 ところが、偉人科学者の生涯を描いた小説や映画には、偉人であるがゆえに、これができない。というよりも、葛藤や対立がたとえあったとしても、そういう

 不都合な真実

は世間をはばかって、あるいは関係者をはばかって伏せられる。

 誰も知らない発見や発明、特許権争いには、かならず普通の人以上に、名誉をかけた激しい葛藤や対立があるのが普通なのに、それが隠される。偉大な発明や発見が対立、あるいは人間くさい競争なしに忽然と現れるはずはない。そこには挫折と葛藤がつきものなのだ。なんとももったいない話だが、それが伏せられる。ここに

 偉大な科学者の小説や映画に名作がない

本当の理由がある。

 ブログ子の記憶する限り、この唯一の例外が

 黄熱病の研究で世界的に知られた野口英世博士の生涯を描いた小説

 『遠き落日』(渡辺淳一、角川文庫)

である。生活破たん者、あるいは性格破たん者だったことなど否定的な面も前面に出している。それだけでなく、渡辺氏は医師でもあることから、当時の野口の医学的な業績も丹念に調べ、その結果、今ではほとんどが誤りか、価値のないものであることを淡々と描いている。世間からたたえられる栄光の中で、人間・野口の挫折。その落差から生まれる晩年の葛藤が見事に描かれている。

 野口英世はなぜアフリカで死んだか

というその理由も、ブログ子には想像できる気がする。

 それだけに強烈な印象であり、これぞ人間・野口英世であると感動する。

 そんな小説であるにもかかわらず、映画化では、この否定的な面をほとんどカットして描かれているのはさびしい。野口英世を冒涜しているのではないかとの印象さえ持った。

 先日、NPO法人高峰譲吉博士研究会の知人からDVD

 映画「さくら.さくら サムライ化学者高峰譲吉博士」+その第二弾「TAKAMINE  アメリカに桜を咲かせた男」

をいただいた( 写真 )。昨年の公開映画では上映時間の制限でカットされた部分、義母との確執なども付け加えられた「完全版」である。

 高峰氏は、野口博士と同じ時代に生きた科学者であり、アメリカで野口氏とも親しく出会っているだけに、興味をもった。研究分野も高峰の化学、野口の医学と近い。

 早速拝見したが、公開映画に比べて、こちらのほうが面白かったと言えなくもない。ただ、二作合わせて4時間にものぼる大作にもかかわらず、感動が今ひとつなかったと正直に告白しておこう。毀誉褒貶の激しい偉人であっただけに、そこに切り込み、もう少し人間・高峰に迫れなかったか、残念だ。偉大な人であったことはよくわかったが、そこに心に染み入る感動はなかった。偉人な科学者の映画制作の限界、あるいは難しさをあらためて思い知った。

 幸運な成功はある。しかし、不運な失敗はない。失敗には必ず合理的な原因がある。予定調和的な成功物語ではなく、痛恨の失敗やそこから生じる葛藤物語にこそ、名作が生まれるような気がする。

 追記

 そんな思いがよぎる中、

 『ゲノム敗北』(岸宣仁、ダイヤモンド社)

を読んだ。1980年代に東大教授でゲノム解読の自動化のアイデアを持っていた和田昭充氏の悔やみきれない痛恨事が面白い。なぜ遅れていたはずのアメリカやイギリスに1990年代その解読競争で日本は一気に追い抜かれてしまったのか、和田氏の心の奥底のトラウマをえぐり出した異色ノンフィクションである。

 成功者ではなく、先頭に立った人物になぜ敗北してしまったのか、その原因を語らせた物語である。

 主な原因として、日本に国家的な解読戦略の重要性に気づいていなかったこと、その原因として縦割りの官僚制があったことなどが示された。

 ただ、こうした大上段の原因のドラマではなく、最前線に立った研究者たちの葛藤と対立、日米間の科学者たちの虚実ないまぜな競争の実態に切り込んで描けば、人間くさいドラマができるであろう。

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一日二食のすすめ  カロリー制限の問題点

(2012.04.26)  老化を抑え、肉体的にも精神的にも若々しく暮らしたい。健康寿命をできるだけのばしたい。人間ならば、いや、生物ならばみんなそう願うに違いない。そんなことを国民みんなが思えば、そしてそれが実現すれば年金財政は破たんだよ、と皮肉くる人も多いだろう。

 その一方で、たらふくうまいものを食って生活したい。そう願うのも人間の本能かもしれない。いや、本能だ。金欲は別にしても、食欲と性欲は生物の本能。そうやすやすと変えられるものではない。そう認める人も、これまた多いだろう。かくして、現代は前代未聞の飽食の時代を迎えることになった。

 この両方がかなえられれば、人生は万々歳だ。ブログ子もそう思うし、そう願う。

 しかし、現実はよく知られているように、そうはいかない。暴飲暴食、たらふく食って、太く短い一生を送るか、それとも、健康第一、我慢の節食で細く長く生きるのが幸せか、人それぞれだろうが、選択は日々迫られる。人生いろいろ、ほどほど、その折り合いが難しい。

 カロリー制限策として、ブログ子は、定年後は、朝食と昼食を軽めに一緒にとる

 一日二食

を実行している。熱々のご飯の和食(納豆+梅干し+子持ちししゃも+生たまごかけご飯+お吸い物)。写真がそれだ。ときどきグレープフルーツかレモンをかじる。

 二食目は刺身中心の夜の晩酌。テレビを見ながら、お酒は2合と決めている。たまに、にんにくを丸々1房オーブンで焼いて酒肴としている。夏ばてにはもってこいだ。

 この程度の節食だと長続きする。

 Image5183 「週刊現代」3月17日号(2012年)をみていたら、

 いつまでも若く見られる方法

として、南雲吉則医師の

 「一日一食」のすすめ

が紹介されていた。実年齢50代後半なのに、写真を見るとどうみても30代。かつてはメタボだったのが、一日一食でスリムで若くみえる体質に変身したらしい。確かに驚いた。今、話題のベストセラー

 『50歳を超えても30代にみえる生き方』

の著者でもあるのもわかる気がする。

 「いかに食べる量を少なくするか」が大事

ということを自分の実践と医学知識をもとに書いているのがこの本のミソ。

 どうやらその秘密はこうらしい。人間などの生き物には、細胞が飢餓状態に陥っても生きのびられるように、体を正常に保つ治癒力がもともと備わっている。生物進化とは、飢餓との闘いだったのだ。そこでこの治癒力を活用して、

 「お腹が鳴っている時こそ、(治癒力を引き出し)若さを取り戻している時」

 であり、

 「食事を40%減らせば寿命は1.5倍にのびる」

という按配。飽食時代の現代は飽食で治癒力を狂わせている。飽食でかえって病気、とりわけ生活習慣病の元凶をつくりだしているというわけだ。

 なかなか鋭い指摘である。

 南雲氏は、最近でも

 『 「空腹」が人を健康にする 一日一食で20歳若返る ! 』(サンマーク出版)

という本を出版、売れ行きは好調だ。

 ただ、飽食の時代に一日一食の空腹に人は耐えられるかということが問題だ。仏教の「断食の行」のようなよほどの決意と禁欲を強いられる。主張は正しいが、おそらく本を買った人は最初は実行するが、長続きはしないだろう。むしろその反動で、ガバ食いとなり、逆効果になりかねない。

 南雲氏のような克己心が強い人でないと、一日一食の成果は出ないと思う。言うは易く、行い難しでは健康法としてはダメとは言わないが、効果的ではない。 

 その点を除けば、その主張するところは、間違ってはいない。たとえば、マサチューセッツ工科大学生物学部のL.ガランテ教授も、食事制限を通じたカロリー制限は、老化を抑え、若さを保ち、健康寿命をのばすだけでなく

 「最近の研究によって、がんや心血管疾患、(アルツハイマー病などの)神経変性疾患、および糖尿病などの加齢にかかわる主要な疾患の発症を遅らせることや、予防する効果があることがわかってきた」

と指摘している(講演「21世紀の健康長寿」日本エイジマネージメント医療研究機構(2007年))。

 カロリー制限には生活習慣病の改善に確かに効果がある。

 そこで、節食やカロリー制限に何らかの強制力を持たせれば、かなりな効果が期待できる。医師の厳格な管理の下に絶食の効果を生かそうという取り組みとして、先日、NHK-BSの「世界のドキュメンタリー」で

 絶食治療の科学

というのが紹介されていた。1、2週間にわたり入院し、水だけしか飲まない。その間、尿検査などを受けながら病気を治そうという試みである。

 ロシアでは、治療を受けた1万人もの高血圧、糖尿病患者のうち、この方法でその3分の2が完治または効果があったという。事実なら大変な成果である。

 絶食治療は、ドイツのベルリン大学シャリテ付属病院、南カリフォルニア大学がん総合センターなどヨーロッパ、アメリカでも試みられており、その効果が確かめられているという。

 番組によると、がん、肥満、気管支喘息、皮膚病のほか、なんと、うつ病といった精神病にも効果があるというからオドロキだ。

 その考え方は、おおむね、先ほどの自然に備わっている治癒力、もう少し言えば、自浄作用、自己調節作用を引き出すというものらしい。体が正常な細胞に保とうとするかのように遺伝子群が呼び覚まさせるという言い方もできるかもしれない。

 患者に決意と禁欲を強いるとしても、何も食べず、薬すらとらず、水だけで治療する究極の医療時代があるいは来るかもしれない。そんな印象を与えてくれた番組だった。

 ただ、番組ではほとんど触れられていなかったが、治った後、つまり病院を退院した予後はどうなるのだろうか。医師の管理下から解放されて、元の木阿弥にならなければいいが、と思う。そこが問題だと、一日二食の晩酌をしながら気づいた。

 ブログ子のような意思軟弱なやからは、

 一日二食のほどほど

 これでいくしかないと誓った夜だった。

 追記

 件の出版社は、3年ほど前に話題になった

 『体温を上げると健康になる 体温が1度下がると免疫力は30%低下』

という体温アップ健康法のハウツウ本も出している。風呂の温度は41度。これなどは、熱めの風呂に入ろうといっているだけなのだから、かなりずぼらな人でも実行可能で、成果が期待できそうだ。

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知っているようで 年間空間線量率って何 ?

(2012.04.25)  いまさら人には聞けない。しかし知っているようでよくは知らない。日常、非常にしばしば出てくるので、かえって堂々と聞くのは恥ずかしい。誰にもそんな言葉が一つや二つはある。ブログ子にも、もちろんある。最近の新聞で言えば、

 年間空間線量率の予測図

というやつだ。4月23日付毎日新聞1面に6枚ものカラー図付で

 高線量域 20年後も 政府、初の予測値図公表

として、

 政府は22日、東京電力福島第1原発事故で福島県内に放出された放射性物質を巡り、20年後までの年間空間線量率の予測図を発表した( 写真 )

ことを伝えている。政府(経済産業省)が長期にわたる将来予測図を示したのは初めてらしい。昨年秋に航空機でモニタリングした結果をもとに理論的にはじき出したマップだ。放射性物質の除染がないとした場合の予測という。

 Image513 それによると、原発が立地する大熊町、浪江では20年後も年間積算で被ばく線量が50-100ミリシーベルトと高く、避難所から帰宅して元の生活に戻ることが許されない地域が残る。

 年間空間線量率の線量というのは放射線量の略だが、その放射線の中身とは具体的に何か。また年間に換算して、つまり

 年率の空間線量

とは、具体的にどのように計算するのか。地面に降り積もった放射性物質の量と空間線量率の関係はどうなっているか。また、この外部被爆において、航空機の高さ、つまり、測定地点の高さと空間線量率との関係はどうなっているのか。

 知っているようで、案外、漠然としか、わかっていないことに、ブログ子は気づいた。

 この空間線量率ということばは、少なくとも今後20年間は新聞記事などでしばしば登場する。したがって、しっかり理解しておきたい。そう感じた。

 ここでいう放射性物質とは、原子炉から〝ベント〟(排気)された放射性の、いわゆる核分裂生成物のことである。中性子を媒介にウラン235の核分裂の連鎖反応で生じたさまざまな不安定な原子核ができる。それが、半減期と称する時間間隔で安定な原子核に落ち着くとき、その不安定な原子核は

 カンマ線という人体に有害な高エネルギーの光

を放射する。この量を測るときに使われるのが

 空間線量率

という考え方であり、空間線量率計である。

 ただ、注意したいのは、空間といっても、空中を飛び交うガンマ線というよりも、主に地表に降り積もったものを計器で計るのであり、いわゆる外部被ばくの目安となる。

 事故直後には、半減期の短いキセノン(半減期約5日)や人体に有害なヨウ素131(半減期8日)、ヨウ素135(半減期6.6時間)が風にのって上空に漂い、そこから出るガンマ線が測定に引っかかった。

 しかし、その後は降雨などにより、地表に降り積もった半減期の比較的に長い放射性物質、たとえばセシウム134(半減期約2.1年)、セシウム137(半減期約30年)、ストロンチウム90(半減期約29年)からのガンマ線が主なものだろう。つまり、事故から一年後の現在では、こうした半減期の比較的長い放射性物質からのガンマ線が主なものだ。

  これが、件の予測図の今後20年にわたる放射性物質の正体なのだ。原子炉からの放射性廃棄物の中間貯蔵がおおむね50年に設定されているのも、こうした物質からの放射が十分低くなるまでという意味合いがあろう。

 風にのってやってきたウラン235の核分裂生成物には、さらに半減期の長いもの、たとえばテクネチウム99(半減期21万年)、ジルコニウム93(半減期約150万年)、ヨウ素129(半減期約1600万年)などは、ガンマ線を出しながらゆっくりと崩壊し、安定な原子核に落ち着く。

 これらは、高レベル放射性廃棄物処理で、「10万年後の安全」を脅かすものの正体なのだ。ここまでの半減期となると、半永久的に安定している地下への埋設が必要になる。

 それでは、どのように空間線量率を具体的に計算するのか。

 わかりやすい説明をネットでさがした。その中では藤原隆男さん(京都市立芸術大学、天体物理学)の

 空間線量率の計算

というのが、もっともわかりやすい。放射線学の専門家ではないだけに、原理から説き起こし、しかも高校数学程度の積分の知識で解説していたのには、感心した。「空間線量の計算」でネット検索すると、出てくるので、計算法に挑戦してみてほしい。

 この計算結果から、どのように除染したらいいのか、最後にいろいろ議論しているので参考になる。

 さらに、新聞報道などで頻繁に出てくる

 面積1平方メートルあたりのベクレル(Bq/平方メートル)から時間にして1時間あたりのシーベルト(S/h)への換算式は

  ε=2.1×10(-12乗)×p [ Sv/h ]

となる。ε[ Sv/h ]とは、人体への1時間あたりの吸収線量率。 p[ Bq/平方メートル ]とは、単位面積(ここでは1平方メートル)に含まれる放射性物質から1秒間あたりに出てくるガンマ線の個数。

 たとえば、p=10(+6乗)のとき、つまり、1平方メートルあたり100ベクレルのとき、ε=2.1×10

(-6乗) [ Sv/h ]=2.1μSv/h

となる。

 こういう知識があると、あるいは藤原氏の計算式を理解すると、毎日のように新聞に掲載されている

 大気中の環境放射線量(都道府県別、μSv/h)の表

の読み方も深くなる。毎日新聞には、

 文部科学省発表で、高さ1.5-39.4メートルのモニタリングポストの測定値から推算した高さ1メートルでの値

が載っている。高さ補正がなぜ必要か。藤原さんの計算論考ではていねいに説明されている。

 少しむずかしい話になったが、藤原氏の論考は、こうした点で非常に参考になる。

 少なくとも、科学ジャーナリズムに関わる人、あるいは新聞社の科学記者には必須の基礎知識であろう。この際、逃げないで高校数学や高校物理を十分におさらいしておきたい。

 最後に私事だが、ブログ子の大学院時代の仲間にこんな優秀な人材がいたことをあらためて今、感じている。 

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何のために伏見人形は作られたか その源流

(2012.04.22)  ヒマな昼の時間にふと、民放のBSフジを見たら、

 京都「美の創造者」 伏見人形

というのを紹介していた。伏見稲荷大社近くにある

 窯元「丹嘉(たんか)」の大西時夫さん

の工房を訪ねていた。ブログ子は、若い頃、伏見近くに住んだことがあり、大社には何度も子どもを連れて散歩の代わりに訪れており、懐かしい思いで拝見した。まだ伏見遊園地があった頃である。

 伏見人形の素朴な味わいが気に入り、縁日の帰りに大社近くのお土産屋で買ったことはある。しかし、それがどのようにしてつくられるのか、まったく知らなかった。

 それが、今回、手に取るようにわかったのは、うれしかった。伏見人形は、一年をワン・サイクルとしてつくられる。春から夏にかけて型を起こし、夏に天日で干した後、窯で素焼きする。絵の具の状態がいい秋から冬、春に「顔描き」をする。そんなサイクルだ。粘土は大社のある稲荷山のものを使う。昔は薪の窯だったが、今は電気炉で素焼きするという。

 大西さんによると、人形の心を映す「まゆ毛」が顔描きの重要なポイントだという。10年ぐらいの経験が必要らしい。

 伏見人形は、全国の土人形の源流らしい。何しろ全国約3万社というお稲荷さんの総本社なのだから、大社参りのお土産だった伏見人形が源流となるのも不思議ではない。伏見人形をお土産として、ふるさとに持ち帰り、それを形取りし、独自の工夫も加えた。

 北前船で日本海の寄港地にも広がったらしい。博多人形(福岡市)、鶴岡人形(山形県鶴岡市)、堤人形(宮城県仙台市)などである。

 ブログ子の暮らす地域でも、

 大浜人形

という土人形がある(碧南市大浜)。三河は三州瓦の産地であり、その粘土質の土で土人形をつくったという。浜松市博物館(浜松市)にも、この人形(歌舞伎「勧進帳」土人形)が展示されている( 注記 )。

 それはともかく、この番組を見て、不十分な点というか、不親切な点があった。

 一つは、伏見人形自身の源流はどこか、そして何かということがまったく触れられていないことだ。伏見人形については、大社近くの極楽寺に、弘法大師時代のものとされている仏像土人形が残っているとその映像が番組で紹介されていた。

 しかし、それをさかのぼるとどこに行き着くのかということまでは何も番組では語られなかった。

 思うのだが、伏見土人形の源流は

 おそらく、古墳時代の埋葬副葬品、埴輪(はにわ)

ではないか、とふと想像したり、思ったりした。埴輪の埋葬で、死んだ貴人の来世の幸せを祈った。その風習が庶民によって伏見人形として受け継がれたと考えたい。

 もう一つは、何のために伏見人形がつくられたのかという点が番組ではまったく触れられていなかったのは残念だ。なかなか確定しがたかったのかもしれない。しかし、この点が語られないようでは、伏見人形の位置づけ、あるいは全国に広まった理由がわからないと思う。

 源流が埴輪らしいこと、伏見稲荷大社の祭神が農耕の神様や商業の神様であること、稲荷とは豊饒の「稲生」であること、伏見人形のモデルに福福しい七福神の一人、布袋さんが多いことから、伏見人形は、基本的に

 庶民の幸せを祈るためにつくられた

のではないか。そんな気がした。単なる郷土玩具、子ども向けのおもちゃではない。そう考えれば、江戸時代に急速に広まっていったのもうなづけるように思う。

 皮肉ではなく、いろいろ考えさせてくれた番組だった。

注記  余話

 この大浜人形は、伏見人形と同様、土でつくられた人形ではあるが、その全体の大きさ、形、力強いつくりの点で伏見人形とはだいぶ趣が異なる。

 おそらく展示の「勧進帳」の大浜人形は、パネルに説明はないが、

 三河の鬼瓦職人、斉藤梅三郎(本名・梅太郎)が冬場の副業として提供した元型から型取りし、窯元の職人がその上に絵付けしたもののひとつではないか。斉藤氏は歌舞伎に造詣が深かったことが知られている。瓦職人と絵師の合作のような気がする。つまり、みやびな伏見系とは別の、もののふの三河系であろうと想像する。この意味でいうと、三河系の土人形は庶民の幸せを祈るためにつくられたのではない、ともいえそうだ。

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弥縫策の愚  日本の「10万年後の安全」

(2012.04.20)  再稼働をめぐって大飯原発などでゴタゴタが始まっている。福島原発事故を受けて、政府の要請で稼働を「念のため」停止した浜岡原発(静岡県御前崎市)をはじめ、北海道の泊原発をのぞけばすべての原発が定期点検に入るなど運転を停止しているからだ。

 しかし、今夏の電力不足をどうするのか、という目先のことだけで再稼働の是非が論じられているだけのようにみえる。電力会社としてはそうならざるを得ないのはわかる。しかし、原子力行政に責任を持たなければならない政府までがそれでいいのだろうか。

 結論を先に言えば、そうした弥縫(びぼう)は愚策であり、国の将来を危うくする。この時期だからこそ、日本のエネルギー確保政策はどうあるべきか、根本的な問題は何か、それに向かって現状をどう転換するべきかについて、この際、廃炉も含めた

 日本の「10万年後の安全」を幅広く国民的な論議

を展開するべきである。そうすることで、原子力行政の信頼をまず回復する。

 10万年後の安全とは、原発から出てくる高レベル放射性廃棄物の処理の問題のことだ。その最終処分については、日本ではまだ何も決まっていない。そんなことも国民の多くはほとんど知らされていないといっていい。

  弥縫策とは、「新潮日本語漢字辞典」によると、失敗や欠点を一時的に繕って補うための対策のことである。その弥縫に無恥な安住を敢えてする点が偽善者の本質だともその用例にある。

 今の政府の対応は、夏場を乗り越えるための小手先の対策にすらなっていない。根本的な解決にはならないばかりか、まさに国の将来を誤る偽善者の弥縫策だ。民主党に猛省をうながしたい。

 同時に、大飯原発の、そのまた再稼働だけに目を奪われることなく、有権者は政府の弥縫策に声を挙げることも必要だ。

 日本海側と違って、太平洋側では、これまで想定されてこなかったようなプレート型の超巨大地震が発生する可能性が、東北大震災後、盛んに指摘されだしている。

 つまり、たとえ再稼働するとしても、その前提条件となる防潮堤の補強工事などの難問が横たわっている。

 たとえば、浜岡原発。

 4月17日付静岡新聞朝刊に、

 浜岡原発「再稼働」についての30キロ圏内首長アンケート

の結果が掲載されている。1面トップである。この原発が立地する御前崎市の市長選挙で3選を果たした石原茂男氏のインタビューも中面に出ている。再稼働について

 「今は議論する時ではない。まず、安全な原発づくりを(政府や中部電力に)しっかりやってもらうことが最優先課題」

と今すぐの再稼働には賛成しかねる考えを述べている。つまり、再稼働の是非について判断を先送りした。先送りはしたが、補強工事中の防潮堤が完成する今年末以降の再稼働については、含みを残し保留しているのがミソだ。

 お隣の牧之原市の西原茂樹市長のようにはっきり

 「防潮堤の完成後も再稼働すべきではない」

と明言できないところに、御前崎市長の苦しい立場、憂うつがうかがえる。焼津市長、藤枝市長、吉田町長も牧之原市と同様だ。

 こうした議論を聞いたり、見たりしていて痛感するのは、ここでもまた有権者の関心が再稼働の是非の範囲をほとんど出ないことだ。これには原子力政策の現状の問題点、廃炉の是非などをマスメディアのほとんどが本気で、かつ真剣に取り上げないことが影響しているだろう。 

 はっきり言えば、この50年にわたる日本の原子力政策の基本は一貫して

 核燃料サイクルの確立

だったが、すでにそれは破綻している。

 なぜなら、確立のスタートとなるはずのウラン濃縮工場(青森県六ヶ所村)がもう10年以上稼働していないし、効率のよいウラン濃縮のための新遠心分離機の開発も遅々として進んでいない。サイクルの中核施設、再処理工場(青森県六ヶ所村)も深刻な事故続きでいまだ一度も稼働していない、エネルギー確保の切り札、エースとされていたが、15年前に事故を起こした高速増殖炉原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)は、もはやスクラップであり、稼働することはないというのは公然の秘密だ。ましてや、10万年後の安全問題といわれる高レベル放射性廃棄物の最終処分場選定にいたっては、候補地のうわさが出ただけで門前払いを食らうなど、具体的な論議は始まってすらいないと言ってもいいくらだ。

 日本の原子力政策の土台は完全に崩壊している。にもかかわらず、政府は国民にこうした深刻な事態を正直に提示することを避け、「無恥な安住」を敢えてしている。自民党政権時代からの政策だったとはいえ、民主党政権は

 偽善者の本質

を受け継ぎ、今、さらけ出している。最近の一連の政府の対応をみていると、そう断じずにはおれない。

 この意味で、大飯原発再稼働の問題は、日本の将来を占う試金石だ。

 そんな思いで、先日、BSフジの「プライムニュース」を見た。どうなる原発再稼働をテーマにした2時間徹底討論番組だった。大飯原発が当面焦点となっていることから、原発が集中する若狭地方を地盤とする福井県3区の高木毅衆議院議員と、菅内閣の元内閣官房参与、田坂広志氏(原子力工学で工学博士。原子力行政が専門で多摩大学大学院教授)がゲストとして登場していた。

 田坂氏は、

 「モグラたたきのような、その場、その場だけの原子力行政を見直し、30年、50年先を見すえた課題を(俯瞰的に)全部洗い出し、国民に(正直に)提示することが必要」

とまとめていたのが印象的だった。その通りだと思う。

 その観点から、田坂氏は再稼働についても、国民の常識に従って、

 まずは福島事故の原因を究明しそれに基づいてハードの対策がたてられていること、

 第二は経済産業省の保安院、内閣府の安全委員会など福島原発事故の教訓に立ってソフトとしての行政改革がなされていること、

 三番目はそうしたハード的、ソフト的な対策について透明性が確保されていること

が少なくとも必要ではないかと提言している。簡単に言えば、(原子力に対する)「信頼」が肝心であり、国民から、有権者から今、求められていることだと話していた。まったくその通りと思う。

 それを避けて、なるべく手っ取り早く再稼働にこぎつけるための新基準で「ゴーサイン」を出そうとしているところに、今の政府の問題点がある、と同氏は言いたいのだろう。菅政権の元内閣府官房参与であるだけに、この言葉は重い。

 この討論の中で、地元自治体の雇用確保、地域振興については、今のような電源三法交付金のようなやり方ではなく、

 特別立法で救済する

という方法もあると田坂氏が指摘していたのが注目される。地域振興や地元雇用と国の将来に直結する原発のあり方とを電源開発三法交付金といういかにも姑息な手法結びつけ、それを同一のテーブルで、あるいは同日に論じ、解決しようというところに、もはや無理があるというわけだ。

 原子力行政が専門であるだけでなく、多数の著書で広い視野から原発問題をとらえているだけに同氏の主張は軽視すべきではない。高レベル放射性廃棄物処理方法の専門家からの具体的な提案でもあり、現実的な選択肢として一考するに価する。

 一理も二理もある考え方だ。

 とすれば、国全体のエネルギーの確保のあり方を左右する今後の原発の是非については、先進諸外国の事例にもあるように、国民投票にかける決断が必要になってくると番組を見終わって感じた。

 しかし、先の首長アンケートでもわかるように、原発地元の利益が密接にからむことから意見集約は難しいだろう。原発の是非については代議員による国会で決めるのは極めて困難。主権者の国民に直接問うのが至当ではないか。そんな気がする。

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何が生死を分けたか  「タイタニック」沈没100年

(2012.04.20)   ブログ子は、理系出身だが、唯一、熱心に購読している科学月刊誌に

 「NATIONAL GEOGRAPHIC」(日本版)

というのがある。時々必要があって、英文版にも目を通す。そのたびに、その図や写真のうつくしさやセンスの良さは、日本の科学雑誌は今もって遠く及ばない感嘆する。芸術作品ではないかと思うような科学写真やイラスト、CG図が毎回満載されている。だから楽しい。その美しさに魅せられるのであろう、書いてある内容もよく理解できる。これで定価が1000円足らずというのだから、二度びっくりだ。

 その日本語版(英文版も)4月号(2012年)が、

 タイタニック 沈没100年後の真実

を特集している(写真)。英文版はもちろん、日本語版にも、特製ロングポスターと銘打って

 タイタニックの最後(Death of the Titanic)

の様子を精密な連続カラーCGで描いている。タイタニックが海底にどのように横たわっているのかという詳細な様子までついている。

 Image506 さらに本文では、数千枚の高精密写真をつなぎ合わせて、4000メートルの海底に沈んでいる様子を紹介している。なんとも息を呑むようなすばらしい写真だ。さらに、その引きちぎられた船内の様子もまざまざと多数の写真で読むものの眼前に浮かび上がらせている。

 圧倒するような写真群だが、十数年前のデカプリオ主演のアメリカ映画「タイタニック」でこの事故の様子はご存知の人も多いだろう。

 この事故で乗客・乗員1500人が亡くなった。問題は、

 何が乗客・乗員の生死を分けたのか

ということだろう。

 分けたもののひとつは、どの等級の船室に乗り込んだか、ということだ。

 1等船室の乗客のうち62%が救命ボートなどで助かった。これに対し

  2等船室は41%、3等船室は25%

しか、助からなかった(乗員も25%しか助からなかった。なかでもボイラーマンは、ほとんど全員が死亡。船長も死亡)。

 その原因は、頼みの救命ボートは1等船室の区画に設置されており、しかも1等船室と3等船室とは行き来できないように船が設計されていたからだ。3等船室には移民が多く、疫病が1等船室に蔓延しないようにしていたためだ。当時の防疫対策が生死を分けた。

 もう一つは、婦女子優先の原則、つまり、レディ・ファーストの退避ルールが船員に徹底していたことだ。救命ボートに乗り込むのは女性と子どもたちが優先されたのだ。

 この点については、件の映画でも描かれていた。男性が、たとえ、それが男児であっても、女性にまじって乗り込もうとしても、船員は短銃を突きつけて、引きずり出す。そんなシーンが映画でもあった。

 1等船室の乗客でも助からなかったのは、そもそも救命ボートの数が乗客全員を収容できるほど多くはなかったことが原因。豪華客船からの眺めを重視し、デッキに設置するボートの数をできるだけ少なくしていた。このこと自体は当時としては違法ではなかった。これには、

 巨大であることは安全である

という神話が当時の社会に根付いていたことが背景にある。事実はそうではないのに巨大豪華客船が救命ボートを使うような事態はないという根拠薄弱な思い込みがあった。

 ところで、英文版にはない記事が日本版には出ている。

 乗り込んでいた唯一の日本人で、からくも助かった細野正文氏の手記だ。かれは明治政府の鉄道院高等官吏として、帰途中に事故にあった。

 同氏によると、最後のボートが下ろされているとき、そこに2人分の「空き」があり、その一つにかれはとっさに飛び乗った。それでかれは生き延びた。しかし、帰国後、彼のとった行動が批判、あるいは非難される羽目になった。男性だったからだ。婦女子を押しのけて何たることだというわけだ。

 かれにしてみれば、最後のボートのそのまた「空き」に命がけで飛び乗ったのだ。だれにも迷惑はかけていないという言い分もあろう。しかし、細野さんは、後ろめたいこともあったのか、その後は事故については、ほとんど話すことはなかった。救出直後に書き留めた手記も家族以外には見せたことはなかったという。

 日本語版の記事によると、生還後、わずかに家族に語った言葉がある。

 「俺が今ここにこうして生きているんだから、いいじゃないか」

 少しこれを補えば、周りがなんと言おうと、と言いたかったのだろう。細野氏の苦衷が聞こえてくるが、本音だろう。

 細野氏の話や手記が事実とすれば、ブログ子も細野氏と同様な行動をとっていただろう、と思う。いや、もっと卑劣な行動に出たかもしれないと正直に言おう。人を押しのけてでも自分だけは助かりたいなどとは思わなかったと誰が言えよう。

 この美しい科学雑誌が明かしてくれた真実は、そんな人間の、そしてなにより自分自身の心の中に潜むおぞましさの一面をブログ子に突きつけたと思う。

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おバカさんの時間  「分裂の文明」をこえて

(2012.04.18)  ちょっと夕食の買い物に出かけた折、スーパーの雑誌コーナーで立ち読みをした。これまでほとんど手に取ったことのない月刊誌

 『ラジオ深夜便』(2012年5月号、NHKラジオセンター)

の表紙に

 愚かさの再発見

というタイトルで、町田宗鳳(そうほう)さんが巻頭インタビューに応じていた。ラジオで放送したものの収録記事だから、分かりやすいので一気に読んでしまった。

 今は広島大学大学院教授の町田さんは、ブログ子の金沢在住時代の知人だが、大変にユニークな経歴を持つ宗教学者だ。中学生のころ家出し、20年、京都の禅寺、大徳寺で修行した。そこまでなら、どこにでもいる僧侶なのだが、その後、突然、アメリカにわたり、ハーバード大学などで、キリスト教神学を学んだ。英文で学位論文すら提出しているからただものではない。十数年、かの地で教壇にも立ったし、帰国してからも東京の大学で教鞭をとっている。

 その間、金沢にも暮らした。金沢出身の西田幾多郎哲学の核心、つまり絶対矛盾的自己同一とは何かにも深い洞察を加えていた町田さんの熱弁ぶりを、今もブログ子は思い出す。

 座禅や禅宗とは対極的な近代知にも深く触れたその思想は、実践に裏打ちされてもいる。だから、説得力がある。

 この記事で、ハッとさせられたのは、

 自分を非日常空間に解き放す

 愚かさの時間

を持とうと呼びかけている点である。一切の計らいや計算を解き放つ、いわば、おバカさんの時間である。

 それはスポーツども遊びでもなんでもいい。しかし、町田さんは、

 トイレ掃除の時間

を実践している。職場や自宅のトイレを素手でピカピカになるまで洗う。便器の汚れを落とすことは、自分の心の汚れを洗い落とすのにいいという。できれば、もっと汚れているという点では

 公衆トイレの掃除

があるという。会社のトイレでもいいだろう。

 こういうことは、賢いひとにはなかなかできない。それを、誰から言われたのでもないのに、あえてするところに、おバカさんの時間のよさがあるらしい。無分別な愛、キリスト教でいう博愛にも通じると町田さんはいう。

 ではなぜ、今、おバカさんの時間なのか。

 それは、現代は「分裂の文明」時代であり、それが今や考え直す時期に来ているからだという。

 人間と自然の分裂、個人と共同体の分裂

 そして、その個人においても

 身体と心の分裂、科学と宗教の分裂

が現代文明にゆがみを生み出しているというわけだ。そのゆがみもそろそろ限界にきている。分裂の文明にストップをかけ、それぞれの融合を目指すには、自分の持つ価値観を一度、解き放つ自由な時間が必要なのだと説く。

  賢い人も、一度、心を真っ白にして自分を解き放つ効用として、おバカさんの時間は重要だと気づいてほしいらしい。

  おバカさんの時間は、決して無駄な時間ではないのかもしれない。そしてまた、何もしない時間、無為な時間とも違う。もちろん、暇つぶしの時間でもない。自分を新しくつくり変えてくれる

 創造的な時間

ととらえたい。

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北朝鮮批判も結構だが-インドが大陸間弾道ミサイルの実験

(2012.04.17)  あれだけ、平和目的の人工衛星の打ち上げ実験であると再三言明した北朝鮮なのに、いや、いやそうではあるまいと日本で連日大騒ぎした。なのに、

 インド、弾道ミサイルあすにも実験

というインドの通信社のニュースには、ほとんど誰も見向きもしないのはなぜなのだろう。

 Image496 日経新聞などは、きちんとしたニュースにすらしていない(写真=4月17日付日経新聞「ダイジェスト」)のにも、驚いた。わずか10行あまりの記事だが、インド政府はなんと堂々とこのミサイルは核兵器の搭載が可能な大陸間弾道ミサイル(いわゆるICBM)であることを明言している。究極の核兵器の実験であり、天敵の中国全土を射程に収める。西日本もおおむね射程距離に入る。実験は米ロ中といったミサイル大国入りが狙いだという。

 なのに、日本人は何の反応もしない。なんとも不思議でしょうがない。

 それは不思議でもなんでもない。北朝鮮には失礼だが、北朝鮮は何をしでかすかわからない国際社会の〝嫌われ者〟なのだから。それに比べ、インドはなんといってもお釈迦様の国だからいいのだ。ICBMもきっと平和目的で使用してくれるだろう、とでもいうのだろうか。

 インドも北朝鮮も、核兵器の拡散を防止する唯一の発効条約、核拡散防止条約(NPT)に加盟していないという点では同じなのだ。どちらもこの条約には縛られない(日本はもちろん、批准国)。

 インドはもともと、はなから未加盟(調印すらしていない)。

 それに比べ、北朝鮮は一旦は加盟し批准したものの、1994年、核査察のあり方ひとつをとっても核保有国と非保有国との間の不平等さがひどすぎる、核保有国が条約に定められた軍縮努力を意図的にサボっているとして腹を立て脱退。自分たちの主権が今まさに窮地に立たされている。脱退は正当な権利の行使であるというのがかの国の言い分。この経緯からは、まだしも、インドに比べ、北朝鮮はなにがしか誠実といえるだろう。

 北朝鮮は先ほど、アメリカと、食糧支援を条件に弾道ミサイルの発射実験をしないと合意したではないか。それを破るのはけしからん。そういう言い分もあろう。

 確かに、アメリカは、弾道ミサイル実験には平和目的の人工衛星も含まれると北朝鮮に対し交渉過程で主張はした。しかし、それを北朝鮮が認めたかどうかはあいまいなのだ。北朝鮮側は、含むことに合意していないとしている。成果を急いだアメリカの詰めの甘さが露呈したのだ。海千山千の北朝鮮に、はっきりいえば、してやられたのである。

 NPTが不平等条約であるからごたごたが起こる。インドは、この公知の事実をたくみに生かして、国際社会の批判をかわし、堂々とミサイル大国の道をひた走りに走っている。

 そもそも日本の車をたくさん買ってくれる上得意のインドだから、ミサイル実験を問題視しないというのは、純真な子どもの論理だろう。

 北朝鮮だけをたたいていればいいというような、のんきな太平楽を並べているのでは、日本の安全は守れない。そのことをインドの弾道ミサイル実験のニュースは教えてくれている。

   追記

 さすがに、朝日新聞もおかしいと思ったのだろう。

 4月20日付朝日新聞朝刊で

 インドと北朝鮮との違いは、どこにあるのか

という記事が載っている(写真)。

    あああでもない、こうでもないと、いろいろ歯切れ悪く書いているが、きちんとした法律論になっていない。要するに

 インドは核兵器技術を他国にもらさなかった優等生

 北朝鮮は「ミサイル技術をイランやパキスタンなどに輸出しているとされる」ならず者

2いうのが理由らしい。

 もう一つ、インドは人口約10億人の将来なにかと市場が見込める育ち盛りの〝おいしい国〟

 これに対し、北朝鮮は、人口約2500万人足らずの食うや食わずの〝貧乏神がとりついた国〟で、お近づきになりたくない国

という違いなのだろう。インドには何くれとなく先進国は気を使っているのだ。

 たとえば、日本政府。官房長官は記者会見で、違いについて

 「インドは国際社会において、弾道ミサイル開発を何ら禁じられているわけではない」

という風に。中国がほとんど何の反応も示していないのは、大人の対応ともいえるが、不気味でもある。

 北朝鮮に肩を持つわけではないが、身から出たさびとはいえ、これでは、北朝鮮がむくれるのも無理はない。

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人の気持ちを「コーティング」する  辺見庸氏の怒り

(2012.04.15)  それほど期待して、見はじめたのではなかったが、しかし番組の後半には、ハッとされられた。

 NHK-教育「ETV特集 失われた言葉をさがして 辺見庸、ある死刑囚との対話」

である。ある死刑囚とは、確定死刑囚、大道寺将司のことである。団塊世代だ。1975年に逮捕されてから37年間を獄中で生活。死刑が確定してからでも25年がたつ。全共闘世代で団塊世代より少し年上の辺見庸氏や、ブログ子のような団塊世代なら、たいていは知っている名前だ。こういえば、死刑囚の思想のおおよその見当はつくだろう。贖罪の毎日だという。

 番組では、大道寺死刑囚が獄中から一千句以上がおさめられた

 大道寺将司全句集「棺一基(かんいっき)」

を出版するまでの経緯を、詩人、辺見氏がどういう思いで支援したかを軸に、つづったものである。

 そのこと自体には、それほど興味を持たなかった。いかにも元活動家、辺見氏らしい語り口だなあ、ぐらいにしか思わなかった。感心もしなかった。

 ハッとしたのは、石巻市出身の辺見氏が、年老いた母親を石巻市の施設に見舞ったときの話以降であった。被災地を歩きながら、彼は、おおよそ次のように話す。

 被災地を励ます言葉が氾濫しいてる現状を憂いて

 「きれいごというんじゃないよ。石巻の人たちは恐いんだよ」

 堰を切ったように怒り顔。耳障りのいい言葉だけがもてはやされていることに

 「ひと(被災者)の気持ちを(うわべだけの優しい言葉で)コーティングしている」

 と怒り、そのあさはかさをなじっていた。人の記憶を一律にしてしまう、いわば、つや出しをコーティングというのだろう。もっとはっきりいえば、言葉の乱暴なつや出しというわけだ。この言葉をはいたときは、いかにもにがにがしい様子だった。死んだ人にすまないという気持ちだからだろう。

 美しい言葉で、被災者の死を冒涜している

といいたいのだろうとも思った。

 その通りだ。ブログ子も、この一年、あまりに浅薄な、そして、あまりにお涙頂戴の写真や写真集の出版に怒りを感じていた。新聞紙面もそうだし、テレビの報道もそうだ。

 もう、ウソ報道はやめようと、この3月、ある大手新聞社のフォーラム「震災報道を考える いま求められているもの」で訴えたが、完全に無視された。非常識と思われたらしい。

 単行本もひどい。たとえば、たまたま書店で手にとった最近発行の

 『南三陸日記』。

 大手新聞社の記者の大震災この一年の連載記事をまとめたものだ。「出張して記事になりそうな出来事を「報道」するのではなく、被災地に住み込んで、そこで感じた日常の変化や人々の心の揺れなどを「報告」する」(はしがき)のが狙いらしい。その狙いは確かに鋭い。正鵠を射ているとも思う。

 しかし、この本の腰巻が

 「住んで、泣いて、記録した」

ということからも、わかるが、また、挿入写真はほとんど笑顔ばかりであることからもわかるが、まさに

 「コーティング」されたうわべだけの優しい言葉のオンパレード

だった。嫌悪感すら覚えた。やりきれない気持ちで、本を平台に戻した。

 ほかの3.11一周年本や写真集も大同小異だ。

 不謹慎といわれそうな言葉は極力排除される。うわべだけの優しい言葉づくりがあふれる風潮。被災者あるいは死亡した人たちをむしろ冒涜していると感じる。こんな気持ちになったブログ子は異常なのであろうか。

 震災後に詠んだという大道寺の俳句がある。

 暗闇の陰翳刻む初蛍

 原発に追はるる民や木下闇(こしたやみ)

 いずれも、大道寺が東京拘置所の三畳の独房で読んだらしい。なんとも暗い。が、そこには死んでいった被災者へのいたわりが、ひそとしてあるように思う。深夜、ブログ子と同じ団塊世代の死刑囚のどんな心境から、そんな気持ちがわいてきたのだろうと重く沈んだ。

 この俳句などに関して、この番組では、辺見氏は、

 自照

という言葉を持ち出していた。自分に思考の刃を向けないで、ほかの人にばかり刃を向けている現状を嘆いていた。このことが言葉を軽くしてきたと言いたいのだろう。

 「広辞苑」などによると、自照とは、自分自身を客観的に冷静に見つめることとか、自分自身をかえりみて、深く反省することとある。自照文学というジャンルがあるらしい。

 マスコミにはこの自照が極端にすくない。

  ところで、そういうあなたの生き方はどうなの?

ということにまったく無反省だったことを思いしらされた。その意味で、ブログ子などは長年、論説委員をしてきたが、無恥の偽善者だったのではないかとも思う。

 ただ、1600ページをこえる「学研 漢和大字典」(漢文を読むための字典)には「自照」という言葉は掲載されているものの、2500ページをこえる浩瀚な「新潮日本語漢字辞典」(日本語を読むための漢字辞典)には、この言葉はない。日本語の文章に出てくる漢字としては今はほとんど使われていない証拠かもしれない。

 37年間の隔絶した牢獄からつむぎだされる非日常的な言葉の俳句と、被災者へのうわべだけの世間の言葉との間の落差。なんと大きな落差なのだという怒りが番組をつくらせたのだということに気づいた。

 失われた言葉をさがして、たどり着いた牢獄。そこにしか言葉はないのかという、辺見氏の「怒りの旅」のような番組だった。

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次の大地震はいつか  「浜松の災害史」展

(2012.04.15)  花見も終わって、少し落ち着き、ふと、浜松では次の大地震はいつごろやってくるのだろうかと気になりだし、自宅近くの浜松市博物館の特別展、

 「浜松の災害史」展

に出かけてみた。今後を考えるには、まず足元の過去のことを知る必要があるいうわけだ。始まったばかりなのに、入場者はほとんどいなかったが、その分、じっくり考える時間ができたのは幸いだった。

 次の大地震の時期がいつごろになるのか、それをつかむ意外な手がかりを過去の歴史地震のデータから得たので、以下、順序を追って書いておきたい。

 まず、過去の地震について。

 これについては、

 安政東海地震(1854年12月23日=安政1年11月4日、約M8.4)

がよく知られている。津波が房総半島から土佐までの沿岸を襲う。とくに沼津から伊勢湾にかけた海岸の被害が大きかった。震源域が駿河湾の奥深くまで入り込んでいたらしい。

 この大地震から150年以上が経過していることが、いわゆる「明日起きても不思議ではない」想定東海地震の根拠となっている。

 この地震の32時間後には

 安政南海地震(1854年12月24日=安政1年11月5日、約M8.4)

が起きている。いわゆる「稲むらの火」(和歌山県広川町)で知られる大地震だ。

 浜松でも、この二つの地震についての記述が日々の出来事を記録した日記

 『変化抄』(歌人で国学者の竹村広蔭著)

にある。今の浜松市入野周辺の被害状況や地震の様子がかなり詳しく書かれている。

 嘉永七年寅十一月四日朝五ツ半時大地震ニ当村(入野のこと)三拾弐軒皆潰其余過半大破本家土蔵-

また、

 同五日晩七つ過ぎ之比甲酉の沖方くらくなり鳴声天地震動して山も崩る計の音にて津波来ると呼去一同にあはて山へ逃去ル騒動之其有様-

 浜松ハ寺院本堂或ハ庫裏六ヶ寺潰門弐ヶ寺-

などとそのすさまじい様子を書いている。

 展示では、この日記に基づいて、浜松周辺の場所ごとの被害状況がまとめられている。それによると、海岸沿いの中田島(砂丘)では、「泥水吹出」とあり、今でいう液状化現象を報告している。今切湊では南西方向からの高汐があった( 写真 )。

 Image488 また、

 「萬(よろず)日記」(江戸末期)

には、

 四日昼より高しを二テ堀川のり越上堀合半分程しを入申候新居今切半道程崩候ゆへ塩みち引早く沖通り一面二相成り

との記述がある。今切湊が大きく変化したとこをうかがわせる。

 安政大地震で発生した津波が舞坂宿を襲った様子を描いた

 大絵図「舞坂宿津波図」(浜松市博物館所蔵)

が今回展示されている。それによると、十一月四日朝五つ半時、津波が本坂通(姫街道)あたりまで飲み込んだ。浜名湖北部を走る今の天竜浜名湖線あたりも津波の被害にあい、津波が引いた後も、水がなかなか引かなかった様子も同時に描かれている。

 こうした被害状況のほか、

 日記「我楽多婦久呂(がらくたふくろ)」(大正四年、浜松市東区大瀬町のとちぎ家当主著)

には、17歳のときに遭遇した安政東海・南海地震の記憶を頼りに体験をつづった60年後の回想がある。

 十一月四日は、雲ひとつない快晴の天気で、

 地震が発生し、足がよろめいて歩けず、はうにも手足が地に着かず、天地が転覆するかと気も魂も失せた

と回想している。五日午後四時ごろ「南方から天地も覆えるほどの音響があった」とも書いている。なかなか実感がこもっている。

 以上、こうした史料をもっと広く住民に知ってもらう活動が大事だと、強く感じた。

 ところで、問題の「次の大地震はいつ浜松を襲うか」という点について。

 災害史展であるので、展示では、総括的に、浜松・遠江・遠州周辺で大きな被害のあった主な歴史地震・津波について年代順にまとめられた一覧表が掲げられていた。

 山崩れで天竜川がふさがれ、決壊した霊亀1年(715年)の大地震から始まり、

 昭和十九年(1944年)12月7日の昭和東南海地震

 昭和二十一年(1946年)12月21日の昭和南海地震

まで、29回の大地震がずらりと並んでいる。浜松はこれ以降の戦後では、これといった大地震がなく、いわば65年間は地震・津波とはほぼ無縁の平和な暮らしが続いたわけだ(『理科年表』によると、確かに、上記以降の戦後では、浜松市周辺を震源とする大地震は発生していない。静岡市など静岡県東部も同様の傾向が続いていたが、

 2009年8月11日の駿河湾地震(M6.5、震源=駿河湾、最大震度6弱)

  2011年3月15日の地震(M6.5、震源=静岡県東部で富士山直下、最大震度6強)

と最近、地震活動が活発化している)

 そこで、715年から1946年までに29回の大地震が起きていたわけだが、単純に平均すると

 浜松は、42年に一度大地震に見舞われている

ことになる。

 (注意-こうした単純平均をとることに物理学的な意味があるかどうかについては今は棚上げする。地震の原因が一つだけの場合は、その平均に物理学的な意味付けができる。之に対し、29の大地震は発生メカニズムはさまざまであり、厳密には同一母集団を持つとしては扱えないだろう。つまり、その場合の平均は、一応の目安にすぎない)

 にもかかわらず、浜松はこの65年間大地震に見舞われていない。統計学的には、そろそろ大地震が起きても不思議ではないということになるだろう。

 ではいつ来るか。

 手がかりは、『地震防災』(里村幹夫編著、学術図書出版、2008年)

にあった。この本には、東海地震、東南海地震、南海地震がどういう周期で太平洋岸に起きているかという図が掲載されている(写真)。静岡大学教育学部の小山真人氏(地震学)の

東海地震はどんな地震か

という章である。これを使うと、次に来る地震がある程度、その繰り返しパターンから割り出せる。で、計算してみた-。

 Image490 東海地震が単独で起きた歴史地震は一度もない。東海地震は必ず、東南海地震と連動するか、または南海地震とも連動した3連動するかたちで起きているというパターンから

 2012年から起算して35年後か、または71年後

となる。しかも、それは

 いずれも3連動型の超巨大地震・津波

であるというのが歴史地震からのパターン分析からの結論である。

 この結論をある程度の幅を持たせると

 次の大地震は3連動型で、今世紀半ば(2060年±15年)にやって来る

ということになろう。早ければ、30年後にもやってくるといえそうだ。

 こうした計算と符合する専門家のアンケートがある。

 地震学者19人「次」の予想、今後の大地震(『AERA」』2012年3月19日号)

 専門家にアンケートしたこの記事には

 注目度トップは「東海」

とある。

 歴史にたえられる予想になるかどうか、実名を挙げてその予想を再掲しておく

 石原和弘(京都大、M8-9。おおむね50年以内、3連動型。ほぼ確実か)

 山岡耕春(名古屋大、M8.5前後。20-40年後、南海トラフ沿い。30年間で発生確率70%)

 竹内昭洋(東海大地震予知研究センター、M8-8.5?。3連動型。時期や確率は不明)

 片尾宏(京都大防災研究所、M8。30年以内(ほぼ確実)。南海トラフ沿い。30年後に起きていなければ90%超)

 岩森光(東京工大、専門=地球内部ダイナミクス、M8後半-9。3連動型。50年以内)

 小泉尚嗣(産業技術総合研究所、M8級かそれ以上。3連動型。30年以内で60%以上)

 本蔵義守(東京工大、地球物理学。M8.5程度。南海トラフ沿い。20-40年後に発生、その確率は70%)

 堀川晴央(産総研活断層・地震研究センター、M9弱。南海トラフ沿い。時期・確率は不明)

 佃為成(日本女子大、M9-9.5。南海トラフ+琉球海溝まで。数年-10年以内。主観的だが確率80%)

 上田誠也(東大名誉教授=元東大地震研究所教授。3連動型。時期は不明(記事の一覧表では数年以内となっているが、これは3.11の余震予測であり、転記ミス。確率は不明。そもそも確率には意味はないと主張)

  固体地球物理学が専門の上田氏は、地震学だけで予測などできない、「地震学の敗北」と地震学会は認めたが、その通りだ、むしろ「やっとわかったか」という感じだとアンケートに回答している。

 世界的にも高名な地震学者としては島村英紀氏(武蔵野学院大、元北大理学部教授)もアンケートにこたえている。地震の予知などできるわけがないとの年来の持論を展開、次の大地震予測について「現在の地震学ではわかるはずはない」と切り捨てている。

 この二人を除けば、こうした専門家の回答と先のブログ子の歴史地震から割り出した予測とは、

 数値を含めて大筋で整合性がとれている

と思うが、どうだろうか。

 浜松の「次」は3連動型の超巨大地震であり、早ければ、30年後にもやってくるといえそうだ。

 追記 

 とすると、浜松には1946年以来

 100年近く、大きな地震がないことになる(過去のデータでは、平均発生間隔は42年なのに)。ひょっとすると、活断層型の被害地震(M7クラス)の地震がこの間にあっても歴史地震データからはおかしくはない。

 しかし、これについては、活断層の活動は1000年単位であること、浜松周辺のどの断層が動くかなどデータが少ないことなどで、統計数字を離れた物理学的な予測は極めて困難だろう。

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心配を裏切らない人 鳩山由紀夫氏の真骨頂

(2012.04.10)  久しぶりに、鳩山由紀夫氏が話題になっている。同氏は今は、民主党の外交・安全保障問題の最高顧問。4月10日付読売新聞1面下「編集手帳」は、

 イラン大統領府の発表によれば、鳩山由紀夫元首相が大統領との会談で国際原子力機関(IAEA)を批判し、核開発を進めるイラン寄りの発言をしたという

点を取り上げている。3年前、オバマ大統領との信頼関係をぶち壊した事例や、沖縄県の米軍普天間基地問題で「最低でも(移転先は)県外」と発言し、日米同盟を揺るがしたことも念頭にあったのだろう、コラムの最後で、

 かくも毎度毎度、「心配を裏切らない」人もめずらしい

とこき下ろしている。それでも足らないのか、同日付社説でも、とうとう

 「鳩山氏は、能力的にも性格的にも、外交に関与してはならない政治家だ」

と決めつけた。よほど腹にすえかねたのだろう。ブログ子も、この社説を支持したい。

 民主党支持者も含めて、たいていの国民は

 案の定、しでかしたか

という感想を持ったのではないか。同日付読売新聞には「軽すぎるなあ-」(すずきたける)との政治一コマ漫画まで掲載されており、(社説に比べて、ずいぶん穏やかではあるが)皮肉っている(写真)。宇宙人うんぬんでは、すまされない事態であろう。

 Photo 問題は、イランはこうなることを十分予測して、意図的に会談に応じたのだろうということだ。

 だとすると、会談の様子を録音されていた可能性があり、発言の真偽、真意をめぐる回のドタバタは今後、さらに日本とイランの間でこじれる可能性がある。火種が残ったのが、なんとも心配だ。

 というのは、鳩山氏の発言の具体的な内容というのは、大統領府の発表によると

 「IAEAがイランを含む特定の国に対し、二重基準的な対応をしているのは不公平だ」

として、IAEAを批判したらしいからだ。これはまさに、イラン側が終始これまで主張してきたことなのだ。イラン側から言えば、してやったりの発言だったわけだ。

 わかりやすく言えば、イランの宗教的な〝天敵〟イスラエルを支持するアメリカなどの先進国は、二枚舌でイランを差別しているということだろう。 こうした二枚舌については、国際社会では公知の事実であり、いまさら鳩山氏に指摘されるまでもないことだが、アメリカの同盟国、イラン側から見れば〝家来〟の元首相にイラン大統領に向かって公式に、また直接に言わせたところがミソなのだ。

 これに対し、

 鳩山氏は

 「発表は完全に捏造」

だとして息巻きいた。後の祭りだが、それでも大統領府に訂正を申し入れる考えという。

 日本国民としては鳩山さんが正しいと信じたい。が、もし、大統領府の発表が、会談内容の録音記録などから事実であることが判明した場合、捏造発言、つまりウソ発言は大統領や大統領府を侮辱したことに等しい。その場合、イラン国民は黙っていないだろう。

 具体的に言えば、イラン政府から名誉毀損で訴えられかねない事態でもあるということだ。批判されたIAEAのトップ、事務局長は日本人なのだ。公平中立を建前とするIAEAの立場は丸つぶれである。このいざこざは、日本とイランとIAEAの三者の間に、ウソ発言の真偽はともかく、イランが主張して止まない二枚舌の対応は公然の事実であるだけに、今後暗い影を落とすだろう。

 心配を裏切らない人の「完全に捏造」発言であるだけに、ますます心配になる。鳩山氏は、外交オンチというか自分のおろかさを自覚して、これ以上の発言は慎むのが、もっとも国益にかなうのではないか。

 追記 

   あふれるほど原油のあるイランが、1970年代以降、核開発(平和目的の原子力発電、あるいは核兵器開発)にひた走る真の目的は何か。

 アメリカなどの核保有国は、平和利用の原発導入を口実にした核兵器開発(つまり原発の原子炉でつくられるプルトニウムを使うプルトニウム原爆)ではないかという疑念が根強くある。NPTに加盟しているといっても、活動報告、核物質計量管理、核査察受け入れなどその義務をはたそうとはしていないではないか。この秘密主義がある限り、NPTに加盟していると言っても、それは隠れ蓑にしているだけだ。現に、最近、アメリカが偵察衛星でイランの核兵器開発拠点まで特定しているのが何よりの証拠だ。核兵器開発にも転用可能な高濃度のウラン濃縮技術の導入している事実もわかっている。

  一方、イラン側は、もちろん、将来のイランのエネルギーの確保が目的だというだろう。いつまでも原油に頼っているのではイランの将来はない。平和目的である証拠に、核兵器開発を禁止したNPT(核拡散防止条約)に加盟している。核兵器開発なんてとんでもない。そもそも、1970年代から原発開発をしつこく売り込んできたのはアメリカ、イギリスなどの核保有国ではないか。それなのに、イラン革命があったとはいえ、途中で放り投げて〝食い逃げ〟したのは、どこのどいつだという不信感がイランでは根強い。だから、自主、独立での開発にも力を入れざるを得ないのだ。これはイランの同然すぎる権利だと主張する。

  イランとしては、ともに天をいただかない宗教的な〝天敵〟イスラエルを支持しているアメリカの言うことなど信用できないと言いたいだろう。イスラエルだって建国以来核兵器開発をしてきた。同盟国、フランスがその技術を供与したことは公知の事実じゃないか。われわれのイランの生存権のためには、核兵器開発は当然の権利だと主張したいくらいだ。イスラエルはNPTに加盟していないが、イランを疑う前に、核兵器を持っているともいないとも明確にしない核兵器疑惑国、イスラエルこそ問題だ。この「あいまい政策」は核恫喝なのだ。

 だいたい、イスラエルはNPT体制ができる前の1970年以前から核開発をしているからといって、NPTにいまだに加盟していないのはけしからん。こんな不公平なダブルスタンダードな言い分は国際社会では通用しない。アメリカは二枚舌をやめるべきだとイラン側は言うだろう。

 つまり、イランの核兵器開発疑惑は、こうした歴史に根差した相互不信感が根底にある。感情が絡んでいるだけに、未来志向などといって過去の経緯を容易には互いに水に流せないのだ。

 補遺

  こうした不信感と不信感がぶつかり合っているのが

 核開発、イランの現実

なのだ。

 先日、そうした現状をNHK-BS1「世界のドキュメンタリー」で(再)放送していた。制作は

 なんと、イラン PRESS TV (2007年)

というイランの国営放送局なのだ。番組はイラン政府の主張を擁護するプロパガンダであり、おしなべてイラン側の主張(上記のような)に肩入れした番組だった。つまり、

 イランは、なぜ独自に核開発を行うのか。その正当な理由

を国際社会にアピールしようというのが制作意図らしい。アメリカなど核保有国の身勝手なダブルスタンダード(二重基準)、つまり偽善を暴いていた。これはある意味、日本など先進国の痛いところを突いているようにブログ子には思える。

 つまり、石油のほとんどを中東に依存する日本ではあるが、戦後は、一貫して情報はアメリカから、それも一方的に伝えられることに慣れている。イラン側の主張にも正当な理由があるのではないかという点については、アメリカ側に日本は情報操作されていて、必ずしも正しく受け取られていない。

 そうしたゆがんだ状況をただすためには、

 イラン国営放送の主張は、そのつもりで視聴するかぎり、貴重

と感じた。

 それにしても、番組を見て国際政治や外交のすさまじさを強く印象付けられた。

 一言で言えば、とてもじゃないが、単細胞的な、まじめ一方の鳩山さんが口をはさむ余地はまったくないというのが、番組を見たときの率直な印象だった。 

 追記

 さらに、イランの天敵、イスラエルの原爆開発を含めた核開発については、これまた、NHK-BS放送が深夜段組で再放送していた。 

 イスラエル、秘められた核開発(イスラエル、2001年放送)

というタイトルだった。

 1948年の建国以来、国の生存を確保する手段として、エルンスト・ベングリオン初代首相の指揮の下で、いかに一貫して核開発を強力に推進してきたか、その様子を伝えていた。周りをアラブ諸国に取り囲まれた小国、イスラエルは悪夢のホロコーストにおびえていた。この恐怖心が、核技術を持つフランスと同盟を結ばせ、建国したばかりの貧乏国に金のかかる核開発にまい進させたのだ。イラン同様、イスラエルもまた国家の生存権の確保を核開発にかけたのだ。

 番組では、シモン・ペレス元国防次官(元イスラエル大統領)へのインタビューで構成されていた。

 まずはフランスから、1950年代に平和目的の名目で原子力発電の技術を導入した。1960年代、アメリカのケネディ政権はイスラエルの核開発は周りのアラブ諸国に核拡散を招くとの強い懸念を表明、その開発に反対した。しかし、番組ではイスラエルは核実験の成功にこぎつけたことを紹介している。

 イスラエルは、核兵器を持っているとも持っていないとも明言しない、いわゆる「あいまい政策」を貫いている。これがアラブ諸国の侵略に対する抑止力になるとの確信が何度かの中東戦争を通じて得たからだろう。また、アラブ諸国に核拡散を防止するのにも役立ち、あからさまにするよりはイスラエルに有利と考えているのだろう。

 なお、イスラエルの核は、主に、軽水炉原子炉から抽出したプルトニウムを利用するプルトニウム型核兵器らしい。プルトニウム抽出のための再処理工場も突き止められているという。その結果、推定だが、2001年現在、イスラエルは数百発の核兵器を地下に貯蔵していると見られている。

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源範頼の桜  浜松「蒲桜(かばざくら)」考 

(2012.04.10)  先日、浜松城の桜について、この欄で書いたが、浜松には、もう一つ、隠れた〝桜の名所〟がある。今から、およそ820年前 、兄の源頼朝、弟の源義経とともに活躍し、日本の歴史に重要な足跡を残した源範頼(のりより)ゆかりの桜である。

 『新・平家物語』(吉川英治)もそうだが、範頼は通称、蒲の冠者(かばのかじゃ)と呼ばれている。この蒲というのは、浜松市東区の市立蒲小学校の周辺をさす。現在、蒲地区と呼ばれているが、ここには今も、蒲神明宮、大蒲町、大蒲公園など蒲の地名が残っている。範頼は、このあたりで生まれ、育った。そこから、範頼ゆかりの桜を地元の人たちは

 蒲桜

として、大切にしている。

 蒲桜は品種としても珍しく、ヤマザクラとエドヒガンザクラの自然交雑でできたらしい。現在、桜といえばソメイヨシノだが、蒲桜の花びらはソメイヨシノのようなボリュームのある、また鮮やかなピンクというよりも白色に近く、細身で可憐な印象である。

 Dsc00143 今、その蒲桜が満開になっていると知り、くだんの蒲地区や、佐鳴湖北端近くにある範頼ゆかりの御茶屋跡を訪れた。角地の民家の庭先に半分壊れかけた「源範頼別邸御茶屋跡」と書かれた石柱がたっていた。その脇に、4、5メートルの古雅な蒲桜が咲き誇っていた(写真=中区富塚町)。

 このゆかりの桜を見守ってる池谷家によると、この桜は国の天然記念物の老木「石戸蒲桜」(樹齢約800年、埼玉県北本市石戸の東光寺境内)から、7年前に移植された。いわゆるクローンである。

 浜松市の蒲地区で若き日を送った範頼は、その後、源氏の本拠地、関東に移り住む。そのときに持参した桜木(後の蒲桜)をかの地の土に突き立てた。それが天然記念物の老木であり、800年後の今にその姿を見せているのだ。

 10年ほど前までは、蒲桜という品種は、世界でも、なんとこの老木1本だけだった。もし枯れでもしたら、あるいは台風で倒れでもしたら、この品種は絶滅する。そこで、現代のクローン技術でゆかりの地に移植、「種の保存」を図ろうとしたのだ。

 老木は天然記念物であり、一部を切り取るさし木はできない。そこで、バイオ技術で老木のごく一部を採取し、組織培養、いわば「バイオさし木」したらしい。かけあわせてつくったのではないから、もとの老木とまったく同じ遺伝情報、DNAを持っているというわけだ。

  こう考えれば、くだんの民家の庭先や蒲地区の小学校校庭に移植された桜は、もともとは範頼のころの遠州に咲いていた桜木の分身(遺伝情報がまったく同じクローン)であり、この意味で

 蒲桜の(クローン)移植は、いわば800年ぶりの里帰り

と言えそうだ。

 ところで源範頼と遠州浜松とのかかわりだが、源義朝を父とし、天竜川河口に近い遠江池田宿(現・静岡県豊田町池田)の遊女を母として生まれた。現在の浜松市蒲地区で若き日を過ごしたようだ。池田宿は平安時代の末期まで、遊女宿のある東海道の宿駅として栄えたらしい。

 訪れた現在民家となっている佐鳴湖湖岸の御茶屋跡は、そんな範頼のひいきの屋敷だったと考えたい。

 なお、蒲小学校、蒲神明宮、大蒲公園など浜松市に移植された蒲桜は、これまでに30本以上にのぼる。2006年には蒲地区自治会連合会により「蒲地区のシンボル花」と定められてもいる。現在、同会や遠江蒲ザクラの会、池谷家などにより、蒲桜は歴史や由緒とともに大切に見守られている。

 ● 補遺 育ちの地、龍泉寺界隈

 源範頼が育った地域は、現在の浜松市南区飯田町にある

 龍泉寺界隈

である。ここの本堂の前にも、蒲ザクラがある。範頼の苔むした大きな供養塔が寺墓地の中に今もたたずんでいる。

 弟義経同様、彼の運命も、伊豆・修善寺に配流され、兄頼朝に攻め滅ぼされた。自害。

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地球人は火星から来た ? Where is Everybody ?

(2012.04.08)  先日、BS-プレミアム「コズミック・フロント」を見ていたら、

 「私たちは火星人 ?」

という放送をしていた。なんとはなしに、見てしまったが、要するに、現在の火星の表面には液体の水はないが、

 かつての火星表面には、現在の地球のように巨大な海があった

ことを科学者たちが突き止めた話だった。一応、納得のできる論理的な説明に感心した。知性のある高等生物としての火星人はいないが、水はあったというわけだ。それが何らかの理由で、たとえば、火星内部のマントル対流で、すべての海水は地下に引きずり込まれてしまったというのだろう(番組ではこうした説明はなかった)。

 そこで、番組の後半では、だから、かつての火星表面には、たとえばバクテリアのような生命が存在し、それが隕石の火星衝突で太陽系空間に隕石内部に閉じ込めた形で飛び散り、やがて地球に到達したという仮説が紹介されていた。この仮説の前提には、

 原始の海があったかつての火星には生命が存在した

ということがある。その上で、番組では次の三点を科学的に検証していた。つまり、

 第一。火星から地球まで、ともかく、飛び散った隕石が妥当な期間で到達できることの証明

 第二。その飛行宇宙空間でさらされる強力な放射線に対して、生き延びられること。つまり、閉じ込められた微生物のDNAが放射線で切断されても、修復できることの証明または、そのような微生物が現に存在することの証明

 第三。地球大気圏に突入した隕石は高熱にさらされるが、微生物のいる内部がそれほど高温にならないことの証明。つまり、隕石内部がせいぜい摂氏100度以下であることの証明。

 いずれもその証明ができたらしい。

 そこで、ジョゼフ・カーシュビック教授(カリフォルニア工科大学)は、

 私たち地球生命は火星人(の子孫)かもしれない

と話していた。面白い話だった。夢のある、というか広がりのある話である。

 この話を聞いてふと、気づいた。それは、この話を逆にして、

 約40億年前ほどの原始地球には、バクテリアなどの微生物がいたことは確かだが、その岩石に閉じ込められた微生物が地球に衝突した隕石によって、火星に〝移住〟したかもしれないということだった。

 そこから火星の生命の進化が、地球と同様に、始まったが、なぜか、海が消滅した。生命は、砂漠のような火星表面ではすべて絶滅した。絶滅しない場所といえば、それは水のある地下であり、そこでは今も地球型生命が進化し続けているという仮説だ。これがブログ子の以前からの着想である。

 つまり、火星には高度な知性を持った生命はともかく、地下深くに地球型の生命はいる。この着想の真偽は、いずれ無人にしろ、有人にしろ火星探査が進めば、必ず決着がつくという特徴がある。ウソかホントか、いずれわかるのだ。

 さらに、この話を膨らますと、

 岩石に閉じ込められた地球生命は、太陽系外のほかの惑星系にたどり着いたかもしれない

という仮説を可能にする。

 地球では、地球に隕石が衝突するなどで生物が絶滅寸前にまで追い詰められた時期が少なくとも次の6回はある。

 今から約5億4000万年前のカンブリア紀と先カンブリア紀の境(原因は不明とも)

 約4億4000万年前のシルル紀(これは急激な寒冷化が原因とも)

 約3億7000万年前のデボン紀と石炭紀の境(隕石の衝突の可能性が高いとされている)

 約2億5000万年前のペルム紀と三畳紀の境(大規模な火山噴火の可能性も)

 約2億1000万年前のジュラ紀(隕石の衝突の可能性が高いとされている)

 約6500万年前の白亜紀と第三紀(新生代)の境(巨大な隕石の衝突が原因とされている)

 とすれば、このいずれかの時期、あるいは先カンブリア紀のある時期に、微生物が故郷の地球を離れて、太陽系に、あるいは太陽系外に、岩石内に閉じ込められて飛び出た可能性も否定できない。

 オランダのライデン大学のグリーンバーグ博士たちの研究グループは、こうした微生物が宇宙のチリとも言うべき星間分子雲に潜み、移動するとして、太陽系外の惑星系にたどり着く時間はどれくらいか、計算した。それによると、

 約1億年から10億年

らしい。上記の6つの期間のほとんどが含まれるから、地球から飛び出した微生物は太陽系を離れて、すでにほかの惑星系にたどり着いている計算だ。

 しかし、問題は、この間に星間に飛び交っている強力な放射線により、潜んだ微生物が死滅しないかということである。博士たちによると、比較的に分厚い分子雲に囲まれていれば、微生物はこの期間、十分生存可能だという。

 ほかの惑星系に1億年から10億年かけてたどり着けば、大気との高温の摩擦熱も、先ほどの事例から耐えて、いくつかの惑星では、微生物はうまく着地できるだろう。

 このように、確実に存在した地球生命は、太陽系外の惑星系にたどり着ける。そして、地球人型生命の生存を許す環境を備えたいくつかの惑星の表面では、地球から来た生命は進化を始める。

 そこからまた、1億年ないし10億年かけて、別の惑星系にその惑星の生命(地球から移住した子孫)は再び移住する。そうすれば、いずれ、すくなくとも銀河系内に地球人型の生命が満ち溢れることになる。その中には、現在の地球人と同程度か、それ以上の生命が多数あるはずだ。

 ところが、この50年、地球との電波などによる連絡を寄越した知的な生物はいない。

 なぜだろうか。

 みんなどこにいるのか?(Where is Everybody?)

という

 フェルミのパラドックス

である。地球人型の知的な宇宙人が銀河系内には多数いるはずだ。なのに、円盤に乗って地球にやって来るのは無理としても、せめてこの50年間に一つや二つの惑星から連絡ぐらいあってもいいはずである。なのに、なぜまったく連絡がないのか。

 春の一夜、そんなことを考えさせた番組だった。

 ● 注記 広い宇宙に地球人しか見当たらない

 このフェルミのパラドックス

については、

 『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由』(S.ウェッブ、青土社)

という面白い本がある。一読を勧めたい。大変に哲学的な内容に満ちた書物だと思う。たいていの人が正しいと信じて疑わない「人間中心主義」という偏狭な考え方が、このパラドックスを生んでいることに気づかされる。

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富士山も見える浜松「出世城の桜」

(2012.04.07)  新古今和歌集には、歌人、西行の

 願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ

という歌があるらしい。きさらぎの望月というのは、旧暦で2月15日の満月のことだ。今で言えば、3月中旬ごろの季節だろうか。花というのは、当時としては(山)桜の花を指すらしい。

 そんな西行の歌のような桜が、ようやく浜松市中心部の浜松城、通称、出世城の天守閣の真下に満開になった(写真)。早速、出かけたが、それは見事なもので、本丸近くの高台から東を眺めると遠くに雪をかぶった富士山が輝いていた。西行ならずともここで死ねたら、本望だと感じた。今宵は、新入社員を迎えての夜桜見物なのだろう、城周辺にはビニールシートで場所取りが行われていた。

 Image476_3 静岡県では、例年なら2月中旬には咲き始める早桜の伊豆河津桜が有名だが、大寒波のせいで2月末に出かけたときにはまだまだ「つぼみ堅し」だった。待ちに待って、3月に入ってから咲き始めたようだ。

   もう一つ、隠れた名所として、大井川鉄道「青部(あおべ)駅」、通称花の駅がある。いまごろの季節、「さくら」と書かれたヘッドマークをつけたSL列車の車窓からの眺めはすばらしい。赤い桃の花も楽しめる。SLファンなら、よく知られたポイントらしいが、一般にはあまり知られていない。

 ブログ子は、転職を繰り返して、浜松に住むようになったおかげで、各地の大桜をいくつも見る機会があった。その中には

 樹齢1000年の大桜

もある。印象に残ったのは、学生時代の京都

 八坂神社境内(円山公園)のしだれ桜

は、見事である。醍醐の夜桜も風情があり、好きだった。日本画家の浜田泰介画伯の

 「醍醐夜桜」

の題材にもなった。近くに住んでいたお陰で、一度だけだが、醍醐の夜桜を満月の夜見にいったことがある。茶会の観桜会だったが、無粋なブログ子なのに京都に住んでうれしかったことのひとつがこの観桜会だったことを記憶している。

 そのときの印象をどう表現していいのか、わからないが、作家、宮本輝の短編

『夜桜』

の気分といったら、言いすぎだろうか。

大学院時代に研究で訪れた

 倉敷市の極楽寺の大桜

も忘れがたいし、日本一の清流、

 四国・仁淀川(によどがわ)のひょうたん桜

も情緒がある。

 大阪に通勤していたころの思い出は

 中ノ島造幣局の通り抜け

もにぎやか。数十種類の桜を一度にめでることができる。ただ、堤の砂埃がいまも、なつかしく記憶に残る。

 奈良県では、古代史好きで古墳めぐりをしていたときに、出合った

 吉野山の(千本)桜

も懐かしい。まさか、ここに源義経と静御前の悲恋があっとは当時、思いもしなかった。若かった。

 岐阜県の飛騨、根尾谷の

 淡墨桜

はあまりに有名。

 浜松城の場合よりも、大掛かりで見事なのが、

 国宝、姫路城の桜

だろう。

 北陸の金沢には20年住んだが、なんといっても

 兼六園の夜桜

の風情は、明かりのついたぼんぼりの揺らめきとともに忘れられない。太平洋と日本海を桜並木でつなごうと、桜の苗木を私費で植え続けたバス運転手がいた。兼六園の園内には、その奮闘で植えられた

 佐藤桜

がひっそりと1本立っている。このことを知る金沢市民は少ないだろう。

 日本国内ではないが、今からちょうど100年前、1912年3月、日米友好の証としてアメリカ・ワシントンD.C.に桜の苗木数千本を寄贈した高峰譲吉博士。富山県高岡市に生まれ、金沢市で若き日を送った。この寄贈では、日米の間に立った博士は事業の基本方針を決めるなど、今で言う「エクゼクティブ・プロデューサー」であり、また苗木代、運送費など諸経費や運用資金の提供者でもあった。

 これが、今のワシントンのポトマック河畔の「サクラ」なのだ。病害虫に強い苗木の品種改良では、大阪府伊丹市や静岡県清水市(現・静岡市清水区興津)の農事試験場なども深く関わったらしい。

 このように桜では、どちらかというと、西高東低のように思う。しかし、紅葉の美しい東日本でも

 秋田県角館(かくのだて)のしだれ桜

は、観光で行って見ただけだが、美しい。これまた観光で見ただけだが、5月下旬の

 北海道西部の厚岸(あつけ)町の山桜

も風情がある。北国の春とは、こういうものか。その雄大で、たおやかな桜に内地では味わえないさわやかな感動を覚えたことがある。

  追記 滝桜

 実際にみ見たことはないが、2012年4月27日、NHK総合テレビの夜のニュースを見ていたら

 樹齢約1000年の滝桜

の満開を紹介していた。福島県三春町滝地区にあり、薄紅の花びらが滝のように流れて咲いている様子は圧巻だ。

 日本五大桜

のひとつだそうだが、なるほどと納得した。

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Ⅰam fractal (フラクタル)  芸術と科学

(2012.04.04)  芸術とか美とかいうものと、科学の関係を論ずる訳知りの人は世に少なくない。双方には共通な何かがあるともっともらしくほのめかす思わせぶりな美術評論家などはそのたぐいだろう。

 たいていの場合、博学的、衒学的ともいうべき多弁を労してはいるものの、またこじ付けなど強弁を労してはいるものの、それだけに、その理屈はインチキだとブログ子はこれまで思ってきた。一度もなるほどと素直に感心させられたことはない。なぜ作品がすばらしいかを、科学の権威を借りて飾ろうという下心や卑屈さばかりが目立って腹が立つ。芸術はなにも科学の権威を借りる必要はない。それだけで十分に芸術であり、創造的なのだ、と思う。

 だから、現代物理学者や数学者が好き好んで抽象画のような現代美術の美の秘密を解明しようとするようなことは、まあ、ないだろう、と思っていた。科学はそれだけで自己完結しており、理論の正しさのためにわざわざ芸術の権威を借りたり、飾り立てたりする必要がないからだ。

 ところが、たとえば、アメリカの戦後現代アートの創始者とも言うべき

 画家、J.ポロックの代表作「秋のリズム」(1950年)

には、作者自身にも気づかないはっきりとした数学的に表現できる自然のリズムが隠されていたのだ。奥行きのあるこの線ばかりで描かれた抽象画は、単なる子どものぬたくり絵ではない。ましてや、馬の尻尾に絵筆をくくりつけてキャンバスに描かせた絵でも、ゾウの鼻に絵筆を持たせて描いたのでもないというのだ。

 この絵がなぜ見る人々にある種のやすらぎを与えるのか。それは自然界にある

 自己相似性 (数学の用語で言えば、フラクタル性)

があるからだと、物理学者が突き止めた。先日、NHK-BS放送「極上の美」で紹介していたのを偶然拝見した。

 キャンバス全体から、その一部を切り取ったどの部分の構図も全体の構図と同様な印象を与える。その切り取った部分からもう一度切り取った部分の構図もこれまた最初の全体構図と似たものとなり、区別がつかない。自然にある樹木の枝の生え方のように、同じパターンを繰り返しで出来上がる樹木全体も、最初の枝のパターンににているというのを、数学ではフラクタルという。

 だから、フラクタルな絵は、どんな絵画にもあるはずの「焦点がない絵」とも言える。にもかかわらず、その絵には、

 統一性のある絵

になっている。フラクタルという自己相似性だからだろう。秩序と無秩序の境界にある抽象画と言ってもいいかもしれない。これが見る人の心にある種の心地よさを与えるようだ。

 もっとも、ポロック氏も最初からこうしたフラクタルな絵を描いていたのではない。

 たとえば、線ばかりの初期の抽象画

 「ポーリングのある風景」(1943年)

は、明らかにフラクタルではない。犬の尻尾に絵筆をくくりつけて書いた〝抽象画〟と区別がつかない。赤ん坊のなぐり絵とかわらない。

 それでは、ポロック氏はフラクタルという数学を知っていたかというと、そうではない。というのは、フラクタル数学は、

 数学者、B.B.マンデブローが1970年代に初めて提唱し、その数学的な基礎を確立したからだ。

 ポロック氏は、それに先駆けること20年なのだが、自分の絵について

 「Ⅰ am nature (自然) 」

という言葉を好んで使っている。このことから、自然の本質、フラクタル性を経験的にか、あるいは画家の直感で知っていたことをうかがわせる。

 一方、数学者のマンデブロー氏も、

 「Nature is fractal 」

と言っている。当然の言葉だが、この二人の言葉を合成すると

 「Ⅰam fractal 」

となる。これこそが、ポロック氏が言いたかったこと、つまり「私の絵画はフラクタル」ではなかったか。

 この点で、ポロック氏は、20世紀現代絵画の巨人、奇想天外とも言うべき立体主義を打ち立てたパブロ・ピカソを乗り越えた巨人だったといえそうだ。

 芸術と科学が遭遇する瞬間は確かにある。つまり、芸術家の創造的なひらめきと、科学者や数学者の創造的なひらめきが一致するときがある。そのことを、美術評論家ではなく、物理学者の指摘で初めて知った。

こびない一流の物理学者や数学者出身の美術評論家がほしい。番組を見て、つくづくそう思った。

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老兵は去らず、いざ、福島へ。よみがえる初期被ばく

(2012.04.03) 人間、いざというときに、その本性や真価がわかるというが、まさに、この番組の老科学者の場合がそれだろう。4月1日、日曜日の夜放送された

 ETV特集 ネットワークでつくる放射能汚染地図 (5) 

の岡野眞治博士、85歳だ。理化学研究所元研究員で、放射線測定学の専門家だ。2012年3月11日放送の再放送だそうだが、物静かではあるが、昭和一ケタのその気骨に圧倒された。チェルノブイリ事故直後にも、原発周辺を自分が開発した測定器を車に積んで、詳細な汚染地図をつくったという。それに比べて、団塊の世代のブログ子のふがいなさがわれながら情けなかった。

 ヨウ素131は半減期が8日と短いが、子どもたちの将来の甲状腺がんの原因にもなりかねない。そこでこの放射性物質、ヨウ素131の実態解明に仲間たちと取り組む。そして、福島第一原発事故直後の埋もれたデータ(スペクトル)から、当時の刻々と変化する気象状況を組み合わせて見事にその実態をよみがえらせ、ヨウ素131の時系列汚染地図としてまとめあげたのだ。

 番組では、弘前大学の放射線医学研究チームも、健康診断調査による体内蓄積など初期被爆の実態の解明に取り組んでいる様子が紹介されていた。

 これらをまとめると、

 よみがえったヨウ素131などの初期被ばくの実態からは、甲状腺がん発症リスクなど、子どもたちへの影響が無視できるとは言えないというものだった。今後も追跡調査が必要だというわけだ。

 この番組の第一回放送は事故後約2ヶ月たった昨年5月15日。ブログ子はこのときの番組は見ていないが、大きな反響を呼んだ。そして、第二回は6月5日だ。

 岡野氏の定年退職後の研究生活については、

 「週刊現代」6月4日号(2011年) ある老科学者からの伝言

で多数の写真入りで紹介されているので、ここでは省略する。

  老兵は死なず、いまだ現場をかけめぐる意気や壮

  こういう老科学者がいるというのは日本の幸せと言わずになんと言おう。

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これ以上は想定できない「極限の数字」 南海トラフの津波

(2012.04.02)  エイプリル・フールの4月1日の朝刊各紙1面トップ記事の見出しを見た読者のほとんどは、

 ほんまかいな

とびっくりしたのではないか。なにしろ、たとえば読売新聞東京本社版は、

 南海トラフ巨大地震 10メートル津波 最大11都県に 内閣府予測「震度7」153市町村

 津波は2分で襲来

 中面(浜松・遠州)では

 津波 下田・南伊豆で25.3メートル 知事「非常に重く受け止め」

というのだから、浜松市に暮らすブログ子も驚いた。もっとも驚いたのは、浜岡原発(御前崎市)あたりを襲う津波は最悪の場合、

 最大津波高21.0メートル

という数字だ。今回の大震災を受け、今年中に完成させる予定の浜岡原発防潮堤の追加津波対策では、堤の高さを18メートルにかさ上げした。

 いくらなんでも、これで十分だろう

と中部電力が胸を張ったばかりなのだ。それが1か月もしないうちに、それより3メートルも高い津波が最悪の場合、押し寄せてくるというのだから、中部電力もこの数字には衝撃だったろう。まさか、まさかとうろたえる様子が目に浮かぶ。

 遠州灘(浜松市)の場合、先の津波シンポでの最悪シナリオの数字

 14-15メートル

とほぼ同じだった(とは言っても、従来の想定東海地震単独での5.6メートルの約3倍)。

 ただ、この数字の意味を正しく理解するには注意が必要だ。

 というのは、科学的な根拠があり、合理的なものとしては、これ以上の想定はあり得ないという、

 いわば「最悪のシナリオ」

だということだ。

 言ってみれば、これ以上は想定外を想定しようにも、想定できない数字なのだ。現実味のある「妥当な数字」ではなく、極限の数字、上限値なのだ。

 東海、東南海、南海地震が同時発生すると仮定し、しかも、そのエネルギー規模は大き目のマグニチュードはM9.1を想定している。最大津波高は満潮時である。津波痕跡調査の結果から考えられる最悪の数字を採用している。

 その結果、この南海トラフのある太平洋側はほとんど全部

 震度7

となった。そして、太平洋沿岸では、2分ぐらいで1メートルの津波が早くも到達するというのだ。まだ地震の揺れが続いている間に津波が襲う。津波警報が発令されるのは、押し寄せる津波の高さが1メートル以上の場合だから、この基準では警報を聞く前に沿岸部の人たちは津波に不意打ちされる。

 この予測の前提である3地震が同時に発生するかどうかは、不明だ。仮に、今回の東日本大震災の場合がそうだったように、プレートとプレートの小さな固着域(アスペリティ)が固着状態からスリップし、それが南海トラフ寄りにある(いまだ不明の)巨大な固着域の固着をスリップさせ、その結果、3地震それぞれの固着域の固着も次々とスリップして、超巨大地震が発生する( 注記 )。今回公表された予測数値は、この一仮説の段階にすぎないメカニズムが起きるとしたら、最悪、こんな津波が押し寄せてくるという意味なのだ。

 しかし、巨大な固着域が南海トラフ寄り(沖合い寄り)にあるかどうか、仮にあったとしても今回の大震災のように、次々にスリップするかどうかについては、現在のところ科学的な根拠のある確証はない。

 したがって、この極限の数値については、冷静に受け止めるべきだろう。次にくる巨大地震そのものを表す数字では、必ずしもないのだ。たとえ来たとしても、これ以上の揺れや津波は起きないという意味だ。

 この意味を、別の言い方で、わかりやすく言えば、こうだ。

 この2000年間の歴史地震のうち、南海トラフで超巨大な3連動地震の発生については、少なくとも天武地震(684年)、正平地震(1361年)、明応地震(1498年)、富士山噴火を伴った宝永地震(1707年)の4回が知られている。震源域は南海トラフの沿岸寄りであったろうことは共通しているものの、その規模や正確な位置はそれぞれ少しは違っていたであろう。が、いずれの場合も太平洋沿岸に巨大津波が押し寄せた。

 今回の最悪予測は、その沿岸、その沿岸で、四つのうちの、いわば〝最悪取り〟をした結果なのだ。だから、次に来る地震が、公表どおりになるとは言えないのだ。来たとしても、どの沿岸でも公表より悪いものにはならないというわけだ。

 注記 

 こうしたスリップメカニズムで、今回の東日本大震災が起きたのではないかという検証は、大震災後に東北大学の松澤暢(とおる)教授の研究室でも考えているようだ(2012年4月1日夜のNHKスペシャル MEGA QUAKE II  今、列島の地下で何が起こっているか)。これまでは、こうした巨大固着域を介した連動メカニズムは、

 比較沈み学の思い込み

から、列島周辺では働かないと、なぜか信じられてきたようだ。

 しかし、列島付近でも、たとえば、東北の太平洋沿岸でも起きていたことが、今回の大震災後に指摘されだした。

 超巨大地震、貞観の地震と長期評価 科学誌『科学』(岩波書店)2011年5月号

に掲載された島崎邦彦東大名誉教授(地震学)の論文がそれである。貞観地震は869年に発生している。

 上記の松澤教授も、またこの論文でも、巨大固着域では

 数百年の間、ほとんど地震の震源域とはならなかった。いわば

 地震の〝空白域〟

とみなされて、考慮外におかれたのである。

 しかし、その実は300年-500年間隔で起きるとされる超巨大地震の引き金部分だったらしいことが次第にわかりだした。こうなると、地震の発生予測には、こうした長期評価がポイントであり、その場合、空白域こそ無視してはならない核心部分であるということになりそうだ。

 この核心部分(沈黙し続ける巨大な固着域)をどうとらえるか。これが、今後の南海トラフの3連動地震を評価する場合、重要になる。

  追記- 東日本巨大地震は南海トラフに連鎖するか

 4月8日の日曜日に放送されたNHKスペシャル、

 MEGA QUAKE II 津波はどこまで巨大化するのか

の問いに答えたのが、この公表だったといえそうだ。2000年前の太平洋岸で発生した地震は、宝永地震(1707年)の津波地震よりも巨大で、史上最大の巨大津波地震であった可能性が指摘された。今回の大震災との関連で、貞観地震(869年)の津波についても言及していた。市内の浪分神社にまで津波が押し寄せたという古記録が紹介されていた。

 補足すると、番組に映像出演していた関西大学の河田恵昭教授の最悪シナリオでは、

 南海トラフでは陸寄りの津波と、それに続くトラフ寄りの津波とが時間差的に発生し、その後沿岸で重なると、押し寄せる津波は巨大化する。

 大阪では、淀川河口付近にある大阪城も、内閣府の今回の検討会が最悪3.8メートルであるのに対し、最悪6メートルの津波で浸水する。さらに、今述べた二つの震源の海底で地すべりが起きる可能性があり、この第三の津波が重なり、さらに大きな津波被害が予想されるという。

 特に、縦横に走る道路は津波が侵入すると、合流しやすくなり、合流で津波の速さは加速する。都市特有の現象である。

 もう一つ、この番組で大変に気になったのは、

 巨大地震は〝連鎖〟する可能性が高いという米地震研究者の発言だ。

 その根拠は、2004年に起きたスマトラ沖地震(M9.1)に次いで、2005年にはその南側でM8.7の地震が発生したことだ。そして、さらにその地震の南側で2007年にM8.4の巨大地震が発生しているのだ(そして、2012年4月11日にもスマトラ島北部沖でM8.6の巨大地震が発生した。2004年の時よりも、沖合いで起きており、しかも、津波被害も前回に比べてあまりないことから、いわゆる「アウター・ライズ地震」、つまり沈み込みプレート内の横ズレ型断層地震の可能性が高い)。

 その連鎖の解釈として、巨大地震の発生で隣の震源域にストレスがかかり、地震を次々に誘発しやすくなるというのだ。

 もしこの警告が正しいとすると、

 2011年3月の東日本巨大地震が引き金になって、1-2年後には、あるいは数年後には隣の、つまり首都圏に近い房総沖や、その南の南海トラフでも超巨大地震が発生しやすくなっていることになる。はっきり言えば、連鎖的に地震が発生する可能性があることになる。

 本当に、首都圏も含めて西日本の太平洋側では、すでに次の連鎖の危険が迫っているのか、どうか。検討を急ぐ必要がある。

  追記-富士山の噴火の可能性

 その次の連鎖だが、富士山の噴火の可能性が高まっているのも注意が必要だろう。

 というのは、大震災直後の昨年3月15日深夜、富士山近くの静岡県東部を震源として

 M6.0の地震が起きたことは記憶に新しい。静岡県東部の富士宮市では震度6強という戦後の静岡県でもっとも強い揺れに見舞われた(浜松市の震度3)。

 震災後、富士山周辺でマグマの活動に伴って発生する、いわゆる低周波地震が急増していたこともあり、火山学者の多くは富士山が噴火すると相当強く心配したようだ。

 しかし、気象庁は「その後の観測データに変化(異常)はなく、噴火の兆候は現在のところはない」との見方を示している。ただ、火山研究者の間では、宝永大地震(1707年)後に起きた富士山の宝永噴火のような大噴火が300年ぶりに再び起こるかもしれないという懸念は、いまだ消えていない(2012年4月8日のETV「サイエンスZERO 富士山が噴火? 」)。

 このETVの番組で注目したのは、噴火だけでなく、山体崩壊(大規模な山崩れ)もあるということだ。現に、富士山の東南部にある御殿場市では、富士山の宝永噴火に伴う山体崩壊を示す焼けただれた地層が調査で明らかになっている。

 噴火の被害は、降灰やマグマなどの火砕流だけでなく、こうした大規模な高温の山崩れもあることを知った。

 同番組によると、富士山の場合、フィリピン海溝プレートが押されている方向、つまり、富士山の山頂から見て、北西から南東に噴火口がいくつも並びやすい。富士山の赤色立体図の作成によってわかってきた。また、山体崩壊もその方向で発生しやすいという。

 しかし、その予測となると、出演していたハザードマップづくりの専門家(東大名誉教授)によると、大変に難しいらしい。

 まとめると、静岡県は超巨大地震の揺れ、大津波、浜岡原発放射能被害、富士山大噴火の同時多発災害にどう対応するのか、その課題に直面していると言えそうだ。

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