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歴史を見る目の難しさ

(2011.10.20)  NHKの「BS歴史館」で、先日、

 本能寺の変

というのをやっていた。見て、歴史を見る目の難しさをつくづく感じた。

 光秀は世に言うほど逆臣、つまり謀反人だったのか、というのが取り上げられていた。通説では、決起したのは、信長へのうらみつらみであると言われている。そんなことをだれが言い出したのか、という疑問はなかなか思いつかない、

 しかし、光秀の子孫と称する人、明智憲三郎氏(1947年生まれ)の執念はすさまじい。ホームページもすさまじいが、要するに、

 信長へのうらみつらみが決起の原因という一見、わかりやすい説は誰が最初に言い出したのか。その追跡から、それは、光秀を討った秀吉であり、記述はすでに変後半年も経たないうちにまとめられているという。これを書き写して、江戸時代に講談本などに引き写されて、広まったというわけだ。

 しかし、子孫の憲三郎氏はとても我慢がならない。そんなはずはない。そんな信長へのうらみつらみという個人的なことで決起するわけがないというのだ。

 そうでないとすると、

 光秀が決起した本当の理由は何か

ということになる。今も不明ということだが、あえて、憲三郎氏の説を挙げれば、それは、

 土岐一族(美濃)を再興するリーダーだった光秀は、このまま信長の戦略に従って行動すれば、悲願の土岐一族は滅亡するという危機感から、決起したとなる。

 その証拠が、例の連歌に現れていると解釈するのである。番組では、その説には決め手を欠く点で、異論も多かったが、説の一応つじつまが合っていた。

 たしかに、子孫としては、もっと大きな大志を抱いて決起したのだといいたいところだろうが、いかんせん、証拠不十分。憲三郎説は、いわゆる生煮えである。そうともいえるが、そうでもないともいえる。

 これらの番組を見て、思うのは、

 「死人に口なし」の勝利者史観を確証をもって覆すことの難しさ

である。ましてや、事件から400年以上もたっていれば、なおさらだ。つくづく思うことだが、

 敗者の目で見た史観

というものは不可能なのだろうか。それはやはり現代の歴史家の優れた洞察力が頼りだ。

 番組を見て、歴史は単眼で眺めることの危うさであり、またそれでは真実を見誤る。複眼志向の必要性を痛感した。

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