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日本のウラン濃縮 青森県六ヶ所村から

(2012.03.03)  先日、アメリカと北朝鮮がウラン濃縮の一時停止などで合意した。北朝鮮は、2002年以来、国際原子力機関、IAEAの寧辺核査察を拒否してきたが、これも受け入れるという。

 見返りは、またまた食糧支援だそうだが、合意は「ささやかだが、重要な一歩」(米国務長官)だ。といって大きな期待は禁物である。それでも朝鮮半島の非核化、あるいは安定化を目指す日本にとっても、米国にとっても重要な成果であるのは間違いない。

 というのも、1994年の米朝核合意(このときも見返りは食糧支援)以来、軽水炉原発建設支援の破棄と黒鉛型原発によるプルトニウム抽出疑惑(2002年)、北朝鮮の核実験(2006年)、さらにはウラン濃縮の〝事実〟公表(2010年)という一連の動きがあるからだ。しかも、それが事実であるのかどうか、核関連施設への直接立ち入りという査察が行われていない現状では、アメリカは北朝鮮の核開発の実態を正確には把握していないといえそうだ。それが、査察の受け入れで実態把握が可能になることの意味は大きい。

 ところで、日本でもウラン濃縮が行われており、これに伴いIAEAの査察を受け入れている事実を知っている日本人は少ないのではないか。1992年、青森県六ヶ所村に完成した日本原燃の施設である。下北半島のつけ根あたりの原野の真っ只中にある巨大な核燃料再処理工場の隣りの施設といえば分かりやすいかもしれない。機密保持のために人目につかないよう、ひっそりとした施設である。

 ブログ子は、この厳重に警備された濃縮ウラン工場を最盛期の10数年前、電力会社の世話で同僚とともに取材に訪れたことがある。ガラスのはめ込まれた小窓から、大量の遠心分離機が確かに稼動していた。国内原発が使う燃料の約2割近くを賄っていると当時の担当者から説明を受けた記憶がある。

 2012年3月1日付中日新聞特報欄「核燃基地六ヶ所村 燃えるウランづくり20年」によると、

 「2010年12月に全てのラインが寿命を迎え、ウラン濃縮工場は作業が停止していた。新たに導入する炭素繊維製の新型遠心分離機の開発が遅れ、ようやく昨年末に旧型機との置き換えが始まった。20年までに、年間約280トンを処理できるように工場を再整備する方針」

という。この特報によると、稼動から18年、生産・出荷された濃縮(燃えるウラン238の含有率約4%)ウランは約1700トン。約23トンあれば、出力100万キロ原発が一年間稼動させることができるという。

 この記事には、

 原爆製造に直結する技術

という見出しがあるが、そのためには、ウラン238の含有率を99%以上にする必要がある。原発の4%濃縮でも大変なのに、この数字は核開発が気の遠くなるような技術を必要とすることをうかがわせる。

 北朝鮮がウラン濃縮をしているとしても、問題はいつからなのか。おおよそとして、日本の六ヶ所ウラン濃縮工場と同時期、つまり1990年代としても、また核の闇市場があるとしても、製造はひそかに行わなければならないということから、核兵器用の高濃度ウランの製造はいまもって北朝鮮では完成していないのではないか。

 そうした推測を確かめる、あるいはたとえ、完成していても国際的な圧力で稼動を断念させるためにも、今回の合意は日本にとっても

 「重要な一歩」

であり、野放しにしないよう核査察に期待する。なにしろ、査察するIAEAの長、つまり事務局長は日本人なのだ。しっかりその役割を果たしてほしい。

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