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犀ヶ崖資料館を訪れて 静岡の城と戦国浪漫

(2011.10.27)   ブログ子の暮らしている浜松市の戦国時代と言えば、南下してくる武田信玄と、迎え撃つ徳川家康の

 三方ヶ原の戦い

が有名だ。そこで、ブログ子は、先日、浜松市中区鹿谷町にある犀ヶ崖資料館を訪れた。

 資料館の坂井紳悟さんの解説によると、

 三方ヶ原で、両軍がどのように戦ったのかということは、現在でも、よくはわかっていない。ただ、資料館の近くの犀ヶ崖(古代の地震などによる大地の裂け目)で両軍が戦って多数の死者が出たことは確かだ。このあたりから浜松城までが、おおよその戦いの南限とすると、北の境界は、

 祝田(ほうだ)の坂

あたりだ。ざっとみて、10キロ四方の戦いだったのだろう。この戦いでなくなった両軍の死者たちの魂を慰めるために、あるいは「たたり」を恐れて、崖の近くにあったお堂(今は資料館と名前を変えている)で、

 遠州大念仏

が今も続けられている。行列や大念仏回向が夏に行われる。

 坂井さんと話して、ブログ子の誤解も解けた。というのは、家康は武田軍の猛攻に必死で城に逃げ帰るのだが、その城とは、天守閣は別にしても(当時はなかった)、今の浜松城の位置だとばかり思っていた。実際は、現在の浜松城の東側近くの小さな城、曳馬城(址、現在の東照宮)のあたりらしい。それも現在の東照宮(神社)は、当時の曳馬城の面影をわずかに残すだけらしい。

 もうひとつ、静岡の戦国時代について、知る格好のホームページがあることも坂井さんに教えていただいた。それが、

 「城と戦国浪漫」

というページで、最近できた。大変に便利にできている。しかし、あまり活用されていないらしい。たとえば、三方ヶ原の両軍の戦いの動きが動画風に示されていて、面白い。

 さらには、高名な戦国時代研究者で静岡大学名誉教授の小和田哲男氏もホームページ作成で監修役をつとめているが、なんと、

 三方ヶ原の戦いでは、武田軍は東海道を東から西に向かってやってきたとの最近の説を紹介している。こうだ

 * 信玄本隊は駿河から大井川を越えて遠州に入ったとする説も出ています

と年表に注記していて、それ以上、この説に否定も肯定もしていない(否定する史料がない?)。通説の南下説に沿って解説はされているものの、真偽判定に必要な新説の根拠などは示されていないのはどうしたことか。

 これには坂井さんも、やや戸惑っている様子。

 資料館を訪れて思ったのは、浜松市民は、どうも過去の史料、史跡などの遺物や歴史について、それほど関心がないように感じられた。17年間浜松に滞在した家康の足跡すら、きちんとした記録が残っておらず、その足跡はあまり解明されていないという。

 今年、浜松市は市制100周年を記念して、家康をキャラクターにした事業がこの秋、たくさん開催されている。

 謎の多い家康の浜松城在城時代を掘り起こし、知る絶好の機会ではないか。

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