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科学の限界とは? ちょっと変わった読書週間

(2011.10.25)   加速しながら宇宙は膨張しているという信じられないような事実を観測的に実証した成果が今年のノーベル物理学賞に輝いたこともあり、関連本はないかと、読書週間につられて、本屋をのぞいてみた。

 店内の目立つところには、相変わらず東日本震災特集本がいやというほど並んでいた。放射能や原発に関する本も、売らんかなの商魂たくましく鎮座している。

 うんざりだ。

 その一角には対照的にひっそりと、

 月刊科学雑誌『日経 サイエンス』12月号が

 ノーベル賞決定 特集 実在とは何か

  多宇宙はあるか

  数学はなぜ世界を説明できるか?

    反逆児サスキンドが語る

  物理の限界

というちょっと浮世離れした記事を並べていた。じっくり考えさせるものがばかりであり、哲学的なテーマを科学、とりわけ物理、そのなかでも具体的に今回のノーベル賞とからめて理論的宇宙論から論じていた。記事同士のつながりも

 科学の限界 マルチバース(多宇宙あるいは並行宇宙)は実在するのか?

と具体的に問いかけながら、科学者にとって、実在とは何なのかを考えさせようとしているなど、よくできていた。

 昨年6月のはやぶさ帰還についても、

 イトカワの素顔

と題して、持ち帰ったサンプルの分析が太陽系の起源に迫る成果にまとめられている。

 最近のサイエンス号にはない充実ぶりに、つい、買ってしまった。

 一連の記事から、多くの理論的宇宙論研究者は、わが宇宙のほかにも無限の宇宙が存在すると確信しているということを知った。ただし、それを観測的に(直接)実証することはほとんど不可能と考えているようだ(できるとしたら、ほかに宇宙が存在しなければ、わが宇宙で起きている奇妙な現象を説明できないといった間接的な証明。加速する膨張宇宙もその一つかもしれない)。

 宇宙の後退速度が光速となる「光の時空水平線」(現在の宇宙よりかなり大きい420億光年先)の向こう側にも宇宙は、どんな形で存在するかは研究者によってまちまちだが、いずれも実在すると考えているのだ。

 今回の物理学賞で、ますます多宇宙、パラレル宇宙は存在する

可能性は高まったといえそうだ。さまざまな宇宙があるとき生まれて、その中の一つ、つまり、生物が生き残れる環境と進化時間を生み出した宇宙がたまたま「わが宇宙」であったに過ぎない。ほかの宇宙では、いくつかある宇宙の基本乗数がうまく「微調整」できず、すぐにつぶれてしまったり、別の宇宙はあまりに膨張加速度が大きくなりすぎて、複雑な生命を生み出す間もなく希薄化し、発散してしまったりしたのだという。

 ただ、なぜ、この宇宙に生命を生み出す必要があったのかということについては、科学は何も解明してくれない。物質とエネルギーだけで十分ではないかという考え方に、科学は答えられないのだ。

 ただいえることは、〝神〟は宇宙を慎重に宇宙を設計する必要はなかったし、その中に生命を創造しようとの意志もなかったと言えそうだ。すべてを偶然に任せたのだ。

 その意味で「神」は怠惰であった

とも言えそうだ。

 一つ、この特集で面白かったのは、

 「経験とは独立した(人間の脳による)思考の産物である数学が、物理的実在である対象とこれほどうまく合致しうるのはなぜなのか?」

 という〝アインシュタインの疑問〟に対する記事だ。簡単に言えば、数学は科学の言葉であるのはなぜか、という疑問だ。数学の不合理なまでの有効性の原因は何かという言い換えてもいい。

 数学では表せない物理現象もあるのではないか。逆に、数学で表された結果はすべて物理的に実在すると考えられるのか、という疑問も出てこよう。

 たとえば、数学の素数の出現を予測する方程式は、なんと物理法則に従った宇宙論(ひも理論)の方程式と一致するのはなぜか。偶然なのか、何か理由があるのか。

 数学の定理は、万有引力のように、自然界の中に普遍的な法則として存在する真理のなかから人間が〝発見〟したものなのか、それとも自然界とは無関係に、たとえば二足歩行のロボットのように、人間の脳が発明したものなのか。

 特集は、そんなことをいろいろ楽しく想像させてくれて、あきない。記事では、アインシュタインの疑問について「発見と発明の両方」との見方をしている。

 ところで、こうした特集に刺激されて、ブログ子としては、今年の読書週間は、理論的な宇宙論の本が読みたいと思い、書棚をいろいろ探してみた。こんな本が出てきた。いずれも値の張る高い本だが、今までほとんど通読したことはなく、ほこりをかぶっていたことを白状しておこう。

 『パラレルワールド  11次元の宇宙から超空間へ』(ミチオ・カク、NHK出版、2006年)

  『宇宙のランドスケープ』(レオナルド・サスキンド、日経BP社、2006年)

  『現代物理学が描く突飛な宇宙をめぐる11章』(S.ウェッブ、青土社、2005年)

 以上のうちで、一番わかりやすくて読みやすいのは、『パラレルワールド』だったが、はたして、BBCノンフィクション賞受賞作となった。

  草思社の「サイエンス・マスターズ」シリーズにも、宇宙論については、

   『宇宙を支配する6つの数』

   『量子宇宙への3つの道』

   『宇宙が始まるとき』

   『宇宙 最後の3分間』

   『自然の中に隠れた数学』

 などがあるが、いずれも名著だ。読みやすい。

 そのほか、現代のものではないが、わが宇宙以外にも宇宙はあるのかどうかなど、宇宙論や生命についての考察(主として、キリスト教の教義との関係で論じている)の歴史をつづった

   『地球外生命論争』(工作舎、マイケル・J・クロウ)

も優れた労作であり、浩瀚な大著だ(ただし、高価本)。

 理系出身のブログ子としては、まず、最初に挙げた「日経サイエンス」の特集をじっくり、なんども読み返すところからはじめて、上記に列記した本にも手を伸ばしたい。

 夜空の星を見上げて思うのだが、このわが宇宙が。膨張していることすら信じがたい。ましてや、それがますます加速して膨張しているなどとはなお信じがたい。ということは、わが身の回りの空間も刻々と、ごくわずかではあるが引き伸ばされているのだ。しかし、それをはかるものさしも同程度引き伸ばされているので、その伸びは測定できないのだが。

 そんな浮世離れした世界を思うこのごろだ。歳をとったということだろう。

 

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