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Ⅰam fractal (フラクタル)  芸術と科学

(2012.04.04)  芸術とか美とかいうものと、科学の関係を論ずる訳知りの人は世に少なくない。双方には共通な何かがあるともっともらしくほのめかす思わせぶりな美術評論家などはそのたぐいだろう。

 たいていの場合、博学的、衒学的ともいうべき多弁を労してはいるものの、またこじ付けなど強弁を労してはいるものの、それだけに、その理屈はインチキだとブログ子はこれまで思ってきた。一度もなるほどと素直に感心させられたことはない。なぜ作品がすばらしいかを、科学の権威を借りて飾ろうという下心や卑屈さばかりが目立って腹が立つ。芸術はなにも科学の権威を借りる必要はない。それだけで十分に芸術であり、創造的なのだ、と思う。

 だから、現代物理学者や数学者が好き好んで抽象画のような現代美術の美の秘密を解明しようとするようなことは、まあ、ないだろう、と思っていた。科学はそれだけで自己完結しており、理論の正しさのためにわざわざ芸術の権威を借りたり、飾り立てたりする必要がないからだ。

 ところが、たとえば、アメリカの戦後現代アートの創始者とも言うべき

 画家、J.ポロックの代表作「秋のリズム」(1950年)

には、作者自身にも気づかないはっきりとした数学的に表現できる自然のリズムが隠されていたのだ。奥行きのあるこの線ばかりで描かれた抽象画は、単なる子どものぬたくり絵ではない。ましてや、馬の尻尾に絵筆をくくりつけてキャンバスに描かせた絵でも、ゾウの鼻に絵筆を持たせて描いたのでもないというのだ。

 この絵がなぜ見る人々にある種のやすらぎを与えるのか。それは自然界にある

 自己相似性 (数学の用語で言えば、フラクタル性)

があるからだと、物理学者が突き止めた。先日、NHK-BS放送「極上の美」で紹介していたのを偶然拝見した。

 キャンバス全体から、その一部を切り取ったどの部分の構図も全体の構図と同様な印象を与える。その切り取った部分からもう一度切り取った部分の構図もこれまた最初の全体構図と似たものとなり、区別がつかない。自然にある樹木の枝の生え方のように、同じパターンを繰り返しで出来上がる樹木全体も、最初の枝のパターンににているというのを、数学ではフラクタルという。

 だから、フラクタルな絵は、どんな絵画にもあるはずの「焦点がない絵」とも言える。にもかかわらず、その絵には、

 統一性のある絵

になっている。フラクタルという自己相似性だからだろう。秩序と無秩序の境界にある抽象画と言ってもいいかもしれない。これが見る人の心にある種の心地よさを与えるようだ。

 もっとも、ポロック氏も最初からこうしたフラクタルな絵を描いていたのではない。

 たとえば、線ばかりの初期の抽象画

 「ポーリングのある風景」(1943年)

は、明らかにフラクタルではない。犬の尻尾に絵筆をくくりつけて書いた〝抽象画〟と区別がつかない。赤ん坊のなぐり絵とかわらない。

 それでは、ポロック氏はフラクタルという数学を知っていたかというと、そうではない。というのは、フラクタル数学は、

 数学者、B.B.マンデブローが1970年代に初めて提唱し、その数学的な基礎を確立したからだ。

 ポロック氏は、それに先駆けること20年なのだが、自分の絵について

 「Ⅰ am nature (自然) 」

という言葉を好んで使っている。このことから、自然の本質、フラクタル性を経験的にか、あるいは画家の直感で知っていたことをうかがわせる。

 一方、数学者のマンデブロー氏も、

 「Nature is fractal 」

と言っている。当然の言葉だが、この二人の言葉を合成すると

 「Ⅰam fractal 」

となる。これこそが、ポロック氏が言いたかったこと、つまり「私の絵画はフラクタル」ではなかったか。

 この点で、ポロック氏は、20世紀現代絵画の巨人、奇想天外とも言うべき立体主義を打ち立てたパブロ・ピカソを乗り越えた巨人だったといえそうだ。

 芸術と科学が遭遇する瞬間は確かにある。つまり、芸術家の創造的なひらめきと、科学者や数学者の創造的なひらめきが一致するときがある。そのことを、美術評論家ではなく、物理学者の指摘で初めて知った。

こびない一流の物理学者や数学者出身の美術評論家がほしい。番組を見て、つくづくそう思った。

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