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地元社説と週刊誌記事 富士山も噴火の超巨大東海地震 ?

(2012.01.05) 大震災の記憶がまだ生々しい新年だけに、そして、東海地震が想定されているだけに、地元の静岡新聞の恒例大型社説をおおいに期待して読んだ。1月5日付で巨大地震対策について

 生き抜く力を高める年に

と主張している。もっともである。中身を読んでみると、

 「東海を含めた連動地震を見据えた防災意識を持つことが必要だろう」

との認識を示し、

 「自分の命は自分で守る「自助」の意識を高め、巨大地震災害が発生しても生き抜く力を飛躍的に高める1年にしよう」

と読者に呼びかけている。これまでみんなが言ってきたことであり、もっともである。これに異議を唱えたり、反対する静岡県民は、まず、いないだろう。落ち着いた、冷静で良識ある社説の見本と言っていい。

 生き抜く力を高めた見習うべき好例として、社説は、児童・生徒がほぼ全員無事だった岩手県釜石市のよく話題になった事例を紹介している。適切な紹介だと思う( 注記1 )。連動でこれまでより巨大な地震となると、防災より、被害を出来るだけ少なくする減災が現実的な対応となるとのよく知られた認識も示していて、異論はない。

 さらには、「内閣府の有識者会議は」とか、「静岡県は」とか、「静岡県では」とできるだけ、公的な機関の客観的な事実を忠実になぞっているのも、社説の信頼性を高めるとともに、責任をそこに持ってもらうそつのない書き方も、申し分ない。

 テーマにしている連動に伴う巨大地震対策といっても、これまでの延長線上にあるとしている。とはいっても「過信は禁物だが」と用心深く、但し書きというか、注意を喚起することも忘れていない。社説の常道をわきまえたその表現に感心した。

 社説には書いた人の独自の視点や見識はどこにも見当たらない。これなら今後どのような事態が起きても、この社説が批判はもちろん、非難されることはないだろう。批判や非難が起こらないような論説の見本である。

 問題は、読後感だ。何も心に残らない。どこか他人事のようで、読んでいても心に響くものがなにもない。そうなんだよなあ、という実感が伝わってこない。なるほど、そうかというものもない。

  これと逆なのが、「週刊現代」2012年1月21日号の、首都圏直下型M8とともに

 「「東海地震M9」はまもなく来るものと覚悟してください」

という9ページもの記事。そのとき、どこにいるか別に、その場所であなたと家族は生き残れるか。注意ポイント、直下型地震の安心度、海溝型地震での安心度など、きわめて具体的で、かつ詳細な一覧表が付いている。これを読むだけでも、定価400円の価値はある。

 つまり、社説に言う「生き抜く力を高める」のに必読

といえる対策一覧だ。もしスカイツリーにいたら、富士山の山頂にいたらなどなど、懇切丁寧に指南している。社説とは違って、巨大地震をわが事として身近に、そして具体的に考えようという姿勢がうれしい。

 もうひとつ、こちらのほうが大事なのだが、

 社説には関心の高い浜岡原発にも、富士山噴火( 注記2 )にも

一言も(意図的だろうが)触れていない。が、週刊誌では、想定されるM9巨大東海地震は、これまでの対策の延長線とは考えられず、つまり質的に違い、発生で富士山の噴火の可能性が高いと書かれている。ただし、記事には、ほんとうかなあ、という疑問も多い。根拠も明記されていないからだ。

 しかし、この記事を、言葉はよくないかもしれないが、単に与太記事とは考えにくい。なぜなら、記事の取材先が、静岡県静岡市清水区にある

 東海大学海洋研究所地震予知研究センター長の長尾年恭(としやす)教授

だからだ。いわば、想定東海地震のお膝元、ご当地研究者(固体地球物理学)なのだ。

 ブログ子は、一度、この教授の地震予知に関する講演を金沢で聞いたことがあるが、物をはっきり言う地震予知確信論者である。

 この週刊誌の記事は、やや飛ばし気味はあるものの、ともかく、読むものの心に響く内容が多い。

 はっきり言えば、今回の社説は今後何の役にも立たないだろうが、この週刊誌の記事は疑問点も含めて、今後役に立つだろう。

 これが、週刊誌の読後感だ。

  注記1

  これとは逆の宮城県石巻市立大川小学校の事例、つまり、教職員に危機意識が希薄で、どうする、どうすると右往左往した挙句、校庭よりもより安全な場所に避難を始めたものの、逃げ遅れて全校生徒の7割(74人)が死亡するという〝人災〟については、知らんぷりという片手落ちもある。しかし、これについては(校長は年休中。しかも学校にいた教職員11人のうち10人が死亡したという痛ましいこともあり)目をつぶるとしよう。

 ただ、この事例からも社説同様に、自分の命は他人頼みではなく、自らの判断と行動で守るのが基本というごく当たり前の教訓が得られるのではないか。

  注記2 2012.01.23

  想定されている東海地震に伴う富士山噴火については、川勝平太静岡県知事は、被害想定の見直しについての記者会見など公の場で

 富士山噴火の可能性も想定して、対策を立てる必要性を強調

している。火山噴火の専門家も噴火の可能性を認めている。つまり、件の社説よりも週刊誌のほうが読みが深い。

 東海地震+東南海地震+南海地震=三連動の安政大地震(1854年12月)では、富士山は噴火しなかったが、

 同じ連動の宝永大地震(1707年10月)では、富士山は地震2か月後の12月に大噴火(宝永大噴火)を起こしている。知事はこのことを念頭に相手発言している。いずれの連動もも駿河トラフの海溝プレート型地震。

 追記   

 社説ライターの名誉にもかかわるから、補足しておくが、みんながみんな社説というものは無味乾燥な他人事のような論説なのではない。

 たとえば、今回の大震災のお膝元のブロック紙、河北新報社(本社仙台市)の1月1日付社説は

 復興元年 つながる心/等身大の思想で希望を紡ぐ

という、独自の視点と見識をかかげた新聞社もある。わがこととして、地元農民詩人の話も書き込んでいる。共感した地元県民も多いのではないか。ただ、やや情緒的な社説であり、社説というよりも「私説」に近いが、

 「安全神話が崩れた今、原発は白紙から議論しなおすべきだ」

とはっきりと、硬派な主張もしている。「危機を先送りする文化にピリオドを打たねばならない」とも訴えている。

 最後を「傷ついた自然と人の、あるいは人と人の関係を時間をかけて修復していく。ことしをそのスタートの年としたい」と結んでいるのも、現実と正面から向き合うことを訴えていて、好感が持てる。

 こうした見識ある社説もあることを忘れてはなるまい。

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