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なお遠い再審決定の道のり 分かれたDNA鑑定をどう見るか 

(2011.12.23)  45年前に起きた一家4人殺しの死刑囚「袴田事件」で注目されていた

 いわゆる「5点の衣類」のDNA鑑定結果

が、弁護人側の鑑定人と検察側の鑑定人に同一試料が提供されたのに

 なぜ食い違ったのか。

 弁護人側の結論は、「5点の衣類」に被害者(4人のいずれ)の血液も付着していない

というものだ。だから、検察は「5点の衣類」は袴田死刑囚の犯行時の衣類としているのだから、この結果は、「5点の衣類」は警察によって捏造されたものであり、当然、袴田死刑囚は無実であり、裁判所は早急に再審を決定し、無罪判決を出すべきだと弁護側は主張する。

 しかし、これは強引な論理であり、論理の飛躍がある。

 弁護側の言い分が正しいためには、鑑定の結論に至るまでに暗黙、あるいは意図的にいくつもの仮定が置かれたが、それらがいずれも正しい場合に限るのだ。

 今回、静岡地裁に提出された2つの鑑定書ではともに、「5点の衣類」や被害者の衣類に残った血痕を調べた結果、ひとつとしてDNAの型を具体的に特定できたものがなかった。しかも、弁護団側の鑑定人も認めているように、「5点の衣類」の9箇所から切り取った試料なのに、同一人物と判断できる(血痕)試料は一つもない。同一人物の血痕ならば、「5点の衣類」発見時の試料採集が適切であるとして、同一劣化と考えられるので、DNA型までは特定できなかったとしても同一人物のものであると断定できるはずだ。

 それがないとすれば、DNA鑑定がまだ当時珍しかったことなどが原因で、衣類発見時の捜査側の採取が適切でなかったか、衣類がミソ樽に長く使っていたという事情が災いしているのか、あるいは今日までの証拠保存に問題があったか、などが疑われる。

 9試料の中に、4人の被害者のものかどうかにかかわらず、少なくとも同一人物のものがなかったことは、個人を特定するための信頼できる

 DNA鑑定向きの良好な試料

ではなかったのではないかと疑って見る必要があろう。

 このことをわかりやすく言うと、被害者4人のいずれかの血痕がついているはずなのに、9箇所の血痕は、いずれともDNA型レベルでは一致したといえる状態ではなかったというのは、鑑定方法の巧拙ではなく、そもそもの提供試料が個人識別のできない(たとえば汚染された)ものであった可能性がきわめて高い。仮に試料がすべて汚染されておらず良好であれば、必ず、鑑定された9試料のDNA型の中に一致するか、同一と考えられる試料が少なくとも一組はあるはずだ。それが一組もないのだ。

 検察側も、一つとして試料から信頼できるDNA型を確定することができなかったことを認めている。しかし、

 検察側の結論は、「5点の衣類」に被害者の血液が付着していた可能性は排除できない

というものだ。つまり、「5点の衣類」には、型の特定まではできなくとも、被害者の血液が付いていた可能性もある、というわけだ。

 しかし、これも、良質な試料でないことを逆手に取った強引な論理だ。平たく言えば、良質でないから、わからないだけだというわけだ。これでは苦しまぎれの、こじ付けと言われても仕方あるまい。

 袴田死刑囚を真犯人とする検察としては、衣類が袴田死刑囚のものであり、犯行時着ていたものとしているのだから、

 提供された付着試料9つのうち、少なくとも一つは、被害者の一人のDNA型と一致するか、一致する可能性が高いことを鑑定書で示さなければなるまい。今回、それはできなかった。試料の良質性が疑われるのだから、本当は被害者の血痕が付いていたのだが、それを科学的なDNA鑑定で示すことができなかっただけだと言いたいのだろうが、良質性を保つのが検察・捜査側の責任であることを考えると、いかにも逃げの姿勢であり、はっきり言えば〝詭弁〟に近い。

 検察側の「可能性を排除できない」とする鑑定書の解釈は、いかにも強引すぎる。

 被害者の血痕と一致しないから、袴田死刑囚は犯人ではないとする弁護側も

 一致する可能性はあるとする検察側も、ともに粗雑な「我田引水」であり、論理に飛躍がある。

 言えることは、DNAによる個人識別において、9つの試料に同一人物のものと考えられるものが一つとしてないという双方ともに認める事実から、

 鑑定に供した試料の質

に問題があるということではないか。何らかの理由で汚染されている。

 DNA鑑定法の未発達、その重要性の認識が科学捜査陣にまだ十分理解されていなかった1960年代に起きた事件である。

 DNA鑑定に耐える良質な試料の採集法や保存

を捜査・検察側に求めるのは、弁護側には気の毒だが、実際上、残念だが無理な気がする。

 そうなると、これまで未公開だった検察側捜査資料の最近になっての公開分の検証がにわかに重要になってくる。 

 以上からすると、今回、確定判決を覆す重要で明白な新証拠や事情が出てきたわけではないので、再審請求がただちに静岡地裁によって決定されることはないだろう。

 先輩裁判官の過ちを裁くのが再審だ。地裁としては、そう軽々しく再審請求を決定することにはただでさえ、躊躇があるだろう。また、裁判官も人の子、疑わしきは裁判官の利益にとなりがちだ。

 とすれば、疑わしきは被告人の利益に、の原則はあるものの、今回の鑑定の食い違いは、再審決定までの道のりがなお遠いことを示したように思う。

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