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「南三陸日記」を読んでみたら 喪服の結婚記念日

(2012.03.07)  前回のフォーラム会場で、火曜日の掲載と聞いていたので、早速、三浦英之朝日新聞記者の連載囲み記事

 宮城「南三陸日記」(2012年3月6日付朝日新聞、東京本社版第二社会面)

を読んでみた。

 喪服を着た結婚記念日

というタイトルである。読んでみたが、正直に言えば、がっかりした。

 結婚式を挙げた7日後に大震災にあい、若い夫をなくした女性の話なのだが、情緒的なのだ。あまりに情緒的な、あまりに。主観報道とは、情緒的な報道をすることではない。前回も書いたが、

 主観報道とは、他人事でも、1人称で情緒的に書くのでもなく、わが事として、問題点を指摘する、いわば2.5人称報道をすること

なのだ。「私は」という気持ちで、他人事では拾えない問題点を抉り出すことなのだ。この日記には、これがない。最初から最後まで、情緒的に書かれている。問題点をえぐるものがない。読後感は、だからなんだということだけだった。わずか40行足らずの囲み記事だが、何度読んでも、この読後感しか思い浮かばなかった。

 はっきり言えば、そして悪く言えば、

 一人称の報道記事

だ。へたすると、これは入社1、2年目のトロッコ記者が書く

 町ネタ

と見間違いそうだ。入社10年ぐらいの書き盛りの記者の署名入り記事としてはお粗末。フォーラムで三浦記者自身が

 毎回、デスクに全面書き直しを命じられた

と言っていたのも、あながち謙遜ではない。正直に告白したのだ。これではデスクは通したくてもOKはとても出せないだろう。

 三浦記者には後日を期待する。

 そんな思いでいたのだが、スペースとしては倍以上ありそうな、となりの連載記事

 鎮魂を歩く 茨城県東海村 「震災だから」なのか

というのが、目に留まった。松川敦志記者の署名がある。これのほうが、2.5人称の主観報道に近い。気づきにくい、しかし、ポイントを突いた大震災の問題点をなかなか見事に抉り出している。

 大震災時、運悪く、東京電力・常陸那珂火力発電所で4人がなくなった。煙突の建設工事で、広島県内から長期出張していたとび職だった。その遺族を広島に尋ねた記事で、1年が経つ今も、遺族のいきどおりは行き着く先がなく、漂い続けているという内容。労災と認められたものの、東京電力、元請け会社の事故対応の姿勢を問題視している。地震だから仕方がないという会社側の姿勢は本当に正しいのか、という問題意識である。

 なぜ遺族は憤っているのか。地震のせいにすることなく、そこに鋭く迫った。広島まで取材で尋ねるに当たって、ピンと来る問題意識がなければ、書けない。

 記事にこうある。

 でも向こう(元請け会社)は、震災ですから、の一点張り。何かね、震災という言葉ですべてをくるんでしまおうとしているように思うんです。(中略)  完全なる人災。それがぼく(取材した遺族)の考えです。

 ずしんとくる結びである。この言葉を聞くために広島まで記者が出向いているのだが、その価値は十分にあった。記者の感性の鋭さが文章に見事に出ている。こうした記事はトロッコ記者には書けない。

 追記 南相馬日記

 なお朝日新聞には、南三陸日記のほかにも

 福島・南相馬支局長による

 「南相馬日記」(木曜日掲載)

がある。3月8日付は

 君の居場所 大人が守る

だった。内容の紹介はここでは省略する。軟派的なのはいいにしても、安易とは言わないが、いかにも情緒的なのが不満だった。

 補遺 2012年5月30日 記

 2012年5月、各社の競争となった震災日記では、先日、日本記者クラブ賞に、

一年にわたる連載「三陸物語」(萩尾信也毎日新聞記者、はぎお・しんや)

が決まった。まったくお涙頂戴記事がなかったわけではないが、暗い話も積極的に取り上げ、問題点をえぐろうとしていた。暗いなかにも明るさ、希望を見逃さない眼力と筆力が好感された。ベテラン記者らしい記事だと思う。

 盲人、認知症などの障害を持った人を比較的に多く取り上げるなどのテーマ性、あるいは「冬来たりなば」編、「花咲かす人」編など暗い、つらい話も丹念に拾い出し、希望のある話にしている問題性、方言を駆使している表現性などの点で゛、三浦朝日新聞記者の連載とは、格が違うと感じた。

 萩尾氏は、東京本社社会部記者らしいが、将来、論説委員の候補だろう。
 

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