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2012年3月

現代の「モモ」  お金を持たない生き方とは

(2012.03.31)  平日の深夜、NHK-BSの「世界のドキュメンタリー」を時々、楽しんでいる。たいていは額にしわを寄せたくなるような、つまり深刻な硬派の番組だ。ところが、先日は

 お金を持たない生き方(Life without money)

という番組。タイトルからして、のんきなイタリア/ノルウェー(2010年)あたりがいかにも制作しそうな軟派な物語だろうと軽く考え、いつもは取るメモも用意せず、晩酌しながら暇つぶしに見た。年度末の穴埋め番組にちがいない。それもまあ、たまにはいいだろうという気分だった。

  しかし、見終わって、現代の成熟社会の病理、つまりお金こそがすべて、お金こそ現代の神様であるという信仰の危うさをあまりに見事に、そして痛烈に突いており、ブログ子は思わず

 これは、バブル崩壊後の現代の『モモ(MOMO)』ではないか

と感嘆した。土地や株に対する無制限の信仰がバブルを生み、そして崩壊を招いたのと同様、その崩壊後のお金に対する無制限の信仰の危うさを指摘していたように思う。お金万能信仰に対する警鐘なのだと気付いた。

 ドイツの作家、ミヒャエル・エンデの児童文学『モモ』(1973年)は、翻訳が何種類もあるなど、日本でも根強い人気がある。人々から時間を盗む「時間貯蓄銀行」と名乗る謎の灰色男。これに対し、人々からうばわれた時間を取り戻してくれる心優しき少女、モモ。モノと金のあふれる成熟社会にあって、生きる意味を忘れてしまった人々に生きるとは、働くとは何かを考えさせてくれるとされている作品だ。

 ただ、エンデ自身のこの作品に込めた真意は、もっと深く、ドイツの経済学者、W.オイケンが直接エンデに確かめたところによると、働いた時間をお金と交換し、利息が利息を生み出す現代の経済の仕組みに対する疑問を、文学的に昇華して取り上げたものらしい(『エンデの遺言』)。

 さて、件のドキュメンタリーの中身だが、夫と離婚し、子どもを女手一つで育て上げ、ひとりに戻った60代後半の独身ドイツ人女性(元教師)が主役で、その彼女が

  お金でその人の価値が左右される世の中に疑問を持ち、大都市でもお金を持たなくても自立して生きていけることを自ら実践して見せた実話

だった。

 自宅を売却し、スーツケース一つという〝優雅で自由な〟生活を、最初は1年間だけの実験のつもりだったそうだ。それが、なんともう15年間も続けているというのだ。衣食住にそれほど不自由している様子もない映像を見せられて、たいていの視聴者はとても信じられないだろう。テレビ局のいわゆる「やらせ」ではないかと疑った人もいるのではないか。  

 では、お金を介さないで、具体的にはどのようにして自分に必要なものを得るのか。それはサービスという名の彼女の労働で相手にサービスを提供することで得るというのだ。平たい言葉で言えば、

 物々交換、つまり、ギブ・アンド・テイク

なのだ。必要なものを手に入れる分だけ、家事サービスの提供などで働く。

 問題は、どうやって物々交換するのか、その具体的な方法だ。

 彼女は、このために、18年前、自ら仲間たちと物々交換、サービス交換所

 譲り合いセンター(ギブ・アンド・テイクセンター)の設立(1994年)

を思い立ち、自ら、実践してきたらしい。番組によると、センターは「お金を持たずに価値を交換する施設」だという。お金という神様の存在を排除した仕組みなのだ。

 私たちは、お金がない、つまりホームレスになると短絡的に考えがちだ。働く仕事がない、だからホームレスになるとも考えがちだ。これはどうやら、お金こそすべてであるという考え方に毒されている考え方のようだ。

 では、働きたくても働けなくなった場合、たとえば番組の独身女性が70代になって、自宅もなく、働く意欲があっても働くことができなくなったらどうするのか。

 番組では、そこまでの解決策は紹介していなかった。

 深夜、晩酌をしながら、この問題について放送後もさらに考えた。そして、気づいた。

 「ふれあい切符」で知られる「さわやか福祉財団」(堀田力理事長)の

 時間預託制度

の考え方である。この財団は日本全国に支部を持つ有償ボランティア団体として活動している。働けるときに、ボランティアを行い、それをお金と交換する、あるいはお金として貯蓄するのではなく、その分の時間を財団に預託して、働けなくなった老後に時間を払い戻す形で、サービスを受け取るという仕組みである。これは日本版の「お金を持たない生き方」をサポートする仕組みである。

 これをドイツの譲り合いセンターにも導入すれば、件のドイツ女性の悩みもすこしは解消するのではないか。

 まとめると、ドキュメンタリーは、次の三点で非常に意義深い作品だった。

 第一は、お金という神様を持たなくても、田舎暮らしはもちろん、サービス産業が発達している都市部でも、人は現物給付の形でなんとか豊かに暮らせることを具体的に教えてくれたこと。

 第二は、そのことで、お金を持たなければ、楽しい生き方はできないという固定観念を取り除いてくれたこと。

 最後に、今の日米欧を席巻している先進国病、つまり空前のマネー信仰の危うさを庶民の視点から警告していること。

 一言で言えば、カルチャーショックを受けたような鋭い番組だった。

 追記

 ところで、この番組を見終わって2日後、3月30日付朝日新聞「オピニオン」欄に

 お金は神様ではない 

という大阪大フェローの小野善康さんへの大型インタビュー記事が出ていた。「成熟社会の経済学」の著書で知られる経済学者だ。「交換手段としてのお金は人類最大の発明といえるほど便利」とお金の効用を評価しつつも、「お金はモノやサービスと交換してこそ意味がある」と力説している。

 ため込んで安心感/空前のマネー信仰/成熟社会の病理

との見出しが目に飛び込む。高齢者は「お金をためることより、使うことにもっと知恵を絞ってほしい」と訴えていたのが印象に残った。

 現物給付の施策と/消費楽しむ知性を/それが雇用生む

というわけだ。

 この記事は、お金に対する過度の信仰を戒めたという点で、件のドキュメンタリーと共通しているように感じた。

  これを読んだ深夜、ふとこうも考えた。もし、経済学でいう

 合成の誤びょうが、多分、起きないような、たとえば

 人口の1%程度

の人々が、件のドイツ女性のように、お金を持たない暮らしを実践したとしたら、どうなるだろうか。

 お金は神様じゃない、守銭奴のようにため込むだけではダメだという新しい価値観が国民経済を混乱させない安定した形で社会に定着していくのではないか。番組や新聞記事を見たり、読んだりして、深夜そう思った。 

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人のふんどしでコラムを書く  朝日「ザ・コラム」を読む

(2012.03.28)  朝日新聞には「ザ・コラム」という大型論説(約110行前後)がある。顔写真とイラスト入りで、執筆者個人の考えや主張を説得力のある論理展開でまとめるのである。さすがは大新聞の論説委員はすごい、というものもあれば、その日の体の調子が悪くて、筆が進まなかったのかな、とひとごとながら心配になるような評論もときどきはある。

 論説委員などの書き手も人間だから、それは仕方がないと思う。しかし、公表する以上、それにも限度があり、人のふんどしですもうをとっているのではないか、といぶかしくなるものもある。

 2012年3月25日付のこの欄は、吉田文彦同紙論説委員が書いており、主見出しでその主張を

 ヒロシマ・フクシマ ⅩⅠ 「地下」から「地上資源文明」へ

と打っていたのがそれだ。書き出しはこうだ。

 「めまぐるしくモノやサービスが動く現代文明。そのありさまを、川の流れにたとえると、どうなるか。宇宙物理学者の池内了・総合研究大学院大学理事は、こんな風に言いあらわしている。」

 このあと、なんと全体の行数が110行前後なのに、65行ほどえん、えんと、語った、池内理事は名づけている、強く支持した、強調した、そんな思いがある、などとかぎかっこなどを交えて引用し、最後に

 「と、池内理事は新著『科学と人間の不協和音』に記している。そこに科学と私たちの未来が託されているような気がするとも-。」

 このあとにも、ご丁寧に「池内理事が著書に記した、こうした問いかけに答えを出すのは、うんぬん」と書いている。全体の3分の2がこの調子である。

 これは池内氏の新著の体のいい書評ではないか、と目を疑った。そこで、この2月に発行されたばかりの件の本(角川書店)を書店で手にとってみた。そして、驚いた。

 このコラムの主見出し

 「地下」から「地上資源文明」へ

というのは、筆者の論説委員の主張ではなく、なんと

 新著の終章の見出し

 地下資源文明から地上資源文明へ 原発事故後の科学

 そのものなのだ。この見出しだけでなく、「新たな文明への転換を促す、歴史的事件のように思える」など、コラム中の取材した談話や引用も、終章と同工異曲だ。

 なんとなれば、たとえば、終章のサブ見出しは、

 地下資源文明の終焉

 地上資源の文明への転換

だからだ。

 つまり、このコラムの主見出しや内容は、池内理事の主張の受け売りというよりも、談話に事寄せて終章の見出しとその内容をほとんどそのまま借用したものとみられても仕方がないのではないか。論説委員としての独自の主張や視点は、具体的にはまったくと言ってよいほど、ない。アリバイづくりのつもりで、わざわざ池内理事に会いに行ったとの印象が強い(吉田氏には失礼だが)。

 読者に誤解を与えないよう、せめて主見出しを

 「地上資源文明」に注目する

程度にとどめるべきではなかったか。自分の意見ではなく、人の意見に賛成するという含意を込める。訴求力は落ちるが、まだしも良心的な気がする。もっとも、書評欄原稿の見出しとしては、もとのコラムの見出しのほうが、ずっと的確なのは確かだ。

 池内氏は、3、4年前からこうした趣旨の新聞連載や講演をしておられるのは知っていた。なにしろ、池内氏は、ブログ子の大学理学部大学院時代の少し先輩に当たる知人だ。宇宙論研究では世界的に知られた研究者であり、有言実行の誠実なジャーナリスト、論客としてブログ子は尊敬している。

 吉田氏についても、核問題や地球環境問題など政治と科学について、国際的な視野をもって主張できる数少ないジャーナリストであり、論客だと信じている。それだけに、今回のこのコラムは残念だ。

 以上まとめると、少し厳しい言い方かもしれないが、このコラムの書き方は論説委員の倫理にもとるように思う。

 池内氏の主張を敷衍して、そこからさすがは大新聞の論説委員は違うと、読者に思わせるような論客らしい視点や、転換への行動につながる具体的な自分の主張を披瀝してほしかった。主見出しは、堂々とそこからとるのが論説やコラムの常道だろう。

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チェルノブイリの森はいま あれから25年、低線量被爆の実態

(2012.03.27)  福島県では、今、第一原発周辺を中心に放射能に汚染された道路や森など環境のいわゆる除染がクローズアップされている。

 事故から1年経って、半減期は短いが大量に発生した事故直後の高線量汚染の時期はすぎた。代わって半減期の長い放射能物質から出る放射線密度の低い、いわゆる低線量の汚染が焦点になっている。低線量被爆といっても、最近の測定によると、

 立ち入り禁止となっている警戒区域の20キロ圏内では、年間許容線量(1ミリシーベルト)に換算して、おおむね数倍

である。がん発生リスクが、放射線を浴びない場合に比べて高まり始める約100ミリシーベルトに比べるとかなり低い。とはいえ、これが長期にわたって浴び続けた場合の人への影響は、今のところ未知だ。放射線防護医学の今後の知見が待たれる。

 こうした低線量被爆の生物に与える影響を調査できる格好の〝実験場〟が

 チェルノブイリの汚染の森

である。事故から25年たった今も、人の立ち入りが禁止されている30キロ圏内では、年間換算で、

 年間許容量の約100倍以上、つまりおおよそ100ミリシーベルト以上

の放射線が飛び交っている。

 先日(3月8日深夜)、NHKBS1で、この25年間の低線量被爆が生物たちに与える影響について、科学者(主として制作国のフランス人)たちの現地調査報告が放送された。

 大変に興味ある三つの成果が読み取れたので、ここで紹介するのも無駄ではないだろう。

  第一。低線量被爆下の動物は、被爆のない環境に育ったものに比べて、

 放射線に対して耐性を備えていた

ということが、わかったことだ。この二種類に人工的にそれぞれ同じ強力な放射線を瞬間的に被曝させた実験では、チェルノブイリ下で育った動物のほうが、その影響が少なかったのである。

 第二。30キロ圏内には人が立ち入らないので、食物連鎖の頂点に立つ人がいない分、生物多様性が良好にはぐくまれていたことだ。つまり、植物、草食動物、肉食動物の生息バランスが生態学的に見てよかったというのだ。

 第三。次世代づくりの繁殖には、この低線量被爆はどのような影響が出るのであろうか、という関心の高い問題だ。高線量被爆では強い悪影響が当然出ることは科学的に裏付けられているが、番組によると、低線量被爆では、予想に反して、

 DNA損傷には、双方にほとんど差はなかった

という結果になったのだ。低線量の被爆では、繁殖に目だった異常はこれまでのところ出ないという。この原因としては、損傷が軽微な場合、生殖細胞内のDNA自身に修復機能が備わっている事実が考えられる。しかし、番組ではこの顕微鏡観察結果について、さらに長期間の世代交代ではどのような影響があらわれるか、それは未知として結論を留保している。

 いずれにしても、これから、放射線防護の研究を日本でも加速させる必要があろう。それが、第一原発事故を起こした日本の国際的な責務だ。そうこの番組を見て強く感じた。

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おかしな番組 「ドーハの悲劇」の監督来日

(2012.03.26)  歴史ドキュメンタリー番組はテレビでよく見るが、ブログ子はスポーツ番組やスポーツドキュメンタリーはほとんど見ない。見ないのだが、NHK「BS歴史館」で、最近、鋭い発言をしている作家の島田雅彦さんが、案内役をしていた番組

「ドーハは悲劇でなかった/オフト別れの旅」(3月25日夜、NHKBS1)

をたまたま見た。鋭い発言があるのではないかと期待して、ついつい最後まで見てしまった。再放送番組らしいが、結論を先に言えば、

 おかしな番組、と言って悪ければ、不完全な番組

だと思った。

 不完全な、あるいは気になったその理由を述べてみたい。

 番組の受け売りで言うと、ドーハの悲劇とは、今から19年前の1993年10月28日にカタールで行われたW杯サッカー・アジア最終予選(対イラク戦)での出来事のことだ。日本はこの一戦に勝てば悲願のサッカーW杯に史上初の出場権を獲得する。そんな大事なゲームだったが、ロスタイムまでは見事2対1で勝っていた。ところが、ロスタイムでなんと同点ゴールを与えてしまった。日本にとっては悔やみきれない試合となったのだ。静岡市出身の三浦知良、中山雅史選手など有名選手がずらりそろった試合だった。

 ブログ子はスポーツ音痴と自認しているのだが、さすがにこの試合は見ており、当時大いに興奮したものだ。この試合のA級戦犯は誰だとわかりもしないのに、恥ずかしながら息巻いたりもした。

 このときの日本代表監督がハンス・オフト氏(オランダ、当時44歳)だった。代表監督としては初めての外国人でもあった。その件のオフト氏が現役監督を引退するとのことで、日本に、番組では否定していたが、センチメンタル・ジャーニー(感傷旅行)で来日したことから、番組がつくられたらしい。

 案内役の島田氏の言葉から、うかがえるのは、

 ドーハは悲劇ではない。これがあったればこそ、その後の4大会連続という輝かしい成果を挙げられたのだという論理だった。しかし、最近はドーハの悲劇のころの成長ほどにはなっておらず、どうも停滞しているようにオフト氏にはみえるらしい。

 「日本サッカー界は世界のトップ10まで成長してほしい」(オフト氏)

との見方をしめし、そのための方策をアドバイスするために来日したという。決して感傷旅行にき来たわけではないというわけだ。

 しかし、4大会連続うんぬんは、所詮、我田引水だ。プロ選手、監督にとっては結果がすべてである。わが田水引は通用しないとの印象を番組を見ても思った。

 最近の日本サッカー界に停滞感があるのかもしれないが、それに「活」を入れるというならば、すでに現役を引退してしまった悲劇当時の元選手ばかりを訪ね歩くのではなく、肝心要の

 現在の日本代表監督のザッケローニ氏(イタリア人)に真っ先に会いに行き、忌憚のない意見交換をすべきではなかったか。

 ザッケローニ氏が忙しいと、体よく断ったのなら、せめて映像コメントをスタッフが挿入することもできたはずだ。番組には、ザッケローニの「ザ」もなかったのはどうしたことか。どうしてもコメントがいただけないというのなら、

 せめて(失礼)、「南アの奇跡」を実現した岡田武史前代表監督と意見交換すべきだった

のではないか。それもないのだ。

 まったく異様な番組だった。島田氏の鋭い感性がまったく感じられなかったのは残念だ。これでは、せっかくのオフト氏の意気込みも空回りだ。オフト氏は番組の最後に

 「さよなら」

と日本語で言っていたが、何の真心も感じさせない通り一遍のあいさつのように、ブログ子には聞こえた。日本のサッカー界を本当に愛しているのか、本当に心配しているのか、疑わしい。

 やっぱり銭儲けを兼ねた感傷旅行だったのだと、気の利いた視聴者が思いかねないつくりなのが気になった。

 それに気づいたのか、島田氏は最後に

 「ドーハは悲劇ではなかった。(このままだと) これから本当の悲劇が始まらないことを祈る」

という趣旨の締めくくりを述べていた。これとても、何かとってつけたような白々しいナレーションだった。

 要するに、オフト氏は、何かはっきりした危機感を抱いて来日したのではないのではないか。はっきり言えば、気楽な「引退ごあいさつ」に来ただけなのだ。それをドーハの悲劇に結び付けて、急遽、無理やり番組に仕立てたところに無理があった、といってはNHKに失礼か。そこには、どんなつくりであろうと、視聴率を確実に稼ぐことができるという制作側の思惑もあったであろう。

 熱心なサッカーファンはどう受け止めたのか、ちょっと聞いてみたい気がする。

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春へ、佐鳴湖一周ウォーキング

(2012.03.24)  この冬は、屋内で社交ダンスのレッスンぐらいしか、運動をしなかった。ようやく春らしくなり、何か屋外でスポーツをしたいと、近くの公民館主催の

 佐鳴湖一周歴史探訪ウォーキング

に土曜日の一日参加した。浜名湖の近くにある小さな佐鳴湖は一周が約8キロぐらいで半日コースとしては手ごろだ。30人くらいの参加者でほどよい賑わいだったが、歴史探訪も楽しめる。天気も曇りから晴れで、まずまずだ。

 以前のこのブログでも、佐鳴湖の水質環境について書いた。少しずつ改善されてきてはいるものの、はっきり言って、その歩調はにぶい。

 今回、一周してみて感じたのは、相変わらず水辺の透明度は悪い。定期的に観測しているらしいが、直径30センチの白い円盤を水につけて、どのくらいの深さまでその円盤が見えるかという「透明度」で言うと、北海道の摩周湖が20メートル以上で日本で一番澄み切った湖らしい。日本の湖は大抵は5メートル以下( 注記 )。これに対し、

  佐鳴湖は、なんと40センチ

ぐらいなのだ。

 確かに、ウォーキングに参加した日は風が強く、浅瀬の湖面は茶色くにごっていた。これは仕方ないとしても、風のない静かな日でも、この程度と聞いて、びっくりした。

 大都市部に近い、その割りに湖の表面積が比較的に狭く、また水深も浅い湖という悪条件では仕方ない面もある。しかし、あきらめないで、こうした屈辱的な現状を広く周りの住民に知ってもらい、地域住民の意識を高める材料にする取り組みが大事なように感じた。

 ブログ子は、佐鳴湖の東岸の高台に住んでいるので、西岸の景色の美しさが気に入っている。ふと、どこかで見たような風景なのだ。歩いてみて、思い出した。

 画家、東山魁夷の「緑響く」

のような森閑とした冬枯れの姿なのだ。背の高い落葉高木が、寒いが、しかしよく晴れた天を突くように湖面の向こう岸にずらりと並んでいる。その下に行って見ると、遊歩道の湖側に植えられた

 メタセコイア(スギ科)

の林立だった。あの「生きた化石植物」と言われた大木だ。その間、間に金木犀の大木も植えられていた。いつも眺める風景に新しい発見をしたような気分になった。

 発見といえば、もうひとつ、佐鳴湖の北岸近くに

 源範頼(みなもとののりより)の別邸跡

があったことだ。別邸とは、はっきり言えば妾宅だったのだろう。今は駐車場になっていて、往時をしのぶものは、石碑があるだけで遺構は皆無だ。

 範頼といえば、源頼朝のすぐ下の弟、源義経のすぐ上の兄である。いずれも父は源家の嫡男、源義朝なのだ。違うのは、

 頼朝の母は、熱田大宮司藤原季範の娘と名家の出自であるのに対し、

 範頼の母は、遠江池田宿の遊女

という身分の低い出自。

 義経の母は、常盤御前(九条院の雑仕)

という身分と比べても範頼の格が下がる。このことが範頼が同じ頼朝の家臣として仕えた義経より低くみられたのであろう。

 それはさておき、義経とともに京にいた源(木曾)義仲を、頼朝の命により、討伐しているのだから、歴史に名をおおいに残したといえよう。

 ブログ子は、比較的に歴史好きだが、こんな近くに義経、頼朝と父を同じくする兄弟がいたとは不明にも知らなかった。大いなる発見だった。

 歴史探訪では、佐鳴湖の湖岸は遠い昔は海岸だったことを知った。もともと海岸に生息する

 ヒトモトススキ

がこの湖の西岸に多く見られるかららしい。

 そのほか、「佐鳴八景」という名所があることも知った。その名所を読んだ歌碑が湖の西岸中央にまとめて大きな石に刻まれていた。

 歩いてみて、午後からは風もなくなり、ようやく春の訪れを実感した。

 静岡市では「桜の開花宣言」が出された。浜松も、今は、つぼみ堅しだが、来週の土、日はこの湖岸は一面の桜で彩られることだろう。遅くとも、4月上旬には見ごろになりそうで、楽しみだ。

  注記 2012.03.25

   3月25日放送の総合テレビのNHKスペシャル

 奇跡の清流、仁淀川  青の神秘 

 によると、この日本一の清流、四国の仁淀川(によどがわ)の透明度は

 40メートルとか。

 国の、つまり環境省が2011年に公表した水質調査によると、日本一。夏は「ホタル川」になるという。これも清流であることのあかしだろう。

 時々刻々と流れていて水が入れ替わる川だから、石槌山からの雪解け水であるから、湖の水質と同日には論じられないにしても、40メートル先までみえるというのは驚異的だ。深刻な過疎地だからこそ、こんな清流が維持できるのだろう。過疎地のたまものだ。どこも観光地の豊かな静岡県では望むべくもない。

 番組を見て、こういうところなら、身勝手ながら定年後は過疎地に住むのもいいなあ、そう思った。

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これで「テロの時代」は終わるか ?

(2012.03.23)  よく見るNHK深夜BS番組、世界のドキュメンタリーで、先日、9.11同時多発テロの首謀者とみられていた

 オサマ・ビンラディン容疑者に対する奇襲作戦の全貌

が前編、後編に分けて2日間にわたって放映されていた。

 作戦実行日は、2011年5月1日。米特殊部隊やCIA活動が登場する。作戦は大規模なもので、オバマ米大統領の指揮の下、無人偵察機まで導入されており、ついにビンラディン容疑者が潜伏しているパキスタンの隠れ家を突き止める。10年がかりの成果だという。

 ドキュメンタリー再現ドラマを中心にした番組では、オバマ大統領もインタビューに何度か登場したり、ホワイトハウスの報道官も誇らしげに解説していた。あまつさえ作戦にかかわった米軍上層部の軍人や、直接パキスタンに侵入した実行部隊の隊長までが登場し、これでもか、これでもかと、いかに困難な任務を成功裏に遂行したかという自慢話をうんざりするほど聞かされた。米軍はこんなにすごいのだというわけだ。

 安全保障担当の補佐官たちの行き詰るリアルタイムの奇襲作戦を紹介していたのも異常ながら、それでも、わかったわかったと辟易しながら視聴した。しかし、それなのになんと、番組はアメリカではなく、なぜかイギリスの製作会社が2011年に制作したものだった。

 そこで気づいた。これは、国際的な、あるいは国内的な世論の操作を狙った米政府の宣伝番組、提灯番組なのだ。

 なぜ、世論操作が必要だったのか。

 第一は、この作戦はパキスタンの主権を犯した行動であり、それを正当化する必要があったのだ。パキスタン政府に知られずにパキスタン国内で奇襲作戦を実行した。明らかに主権国家の権利侵害だ。アメリカはこの番組で、それはやむを得ない行動としてアピールし、国際社会の批判、非難をやわらげたかったのだ。

 番組では、パキスタンの主権侵害については、まったく言及がないのは、どういいつくろっても納得は得られないことを米政府は知っていた。パキスタン政府に任せず、自らの手で主権侵害してでも復讐したかったのだ。番組ではパキスタンと協議すれば情報が容疑者側に漏れる恐れがあるとのシーンがあるが、それは事実としても、だからといって主権侵害をしてもいいという理屈にはならない。

 言葉は悪いが、これでは北朝鮮を笑えないではないのではないか。そう思った。

 第二は、ビンラディン容疑者をはじめから殺害することを目指していたという点だ。困難な任務であったので仕方なかったとして、不可抗力と装いたかった。しかし、実は始めから生け捕ることは念頭になかった。拘束して公開の裁判にかける気はなかった。裁判で再びテロが起きることを危惧したと好意的に解釈もできるが、それほど復讐心が強かったといえよう。

 映像でもわかるが、ビンラディン容疑者本人は、突入した特殊部隊員の銃口に対して無抵抗だった。それにも関わらず問答無用で殺害した。極めて困難な任務だったことを強調することで、この批判をかわしたかったのではないか。ここがイラクのフセイン大統領は生け捕りにされて、裁判で死刑の判決を下すことで国際社会の一応の納得を得たのとはまったく異なる。

 アメリカ人にとって、フセイン大統領の悪行は所詮他人事である。これに対し、アメリカ人が多数死亡した9.11事件はわが事である。復讐以外にアメリカ国民の心を納得させることは難しいと政府は政治的に判断したのだろう。作戦成功の報告を聞いて、番組によると、弁護士でもあり、ノーベル平和賞受賞者でもあるオバマ大統領でさえ、笑顔ではなかったものの

 「私はやつをしとめた」

と勝ち誇っていたのはそのことを如実に示している。しかし、よく考えると、一国の大統領としては極めて異常だ。

 極悪人とみなされてはいるものの、公開の裁判にもかけずに殺害し、その死を喜ぶ。その政治的な意図を読み解くと、なんとも後味の悪い番組だった。

 これではテロの時代は終わらないだろう。

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熱気を忘れず行動を 浜松市「津波シンポ」

(2012.03.20)  先日の日曜日、今回の大震災を受けて、浜松市でも市民を対象にした

 津波シンポ 対策「中間報告」(委員長=首藤伸夫東北大名誉教授)

が行われた。ブログ子も含め400人をこえる参加者が会場に詰め掛けた。この熱気を忘れずに、車で避難する方法、非常用持ち出し袋の点検など具体的な行動に結びつけたい。

 静岡県の場合、東海地震、あるいはそれとほぼ同時に東南海、南海地震も起きる、いわゆる3連動型巨大地震が、遅くとも今後数十年以内に発生する可能性が極めて高いと見られているが、その場合、

 大きな揺れ、津波、浜岡原発放射能漏れ事故、富士山噴火の4連動の複合震災

になる可能性が高い。

 まず、シンポのテーマの津波。

 東海地震が単独で発生した場合、静岡県の第3次被害想定(2001年度策定)では、

 浜松市の遠州灘には最大で波高5.6メートルの津波が、地震発生後15分たったころから押し寄せる(浜名湖の入り口の新居町=現在の湖西市新居地区)。県では、今回の大震災を機会に、第4次の被害想定(3連動地震も含む)の策定を急いでいる。2013年3月にもまとまる予定だ。

 浜松市独自の中間報告書(2011年10月公表)や、報告書をまとめた委員が参加したシンポでのパネル討論によると、

 遠州灘などを震源域とし、大津波にみまわれ、また直後には富士山の噴火も起きた連動巨大地震、宝永地震(1707年10月、M8.7)並みを想定した簡易モデル(中央防災会議採用の解析モデル)で計算すると

津波の最大波高は、6-7メートル

仮にM8.9とすると、最大の波の高さは、10-11メートル。

さらに、今回の大震災と同程度、つまり、M9.0とすると、なんと13-14メートル

となるらしい。おおよその目安としても、また物理的な意味合いはないとしても(つまり、単に計算上の結果だとしても)、従来の単独地震の倍以上の最大波高であり、避難対策を大幅に見直す必要がある。

 遠州灘からどのくらはなれた地域までを対策地域とするか。シンポでも詳しく説明された。それによると、今回の大震災の仙台平野の津波痕跡調査が参考になるらしい。浜松市などは、遠州灘を抱える浜松市などと仙台市のある仙台平野は似た環境にあることに目をつけて、

津波の大被害が出た安政東海地震(およそM8.7)の浸水域+遠州灘から内陸部へ2キロ離れたところまでを暫定津波対策範囲

と定めた。これは、仙台平野の場合、海岸から2キロ以内では建物の流失が激しかったのに対し、2キロ以上では浸水はしたものの流失は少なかったという現地調査に基づく、一応の線引きだ。遠州灘の場合、中田島の砂丘がおおむね被害減殺があることを考えるともっともな選定だろう。

   これだと、ブログ子が住んでいる佐鳴台の高台や、JR浜松駅など浜松中心部(遠州灘から4-5キロ)は範囲外。

 ただ、M9.0を想定した場合、なんと東海道新幹線の走るJR浜松駅などの中心部や佐鳴湖南岸に直接達する。つまり、この湖の周囲も津波がやってくるおそれがある。事実、市議会の危機管理特別委員会に示されたシュミレーションでも、はっきりと佐鳴湖周辺も津波浸水域に入っている(M9「3連動」なら浜松駅付近もとの見出しで3月17日付静岡新聞にカラーマップ)。

 また、津波被害が大きく、浜名湖の地形が大きく変わったことで知られる明応地震(明応7年=1498年9月)では、奥浜名湖まで津波は押し寄せたという。

 そして、原発事故。

 これについては、NHKニュースによると、中部電力は最近、浜岡原発の津波対策を追加的に強化している。

 まず、現在工事中の防潮堤を海抜18メートルまでかさ上げし、強化する。これに伴い、基礎部分のくい打ちをさらに2メートル深く打ち込む。

 次に、水没による全電源喪失を食い止めるため、各施設ごとに設けられている防潮扉を100ヵ所から200ヵ所に増設する。

 さらに、万一に備え、海岸から離れた構内高台に使用済み核燃料の冷却用の水備蓄(貯水)施設を設ける。

 これで万全か、検証も今後必要だろう。なにしろ、浜岡原発は人口が密集する浜松市、静岡市中心部から直線距離にして、わずか50キロだ。今回の緊急避難準備区域、30キロ圏内をわずかにこえているだけなのだから、より慎重な対策が求められる。

 念のために書いておくが、想定東海地震の震源ど真ん中に立地する浜岡原発(御前崎市)には、日本最大(級)の約130万キロワットの5号機をはじめ3基(いずれも110万キロワット以上と日本最大級)の原発が稼働しているのだ。

 最後は、富士山、伊豆半島での火山噴火の可能性だ。

 これについては、詳細は明らかにされていないが、静岡県で現在急いで見直し作業がはじめられている第四次被害想定に富士山噴火について具体的な対策が盛り込まれるようだ。

 ただ、自治体で構成する火山防災協議会の最近の報告によると、今回の大震災で火山噴火の可能性が従来より高まっているという。静岡県では富士山の噴火、温泉地の多い伊豆半島が問題だ。富士山はまぎれもなく活火山であり、宝永地震では、地震の約2か月後の1707年12月に大噴火している。

  浜松市は富士山から約100キロ離れているが、記録によると、当時、降灰砂は90キロ離れた川崎市でも厚さ5センチにも達した(理科年表より)。

 昨年2011年は、長崎県の雲仙・普賢岳の火砕流発生で多くの犠牲者を出した火山災害から20年がたつ。そろそろ次の大災害が起きるころと覚悟し、この機会に真剣に備えを点検する時期だ。監視が必要な火山に対して、自治体同士の共同作戦をすることになっている火山防災協議会はきちんと機能しているかどうか、ハザードマップの周知徹底が図られているか、足元を見つめる好機だろう。

  さて、最後に、ブログ子も、この機会に、浜松市の危機管理課が最近発行した

 地震に備えるリーフレットを参考に

 備蓄品、非常持ち出し品の総点検をし、バックにまとめ、押入れの見えるところに置いた

 これだけでも、シンポに参加した意義はあったと思う。こんなことは、こんな機会でもなければ、しようという気持ちはあってもなかなかできないものだ。気持ちや知識、あるいは熱気だけでは、災害には対応できない。自分の命を守るのは自分であり、自分の行動であることを再確認した。  

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「地獄を見た日」 3.15伝えたジャーナリスト

(2012.03.19)  前回は民間事故調査「報告書」について書いたが、最悪のシナリオに向かう可能性が高まった「運命の日」は3.15であった。この日早朝、4号機建屋が、1号機、3号機に続いて水素爆発し、その上部が吹き飛んだ。この日について、この報告書のインタビューなどの実務を担当した30人のひとり、フリージャーナリスト、藤吉雅春(元週刊文春記者)が「週刊文春」3月8日号に

原発崩壊3.11 私はそこにいた !

という記事で、この「地獄を見た日」について書いている。

 この日は4号機だけでなく、水素爆発を免れていた2号機でも、全電源喪失で、頼みの緊急炉心冷却装置が作動せず、蒸発した水蒸気で原子炉/原子炉圧力容器の内部圧力がどんどん高まり、耐えられる設計上の限界を超えていた。限界の2倍にも圧力は達していたという。いつ原子炉が爆発してもおかしくなかった。

 2号機原子炉/圧力容器が爆発すれば、あるいは原子炉のメルトダウンにより圧力容器が破壊されれば、その外側の格納容器に強い放射線をおびた燃料棒があふれ出し、いわゆる格納容器の底を突き抜けるメルトスルーの危険すらあった。

 こうなれば、5号機、6号機も含めてほかの原子炉にも注水できなくなる。そうなれば、次々と原子炉はその熱で崩壊するという悪夢が現実となる。吉田昌郎所長が、手動でベント(排気)する決死隊を組織するなど、

 「地獄を見た日」

という認識を示したのも、決して誇張ではないのだ。

 もしこの地獄が現実となると、首都圏を含む250キロ圏でも

 年間許容の1ミリシーベルトをはるかに超える放射能汚染が始まる

というわけだ。

 この記事は、報告書のポイントを分かりやすく書いていて、恐ろしい。

 報告書のさらに詳しい検証は、これからの原発を含めた複合災害の再発防止には欠かせないと感じた。

 この報告書をたたき台に、チェルノブイリ事故調査のように、事故の情報を国際社会で検証し共有するために国際検証会議の開催が必要だろう。これは日本の国際的な責務である。

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国民必読の民間事故調「報告書」を読む これが悪魔の連鎖、4号機

(2012.03.17)  先日のブログで、朝日新聞朝刊「工事の不手際で4号機救う」について、工事の不手際ならぬ、記事そのものの不手際、不完全さを指摘した。つい最近発行された

 福島原発事故独立検証委員会「調査・検証報告」

の全文、約400ページを読んで、なぜ、日米両政府の調整会合が地震発生時、定期点検中で停止していた4号機こそ、首都圏3500万人避難への「悪魔の連鎖」の引き金になるなど、もっとも危険だと認識したのかという謎が解けた。

 その日早朝、4号機建屋は1号機建屋、3号機建屋に続いて水素爆発を起こし、原子炉・原子炉圧力容器・原子炉格納容器を収めている頑丈な建屋の上部が吹き飛ばされた。その日とは、

 運命の日、2011年3月15日

だったのだ。

 報告書によると、建屋が吹き飛ばされたことで、なんとアメリカは建屋上空に無人偵察機を飛ばし、その精密写真の分析から、4号機の使用済み核燃料プールに水がないと判断したらしい。驚くべき素早い行動だが、定期点検を利用して原子炉の大工事に取り掛かるため、つい最近、原子炉から、水を満たした冷却用プールに熱々の使用済み燃料棒を浸したばかりだった。

 そのとき地震が発生。全電源喪失で冷却できずに、プールの水はすべてあっという間に蒸発、燃料棒がむき出しになっているのにに違いない。その証拠にむき出しの燃料棒が熱で崩壊、水素が大量に発生し、4号機建屋に充満、引火で爆発したというプロセスを両政府は推定したのだ。アメリカの原発専門家のシュミレーションだ。

 いったんそうなると、4号機から高レベルの強い放射線が発生し続けるから、もはや人は近づけない。もちろん、ほかの原子炉建屋に注水などできない。コントロール不能に陥る。とすると、やがて1号機も、2号機も、3号機の原子炉、冷却プールも崩壊する。

 とすれば、大まかに、福島第二原発も総員退避せざるを得ず、これが東海原発からも総員退避となり、ついには

 首都圏3500万人の避難に自衛隊の災害出動、治安出動

となるという最悪のシナリオの「素描」を報告書は伝えている。その引き金は4号機である。しかも、たとえ水がプールに残っていたとしても、4号機の建屋の冷却プールは地震で壊れやすい状態にあると判断されており、いつ、プールの底が崩壊してもおかしくなかった。熱でコンクリートが崩壊するというのだ。ちょっとした余震などで底が抜ければ燃料棒はむき出しになり、件の悪魔の連鎖が始まるというのだ。

 この始まり、引き金が3月15日早朝の4号機建屋の水素爆発だった。それがかろうじて免れたのは、幸運中の幸運なのだが、4号機の冷却プールの水がなくなったから、水素爆発をしたのではなく、別の謎の原因で水素爆発が起きたらしい。この点は報告書も言及していない。

 神様がわれわれを助けてくれた

としか、考えられない偶然というか、幸運だったのだろう。そういえば、なお恐ろしいともいえるのだ。

 どうやら、件の8日付朝日新聞1面の記事の情報源は、この報告書らしいとわかった。

 このように、この報告書は、どんな過去の推理小説よりも、また、どんなサスペンスドラマよりも、迫力、恐怖、現実感があり、一気に読ませる。ブログ子は一晩で読了したほどである。言葉は悪いが、これほど〝面白い〟報告書はこれまで読んだことがないというのが、素直な読後感だ。

 なにしろ、6つの原子炉が文字通り、次々とチェルノブイリ化するという最悪のシナリオの素描を公表して見せたのだから。それは、去年のいまごろの出来事として描かれている。

 なのに、このシナリオについては、先の政府事故調「中間報告書」にはまったく言及がない。政府の都合の悪い事実は政府事故調では公表できにくいことを示す証拠だろう。この意味で、民間事故調の存在意義は大きいと言えた。

 はっきり言えば、この報告書は国民必読の報告書だ。チェルノブイリ事故の場合には、その検証報告にもとづき、後日、事故はドキュメンタリー再現ドラマとしてまとめられた。今回も国民が、いや国際社会が等しくこの原発事故の現実を直視するために映画化することが必要だと思う。

 追記

 この報告書を公表した委員会の北澤宏一委員長は、3月14日夜のBSフジに出演し

 この報告書から浮かび上がってくる「私の提言」として

 複合災害に備えるには原発立地の「過密配置は国を滅ぼす」

と回答している。ということは、福井県若狭湾に関西電力を中心として15基も原発がある、いわゆる原発銀座は国を滅ぼすということになる。ここは福島原発どころではない過密地帯なのである。今回の恐怖から考えると、決して大げさな表現ではない。そのとおりだろう。 これを敷衍すれば、脱原発の基本として

 原発立地が分散するように、廃炉する原発を選択せよ

ということになる。科学者からの脱原発( 注記 )の具体的な提言と受け止めたい。

 もうひとり、出演したリスク管理の専門家は、「私の提言」として

 「官僚をうまく使う」

ということを掲げていた。事故対応にあたった当時の菅直人首相のトップダウン型指導者の危うさを踏まえたものであり、事故発生直後、組織内で情報の共有がなかなかできなかったことによる政府内部の混乱に対する反省として注目したい。

  さらに、福山哲郎前官房副長官や山本周「産経新聞」論説副委員長も出演した番組では

 これまでまったく想定されなかった

 複合災害に対するマニュアルづくりが必要

だとの声もあった。複合災害では、今回の事故の長期にわたる全電源喪失でもわかるように、

 多重防護

が一気に崩壊するという事態になる。これに対する備えは今のところない。早急に立て直しが必要だ。喪失で緊急炉心冷却装置すら起動しなかったことは重大だ。今回、「死角」(報告書)となった使用済み核燃料の冷却の重要性など、解決すべき課題は多い。

 また、今回の事故では、科学者は政治家に対して単に判断の材料を提供するに過ぎない、決定権はないこともわかった。科学者は全体を見ていないし、また、その科学的な知見も人によってかなり広い幅があることもわかっと番組で指摘(福山氏)された。

 最後に、これから、おそらく今夏には、国会が設けた事故調査委員会(いわゆる黒川委員会)がまとめる報告書に注視したい。それというのも、民間事故調ができなかった

 当事者の東京電力に対する聞き取り調査

ができるかどうか

にかかっているからだ。東電が要請を拒んだからだ。これこそ、黒川委員会の存在意義が問われるテーマだろう。国会には国政調査権という強力な〝武器〟があり、その国会が設置した委員会からの聞き取り要請を拒むことは難しい。東電の真摯な協力を期待したい。

 注記 事故後の原発世論調査

  脱原発に「賛成」は44%

   「どちらかといえば賛成」は36%

 合わせると、脱原発に賛成は80%にも達した。国民の総意は脱原発ということだ。

 日本世論調査会の最近の面接調査である(3月18日付中日新聞」)

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3.11、民放TVはどう伝えたか 

(2012.03.11)  どうせ、お涙頂戴のオンパレードだろうと思っていたが、そうでもなかった。大本営発表のような映像ジャーナリズムだろうとも思っていた。しかし、3.11から一年のきょう、思わずウーンとうなってしまった特別番組が民放TVにはあった。

 ひとつは、静岡朝日テレビ(キー局はテレビ朝日)の「3.11 映像の証言」。なんと、米航空母艦、ロナルド・レーガンによる救援活動の一部始終を放送していた。航空母艦からのヘリコプターによる孤立した岩手県大船渡市赤碕地区への、焼きそばなどの食糧支援の様子を地元住民の様子とともにドラマチックに伝えていた。

 つなごう !ニッポン 

というタイトルは陳腐だったが、内容は

 カリフォルニア州サンディエゴ空軍基地の「黒の騎士団(ブラック・ナイト)」の女性パイロット(中尉、26歳)の活動を伝えていた。それも、さらりとした映像に仕上げていたのには感心した。この騎士団は、母艦から、この大船渡市だけでなく、気仙沼市、石巻市にも空から救援物資を届けていたことは知らなかった。作戦名は、

 トモダチ作戦

と名づけていたというから見事である。

 番組では、このほか揚陸艦による海兵隊員の救助活動も伝えていた。

 そして、ふと思った、こうした緊急時の組織的、かつ大規模な作戦行動がただちに取れる国とかつて日本が闘ったことの無謀さを思い知らされた。

 もうひとつは、ブログ子の嫌いな「朝ズバッ」スペシャル、例のみのもんたさんの番組。津波で壊滅的な被害を出した南三陸町での

 巨大津波 私は生きた  命の真実(静岡SBS=TBS)

である。背後からの濁流が迫る中、ふたりの70代女性がからくも津波にさらわれず助かった〝決定的な瞬間〟を克明に映像で紹介していた。

 ひとりは、濁流から逃げようとしてブロック塀を乗り越えたときの骨折もなんのその、高台まで逃げのびた。もうひとりは、もともと足の悪い女性があわや津波に飲み込まれようとしたとき、流れてきた家屋の屋根に救い上げられて命拾いという、いわばスクープ映像だ。黒い濁流に車椅子ごと助けられた感動の90代女性の話など、よくぞ助かったと、見る人に感動を与えずにはおかない映像だ。すごい、の一言である。

 これら民放TV番組に比べて、NHKはどうしたことか、生彩にかけた番組だったといわざるを得ない。障害者と災害という視点をすえた教育TV番組を除けば、上品で行儀が良すぎた。

 3.11映像では民放の勝利だった。

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危機一髪、福島第一原発4号機の恐怖

(2012.03.08)  福島第一原発 「工事不手際で4号機救う」との記事には、ゾッとした(3月8日付朝日新聞朝刊1面)。

 何しろ、地震発生時には、定期点検で原子炉は冷温停止していたはずの4号機が当時もっとも日米政府が恐れていた、いわば〝チェルノブイリ〟化し、最悪、首都圏での避難も避けられない情勢にあったというのだから、驚きというよりも、恐怖だ。

 当時、ブログ子はじめ大抵の人がもっとも安心だと思っていた4号機が、実はもっとも危険だったらしい。

  もっとも危険とみられていたのは、先に公開された民間事故調(いわゆる北澤委員会)の報告書によると、水素爆発は免れていたものの、原子炉格納容器の内部圧力が設計上の最高値の2倍にもなるなど原子炉の爆発という事態に追い込まれていた2号機だったと指摘されていたのだから、このニュースは意外な指摘ではある。

 それが、3つの偶然の〝お陰げ〟が重なって、きわどいところで破滅的な危機が回避されたというのだ。

 第一のお陰。営業運転以来初めての原子炉内構造物取り替え大工事が不手際の〝お陰〟で作業が遅れたこと。地震発生わずか4日前に、使用済み核燃を冷やし一時貯蔵するための冷却用プールに隣接する大水槽に張られた作業用の水を抜き、もとの状態に戻す手はずだった。それが遅れたため、水が張られたままだったのが幸いした。大水槽が期せずしてプールの冷却用に使われたのだ。

 第二のお陰。地震の〝お陰〟で大水槽とプールとの間の仕切りが地震発生とともに、ズレたこと。これにより、全電源喪失後も大水槽からの作業用の水でプールを冷やすことができ、水の蒸発で使用済み核燃料がむき出しになることを防いだ。むき出しになれば、放射線と放射能物質が核燃料から周辺に撒き散らされて、4号機の〝チェルノブイリ〟化が起きるところだったという。

 第三のお陰。原子炉が停止しているはずの4号機が、なぜか水素爆発を起こし、建屋の屋上を吹き飛ばしてくれた〝お陰〟で、大水槽の水がだんだん時間がたつにつれてなくなってきても、消防車からの屋上越しの放水で補うことができたこと。屋上越しの放水がなければ、いずれ、予測では3月下旬にも使用済み核燃料はむき出しになる。そうなれば、強い放射線により、もはや第一原発には人は近寄れなくなり、事故を起こした原子炉は人の手では制御不能になるところだった。原子炉が止まっている4号機でなぜ水素爆発が起きたのか、詳しいことは事故調査が始まっている今も、わかっていないというから、恐ろしい。

  簡単に言えば、4号機の工事段取りが遅れたこと、なぜか水素爆発が起きて屋上が吹き飛んだこと、地震でプールのつなぎ目がずれたことが幸いしたというのだ。驚くべきこれらの偶然が重なって、危機一髪、使用済み核燃料のむき出しという破滅的な危機を脱したものらしい。

 ただ、この記事で疑問に思ったのは、1-3号機は地震発生時、稼働しており、作業用のこの大水槽には水は張られていなかったはずだから、4号機よりももっと危険な気もした。 記事にはその疑問にこたえてくれない。

 つまり、なぜ日米政府は4号機が首都圏住民避難という「最悪の事態の引き金になると心配した」のか

については、この記事だけからは、わからない。稼動中だった原発の使用済み核燃料プールに集中して放水していたから、これらの原発でも使用済み核燃料のむき出しが回避できたのだろうというのだろうか。この疑問のほか、記事の根拠となる情報源が明示されていないなど、不正確といって悪ければ、少なくとも不親切な記事だ。

 原発事故では、とかく稼動中の原子炉に注意が行きがちだ。しかし、今回、冷温停止中の原発についても使用済み核燃料の取り扱いなど危険が付きまとうことを、はからずもこの記事で思い知らされた。いや、停止して作業中というのは、危険ではないという思い込みがある分、稼働中よりも危険なのかもしれない。

 ともかく、そんなこんなで、放射線を遮断する水が原発にとっていかに重要か、あらためて思い知った。加えていうならば、この場合、遮断できるということは、その分のエネルギーを水がもらうことを意味し、水の蒸発という新たな危険が伴うことを忘れてはなるまい。

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「南三陸日記」を読んでみたら 喪服の結婚記念日

(2012.03.07)  前回のフォーラム会場で、火曜日の掲載と聞いていたので、早速、三浦英之朝日新聞記者の連載囲み記事

 宮城「南三陸日記」(2012年3月6日付朝日新聞、東京本社版第二社会面)

を読んでみた。

 喪服を着た結婚記念日

というタイトルである。読んでみたが、正直に言えば、がっかりした。

 結婚式を挙げた7日後に大震災にあい、若い夫をなくした女性の話なのだが、情緒的なのだ。あまりに情緒的な、あまりに。主観報道とは、情緒的な報道をすることではない。前回も書いたが、

 主観報道とは、他人事でも、1人称で情緒的に書くのでもなく、わが事として、問題点を指摘する、いわば2.5人称報道をすること

なのだ。「私は」という気持ちで、他人事では拾えない問題点を抉り出すことなのだ。この日記には、これがない。最初から最後まで、情緒的に書かれている。問題点をえぐるものがない。読後感は、だからなんだということだけだった。わずか40行足らずの囲み記事だが、何度読んでも、この読後感しか思い浮かばなかった。

 はっきり言えば、そして悪く言えば、

 一人称の報道記事

だ。へたすると、これは入社1、2年目のトロッコ記者が書く

 町ネタ

と見間違いそうだ。入社10年ぐらいの書き盛りの記者の署名入り記事としてはお粗末。フォーラムで三浦記者自身が

 毎回、デスクに全面書き直しを命じられた

と言っていたのも、あながち謙遜ではない。正直に告白したのだ。これではデスクは通したくてもOKはとても出せないだろう。

 三浦記者には後日を期待する。

 そんな思いでいたのだが、スペースとしては倍以上ありそうな、となりの連載記事

 鎮魂を歩く 茨城県東海村 「震災だから」なのか

というのが、目に留まった。松川敦志記者の署名がある。これのほうが、2.5人称の主観報道に近い。気づきにくい、しかし、ポイントを突いた大震災の問題点をなかなか見事に抉り出している。

 大震災時、運悪く、東京電力・常陸那珂火力発電所で4人がなくなった。煙突の建設工事で、広島県内から長期出張していたとび職だった。その遺族を広島に尋ねた記事で、1年が経つ今も、遺族のいきどおりは行き着く先がなく、漂い続けているという内容。労災と認められたものの、東京電力、元請け会社の事故対応の姿勢を問題視している。地震だから仕方がないという会社側の姿勢は本当に正しいのか、という問題意識である。

 なぜ遺族は憤っているのか。地震のせいにすることなく、そこに鋭く迫った。広島まで取材で尋ねるに当たって、ピンと来る問題意識がなければ、書けない。

 記事にこうある。

 でも向こう(元請け会社)は、震災ですから、の一点張り。何かね、震災という言葉ですべてをくるんでしまおうとしているように思うんです。(中略)  完全なる人災。それがぼく(取材した遺族)の考えです。

 ずしんとくる結びである。この言葉を聞くために広島まで記者が出向いているのだが、その価値は十分にあった。記者の感性の鋭さが文章に見事に出ている。こうした記事はトロッコ記者には書けない。

 追記 南相馬日記

 なお朝日新聞には、南三陸日記のほかにも

 福島・南相馬支局長による

 「南相馬日記」(木曜日掲載)

がある。3月8日付は

 君の居場所 大人が守る

だった。内容の紹介はここでは省略する。軟派的なのはいいにしても、安易とは言わないが、いかにも情緒的なのが不満だった。

 補遺 2012年5月30日 記

 2012年5月、各社の競争となった震災日記では、先日、日本記者クラブ賞に、

一年にわたる連載「三陸物語」(萩尾信也毎日新聞記者、はぎお・しんや)

が決まった。まったくお涙頂戴記事がなかったわけではないが、暗い話も積極的に取り上げ、問題点をえぐろうとしていた。暗いなかにも明るさ、希望を見逃さない眼力と筆力が好感された。ベテラン記者らしい記事だと思う。

 盲人、認知症などの障害を持った人を比較的に多く取り上げるなどのテーマ性、あるいは「冬来たりなば」編、「花咲かす人」編など暗い、つらい話も丹念に拾い出し、希望のある話にしている問題性、方言を駆使している表現性などの点で゛、三浦朝日新聞記者の連載とは、格が違うと感じた。

 萩尾氏は、東京本社社会部記者らしいが、将来、論説委員の候補だろう。
 

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「私は」という2.5人称報道 今、震災報道に求められるもの

(2012.03.05)  ある新聞社のメディアフォーラム「震災報道を考える いま、求められていること」に一聴衆として参加した。会場は、日曜日とあって大震災とはおよそ無縁なにぎやかさ、華やかさの東京・有楽町の有楽町マリオンだったが、それでも近くで大震災復興支援の史上最高の5億円「グリーンジャンボ」宝くじの発売に、それこそ長蛇の列ができるなど、かすかに震災1年の雰囲気はあった。

 三浦英之朝日新聞記者(南三陸駐在)の「現場からの報告」や、ツイッターなどを駆使し、いまなお震災報道を精力的に行っているメディア・ジャーナリストの津田大介さんなどを交えてのパネル討論を拝見した。

 フォーラムでは、一番ほしい情報が被災者に届かないなど、いわゆる〝大本営発表〟ジャーナリズム批判があった。そこには誰のための報道なのかという問題意識がある。被災地以外のための他人事報道、記者クラブジャーナリズム批判である。

 そのことは、ブログ子も強くこの一年感じていた。そんな中、このフォーラムで一番ハッとさせられたのは、やはり三浦記者の発言。同氏は、この一年近く

 「南三陸日記」

を毎週一回、火曜日に連載している。たった35行なのに取材に4日、執筆に3日をかけているという。デスクに何回も書き直し、ときには全面書き直しも言い渡されているという内輪の話もあった。それぐらいかかるらしいが、もっとも時間がかかるのは、なぜその記事を書くのか、という問題意識の発見らしい。単に惰性で連載しているというのでは、デスクはOKしない。ブログ子にもそうした経験があるから、さぞかし苦しいだろうと同情した。

 そんな彼が、何気なく言った言葉に感服した。

 連載に、どうしても、そして、必ず

 「私は」

という、報道記事としては、禁句の主観報道をしているというのだ。そうでなければ、伝えられないもの、問題意識があるというのだ。いかにも、現場をくまなく、粘り強く歩く駐在記者らしい態度である。

 主観報道の最たるものは社説だが、これには「私は」という表現はない。前提として、主語は「新聞社は」であるからだ。私見はない。論説委員の総意、あるいは論説委員長など論説責任者の意見なのだ。

 報道については、

 客観報道あるいは公正中立

が新聞社の建前。しかし、震災報道の現場では、こうはならないのだろう。

 かつて、阪神大震災で神戸新聞社の論説委員長、三木康弘さんが、自らの体験を社説に書いた

 「被災者になって分かったこと」

が大きな反響を呼んだことを思い出す。震災5日目ぐらいに掲載された社説である。

 ブログ子は、無味乾燥な他人事の社説を排して、

 2.5人称の社説の必要性

を持論として主張している。

 震災報道についても、他人事の客観報道を排して、3人称の客観報道に説得力を読者に感じてもらうためにあえて一部主観も書き込んだ

 2.5人称の報道記事の必要性

を感じた。災害現場に立った報道陣が等しく抱く感慨は

 マスメディアの無力さ

であり、何もできない自己への嫌悪感であろう。これを少しでも和らげ、わが事として、報道に携わろうとすれば、どうしても主観報道が必要になってくる。これは、かつてブログ子が大阪で夕刊紙記者をしていた時代、当時の大阪読売新聞社会部長(兼編集局次長)、黒田清さんも

  記事は主観報道たれ

と堂々と言っていたことと符合する。ノンフィクション作家の柳田邦男氏も

 連載「2.5人称の視点 今こそ『臨床の知』からの再出発を」

で、その必要性とこれまでの報道のあり方の総点検を広く訴えている(読書人の雑誌『本』2010年2月号の連載最終回、講談社)。

 確認は取れていないがと断った上で報道するなど、不確かさを明示した上で「巧緻より拙速を尊ぶ、あるいは第一とする災害報道のほかに、こうした問題意識などを考えさせる報道も必要であることを、あらためて気づかせてくれたフォーラムだったように思う。

 最後に、

 今一番ほしい情報は何か

という質問に対して、三浦記者は大きく微笑み

 「南三陸町の今一番の願いは、(外に向かって)情報を発信することです」

と答えていたのが印象的であった。復興はそう遠いことではないだろう。

  なお、このフォーラムの詳報については、3月14日付朝日新聞朝刊に

 フォーラムの副題「いま、求められていること」として

 深く正直に伝え続ける

と結論付け、大見出しで特集している。参加しての印象として、そんなところか、と思ったが、もう少し、具体的には

 わからないことは分からないと正直に

ではないか。「わからないこと」を少し小さい文字にすれば、いい。「深く」は本文を読んでもわからないし、見出しとしても意味不明である。

 

 追記 宮城県南三陸町の今

 フォーラムに参加した日の夜、教育テレビで

 「ETV特集 漁業の町、南三陸町の1年」

というのを放映していた。自らも同町の「防災対策庁舎」の屋上で大津波に飲み込まれて命を落としかけた佐藤仁町長が登場していた。命が助かったのは、確かに奇跡であった。

 「高台へ避難してください」

と対策庁舎の女性職員が呼びかけているその3階建ての庁舎自身が屋上まで飲み込まれてしまったのだから、まさか、まさかの想像を絶する出来事だった。多くの職員が助からなかったのも無理はない。対策庁舎を取り囲むようにあった町役場は、大津波後、きれいに土台からなくなっていたのだ。対策庁舎の無残に破壊された鉄骨だけが、かろうじて残った。

 この町には、12メートルから14メートルの高い津波が押し寄せたことがその傷跡から推測できる。予測の2倍なのだ。

 町の人口15000人強に対して、

 死者約540人、行方不明者約660人

というから、人口の一割近くが一瞬にして、帰らぬ人となった計算だ。破壊されたり、流失したりした被災家屋はなんと町全体の6割というから、ひどい。

 ブログ子は、ふと、この数字から、フォーラムに参加した人数に匹敵することに気づき、津波の恐ろしさを少しは実感できた。

 なお、ブログ子は、不明にも、そしてまた不覚にも、この南三陸町というのは岩手県だと思っていた(陸前高田市は岩手県南部に位置する)。

 正しくは、

 宮城県南三陸町であり、南は宮城県石巻市に、北には宮城県気仙沼市が隣接する町

 なのだ。

 余計なことかもしれないが、その町名からも想像できるが、平成の大合併で新設合併した、旧志津町と旧歌津町が母体。ともに、奥ゆかしく由緒がありそうな旧町名であり、その崩壊に接して、早い復興を思わざるを得なかった。

 注記 これからの報道はこうなる 津田大介氏の見解

 パネル討論に参加した津田氏によると、未来の報道は次のようになるという。

 速報型の時々刻々の「フロー報道」 アラブの春のリアルタイム報道がその例

 分析・提案型の「ストック報道」、従来の深みのあるまた、多様な見方の調査報道

 検証型の「データ公開報道」

 新味は、最後の報道型。

 情報をどのように編集したか、それが後になっていつでも検証できるように元になったデータを誰でもアクセスできるようネット上で蓄積することの重要性の指摘だ。これは、得られた情報の有効利用とも位置づけられそうだ。新聞社などのマスメディアが情報を独占する時代は終わったことを強く印象付ける提言だとブログ子は感じた。

 また、不確かな情報かどうか、という検証は従来の新聞社などのプロの仕事。これに対しソーシャル・メディア側はニュースの多様な視点を提供する役割を担う。

  そして、アラブの春でも分かるように、ソーシャル・メディアの役割は、(リアルタイムの)拡声器の役割も担う。

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日本のウラン濃縮 青森県六ヶ所村から

(2012.03.03)  先日、アメリカと北朝鮮がウラン濃縮の一時停止などで合意した。北朝鮮は、2002年以来、国際原子力機関、IAEAの寧辺核査察を拒否してきたが、これも受け入れるという。

 見返りは、またまた食糧支援だそうだが、合意は「ささやかだが、重要な一歩」(米国務長官)だ。といって大きな期待は禁物である。それでも朝鮮半島の非核化、あるいは安定化を目指す日本にとっても、米国にとっても重要な成果であるのは間違いない。

 というのも、1994年の米朝核合意(このときも見返りは食糧支援)以来、軽水炉原発建設支援の破棄と黒鉛型原発によるプルトニウム抽出疑惑(2002年)、北朝鮮の核実験(2006年)、さらにはウラン濃縮の〝事実〟公表(2010年)という一連の動きがあるからだ。しかも、それが事実であるのかどうか、核関連施設への直接立ち入りという査察が行われていない現状では、アメリカは北朝鮮の核開発の実態を正確には把握していないといえそうだ。それが、査察の受け入れで実態把握が可能になることの意味は大きい。

 ところで、日本でもウラン濃縮が行われており、これに伴いIAEAの査察を受け入れている事実を知っている日本人は少ないのではないか。1992年、青森県六ヶ所村に完成した日本原燃の施設である。下北半島のつけ根あたりの原野の真っ只中にある巨大な核燃料再処理工場の隣りの施設といえば分かりやすいかもしれない。機密保持のために人目につかないよう、ひっそりとした施設である。

 ブログ子は、この厳重に警備された濃縮ウラン工場を最盛期の10数年前、電力会社の世話で同僚とともに取材に訪れたことがある。ガラスのはめ込まれた小窓から、大量の遠心分離機が確かに稼動していた。国内原発が使う燃料の約2割近くを賄っていると当時の担当者から説明を受けた記憶がある。

 2012年3月1日付中日新聞特報欄「核燃基地六ヶ所村 燃えるウランづくり20年」によると、

 「2010年12月に全てのラインが寿命を迎え、ウラン濃縮工場は作業が停止していた。新たに導入する炭素繊維製の新型遠心分離機の開発が遅れ、ようやく昨年末に旧型機との置き換えが始まった。20年までに、年間約280トンを処理できるように工場を再整備する方針」

という。この特報によると、稼動から18年、生産・出荷された濃縮(燃えるウラン238の含有率約4%)ウランは約1700トン。約23トンあれば、出力100万キロ原発が一年間稼動させることができるという。

 この記事には、

 原爆製造に直結する技術

という見出しがあるが、そのためには、ウラン238の含有率を99%以上にする必要がある。原発の4%濃縮でも大変なのに、この数字は核開発が気の遠くなるような技術を必要とすることをうかがわせる。

 北朝鮮がウラン濃縮をしているとしても、問題はいつからなのか。おおよそとして、日本の六ヶ所ウラン濃縮工場と同時期、つまり1990年代としても、また核の闇市場があるとしても、製造はひそかに行わなければならないということから、核兵器用の高濃度ウランの製造はいまもって北朝鮮では完成していないのではないか。

 そうした推測を確かめる、あるいはたとえ、完成していても国際的な圧力で稼動を断念させるためにも、今回の合意は日本にとっても

 「重要な一歩」

であり、野放しにしないよう核査察に期待する。なにしろ、査察するIAEAの長、つまり事務局長は日本人なのだ。しっかりその役割を果たしてほしい。

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早春の火乃国、伊豆を訪れて 北条時政の墓

(2012.03.02)  大河ドラマ「平清盛」を毎週、楽しみにしている。この時代はなかなか込み入っているので、この機会に少し勉強しようと、

 『新・平家物語』(全8巻、吉川英治)

を正月明けから読みはじめて、現在、佳境に入った第3巻を読み終えた。平家を滅ぼそうと、源頼朝や源義経が登場するなど、なかなか面白い。大長編ならでは醍醐味を味わっている。

 伊豆に流され20年の雌伏のときを過ごした頼朝がどういう経緯で、伊豆で挙兵(1180年8月)したのか。あるいは、この挙兵には、平家方だった伊豆の土豪、北条時政、その実子、北条政子がどういう経緯で味方するようになったのか。教科書を読んでいるだけでは、そうしたことまではなかなか分からない。

 それが、この大長編を読むと、手に取るようにわかる。興味がわく。こうなると、不思議なもので、現地を訪れてみたくなった。

 そこで、現在の伊豆の国市(静岡県)韮山の頼朝配所に出かけてみた。場所は、蛭(ひる)ヶ小島である。伊豆箱根鉄道韮山駅近くなのだが、見晴らしのいい殺風景な場所に

 頼朝(31歳)とその妻・政子(21歳)の像

が立っていた。そばには「頼朝(挙兵)830年」と染め抜かれた旗が早春の冷たい風にたなびきポツンと立っていた。ほとんど観光客もない。

 近くには、政子の産湯井戸跡の標識もあった。

 ここが、死罪を免れて京都からやってきた頼朝と、土豪の娘、政子の運命的な出会いの場所かと、感慨無量であった。挙兵から数年後には平家を滅亡させ、十数年後には鎌倉幕府を開く二人なのである。

 政子をひどくかわいがったのが、土豪、北条時政だ。後に鎌倉幕府の執権となる彼の墓はどこだろうと、その近くを探した。

 ようやく、探し当てたところが

 高野山真言宗 願成就院(がんじょうじゅいん)

の境内内に、北条時政の墓所を見つけた。

 罪人、頼朝を監視する役の時政。その時政の娘、政子がよりにもよって、頼朝と大恋愛をするというのが『新・平家物語』の展開だ。

 父親の時政の驚愕はいかばかりであったろうか。怒り、悲しみ、落胆、恐怖に悩まされてついに、平家方から源氏方の支持に180度態度を転換する。

 平家にあらずんば人にあらずの風潮の中、源氏にかける時政。そして、北条家滅亡の危機から、一転鎌倉幕府のナンバー2、執権(将軍の職務代行者)にまでなる。

 時政にすれば、人生、何が起こるかわからないとつくづく思ったであろう。

 「平清盛」のドラマでは、とかく兵庫県、広島県など西日本が話題になるが、源氏の本拠地の動きもしらなくては、深みのある歴史認識は得られない。

 配所や墓所を旅してみて、そのことがよく分かった。

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