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2011年12月

これぞ「文化的景観」 世界一広い棚田

(2011.12.30)  偶然、NHKBS放送を見ていたら、

 世界一広い棚田 中国雲南省元陽県大漁塘村

というのを放映していた。高低差500メートル、長さ100キロも続く大棚田だ。1300年間の間に営々として知恵を出しながら築いてきたものだ。番組では一度も

 文化的景観

という言い方はしていなかったが、これこそ、一目で

 世界に誇れる文化的景観

といえる。ごちゃごちゃと説明など要らない。

 ブログ子は、以前、金沢在住時代、世界遺産登録運動に関わったことがあり、

 城下町金沢の文化遺産群と文化的景観

という提案書を器用にまとめたことがある。遺産の暫定リスト入りを目指した県や金沢市の取り組みをサポートした。しかし、なかなか文化的景観というものに理解は行き届かなかったにがい経験がある。

 文化的景観という概念は、世界遺産登録の場合と、日本の文化財保護法でいう「文化的景観」との間には幾分違いはあるが、この雲南省の棚田こそ

 人類の宝、文化遺産だ

ということがなんの説明もなく、おそらくすべての人が認めるだろう。

 この棚田を守るには、地元の人の辛い労働の汗と我慢強い精神が必要なことが紹介されていた。一年、棚田の手入れをしないと棚田はもう崩れてくるという。それを1300年も守ってきたエネルギーには感心する。棚田の維持には、水田にコイを飼う、上から下に水が流れるように、民家は中腹につくられる。山頂付近は保水力のある樹林のままにしておく。村落での生活と稲の栄養源とのリサイクルをうまく調和させるなど、驚くべき工夫がなされていた。こうした努力の結果が

 美しい棚田

を維持していける秘密なのだとわかった。

 文化的な景観とはそんな努力と我慢強さの賜物なのだ。

 まもなく世界文化遺産に登録されるそうだが、それにより文明がこの地域に入り込むことで棚田が崩壊することのないよう、保護対策を今からしっかりと整えておくことが必要だと痛感した。

 棚田を世界危機遺産

にしてはなるまい。

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浜名湖近くの佐鳴湖付近、津波襲来調査へ

(2011.12.30)  12月29日付中日新聞朝刊によると、わが街、浜名湖近くの佐鳴湖の南端から真南の遠州灘にわたって、かつての津波の痕跡を調べる、いわゆる津波堆積物調査が来年3月から始まる。現在の佐鳴湖は海とはつながっていないが、もともとは現在の浜名湖同様、遠州灘とつながっていた。近くには海産の貝塚も多数見つかっている。

 ボーリング調査地域は現在でもあまり開発が進んでいないことから20メートルも掘り下げる調査に適しているという点と、比較的に人口密度が高い浜松市が近くにあり、古文書類が多く残っている点が買われたらしい。調査するのは

 産業技術総合研究所活断層・地震研究センター

だという。東日本大震災を受けた国の津波調査の一環だが、こうなると、大震災とわが街とはまんざら無縁ではないことが記事を読んで感じた。

 ただ、せっかく調査しても、その成果が結局、保安院や各電力会社(この場合は、中部電力)によって生かされないということのないようにしてほしい。

 これが、今回の大震災の調査・検証委員会の中間報告の教訓だ。

 先日も、このブログで少し書いたが、朝日新聞、静岡新聞掲載の検証委員会の中間報告(要旨)を読んで強く感じたのは、

 すべては根拠のない神話「M9.0の地震は太平洋側の沈み込み域では起きない」から始まった人災

だということだった。地震学者の社会的な責任は、この点ですこぶる重い。

 チリ地震(M9.5)やスマトラ島沖地震(M9.2)とは違い、日本近海ではM9.0をこえるような超巨大地震は起きない(「比較沈み込み学」という枠組みからの思い込み)。だから、電力各社も10メートルをこえる津波は現実には来ないと幻想を抱いた。想定されている現行の5.7メートル津波対策で十分だと錯覚を引き起こした。しかし、これが今回、見事に崩れた。

 福島第一原発には10以上のメートルの大津波が襲い、浸水波高約15メートルにも達し、全電源喪失という事態を招いた。連続して核分裂を起こさせていた臨界状態の原子炉をせっかく緊急停止させるのに成功させたのに、その後に押し寄せた津波で原子炉を冷却できずにメルトダウンさせてしまった。さらには高圧の原子炉の圧力を下げ、原子炉の崩壊を食い止めようと右往左往の挙句、高い放射能を持った水蒸気を直接、大気中に放出せざるを得なかったという最悪のシナリオが現実となってしまった。

 極論すれば、すべては地震学者の思い込みから起きた悲劇だった、と言われても仕方がないのではないか。

 追記

 そこで、あらためて、大震災後に書かれた地震学者、島崎邦彦東大名誉教授(地震学)の論考、

 超巨大地震、貞観の地震と長期評価(月刊誌『科学』2011年5月号、岩波書店)

 を読んで、

 東日本大震災は人災

という感を強めた。自然災害だから仕方がない、という雰囲気が電力会社などに根強いが、よくよく経過を調べてみると、これほどの被害を出さずにすんだ可能性が極めて高い。その意味で、

 今回の複合災害は、人災の何者でもない。

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「大失敗のデパート」だった組織事故 畑村検証委員会

(2011.12.28)   福島第一原発の大事故はなぜ起きたのか。その調査と検証を目的とした調査・検証委員会(畑村洋太郎委員長)の発足から約半年、その中間報告が12月26日まとまり、公表された。翌日にはNHKスペシャルで、「失敗学」で知られる畑村委員長、ノンフィクション作家の柳田邦男委員が生出演して、中間報告について、その要点を説明していた。

 この番組を見て、驚いたのは、

 あらゆる事故を想定して訓練されているはずの現場の運転員たちの失敗や、勘違い、思い込み、さらには要領を得ない不手際があまりに多かった

という事実である。これでは、原子炉やその格納器がメルトダウン、あるいはさらに格納容器を核燃料が突き破るような事故が起きたのも無理はない。

 一般に組織事故は、致命的ではない軽微なミスが重なって、大事故に発展するという傾向があるとされていた。しかし、今回の事故は、そんな生易しいものではないことが、中間報告の段階ですら明白になっている。

 あえて言えば、互いに脈略のない「大失敗のデパート」のような組織事故だった、と言えそうだ。

 来年夏には最終報告がまとまるが、現場、現物、人間という3「げん」主義で徹底して検証し、こんごの組織事故防止に役立ててほしい。

 現場運転員の混乱やミス、不手際は、マニュアルどおりやっていればいいという形式主義、長年の慣れからくる緊張感の緩みから起きたものだと思う。この形式主義や緊張感の緩みから原子炉の仕組みについて実践的な習熟が十分ではなかったことが、事故を最小限に押さえ込むことが出来なかった原因ではないか。

 と同時に、こうした人間の弱さをカバーする機械系のシステムにも問題はなかったか。人間は緊急時には、勘違い、思い違い、ミスを犯すものだという前提でシステムが設計されていたかどうか。検証してほしい。

 とかく組織事故の場合、原因を人に押し付けがちだ。しかし、それは原因ではなく、結果である。その結果を招いた機械系の原因をきちんとさかのぼって探らないと、事故は再び起きる。

 第二は、意外にも、現地対策本部とも言うべき「オフサイトセンター」が、放射能汚染で使えなくなり、結果として機能しなかった事実にも驚いた。今回のような複合災害ではオフサイトセンターが使えないこともありえるということを今後想定する必要がありそうだ。

 早くから計測されていた放射線量の分布図も、その精度の検討に時間がかかり、また公表するとパニックを引き起こしかねないとの危惧から、国の原子力安全委員会も保安院も内閣危機管理センターのいずれも、データを入手していながら公表しなかった。

 この結果、避難した人の中には、汚染の軽いところから、わざわざ汚染度の高い避難所に移動するという不手際、失敗が起きた。緊急事態時にパニックを引き起こさずに、どう情報をわかりやすく住民に伝えていくか。その実践的な方法はいまだ確立していない。

 津波の予測についても、M9.0の地震は起こらないという前提で、津波の高さ対策を10メートル以上にはしなかったことも明らかになった。しかし、過去には太平洋側には10メートルをこえる津波は歴史的にはあった。また、電力会社の内部試算でも10メートルを超えることはあり得るというシュミレーションもあった。しかし、対策はとられなかった。

 その理由の一つには、試みの試算であり、現実には起きることはないという都合のよい解釈がまかり通り、さらにはたとえ起きたとしても数百年に一度あるかどうかという現実離れしたものであるとの甘い認識があったのではないか。こうした解釈や認識には、数百億円という巨額の対策コストをかけることは民間会社としては到底できないという電力会社側の経営論理も大きく影響したであろう。

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三方「10%」我慢 で日本も脱原発へ なぜドイツは環境大国になったか

(2011.12.27)  不思議である。情報操作されている気がする。日本にある原発54基のうち、今月末までにはほとんど停止し、稼動しているのは

 わずか6基

と全体の約1割。不思議なのは、それでも電力不足で停電にはならないという。となると、今稼動している原発が定期検査ですべて停止し、3か月間の点検に入り、54基すべてが(再稼動せず)停止したままになっても、来年夏には停電などはないのではないか、という思いもする(追記2参照)。

 東海地震の震源域のど真ん中にあるため、静岡県の浜岡原発は、国の要請ですべて停止している(1、2号機は古く効率が悪いのですでに廃炉のためもともと停止中。残る3号機、4号機、5号機(いずれも出力100キロワット以上の巨大原発)は停止。新設予定の6号機計画は今回の大震災で事実上建設は頓挫)

  浜岡原発をかかえる中部電力の場合をまず考える。浜岡原発すべてがとまったとして、その設備の発電能力は約350万キロワット。定期検査などで稼働率は年間平均約7割とすると、原発による供給電力はせいぜい250万キロワットのパワーでしかない。これは同社の火力などをあわせた総供給電力のパワー約3000万キロワットの1割にも満たない。わかりやすく言えば、この程度しか、供給パイプは細くならないのだ。

 ベース電源として利用される原発とは違って、夏場の最大使用電力に対応するため、臨機応変に出力を迅速に変えられる火力発電には設備に1割程度の余力が設けてある。水力発電には揚水発電という、夜の余剰電力を活用した巧妙な〝奥の手〟もある。いずれもコストはかかる、手間がかかるという問題点はあるにしても、原発なしで細くなった分、パイプを火力設備の応援で少し太くすることは出来ないことではない。

 これに中部電力が協力を呼びかけているように、家庭での節電をこまめに行う。家庭で一番電気を食うのが、エアコンだ。資源エネルギー庁最近の推計では

 家庭の電気使用量の約半分がエアコン。次いで4分の一の冷蔵庫

なのだ。エアコンの設定温度を調整して、夏場、冬場に節電する。これだけで、家庭での年間消費量の10%や20%は十分にカットできる。

 国の政策として、太陽光、風力など再生可能エネルギーを強力に推進する。現状は、太陽光発電は、全国平均で、消費電力の0.5%がせいぜい、風力発電も同程度で、あわせても1%程度である。

  そこで、全国平均で考えると、供給電力の約30%を原発に依存しているから(関西電力の依存度が最も高く約50%)、脱原発には、この30%のうち、

 10%分を、原発に比べて余分なコストはかかるが、電力会社の火力などの余力設備の活用でまかなう

 10%分を、家庭の節電努力でまかなう

 残り10%分を、国や電力会社の再生可能エネルギー推進でまかなえるよう導入を急ぐ

というやりかたで徐々に原発廃止の道を歩んでいく。

 いわば、

 三方「10%」我慢

という方式である。こうすれば、何も全国のパチンコ店の電気を全部消してしまえ、などというどこかの知事が言ったような乱暴な方法は要らないのである。

 ただ、問題なのは、これにはこれまでよりもコストがかかる、手間ひまがかかるという点だ。これが電気料金にしわ寄せされる心配だ。

 もう一つの問題は、設備産業の電力会社として、発電しなくなった54基もの原発をどうするか、である。廃炉については、その技術はいまだ確立していない。とりわけ、浜岡原発などの巨大原発の廃炉技術は未経験だ。その費用も1基あたり数千億円かかると見られている。実際はもっとかかるであろう。これを電力会社だけが背負えるか。

 それに、廃炉には、迅速にしたとしても、安全性の面から慎重さがもとめられることから、数十年はかかる。大津波や大地震が起こりそうな場所の原発を優先するとしても、実際は50年以上かかる大仕事だ。原発立地と廃止については、第一義的には電力会社に責任があり、廃止コストをどう吸収するか、あるいは耐えられるようにするにはどうするか。見極めて国として対策が必要だ。

 また、廃止の合意を地元とどう取り付けるか、も難しい。早い話、浜岡原発の停止で、地元の御前崎市は、原発交付金が大幅に減らされて、財源不足に拍車をかけている。

 そのほか、温暖化対策など問題は山積してはいるが、今こそ、核の平和利用として始まった原発から脱却していく時期に来ている。もんじゅ事故、再処理工場の事故続出、ウラン濃縮工場のトラブルなど、原発政策の国の基本である核燃料のリサイクルは、事実上、破綻しており、今が決断の時期ではないか。

 それには、上記の三者が痛みを分かち合う姿勢が求められるであろう。

 すでに、口先だけの「脱原発」の時代は終わった。見通しを持ち、具体的に詰めた、そして周到に準備した工程スケジュールづくりを急ぎたいものだ。

  補遺 2011.12.30

  こうした脱原発の道筋は、一見、空想のような気がする人もいるだろう。政治はそんなに甘くはないというわけだ。

 しかし、日本の大震災を目の当たりにして、ドイツ政府は、国内に17基あるすべての原発を閉鎖する法案を6月に閣議決定した。スイス政府も25年後までにすべての原発を廃炉にする方針をこの5月に決定している。

 こうした動きの大本の日本の政府が脱原発への道に踏み出せないはずはない。廃炉技術などドイツやスイスと足並みを揃えて取り組むチャンスではないか。

 この意味で、ドイツやスイスの決断は世界を変える今年の重大ニュースの一つに挙げておきたい。第一位は、なんといっても北朝鮮の金正日の死去だろう。

   ところで、ドイツではなぜ、こうした思い切った原発ゼロ政策をいち早く打ち出せたのであろうか。

 太陽光や風力エネルギーなど再利用可能エネルギーの導入に力を入れているからだろう。原発に頼らなくても、それに代わる必要エネルギーを自然から取り込むことが出来るという20年の経験による自信がある。地球温暖化対策で原発に依存せざるを得ない先進国では一番の環境大国であることが、こうした施策を打ち出す源になっているようだ。何しろ、2020年までに二酸化炭素排出量を1990年に比べて40%削減することを目標に、今実現に向けてさまざまな施策が進行している(現在までにすでに30%削減に成功しているという。ドイツはこの20年で再利用可能エネルギー開発を急速に推進し、ついには、もたもたしている日本を追い越してしまい、世界一の発電量を誇っている。

 この実績を支えている環境対策のいくつかを紹介すると、

 24時間運行の路面電車(フランクフルト市街)

 売電も出来る、収入の得られる強力な太陽光発電の家、プラスエネルギーハウスづくり

 今後建設される公的な建物は、原則、通常のビルの10分の一程度の超省エネビル、いわゆるパッシブハウスにすることが義務付けられている(太陽光発電、風力発電のほか、電力を一番使う空調施設のいらない窓の開け閉めを自動化したグリーンハウスよりもさらに強力なエコビルづくり)

  乗り捨て自由のレンタル自転車の普及システムづくり(1日1000円くらい)

 環境基準に適した車しか通行できない道路行政の推進

 ペットボトルの再利用システムの導入

          (以上は、BS朝日「米倉涼子の未来街道を行く」 2011年12月放送より)

  

などである。 こうした背景があったればこそ、地球温暖化という枷があっても、原発ゼロの法的な決定をどの先進国よりもいち早く打ち出せたのだろう。

 こうした環境政策の大本になっているのが、子どもたちへの環境教育。森の中の幼稚園づくりだ環境の大切さを自然に学ぶのである。

 小さいころからの実物の環境教育こそが、環境大国、ドイツを国民が支持する源泉となっているのだろう。

  追記 12月27日

 第二のふるさと、金沢の北國新聞によると、

 雪下ろし、どさっ。白峰で屋根雪1.5メートル。

 白山麓スキー場、全てオープン。金沢・医王山でも初滑り

と夕刊「風道」。こちら、浜松は朝から快晴。風強く寒ッ。ブルッ。

 追記 2012.01.21

   2012年1月19日付朝日新聞によると、

 電力会社で組織する電気事業連合会が民主党政策調査会に提出した資料

 「今冬、今夏の電力需給と原子力再起動について」

では、この5月に全原発が再稼動せず、停止したまま、去年のような猛暑に見舞われた場合

 原発依存度の高い関西電力は需要ピーク時に電力(いわゆる供給能力)が25.0%不足するという。水道管にたとえれば、需要に対して管の面積を目いっぱい増やそうとしてもまだ25%も細い管にしかならず、水圧が下がり断水(停電)するらしい。

 ただ、この資料によると、原発を抱える9電力会社全体では、

 電力不足は7%にとどまるという。

 これは、さきほどの三方「10%」我慢の法則により、国民の節電努力でカバーできる。

 それは冬場、夏場の短い期間の努力だけでいいから、切り抜けられないこともない。

 しかし、停止した全部の原発の肩代わりを、この5月以降、火力発電で賄うとすると、燃料費は年間3兆円増えるという。これは

 赤ちゃんも入れて国民一人当たり=年間約2万円の負担増

という勘定になる。仮に電力会社の言い分をそのまま信用するとして、これは全部の原発が年間を通じてストップすることに対するコスト増だ。

 この重い負担を人の命には代えられないとして国民が電気料金に上乗せすることを引き受けるか、それとも、電力会社の経営努力で吸収すべきであると考えるか、政府が税金を投入するか。ここまで突っ込んだ議論を加速すべきである。

 脱原発=再稼動、絶対反対には、巨大原発の廃炉技術の開発とそれにかかるコストの上に、廃炉までの長い期間、こうした火力発電代替に伴う電気料金上のコスト増という痛みをどう切り抜けるかという議論や具体的な仕組みが欠かせない。

 こうした点について突っ込んだ論議を巻き起こしたい。

 脱原発の選択は正しい。しかし、その道に挑むには、国民も、電力会社も、そして政府も等しくそれなりの長期にわたる覚悟と忍耐が要る。それでも、脱原発の道を目指したい。東北大震災で、だれもがそう思ったに違いない。この初心を忘れてはならない。

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原作を読む意味 NHKドラマ「坂の上の雲」

(2011.12.26)  3年にわたるNHKの大型ドラマ「坂の上の雲」が先日、終了した。その感想を一言で言えば、以前にも少し述べたが、

 明治という若い近代国家の正義、つまり、ロシアの南下膨張政策阻止

 門閥によらない実力主義による人材登用

という国民の正義が同一視できた時代の明るさであった、それこそ「まことに幸せな時代」の物語だったということだろう。この一致した正義を原作者の司馬遼太郎さんは、「雲」にたとえた。ドラマは、「これほど楽天的な時代はなかった」と結んでいる。そのとおりだ。

 ただ、司馬さんは、この作品が映像化されることを生前は認めなかった。おそらく、戦争賛美と誤解されることを嫌ったからだろう。

 それだけに、ドラマでは、戦闘シーンをできるだけリアルに描くことで、戦争というもののむごたらしさをあちこちで描いていた。近代戦争のすさまじさをまざまざと見せ付けた。これは、司馬さんの意に沿っていて成功といえそうだ。NHKもこの点では、なかなか思い切ったことをしたものだ。高く評価したい。

 それにしても、ドラマは原作『坂の上の雲』(全6巻)にほぼ忠実であったのには感心した。ただ、原作のほうが、なぜそうなったのか、心理にまで堀り下げて陰影のある作品に仕上がっているのに対し、ドラマの限界なのだろうか、そのへんがあっさりしていて、原作を読んだものとしてはドラマの人物描写が物足りない。わかりやすいが、あまりに単細胞人間が多すぎた。

 日露戦争については、

 吉村昭『海の史劇』(新潮文庫)

  島田謹二『ロシヤ戦争前夜の秋山真之 明治期日本人の一肖像』(朝日新聞社、全2巻)

  和田春樹『日露戦争 起源と開戦』(岩波書店、全2巻)

などがある。いずれも読破したが、特に2010年に発行されたロシア現代史研究の第一人者の和田氏の論考は、ドラマに大きな影響を与えたのではないか。

 40年近く前に書かれた司馬さんの原作では、日本は止むに止まれず、窮鼠猫をかむの思いで戦争に踏み切ったことになっている。しかし、和田氏のこの10年の史料発掘で、ロシア皇帝は戦争を望んでいなかったし、また、開戦直前には日本側の要求に対して「全面譲歩」の訓令をだしていることがわかった。このことがドラマでも一部取り入れられている。

 また、吉村氏の作品は小説というより、ドキュメンタリー性が強く、ロシア側から見た日露戦争の様子が大まかにわかる。日英同盟が日露戦争勝利に決定的に貢献したことがこの作品を読むとよくわかる。

 島田氏の研究からは、秋山真之氏の行動がかなり詳しくあぶりだされていたが、ドラマの限界、つまりあまり複雑にしては視聴率が下がるという理由からか、あっさりと描かれている。秋山真之はこのドラマの主人公なのだから、もう少し心の葛藤、相手との対立について、踏み込んだ脚本にすれば、明治という時代の人間の楽天性や気骨がもっと伝わってきたのではないかと、残念に思った。

 このように、テレビドラマだけを見ていたのでは、物事を単純に割り切りすぎていて、本当の歴史の真相を見誤ると感じた。少なくとも、ドラマを見る前に原作を一度読んでおくか、ドラマを見た後に原作を読んでみると、深みのある歴史が見えてくる。そこから自分なりの意見も生まれるし、歴史を見る目も養える。

 追記

 蛇足だが、日露戦争下の城下町金沢を舞台にした芸妓とロシア人将校との恋物語としては、

 五木寛之『朱鷺の墓』(全4巻)

というのがある、しかし、これは完全な(若き日の)寛之風の恋愛物語であり、日露戦争とは名ばかりのもの。タイトルの「朱鷺」とはなにか、さっぱりわからない。

 当時、ドラマ化されたらしい。そのほうは知らないが、失礼ながら、大長編の原作小説の出来はすこぶるよくない。直木賞受賞直後の作品だからだろうか。あえて言えば、出来がいいのは第一巻ぐらい。これから何が起こるのか期待が膨らむ。が、あとは、脈略なく、ご都合主義で世界のあちこちを駆け足で飛び回るような話でうんざりしたのを記憶している。羊頭をかけて狗肉を売るたぐいとまでは言わないが、タイトルだけが奇妙にすばらしいのも、読者を結果として欺くようで困りものだ。

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「つなみのバカヤロー」 今年最も感動した言葉

(2011.12.23)  今年、最も感動した言葉は、

 つなみのバカヤロー

というものだ。東日本大震災で被災した宮城県石巻市。大街道小学校6年生と2年生の兄弟は、津波で母親を亡くした。そのときの彼らの叫びだ。涙なくして聞けない言葉だ。なかには、人々が津波に飲み込まれていく光景を目の当たりにした子どももいたという。

 この言葉については、ブログ子は

 「週刊現代」2011年6月4日号

で知った。

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今年の「科学と社会」重大ニュース 2011年

(2011.12.23)   恒例の科学・技術の重大ニュースをブログ子の私見で選んでみた。

 第一は、東日本大震災で福島第一原発で複数基が同時に原子炉メルトダウン

 第二は、東日本大震災で「地震の(直前)予知はできない」ことがわかった 

 第三は、日本、京都議定書「第2期」の削減目標設定を拒否、現行の体制から離脱

  第四は、地上デジタル放送が本格的にスタート

 第五は、高機能ケータイ「スマートホン」が情報端末の主流に

 第六は、ファイル交換ソフト事件、最高裁、東大元助手の無罪を決定(上告棄却)。IT技術は道具、処罰は慎重にと判断。

 第七は、加速する膨張宇宙の発見にノーベル物理学賞。2チームの発見の決着は1998年5月。反重力を示す宇宙定数、Λの復活。偉大なるかなアインシュタイン博士。ニュートン力学、相対論の見直し。

  ただ、ふと思ったのだが、加速する膨張宇宙というのは、膨張する間に時間の経過が減速しているにすぎないとは解釈できないのか、少し心配。時間の流れは一定か、という問題だ。

 第八は、30年間続いた米スペースシャトルが退役

 第九は、南米チリのアタカマ砂漠でアルマ電波望遠鏡群が完成に向け本格運用に入る

  第十は、高速増殖炉原型炉「もんじゅ」の予算大幅カット。実用化から廃炉へ方針大転換か

 第十一は、改正臓器移植法後、初めて15歳未満の子どもに臓器移植。移植は自国自前主義へ前進。

 第十二は、死刑囚「袴田事件」、期待されたDNA鑑定の結果、分かれる 

 番外として、太陽系外で初めて「表面に液体の水を持つ」惑星、グリーゼ(GJ)581gを発見か? ほとんどが水でできている惑星で、地球より生物が進化する時間も十分長くあり、高圧大気であることから、高度な空中文明が発達しているかもしれない ?

補遺  2011.12.30

中日新聞によると、私の住んでいる静岡県の3大ニュースは

 第一が、天竜川で川下り船が転覆、乗客4人と船頭1人が死亡(8月)

 第二が、浜岡原発、政府の要請で全面停止(5月)

 第三が、富士山、世界文化遺産に推薦決定(10月)

だった。

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なお遠い再審決定の道のり 分かれたDNA鑑定をどう見るか 

(2011.12.23)  45年前に起きた一家4人殺しの死刑囚「袴田事件」で注目されていた

 いわゆる「5点の衣類」のDNA鑑定結果

が、弁護人側の鑑定人と検察側の鑑定人に同一試料が提供されたのに

 なぜ食い違ったのか。

 弁護人側の結論は、「5点の衣類」に被害者(4人のいずれ)の血液も付着していない

というものだ。だから、検察は「5点の衣類」は袴田死刑囚の犯行時の衣類としているのだから、この結果は、「5点の衣類」は警察によって捏造されたものであり、当然、袴田死刑囚は無実であり、裁判所は早急に再審を決定し、無罪判決を出すべきだと弁護側は主張する。

 しかし、これは強引な論理であり、論理の飛躍がある。

 弁護側の言い分が正しいためには、鑑定の結論に至るまでに暗黙、あるいは意図的にいくつもの仮定が置かれたが、それらがいずれも正しい場合に限るのだ。

 今回、静岡地裁に提出された2つの鑑定書ではともに、「5点の衣類」や被害者の衣類に残った血痕を調べた結果、ひとつとしてDNAの型を具体的に特定できたものがなかった。しかも、弁護団側の鑑定人も認めているように、「5点の衣類」の9箇所から切り取った試料なのに、同一人物と判断できる(血痕)試料は一つもない。同一人物の血痕ならば、「5点の衣類」発見時の試料採集が適切であるとして、同一劣化と考えられるので、DNA型までは特定できなかったとしても同一人物のものであると断定できるはずだ。

 それがないとすれば、DNA鑑定がまだ当時珍しかったことなどが原因で、衣類発見時の捜査側の採取が適切でなかったか、衣類がミソ樽に長く使っていたという事情が災いしているのか、あるいは今日までの証拠保存に問題があったか、などが疑われる。

 9試料の中に、4人の被害者のものかどうかにかかわらず、少なくとも同一人物のものがなかったことは、個人を特定するための信頼できる

 DNA鑑定向きの良好な試料

ではなかったのではないかと疑って見る必要があろう。

 このことをわかりやすく言うと、被害者4人のいずれかの血痕がついているはずなのに、9箇所の血痕は、いずれともDNA型レベルでは一致したといえる状態ではなかったというのは、鑑定方法の巧拙ではなく、そもそもの提供試料が個人識別のできない(たとえば汚染された)ものであった可能性がきわめて高い。仮に試料がすべて汚染されておらず良好であれば、必ず、鑑定された9試料のDNA型の中に一致するか、同一と考えられる試料が少なくとも一組はあるはずだ。それが一組もないのだ。

 検察側も、一つとして試料から信頼できるDNA型を確定することができなかったことを認めている。しかし、

 検察側の結論は、「5点の衣類」に被害者の血液が付着していた可能性は排除できない

というものだ。つまり、「5点の衣類」には、型の特定まではできなくとも、被害者の血液が付いていた可能性もある、というわけだ。

 しかし、これも、良質な試料でないことを逆手に取った強引な論理だ。平たく言えば、良質でないから、わからないだけだというわけだ。これでは苦しまぎれの、こじ付けと言われても仕方あるまい。

 袴田死刑囚を真犯人とする検察としては、衣類が袴田死刑囚のものであり、犯行時着ていたものとしているのだから、

 提供された付着試料9つのうち、少なくとも一つは、被害者の一人のDNA型と一致するか、一致する可能性が高いことを鑑定書で示さなければなるまい。今回、それはできなかった。試料の良質性が疑われるのだから、本当は被害者の血痕が付いていたのだが、それを科学的なDNA鑑定で示すことができなかっただけだと言いたいのだろうが、良質性を保つのが検察・捜査側の責任であることを考えると、いかにも逃げの姿勢であり、はっきり言えば〝詭弁〟に近い。

 検察側の「可能性を排除できない」とする鑑定書の解釈は、いかにも強引すぎる。

 被害者の血痕と一致しないから、袴田死刑囚は犯人ではないとする弁護側も

 一致する可能性はあるとする検察側も、ともに粗雑な「我田引水」であり、論理に飛躍がある。

 言えることは、DNAによる個人識別において、9つの試料に同一人物のものと考えられるものが一つとしてないという双方ともに認める事実から、

 鑑定に供した試料の質

に問題があるということではないか。何らかの理由で汚染されている。

 DNA鑑定法の未発達、その重要性の認識が科学捜査陣にまだ十分理解されていなかった1960年代に起きた事件である。

 DNA鑑定に耐える良質な試料の採集法や保存

を捜査・検察側に求めるのは、弁護側には気の毒だが、実際上、残念だが無理な気がする。

 そうなると、これまで未公開だった検察側捜査資料の最近になっての公開分の検証がにわかに重要になってくる。 

 以上からすると、今回、確定判決を覆す重要で明白な新証拠や事情が出てきたわけではないので、再審請求がただちに静岡地裁によって決定されることはないだろう。

 先輩裁判官の過ちを裁くのが再審だ。地裁としては、そう軽々しく再審請求を決定することにはただでさえ、躊躇があるだろう。また、裁判官も人の子、疑わしきは裁判官の利益にとなりがちだ。

 とすれば、疑わしきは被告人の利益に、の原則はあるものの、今回の鑑定の食い違いは、再審決定までの道のりがなお遠いことを示したように思う。

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人間とは何か ドイツ映画「ヒマラヤ」を見て

(1022.12.12)  シネマ・イーラ浜松でドイツ映画を久方ぶりに見た。

 「ヒマラヤ 運命の山」(ヨゼフ・フィルスマイアー監督、2010年)

である。先に結論を言ってしまえば、

 作家、井上靖の穂高を舞台にした『氷壁』のヒマラヤ版

とでも言おうか。原作もある。『裸の山 ナンガパルバート』(ラインホルト・メスナー著)

 だから、主人公の原作もある再現ドキュメンタリー映画だが、文字通り

 4500メートルの垂直の氷壁

を登りきる。その人類初の登頂者は誰か、というのがテーマ。メスナー兄弟が初めて成功したというが下山途中で、一時行方不明となり、一週間後に兄のラインホルトだけがかろうじて下山してきた。このことでドイツでは

 誰が初登頂者か

ということをめぐって裁判にまでなったという。

 下山途中でなだれにあってギュンター弟は死亡。その遺体が見つかったのは35年後の2005年である。この間、兄のラインホルトは現場に10回以上も登頂しているという。

 この映画を見ながら、つくづく、

 人間とは何だろう

と考えさせられた。人はなぜ、精神的にも肉体的にも苦しい思いをしてまで、あるいは死ぬかもしれないという恐怖に自ら挑んでまで、あるいは仕事をやめてもかまわないとまで思いつめて、成功するかどうかもわからない初登頂にかけたりするのだろうか。

 これに対する有名な答えは

 「そこに山があるからだ」

というものだが、名誉心だという人もいる。小さな、しかしわずらわしい世間から逃れたいという意見もある。

 しかし、映画を見ていてふと、

 「人間だからだ」

という答えが思い浮かんだ。確かに、サルはこんなばかな挑戦はしまい。人間には自分の肉体的な、あるいは精神的な限界を試してみたいという欲望があるのだろう。たとえ、死んでも、雪山で永遠の眠りにつけるならばという強い誘惑もそのことのハードルを下げる要因かもしれない。

 それとて、ともすると安逸な生活に流れてしまうブログ子にはなかなか理解しがたい。しかし、少しはわかるような気もする。

 ただ、一つだけ悟ったことがある。

 クライマーズ・ハイ

ということだ。空気の薄い8000メートルの高所では、一種の恍惚感にさらされるという。その恍惚感に抗して、理性で、天候急変などで危険を察知して下山するというのはよほどのクライマーでも自制心がきかないらしい。

 その意味で、下山を決意し、生きて帰ってくる勇気

こそ、クライマーの誇りであるべきではないか。そんな感想を持った。たとえ、初登頂に成功しても、下山で死亡するようなことがあれば、甘い言い方かもしれないが、それは登山家として敗北のような気がする。

 いろいろ考えさせられるドイツ映画だった。

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地震学の敗北 学会や報道の体質改善を

(2011.12.10)   日本地震学会が、東日本大震災を受けて、10月に静岡大学で反省シンポを開催した際、取材したり、考えたりしたことを、朝日新聞「私の視点」に投稿した。ずいぶん以前だったが、ようやく、以下のような論考が、一部手直しされて2011年12月10日付朝刊に掲載されたので、参考にここに再掲しておくことにする。

   2011年12月10 日付朝日新聞朝刊「私の視点」  

    地震学の敗北 学会や報道は体質改善を

    File0021_6   

  できるはずだと思っていたのに、なぜ東日本大震災のような巨大地震を予測できなかったのか。 この問題をめぐって10月、日本地震学会の特別シンポジウムが開かれ、私も参加した。

 「東北沖ではM(マグニチュード)9以上は起こらない、という思いこみがあった」と、多くの地震学者たちは反省しきりだった。

 それではなぜ、こんな思いこみが続いてきたのだろう。 私は第一に、東京大学の地震研究所を頂点とする「学会の体質」を指摘したい。この学会はどうも、学問的な相互批判が希薄で、「仲良しクラブ」になっていると思えるところがある。「M9以上だって起こりうる」と、地球物理学や地質学などを究める人は、ずいぶん前から指摘していた。だが、過去に例がないなどの理由で、地震学者たちは「門外漢」のいうことに真摯に耳を貸さなかった。今回の会合でさえ、思いこみの原因をめぐる激論は交わされなかったのである。

 第二の問題として、私は自戒をこめつつ、「科学ジャーナリズムの体質」を指摘したい。国内の報道関係者は、地震学者や学会に依存し、彼らの研究成果をそのまま報道したり、解説したりしすぎたように思うのだ

 たとえば「地震予知」という言葉。これに対する客観的、批判的な見方をしていただろうか。国際的な場で予知といえば、前兆現象をふくむ「直前予知」のことをいう。だが、国内では「何年以内にどのくらい起こりそう」といった「確率予測」もごちゃ混ぜにして使われている。

 そもそも、予知は「できるかもしれない」というぐらいの認識だったはずだ。それが、学会の大物に影響されたのか、「できるもの」という想定で報道されることも多かった。「予知できる」を前提としてはじめて、国から多額の研究費をもらえる学者に引きずられるべきではない。まったくの不意打ちだった東日本大震災によって、予知はできないといった方が正確なぐらいだ、とはっきり分かったのである。

 いま、日本の地震学会や科学ジャーナリズムは、立て直しのチャンスを迎えている。学会はさまざまな学問分野の視点や疑問、批判などに門を開き、外国人や若手もとりこんで、研究と議論を活性化させなければならない。

 一方、科学に関する言論機関は、これまでの報道のありかたを批判的に総括すべきだ。そのうえで、一定の科学知識と自立的な批判精神をもちうる人材を育て、地震学者や学会といい緊張関係をもちながら情報を発信し、こんごの防災につなげていくべきだ。

追記 2012.01.19

1月19日のNHK

クローズアップ現代

で、

 なぜ超巨大地震は予測できなかったのか

というテーマを取り上げていた。内容は、この投稿原稿と、報道体質の改善を求めているところを別とすれば、ほぼ同じ。

 ゲストには、鷺谷威(さぎや・たけし)名古屋大学大学院教授(地震発生学)を迎えていた。映像では

 東北大学の長谷川昭教授(地震学)

だった。いずれも、10月のシンポと同様な反省をしていた。特に、番組では

 地震学の思い込みを是正していくには、地質学など地震学と密接な関係にある学問の成果をもっと積極的に取り入れていくことの重要性を説いていた。

 そのとおりであろう。

 (掲載余話。

 地震予知の定義を意図的にあいまいにしておけば、たとえ研究が予知とはおよそ無関係であったとしても、研究費申請書の提出にあたっては、予知との関連付けがしやすい。関連があればその分、予算確保が有利になる。こうした思惑が個人的にも学会の雰囲気としても、信じたくはないが、あったと見られなくもない。こうした思惑や雰囲気は関連分野の研究者に違和感を与え、健全な学会活動を妨げた。その結果、多様な人材が集まらなくなり、その分思い込みを生み、思い込みがなかなか是正されないまま固定化する。こうなると地震関連分野の人材があつまるどころか逆に学会から流出するという悪循環に陥っていった。これを裏返せば、悪循環は、学会が互いに気心の知れた人々による、いわゆる仲良しクラブに徐々に変質、純化していった過程でもあったように思うのだ。

 こうしたことをずばり書きたかったのだが、思惑や雰囲気だけに確実な証拠がないこともあり、投稿直前にカットして、穏やかな文章にした。しかし、上記のことは、なぜ学会が仲良しクラブになってしまったのか、その根本原因を探ろうという良識ある会員なら、正鵠を射た指摘と真摯に受け止めてくれるだろう。

 つまり、意図的にしろ、そうではないにしろ、あいまいなほうが、都合がよいという暗黙の了解が学会内にあった。これが仲良しクラブになった根本原因なのだ。このことは、何も地震予知という言葉だけではなく、たとえば「連動型」「アスペリテイ(固着域)」という地震学の専門用語にも言える。みんな自分の都合のよいように専門用語を使っているといっていいほどだ。このことを科学ジャーナリズムは、ほとんど批判してこなかったことも事実だ。学会を批判するだけでなく、自らの責務の怠慢をも反省する必要がある。

 学会の改革では、学会自ら勇気を持って、悪循環を断ち切るにはどうすべきか、本気で切り込み、関連分野の多様な人材を結集する具体策を立て、実行にうつしてほしい。そこから地震学の再生=本物の地震科学が始まるだろう。)

 追記 

 参考のために、投稿したもともとの原稿を以下に掲載しておく。一か月あまり、担当者と意見を交換し合ったりして、掲載の文章に仕上げたもの。

  

地震学の敗北

 ジャーナリズムは機能したか

 できるはずだと思っていたのに、なぜ、東日本大震災のような巨大地震発生の可能性を予測できなかったのか。秋季大会に合わせて、日本地震学会の「地震学の今を問う」と題した特別シンポジウムが静岡大学を会場に先日十五日丸一日をかけて開かれた。

 特別シンポの討論や事前にまとめられた学会員対象のアンケート調査から強く感じたのは、①地震学会内部に科学的な批判や論争が希薄あるいは欠如して学会が〝仲良しクラブ〟になっていたこと(学会員の68%は他分野への関心が希薄)、②地震学を「わかったこと」と「わからないこと」とを峻別できる本物の地震科学として確立していなかったこと、そして、その上に立って震災を未然に防ぐ社会をつくるための災害科学に携わる者として、国の基本的な地震対策である、いわゆる大震法のあり方など学会外部に対する批判精神が、研究者の中立性・公平性を盾に、きわめて希薄であったことが、今回の敗北のつながった原因だったと思う。学会員の半数以上の58%が防災に対して研究・政策を含めた防災意識が希薄なのは大きな問題だ。

 同時に、今回の敗北には、日本の科学ジャーナリズムのひ弱さ、もっとはっきり言えば科学者、学会依存体質が今もって根強く、自立した報道・論説という自身の社会的責任に無自覚だったことも大きな敗北の原因であり、失敗を助長させたとすら言えまいか。

 たとえば、シンポ討論でも出たが、地震の発生の仕組みでは、研究者の間でも「アスペリティ(固着域)」、「連動型」、「地震予知」という言葉が、きちんと定義されずに、いろいろな意味とあいまいさで無批判に使われている点が敗北の一因として指摘された。報道機関もそのままほとんど説明なしに無造作に紙面化している。

予知とは、国際的な取り決めでは、決定論的な短期の直前予知のことであり、確率論的な巨大地震の長期予測とははっきりと区別すべきだとの主張があった。16年前の阪神大震災で短期の直前予知はできないことがわかり、今回、長期予測もまた敗北を余儀なくされた。もはや想定されている東海地震の直前予知もはなはだ心もとないというべきだ。

 しかし、よく考えてみると、こうしたことは、研究者の反省や指摘を待つまでもなく、科学ジャーナリズムが自立的な批判精神を持っていれば、ここまで深刻になる前に指摘できたか、または問題視し、警告を発することができた課題だったのではないか。

 ましてや、地震の予知・予測は原理的にできないといい続けてきて、今回特別公演したR.ゲラー東大教授(地震学)が主張する科学的根拠のない大震法の見直し撤廃については、科学ジャーナリズムの本領が発揮できるテーマだった。それを、ジャーナリズムの公平性と中立性の名の下にしなかったところに、今もって日本科学ジャーナリズムの不在を思わざるを得ない。

 日本地震学会は、今回の討論などを受けて、短期についても長期についても地震発生の予見はできなかったのはなぜか、その総括と提言について来春をめどに公表するとしている。ぜひ、仲良しクラブの報告ではなく、突っ込んだ総括と提言を期待したい。

同時に、私も会員である日本科学技術ジャーナリスト会議も、これまでの地震報道を総括し、再生につながる具体的な提言をまとめるべきである。

 内部にも外部にも批判精神の旺盛な若い人材の登用など、地震学会も大学も改革の時だが、五十年の歴史を持つ日本の科学ジャーナリズムも啓蒙主義を抜け出し、自立した報道と論説で、科学的なテーマをめぐる社会的な論争という政策とのかかわりが密接な「レギュラトリーサイエンス」の一翼を担えるよう再生を図りたい。

補遺 2011.12.24

巨大地震を含めて予知ができないことについて、

2011年12月22日付朝日新聞科学欄において、

 地震、正確な予測できない 金森博雄カリフォルニア工科大名誉教授に聞く

というインタビュー記事が出ている。同氏は、東大地震研究所教授を経て、1972年に米カリフォルニア工科大教授に転身している。同大地震研究所長、米地震学会長などを歴任しており、巨大地震研究の第一人者だという。

 日本では、阪神大震災後から、政府が「地震発生予測」を確率で示していることについて、同氏は

 「揺れの予測を確率で表した地図をどう評価していいか私もわからない」

と手厳しい評価を披瀝している。

 これに対し、同記事によると、文部科学省地震・防災研究課長は

 「防災に役立てるために、どこでどんな地震の可能性があるか、長期的な評価を始めた」

と確率で示す危険度は有効とコメントしている。

 つまり、次の地震がどれくらい迫っているか、切迫度を確率で表すことができるというのだ。

 長期的な、つまり確率的な予測は切迫度を表す

というわけだ。示された確率が切迫度となるのは、地震が繰り返すおおよその周期や、前の地震からの経過時間がわかる場合に限る。

 

 

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「真珠湾」を予測した男 

(2011.12.07)  70年前のあす12月8日は、

 真珠湾攻撃・開戦記念日

である。12月7日付朝日新聞は、

 危機の時代へ三つの教訓

との社説をかかげている。「単純な解決を性急に求めない」「意見の多様性を尊重する」「他者の視座でわが身を見る」の三つだという。危機の時代でなくても、外交にはこうしたことは必要であり、ある意味、言わずもがなの主張である。

 この三つを守るあまり、解決時期を逸し、いわゆる小田原評定に堕しないことが大事なのだ。それには、この三つのほかに、特に危機の時代には、

 確実な情報に基づく国際情勢の分析力とそこからの洞察力

が政治家には要る。これがなければ、百家争鳴で決断はできない。

 たとえば、綿密な軍事情報をもとに、日本の真珠湾攻撃を、起きる16年も前に予測した男がいる。

 イギリス人の軍事ジャーナリストで、「ニューヨーク・ヘラルド」紙の論説記者、ヘクター・C・バイウォーター(Bywater)のドキュメンタリー小説、

 『The Great Pacific War(太平洋戦争)』(1925年発行)

である。1921年のワシントン軍縮会議を詳細に分析取材し、まとめたものである。真珠湾攻撃でアメリカ側の死者がおおよそ2500人にのぼることも的中させている。

 驚いたことに、真珠湾攻撃に参加した連合艦隊司令長官、山本五十六も、開戦直前に、この真珠湾攻撃を指摘するバイウォーター記者と会見までしているということだ。当然、山本長官は、会見に先立ってこの小説を読んでいただろう。

 これらを偶然というには、あまりに予測が的確でありすぎる。正確な軍事情報をつかむことが、先の見通しをつけるのにいかに大事かがわかるだろう。

 今の日本にとって、第一防衛ライン(列島ライン)、第二防衛ラインと名づけて太平洋東進膨張政策をこの20年着々と進めてきている大国、中国が一番の脅威である。かつてのロシアが南下膨張政策を強引に推し進めてきたときの国際情勢とある意味、似ている。

 日本は専守防衛であるからこそ、情報操作に踊らされないよう、過度にアメリカに頼らず、中国などの軍事情報の独自入手に力を入れる必要がある。同時に、より大事なのは、ソフト、つまり、その意図を含めて正確な分析ができる優れた人材を早く防衛省などで育てる必要があろう。日本はハードに比べて、このソフトが先進国の水準に比してずいぶん劣るのは残念だ。

  日本は、今月中に情報収集の能力向上を目指し、レーダー型情報収集衛星3号機をH2A20号で打ち上げる。成功を期待するが、分析官など人材養成も急ぐべきだろう。

 真珠湾70年の教訓とは、これにつきる。

  追記 2011.12.12

  真珠湾攻撃の予測は、それほど難しいものではないことを最近の著書、

 『日米衝突の根源 1858-1908』(渡辺惣樹、草思社)

で知った。19世紀後半からの日本とアメリカの世界進出をつぶさにトレースすると、当然、日本とアメリカが、互いに帝国主義国として中国市場進出を狙う目的で双方戦争に突入することは、十分あり得たことだと思った。アメリカのアジア進出において、ハワイは軍事戦略上、要衝の地だったのだ。

 一方、アメリカは米西戦争のさなかに、ハワイを併呑している(1898年。ただし、アメリカの一州としたのは太平洋戦争後)。日本がアメリカと衝突するとすれば、まず、ハワイだったことはこれでわかる。移民問題でも当時、アメリカと日本はハワイで競争していた。実権はアメリカが握っていた。

 渡辺氏は、静岡県下田市出身であることから、特にこうした問題に敏感だったのだろう。

 たとえば、その後の日露戦争後の1905年、日本は朝鮮を保護国とするが、同時に、日露戦争の仲介者、アメリカはフィリピンを獲得する。これには日本が秘密条約でアメリカに承認している(桂・タフト協定)ことが大きな要因になっている。日露戦争では、アメリカはロシアとの間に立つ仲介者ではあるが、その労を活用して日本を最大限に国益確保に利用したのである。

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人類の大いなる旅 外惑星探査機ボイジャー 

(2011.12.07)   先日、NHKが1970年代に打ち上げた米外惑星探査機ボイジャーについて、現在、どのような活躍をしているか、紹介していた。

 現在、ほぼ太陽系の〝端〟、つまり太陽風と星間風のぶつかり合っているの中を航行しているらしい。もうすぐ星間風の中に突入するという。太陽からの離れれば離れるほど太陽電池の能力は低下する。そんな悪条件の中であと25年くらいなんとか活躍してくれるそうだ。

 ブログ子が京都でまだ大学院生だったころの1977年夏、太陽系の外惑星の素顔を一挙にまじかでとらえようと、米探査機、ボイジャー2機が地球から飛び立った。木星、土星、天王星、海王星の四つでその衛星も計画の対象になっていた(残念ながら、当時はまだ冥王星は惑星の仲間だったが、軌道の関係で探査計画から外された)。

当時、すでに火星探査機バイキングが火星の上空から大量の精密な写真を地球に届けており、軟着陸にも成功した(1976年夏)。その分析から高等生物としての火星人はすくなくとも火星表面にはいないことが、はっきりした時代であった。

 そんな時代の空気があり、これからは火星の外側の外惑星探査の時代だとブログ子も考えていた。

 1970年代、80年代は太陽系天文学が、さまざまな驚異的な発見をもたらす最先端科学としてよみがえった時代だった。

 事実、ボイジャーは、打ち上げから2年後に1979年に到達し、あっと驚く

 木星にも、土星のようなリングがいくつもある

発見した。衛星ではイオが太陽系では唯一、火山活動のある〝生きた〟衛星であることも専門家を驚かせた。

 1981年に到着した土星でも、リングはそれまでせいぜい10本程度と考えられていたが、1000本以上もあることがわかった。そして、次の天王星(1986年到着)にも、海王星(1989年到着)にも土星同様のリングがあることもわかった。海王星の衛星トリトンには、地球のような大気があることもわかった。本体の海王星が青いのは、大気のほとんどの成分がメタンであることも検知器で確かめられた。

 この時代は、いわば

太陽系の大航海時代の観

を呈した。しかし、その後、1990年代に入ると宇宙ステーションづくりやスペースシャトルが脚光を浴びて、ボイジャー探査機の影が薄くなったように思う。

  ボイジャーには、太陽系第三惑星、つまり地球には、高等生物がいることを示す円形の表示板が取り付けられている。地球文明が滅びても、宇宙にきっと存在する知的生命体が、このボイジャーを見つければ、地球に興味を示すことだろう。

 こう考えれば、計画から20年で成し遂げたなんと壮大な計画なのだろう。これこそ、

 人類の大いなる旅

といえまいか。

  そんな旅の成果を、多数のカラー写真としてまとめた本が最近出版された。

 『太陽系大地図』(小学館、約6000円)

だが、高価な本というのが残念だが、星好きには飽きない好著である。

 この大地図によると、かつて惑星だった冥王星は最近では、2006年に〝降格〟されて準惑星とされている。準惑星には、冥王星より大きなエリスがあり、こうした準惑星を含めた「太陽系外縁天体」の総数は小さなものも入れると、わかっているだけでなんと、1000個を超えている。

 人類の大いなる旅の「地図」として、手元におきたい本だ。

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DNA万能は危うい 死刑囚「袴田事件」 

(2011.12.05)  弁護側が第二次再審請求中の死刑囚「袴田事件」について、検察側がこれまで開示してこなかった取調べ録音テープや供述調書176点を開示するよう静岡地裁が初めて勧告した。同地検も受け入れる方針だという。

 静岡地裁が、今夏のDNA再鑑定の決定とともに、未開示証拠の開示を検察側に勧告したのは、弁護側の全面開示の要求があったとはいえ、まことに当を得た判断、もっとはっきり言えば英断だったと言えるだろう。

 同事件は、1966年に静岡県清水市(現静岡市清水区)で一家四人が何者かに殺された事件で、現在、第二次再審請求に伴い弁護側、検察側、裁判所側で三者協議が行われている。これまで弁護側は、検察側に対して、証拠の全面開示を求めており、今回の裁判所の勧告はこれを支持したものとして注目される。

 弁護側は、今夏、袴田巌死刑囚が犯行時に着ていたとされる、いわゆ「5点の衣類」などについて、第一次再審請求同様、DNAの再鑑定を求めている。地裁もこれを認め、今月下旬にもその結果がまとまるという。

 最初の鑑定では「鑑定不可能」との結果が出たが、それから30年以上たって、鑑定技術も飛躍的に向上している。このこともあり、付着している血痕が果たして被害者4人のものであるのかどうか、明確な結果がでる可能性がある。同一の可能性が高いとなれば、弁護側にとっては不利となる(もっとも弁護側は、そもそも衣類は死刑囚のものではないと一貫して主張している)。

 しかし、事件直後のABO:型血液鑑定では明確にならなかったが、今回の着衣鑑定でも、被害者四人のいずれのDNAにも一致しない可能性が高いとなれば、この事件は冤罪の可能性があり、無罪に向けた再審開始の決定がなされるものと考えられる。袴田死刑囚以外の誰かが、彼を陥れるために「5点の衣類」をでっち上げたことになるからだ。

 ただ、注意すべきは、

 DNA鑑定万能主義は危うい

ということだ。あくまでも科学的な証拠ではあっても、さまざまな条件が重なり、正確な判定が難しいこともあり、決定的ではない。誤ることもあるのだ。冤罪を防ぐには、ほかの証拠ともつき合わせた総合的な判断が求められる。

 DNA鑑定を絶対視するあまり、その鑑定結果を盾に無実の死刑囚にされることもある。その逆にDNA鑑定だけに頼ると、確定した死刑囚が本当は真犯人なのに、再審で無罪になることもありえる。

  よく言われることではあるが、再審では、弁護側の〝敵〟は裁判官なのだ。再審開始の決定をするということは、先輩裁判官の誤りの可能性を後輩裁判官が指摘することに等しいからだ。

 再審につながる今回の英断には、こうした勇気が要ったことだろう。これには再審請求三者協議での血液DNA再鑑定で完全無罪が明らかになった足利事件の影響が大きいように思う。

 補遺

 ブログ子が袴田事件に興味を持つのは、袴田巌死刑囚が浜松市浜北区出身であり、ブログ子自身、浜北区に10年近く暮らした経験があるからでもある。

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欠けていた「浜松発のまちづくり」の視点 家康公シンポ   

(2011.12.04)  よくあることだが、パネラーに豪華メンバーを取りそろえてシンポジウムを行うと、たいてい、その顔ぶれに幻惑されて、あるいは満足して、シンポそのものは実のないものに終わる。

 先日、浜松市で市制100周年を記念して開かれた

 家康公シンポ

も、その典型だった。何しろ、このシンポのパネラーには

 徳川宗家18代当主、徳川恒孝(つねなり)氏、つまり将軍家当主

 家康の四天王、酒井忠次の子孫、酒井忠久氏(酒井家当主)

 家康の四天王、本多忠勝の子孫、本多隆将(たかゆき)氏(本多家当主)

  家康の四天王、榊原康政の子孫、榊原政信氏(榊原家当主)

  家康の四天王、井伊直政の子孫、井伊直岳(井伊家当主)

が初めて、一堂に集うというのだから、歴史的なシンポだ。応募者は募集人員をはるかに超える人気だったらしい。

 しかも、コーディネーターが、話上手でテレビや講演会にも頻繁に登場する日本中世史が専門の小和田哲男氏(静岡大学名誉教授)とくれば、ひとが集まらないわけはない。

 シンポのサブタイトルは、100周年を機会に、

 家康公を振り返り、家康公と歩む浜松発のまちづくり

を考えようというものだった。

 しかし「振り返り」もほとんどといっていいくらいなかった。ましてや、「まちづくり」に一言でもいいから触れたパネラーは、一人もいなかった。コーディネーターも、これらの点に水を向けることもしなかったのは不思議だった。

 シンポは、案の定、失敗だった。この種の豪華メンバーを揃えたイベントは、中身より、顔を揃えるのがすべてなのだ。中身などどうでもいいのだ。

 後世、出世城と異名をとる浜松城だが、現在は、「古城」と呼ばれる現在の東照宮など、ごく一部を除いて、ほとんどその原型をとどめていない。浜松市博物館の「城絵図」展の立体模型(家康在城時)を見てもこれはいえる。なにしろ、当時の浜松城の二の丸のど真ん中を、現在の国道152号線がぶち抜いている。

 また、シンポの際、配られた

 浜松城推定復元図

には、現在の地図が重ねられており、これを見ても、かつての浜松城は、現在ほとんど原型をとどめていない。たとえば、浜松市役所・中区役所は、かつての本丸と二の丸の境に位置しているが、当時をしのぶものは、よほどの専門家でない限り、わからない。城の表玄関、大手門の位置すら、一般にはその痕跡すら見ることはできないというのでは、あまりにさびしい。

 「浜松発のまちづくり」とは、言葉だけではないか、といいたくもなる。また「家康公と歩む」とシンポのサブタイトルにあるが、こうした現実を前にすると、なんだか、むなしいし、かなしい。というか、気恥ずかしい。もっとはっきり言えば、情けない。

  そのせいだろう、配布パンフのこの復元図(浜松市文化財課)には、小さく、

 三の丸をはじめ城域の多くは市街地の(地)中に埋もれている

と書かざるを得なかった。これでは復元図というよりも、浜松城破壊図といったほうが、わかりやすい。

 天守閣も、はっきりした根拠もないまま〝復元〟されたというから、文化財もへちまもない。唯一、家康時代の面影を残す東照宮(古城=引馬城、曳馬城)も、訪れる人もほとんどなく、さびしい放置状態といえなくもない。放置していないというのならば、少なくとも案内板が必要ではないか。

 昔のものを大切にし、それを生かしたまちづくりを本気でする気ならば、そして、シンポで浜松市長がいみじくも言ったように

 浜松に勤務経験を持つと、必ず、その後出世する

ということを本物にする気ならば、うわべだけのシンポではなく、知恵を出し合う実のあるシンポが期待される。

 薄暗くなったシンポの帰り道、そんなことを浜松市民として思った。

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