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人間とは何か ドイツ映画「ヒマラヤ」を見て

(1022.12.12)  シネマ・イーラ浜松でドイツ映画を久方ぶりに見た。

 「ヒマラヤ 運命の山」(ヨゼフ・フィルスマイアー監督、2010年)

である。先に結論を言ってしまえば、

 作家、井上靖の穂高を舞台にした『氷壁』のヒマラヤ版

とでも言おうか。原作もある。『裸の山 ナンガパルバート』(ラインホルト・メスナー著)

 だから、主人公の原作もある再現ドキュメンタリー映画だが、文字通り

 4500メートルの垂直の氷壁

を登りきる。その人類初の登頂者は誰か、というのがテーマ。メスナー兄弟が初めて成功したというが下山途中で、一時行方不明となり、一週間後に兄のラインホルトだけがかろうじて下山してきた。このことでドイツでは

 誰が初登頂者か

ということをめぐって裁判にまでなったという。

 下山途中でなだれにあってギュンター弟は死亡。その遺体が見つかったのは35年後の2005年である。この間、兄のラインホルトは現場に10回以上も登頂しているという。

 この映画を見ながら、つくづく、

 人間とは何だろう

と考えさせられた。人はなぜ、精神的にも肉体的にも苦しい思いをしてまで、あるいは死ぬかもしれないという恐怖に自ら挑んでまで、あるいは仕事をやめてもかまわないとまで思いつめて、成功するかどうかもわからない初登頂にかけたりするのだろうか。

 これに対する有名な答えは

 「そこに山があるからだ」

というものだが、名誉心だという人もいる。小さな、しかしわずらわしい世間から逃れたいという意見もある。

 しかし、映画を見ていてふと、

 「人間だからだ」

という答えが思い浮かんだ。確かに、サルはこんなばかな挑戦はしまい。人間には自分の肉体的な、あるいは精神的な限界を試してみたいという欲望があるのだろう。たとえ、死んでも、雪山で永遠の眠りにつけるならばという強い誘惑もそのことのハードルを下げる要因かもしれない。

 それとて、ともすると安逸な生活に流れてしまうブログ子にはなかなか理解しがたい。しかし、少しはわかるような気もする。

 ただ、一つだけ悟ったことがある。

 クライマーズ・ハイ

ということだ。空気の薄い8000メートルの高所では、一種の恍惚感にさらされるという。その恍惚感に抗して、理性で、天候急変などで危険を察知して下山するというのはよほどのクライマーでも自制心がきかないらしい。

 その意味で、下山を決意し、生きて帰ってくる勇気

こそ、クライマーの誇りであるべきではないか。そんな感想を持った。たとえ、初登頂に成功しても、下山で死亡するようなことがあれば、甘い言い方かもしれないが、それは登山家として敗北のような気がする。

 いろいろ考えさせられるドイツ映画だった。

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