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「私は」という2.5人称報道 今、震災報道に求められるもの

(2012.03.05)  ある新聞社のメディアフォーラム「震災報道を考える いま、求められていること」に一聴衆として参加した。会場は、日曜日とあって大震災とはおよそ無縁なにぎやかさ、華やかさの東京・有楽町の有楽町マリオンだったが、それでも近くで大震災復興支援の史上最高の5億円「グリーンジャンボ」宝くじの発売に、それこそ長蛇の列ができるなど、かすかに震災1年の雰囲気はあった。

 三浦英之朝日新聞記者(南三陸駐在)の「現場からの報告」や、ツイッターなどを駆使し、いまなお震災報道を精力的に行っているメディア・ジャーナリストの津田大介さんなどを交えてのパネル討論を拝見した。

 フォーラムでは、一番ほしい情報が被災者に届かないなど、いわゆる〝大本営発表〟ジャーナリズム批判があった。そこには誰のための報道なのかという問題意識がある。被災地以外のための他人事報道、記者クラブジャーナリズム批判である。

 そのことは、ブログ子も強くこの一年感じていた。そんな中、このフォーラムで一番ハッとさせられたのは、やはり三浦記者の発言。同氏は、この一年近く

 「南三陸日記」

を毎週一回、火曜日に連載している。たった35行なのに取材に4日、執筆に3日をかけているという。デスクに何回も書き直し、ときには全面書き直しも言い渡されているという内輪の話もあった。それぐらいかかるらしいが、もっとも時間がかかるのは、なぜその記事を書くのか、という問題意識の発見らしい。単に惰性で連載しているというのでは、デスクはOKしない。ブログ子にもそうした経験があるから、さぞかし苦しいだろうと同情した。

 そんな彼が、何気なく言った言葉に感服した。

 連載に、どうしても、そして、必ず

 「私は」

という、報道記事としては、禁句の主観報道をしているというのだ。そうでなければ、伝えられないもの、問題意識があるというのだ。いかにも、現場をくまなく、粘り強く歩く駐在記者らしい態度である。

 主観報道の最たるものは社説だが、これには「私は」という表現はない。前提として、主語は「新聞社は」であるからだ。私見はない。論説委員の総意、あるいは論説委員長など論説責任者の意見なのだ。

 報道については、

 客観報道あるいは公正中立

が新聞社の建前。しかし、震災報道の現場では、こうはならないのだろう。

 かつて、阪神大震災で神戸新聞社の論説委員長、三木康弘さんが、自らの体験を社説に書いた

 「被災者になって分かったこと」

が大きな反響を呼んだことを思い出す。震災5日目ぐらいに掲載された社説である。

 ブログ子は、無味乾燥な他人事の社説を排して、

 2.5人称の社説の必要性

を持論として主張している。

 震災報道についても、他人事の客観報道を排して、3人称の客観報道に説得力を読者に感じてもらうためにあえて一部主観も書き込んだ

 2.5人称の報道記事の必要性

を感じた。災害現場に立った報道陣が等しく抱く感慨は

 マスメディアの無力さ

であり、何もできない自己への嫌悪感であろう。これを少しでも和らげ、わが事として、報道に携わろうとすれば、どうしても主観報道が必要になってくる。これは、かつてブログ子が大阪で夕刊紙記者をしていた時代、当時の大阪読売新聞社会部長(兼編集局次長)、黒田清さんも

  記事は主観報道たれ

と堂々と言っていたことと符合する。ノンフィクション作家の柳田邦男氏も

 連載「2.5人称の視点 今こそ『臨床の知』からの再出発を」

で、その必要性とこれまでの報道のあり方の総点検を広く訴えている(読書人の雑誌『本』2010年2月号の連載最終回、講談社)。

 確認は取れていないがと断った上で報道するなど、不確かさを明示した上で「巧緻より拙速を尊ぶ、あるいは第一とする災害報道のほかに、こうした問題意識などを考えさせる報道も必要であることを、あらためて気づかせてくれたフォーラムだったように思う。

 最後に、

 今一番ほしい情報は何か

という質問に対して、三浦記者は大きく微笑み

 「南三陸町の今一番の願いは、(外に向かって)情報を発信することです」

と答えていたのが印象的であった。復興はそう遠いことではないだろう。

  なお、このフォーラムの詳報については、3月14日付朝日新聞朝刊に

 フォーラムの副題「いま、求められていること」として

 深く正直に伝え続ける

と結論付け、大見出しで特集している。参加しての印象として、そんなところか、と思ったが、もう少し、具体的には

 わからないことは分からないと正直に

ではないか。「わからないこと」を少し小さい文字にすれば、いい。「深く」は本文を読んでもわからないし、見出しとしても意味不明である。

 

 追記 宮城県南三陸町の今

 フォーラムに参加した日の夜、教育テレビで

 「ETV特集 漁業の町、南三陸町の1年」

というのを放映していた。自らも同町の「防災対策庁舎」の屋上で大津波に飲み込まれて命を落としかけた佐藤仁町長が登場していた。命が助かったのは、確かに奇跡であった。

 「高台へ避難してください」

と対策庁舎の女性職員が呼びかけているその3階建ての庁舎自身が屋上まで飲み込まれてしまったのだから、まさか、まさかの想像を絶する出来事だった。多くの職員が助からなかったのも無理はない。対策庁舎を取り囲むようにあった町役場は、大津波後、きれいに土台からなくなっていたのだ。対策庁舎の無残に破壊された鉄骨だけが、かろうじて残った。

 この町には、12メートルから14メートルの高い津波が押し寄せたことがその傷跡から推測できる。予測の2倍なのだ。

 町の人口15000人強に対して、

 死者約540人、行方不明者約660人

というから、人口の一割近くが一瞬にして、帰らぬ人となった計算だ。破壊されたり、流失したりした被災家屋はなんと町全体の6割というから、ひどい。

 ブログ子は、ふと、この数字から、フォーラムに参加した人数に匹敵することに気づき、津波の恐ろしさを少しは実感できた。

 なお、ブログ子は、不明にも、そしてまた不覚にも、この南三陸町というのは岩手県だと思っていた(陸前高田市は岩手県南部に位置する)。

 正しくは、

 宮城県南三陸町であり、南は宮城県石巻市に、北には宮城県気仙沼市が隣接する町

 なのだ。

 余計なことかもしれないが、その町名からも想像できるが、平成の大合併で新設合併した、旧志津町と旧歌津町が母体。ともに、奥ゆかしく由緒がありそうな旧町名であり、その崩壊に接して、早い復興を思わざるを得なかった。

 注記 これからの報道はこうなる 津田大介氏の見解

 パネル討論に参加した津田氏によると、未来の報道は次のようになるという。

 速報型の時々刻々の「フロー報道」 アラブの春のリアルタイム報道がその例

 分析・提案型の「ストック報道」、従来の深みのあるまた、多様な見方の調査報道

 検証型の「データ公開報道」

 新味は、最後の報道型。

 情報をどのように編集したか、それが後になっていつでも検証できるように元になったデータを誰でもアクセスできるようネット上で蓄積することの重要性の指摘だ。これは、得られた情報の有効利用とも位置づけられそうだ。新聞社などのマスメディアが情報を独占する時代は終わったことを強く印象付ける提言だとブログ子は感じた。

 また、不確かな情報かどうか、という検証は従来の新聞社などのプロの仕事。これに対しソーシャル・メディア側はニュースの多様な視点を提供する役割を担う。

  そして、アラブの春でも分かるように、ソーシャル・メディアの役割は、(リアルタイムの)拡声器の役割も担う。

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