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2011年10月

犀ヶ崖資料館を訪れて 静岡の城と戦国浪漫

(2011.10.27)   ブログ子の暮らしている浜松市の戦国時代と言えば、南下してくる武田信玄と、迎え撃つ徳川家康の

 三方ヶ原の戦い

が有名だ。そこで、ブログ子は、先日、浜松市中区鹿谷町にある犀ヶ崖資料館を訪れた。

 資料館の坂井紳悟さんの解説によると、

 三方ヶ原で、両軍がどのように戦ったのかということは、現在でも、よくはわかっていない。ただ、資料館の近くの犀ヶ崖(古代の地震などによる大地の裂け目)で両軍が戦って多数の死者が出たことは確かだ。このあたりから浜松城までが、おおよその戦いの南限とすると、北の境界は、

 祝田(ほうだ)の坂

あたりだ。ざっとみて、10キロ四方の戦いだったのだろう。この戦いでなくなった両軍の死者たちの魂を慰めるために、あるいは「たたり」を恐れて、崖の近くにあったお堂(今は資料館と名前を変えている)で、

 遠州大念仏

が今も続けられている。行列や大念仏回向が夏に行われる。

 坂井さんと話して、ブログ子の誤解も解けた。というのは、家康は武田軍の猛攻に必死で城に逃げ帰るのだが、その城とは、天守閣は別にしても(当時はなかった)、今の浜松城の位置だとばかり思っていた。実際は、現在の浜松城の東側近くの小さな城、曳馬城(址、現在の東照宮)のあたりらしい。それも現在の東照宮(神社)は、当時の曳馬城の面影をわずかに残すだけらしい。

 もうひとつ、静岡の戦国時代について、知る格好のホームページがあることも坂井さんに教えていただいた。それが、

 「城と戦国浪漫」

というページで、最近できた。大変に便利にできている。しかし、あまり活用されていないらしい。たとえば、三方ヶ原の両軍の戦いの動きが動画風に示されていて、面白い。

 さらには、高名な戦国時代研究者で静岡大学名誉教授の小和田哲男氏もホームページ作成で監修役をつとめているが、なんと、

 三方ヶ原の戦いでは、武田軍は東海道を東から西に向かってやってきたとの最近の説を紹介している。こうだ

 * 信玄本隊は駿河から大井川を越えて遠州に入ったとする説も出ています

と年表に注記していて、それ以上、この説に否定も肯定もしていない(否定する史料がない?)。通説の南下説に沿って解説はされているものの、真偽判定に必要な新説の根拠などは示されていないのはどうしたことか。

 これには坂井さんも、やや戸惑っている様子。

 資料館を訪れて思ったのは、浜松市民は、どうも過去の史料、史跡などの遺物や歴史について、それほど関心がないように感じられた。17年間浜松に滞在した家康の足跡すら、きちんとした記録が残っておらず、その足跡はあまり解明されていないという。

 今年、浜松市は市制100周年を記念して、家康をキャラクターにした事業がこの秋、たくさん開催されている。

 謎の多い家康の浜松城在城時代を掘り起こし、知る絶好の機会ではないか。

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科学の限界とは? ちょっと変わった読書週間

(2011.10.25)   加速しながら宇宙は膨張しているという信じられないような事実を観測的に実証した成果が今年のノーベル物理学賞に輝いたこともあり、関連本はないかと、読書週間につられて、本屋をのぞいてみた。

 店内の目立つところには、相変わらず東日本震災特集本がいやというほど並んでいた。放射能や原発に関する本も、売らんかなの商魂たくましく鎮座している。

 うんざりだ。

 その一角には対照的にひっそりと、

 月刊科学雑誌『日経 サイエンス』12月号が

 ノーベル賞決定 特集 実在とは何か

  多宇宙はあるか

  数学はなぜ世界を説明できるか?

    反逆児サスキンドが語る

  物理の限界

というちょっと浮世離れした記事を並べていた。じっくり考えさせるものがばかりであり、哲学的なテーマを科学、とりわけ物理、そのなかでも具体的に今回のノーベル賞とからめて理論的宇宙論から論じていた。記事同士のつながりも

 科学の限界 マルチバース(多宇宙あるいは並行宇宙)は実在するのか?

と具体的に問いかけながら、科学者にとって、実在とは何なのかを考えさせようとしているなど、よくできていた。

 昨年6月のはやぶさ帰還についても、

 イトカワの素顔

と題して、持ち帰ったサンプルの分析が太陽系の起源に迫る成果にまとめられている。

 最近のサイエンス号にはない充実ぶりに、つい、買ってしまった。

 一連の記事から、多くの理論的宇宙論研究者は、わが宇宙のほかにも無限の宇宙が存在すると確信しているということを知った。ただし、それを観測的に(直接)実証することはほとんど不可能と考えているようだ(できるとしたら、ほかに宇宙が存在しなければ、わが宇宙で起きている奇妙な現象を説明できないといった間接的な証明。加速する膨張宇宙もその一つかもしれない)。

 宇宙の後退速度が光速となる「光の時空水平線」(現在の宇宙よりかなり大きい420億光年先)の向こう側にも宇宙は、どんな形で存在するかは研究者によってまちまちだが、いずれも実在すると考えているのだ。

 今回の物理学賞で、ますます多宇宙、パラレル宇宙は存在する

可能性は高まったといえそうだ。さまざまな宇宙があるとき生まれて、その中の一つ、つまり、生物が生き残れる環境と進化時間を生み出した宇宙がたまたま「わが宇宙」であったに過ぎない。ほかの宇宙では、いくつかある宇宙の基本乗数がうまく「微調整」できず、すぐにつぶれてしまったり、別の宇宙はあまりに膨張加速度が大きくなりすぎて、複雑な生命を生み出す間もなく希薄化し、発散してしまったりしたのだという。

 ただ、なぜ、この宇宙に生命を生み出す必要があったのかということについては、科学は何も解明してくれない。物質とエネルギーだけで十分ではないかという考え方に、科学は答えられないのだ。

 ただいえることは、〝神〟は宇宙を慎重に宇宙を設計する必要はなかったし、その中に生命を創造しようとの意志もなかったと言えそうだ。すべてを偶然に任せたのだ。

 その意味で「神」は怠惰であった

とも言えそうだ。

 一つ、この特集で面白かったのは、

 「経験とは独立した(人間の脳による)思考の産物である数学が、物理的実在である対象とこれほどうまく合致しうるのはなぜなのか?」

 という〝アインシュタインの疑問〟に対する記事だ。簡単に言えば、数学は科学の言葉であるのはなぜか、という疑問だ。数学の不合理なまでの有効性の原因は何かという言い換えてもいい。

 数学では表せない物理現象もあるのではないか。逆に、数学で表された結果はすべて物理的に実在すると考えられるのか、という疑問も出てこよう。

 たとえば、数学の素数の出現を予測する方程式は、なんと物理法則に従った宇宙論(ひも理論)の方程式と一致するのはなぜか。偶然なのか、何か理由があるのか。

 数学の定理は、万有引力のように、自然界の中に普遍的な法則として存在する真理のなかから人間が〝発見〟したものなのか、それとも自然界とは無関係に、たとえば二足歩行のロボットのように、人間の脳が発明したものなのか。

 特集は、そんなことをいろいろ楽しく想像させてくれて、あきない。記事では、アインシュタインの疑問について「発見と発明の両方」との見方をしている。

 ところで、こうした特集に刺激されて、ブログ子としては、今年の読書週間は、理論的な宇宙論の本が読みたいと思い、書棚をいろいろ探してみた。こんな本が出てきた。いずれも値の張る高い本だが、今までほとんど通読したことはなく、ほこりをかぶっていたことを白状しておこう。

 『パラレルワールド  11次元の宇宙から超空間へ』(ミチオ・カク、NHK出版、2006年)

  『宇宙のランドスケープ』(レオナルド・サスキンド、日経BP社、2006年)

  『現代物理学が描く突飛な宇宙をめぐる11章』(S.ウェッブ、青土社、2005年)

 以上のうちで、一番わかりやすくて読みやすいのは、『パラレルワールド』だったが、はたして、BBCノンフィクション賞受賞作となった。

  草思社の「サイエンス・マスターズ」シリーズにも、宇宙論については、

   『宇宙を支配する6つの数』

   『量子宇宙への3つの道』

   『宇宙が始まるとき』

   『宇宙 最後の3分間』

   『自然の中に隠れた数学』

 などがあるが、いずれも名著だ。読みやすい。

 そのほか、現代のものではないが、わが宇宙以外にも宇宙はあるのかどうかなど、宇宙論や生命についての考察(主として、キリスト教の教義との関係で論じている)の歴史をつづった

   『地球外生命論争』(工作舎、マイケル・J・クロウ)

も優れた労作であり、浩瀚な大著だ(ただし、高価本)。

 理系出身のブログ子としては、まず、最初に挙げた「日経サイエンス」の特集をじっくり、なんども読み返すところからはじめて、上記に列記した本にも手を伸ばしたい。

 夜空の星を見上げて思うのだが、このわが宇宙が。膨張していることすら信じがたい。ましてや、それがますます加速して膨張しているなどとはなお信じがたい。ということは、わが身の回りの空間も刻々と、ごくわずかではあるが引き伸ばされているのだ。しかし、それをはかるものさしも同程度引き伸ばされているので、その伸びは測定できないのだが。

 そんな浮世離れした世界を思うこのごろだ。歳をとったということだろう。

 

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必要は発明の母とは言うが、最新文具事情

 (2011.10.23)  「アイデアは、それを一心に求めてさえいれば、かならず生まれる」と言ったのは映画俳優で監督だったチャプリン氏であるという。

 偶然だが、民放テレビ(静岡朝日テレビ)を見ていたら、女優の広末涼子さんが出演していたのが目に留まった。なんと、

 ここまで進化したアイデア文房具事情

というのをやっていて、そのアイデアにびっくり。広末さんがその中のいくつかを実際に試してみて、オドロキの便利さを体験していた。

 少し紹介すると、クリップといえば、針金を楕円状にしかも、平面的に折り曲げたものだが、これでは、とめることのできる枚数は五、六枚くらい。これを数十枚とめることのできる

 立体三角型クリップにして、なんと数十枚も楽々、しかもしっかり見栄えよくとめることができる。「立体」クリップにしたのがミソ。ブログ子も、苦労した経験があるだけにびっくり。

 クリップは平面で、楕円形という常識を覆したのがえらい。

 ボールペン。これは紙に書くための文具。ところが、何にでも、ガラスにも、金属にも、もちろん紙にも書けるマルチなペンも登場して、重宝がられているらしい。しかも、水性なので書いた直後なら簡単に消すことができる。時間がたつともはや消えないすぐれもの。この秘密は特殊なインクの開発にあるそうだ。

 さらに、ボールペンは「書く」ものと固定観念があるが、消すボールペンも発売されている。逆転の発想だ。

 書類の止めには、ホッチキスが便利だが、間違えてとめた場合、針を取り除くのが大変。紙の一部が破れてしまって見苦しい。

 ところが、一度とめたこの針を取り除く機能を備えたホッチキスが発売されている。針の真ん中をぐいと押し下げて、きれいに取り除けるというのだ。これは事務員さんにはうれしい。自費で買ってでも会社に備えたいと思っても不思議ではないだろう。それくらい、かゆいところに手が届いた優れものと感心した。

 そのホッチキスも、80枚もの書類をとじるとなると、特殊な大型ホッチキスが必要になる。とれは女性ではなかなか大変。これを楽に女性でも片手でもできるすごい強力なホッチキスが紹介されていた。会社には必須のアイテムとみた。

 付せん。袋付きの付せんというのもあった。うらに軽く着脱可能なのりも付いていて、書類に挟んだメモなどをそのポケットにはさむことができる。そのポケットにはメモ書きもできるから便利だ。簡単に外せるので、再利用可能というのもうれしい。

 このほか、手帳やノートをカラフルにそして、かわいくする

 「簡単デコラッシュ」

という商品も紹介されていた。塗る感覚でいろいろな模様を手帳に貼り付けることができる。女性にはたまらないアイテムではないか。事実、広末さんも、これがほしいといっていた。わかる。

 ちょっと意外な人気商品に

 日曜日から始まる見開き一週間手帳

があった。通常の手帳は「月曜日」から始まるのを、見開き左ページトップが日曜日になっているだけで、よく売れているのだそうだ。

 ちょっと〝変な〟文具に、ボールペンのような形にコンパクトにしまえるハサミ

も紹介されていた。

 この番組を思わず見てしまったが、

 必要は発明の母

とはよく言ったものだ。お見事というほかない文具業界。これって、ほかの業界も文具業界を見習う必要があるかもしれない。

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歴史を見る目の難しさ

(2011.10.20)  NHKの「BS歴史館」で、先日、

 本能寺の変

というのをやっていた。見て、歴史を見る目の難しさをつくづく感じた。

 光秀は世に言うほど逆臣、つまり謀反人だったのか、というのが取り上げられていた。通説では、決起したのは、信長へのうらみつらみであると言われている。そんなことをだれが言い出したのか、という疑問はなかなか思いつかない、

 しかし、光秀の子孫と称する人、明智憲三郎氏(1947年生まれ)の執念はすさまじい。ホームページもすさまじいが、要するに、

 信長へのうらみつらみが決起の原因という一見、わかりやすい説は誰が最初に言い出したのか。その追跡から、それは、光秀を討った秀吉であり、記述はすでに変後半年も経たないうちにまとめられているという。これを書き写して、江戸時代に講談本などに引き写されて、広まったというわけだ。

 しかし、子孫の憲三郎氏はとても我慢がならない。そんなはずはない。そんな信長へのうらみつらみという個人的なことで決起するわけがないというのだ。

 そうでないとすると、

 光秀が決起した本当の理由は何か

ということになる。今も不明ということだが、あえて、憲三郎氏の説を挙げれば、それは、

 土岐一族(美濃)を再興するリーダーだった光秀は、このまま信長の戦略に従って行動すれば、悲願の土岐一族は滅亡するという危機感から、決起したとなる。

 その証拠が、例の連歌に現れていると解釈するのである。番組では、その説には決め手を欠く点で、異論も多かったが、説の一応つじつまが合っていた。

 たしかに、子孫としては、もっと大きな大志を抱いて決起したのだといいたいところだろうが、いかんせん、証拠不十分。憲三郎説は、いわゆる生煮えである。そうともいえるが、そうでもないともいえる。

 これらの番組を見て、思うのは、

 「死人に口なし」の勝利者史観を確証をもって覆すことの難しさ

である。ましてや、事件から400年以上もたっていれば、なおさらだ。つくづく思うことだが、

 敗者の目で見た史観

というものは不可能なのだろうか。それはやはり現代の歴史家の優れた洞察力が頼りだ。

 番組を見て、歴史は単眼で眺めることの危うさであり、またそれでは真実を見誤る。複眼志向の必要性を痛感した。

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魅力ある「悪」の条件 織田信長と、三国志の曹操

(2011.10.13)  先日、NHKの深夜番組「BS歴史観」を見ていたら、

 三国志の曹操

の魅力について、いろいろな分野の識者が話し合っていた。それを聞いていて、ふと、日本の戦国時代を思い出し、織田信長との共通点に気づいた。

 まず第一は、人材の登用。門閥、学閥にとらわれない徹底した実力主義。それには人の器量を見分ける能力に優れている

 人材の活用では、非情ともいえる合理主義。道理にかなうかどうかが、まず最優先。

 民百姓の心をつかむ点では、大義名分(新時代の旗印)を高々と掲げていることであり、その下に、経済改革、政治改革を行える改革者

 タイミングを逃さない果敢な行動力を発揮した点も当然、共通している。

 また、味噌もくそも一緒の基本的人権尊重という民主主義では乱世を終わらせることはできない。したがって、このほかに

 指導者としては、人を人とも思わぬ強烈な自負心

という共通点を持っている。

 それと、天をしてわれを地上に使わしたと思わせるような

 強運の持ち主

が、乱世のリーダーの共通点と思う。

 それを称して、日本では、織田信長の場合、常に常識を嫌い、慣習をのろったことから

 大うつけもの

と一般の人には受け取られたのであろう。徳川家康の場合には

 老獪なタヌキ

といわれたのであろう。

 曹操も中国では「悪」のイメージだが、今述べた共通点を持っているとどうしても、常識の人、あるいは既成勢力からは、どうしても「悪」のイメージを押し付けられそうだ。

 民百姓にとって、「悪」の魅力、あるいは魔力とは、常識(義、忠、道など)のレールに乗らないで生きている悪のスリルと、そのスリルの見返りとして自分たちが得られるであろう利得に対する期待なのだ。

 これに対し「善」には、この魅力がない。つまり、「善」にはスリルもないが、現世の利得もない。

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チリ、「奇跡の生還」の裏側で

(2011.10.12)  そうか、やっぱりというような忌まわしい囲み記事が、10月12日付静岡新聞夕刊に出ている。

 「仲間食べることを考えた」 地下作業員が告白

という共同通信チリ支局からのニュースである。

 33人救出から明日でちょうど1年。ほかの夕刊にはこのニュースは出ていないのは、おそらく、新聞社で「奇跡の生還」というせっかくの明るいニュースなので、あるいは証言があいまいなこともあり、デスクの判断で掲載を見送ったのかもしれない。が、地元メディア番組での告白であり、数人がかかわっているのだから、まんざら、話題づくりの冗談話ではないだろう。同番組によると、

 「空腹が極限に達した数人が、互いに最初に死亡した仲間を食べることを考えていた」

と告白したという。

 「誰が最初に死ぬかは運」

とも話していたらしい。

 餓死寸前となれば、止む終えないと思う。誰もこの話を道徳に反すると批判することはできないと思う。

 何しろ、備蓄食料は、ツナ缶詰少々では、これで33人の命が17日間もよくもったと思う。こんな人肉話が出てくるのも当然なのかもしれない。17日間とわかっていれば、それでもこんな話は冗談としても出なかっただろう。 しかも地下深く閉じ込められた絶望ともいえる暗闇の恐怖があれば、冗談なんか、言えない状況だったはずだ。そうおもうと、救出成功は、想像以上に幸運だったと今、感じる。

 このニュース、ブロック紙12日付「西日本」にも出ていた。ほかの各紙は、

 事故から1年として

 10月5日付北海道新聞 鉱山に戻れず 精神的ストレスで復帰ためらう作業員

                通院も

 10月5日付沖縄タイムス 「地下に戻る勇気でない」

 もっとも、当の10月12日付静岡新聞朝刊にも

  消えぬ暗闇の恐怖 支え受け「普通の生活」

という他紙と似たような記事を共同通信社から配信として流している。

 いつもこうした人肉事件がおきると思うのだが、宗教家の意見を聞きたいと思うのだが、空腹が極限状態に達したとき、そこにある人肉を食べることは、許されるかどうか、明解な答えで納得したことが一度もないのは残念だ。 

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宇宙は加速度的に膨張している - 物理学賞

(2011.10.07)  今週は「ノーベル賞ウイーク」で、これまでに自然科学系3賞が決まった。が、まさか、宇宙はますますスピードを上げて加速度的に膨張しているという観測的宇宙論の成果に物理学賞が与えられるとは、予想外だった。ノーベル3賞は、人類の福祉に寄与する基礎、または応用研究に授与されるものであり、数学とか、天文学とは縁遠いと思っていたからだ。しかし、その意味は大きい。つまり、

 この10数年間に積み重ねられてきた加速度的膨張宇宙の発見への授与は、観測的宇宙論が「第三の革命期」に入ったことを意味する。第一期は1920-30年代、第二期は1960年代。

 それだけでなく、理論的宇宙論への影響として、ニュートン力学からアインシュタインの相対論的力学への転換に匹敵するような大きな影響を与えるだろう。

 もっとも小柴昌俊氏が宇宙物理学にニュートリノ天文学という新しい分野を切り開いた業績で2002年度の物理学賞に輝いた。しかし、これは、宇宙論でも、現代物理学の基礎となっている素粒子物理学を駆使しての観測的宇宙論への貢献が対象であったから、選考委員会が基礎分野を重視していることがわかる。宇宙論の考え方の根本を覆すものではないものの、授与はそれなりに納得できた。

 これに対し、今回は、そうした現代物理学の基礎とはおよそ関係なく、むしろ、古典的な手法の、しかも、人類の福祉に関係あるとも思えない観測的宇宙論の成果が評価されたのだから、ひどく、ブログ子などは、とまどいを感じた。

 宇宙は膨張しているが、重力が働くため次第に減速しながら、膨らんでいる。あるいは、減速の勢いがとまり、いったん静止し、やがて、引き戻されて収縮する。現在の宇宙の状態は、このいずれかであると、1990年代末あたりまでは、ほとんどの天文学者は考えていた。その場合、いろいろな観測から、膨張はしているが、その勢いは弱まっているという前者が圧倒的な支持を受けていた。

 1960年代に、宇宙は100億光年の前に、何らかの原因で、爆発的に膨張をはじめたことが観測的に確かめられ、1960年代に観測的な宇宙論として

 ビッグバン宇宙論

が確立した。この発見(いわゆる3度K黒体輻射)により、アメリカの電波科学者、ペンジャス氏とウイルソン氏に1978年に物理学賞が授与されている。このときも、物理学の手法としては、電波科学という古典的な手法で賞を射止めることになった。

 このビッグバン宇宙論は、1920-30年代に観測的に確立した

 膨張宇宙論(E.ハッブルの「銀河と赤方変異との関係」の発見、1931)

を強く支持するものになった。これにより、定常宇宙論や静止宇宙論は姿を消すことになる。しかし、偉大な発見にも関わらず、観測的宇宙論学者、ハッブル自身はノーベル賞とは無縁であった。

 こう考えると、今回の加速度的膨張宇宙の発見は、基本的にはハッブルの観測手法、考え方の延長上で得られたものであるといえる。

 ただ、得られた結果が、驚くほど信じがたいものであったのだ。最初の膨張宇宙論も、ビッグバン宇宙論も、いずれも、膨張はしているものの、その勢いは、宇宙にある銀河などによる重力により、減速しながら膨張しているはずだというものだった。

 ところが、これまでできなかったさらに遠方の観測をしたところ、案に相違して、たとえば、これまで距離を正確に測るのが難しかった100億光年、あるいは130億年といった遠方での銀河の後退速度(膨張速度)が技術の進歩で、測定可能となると、

銀河の後退速度は減速するどころか、加速している傾向がある

ことが、今世紀に入ってから次第に確定的になってきた。これは現代物理学のこれまでの知識では、理解しがたい結果である。

 そこで考えられているのが、100億光年というような長大な距離では、

 離れれば離れるほど、重力とは反対に、より強い反発力が物質に働く

という新しい相互作用(力)が理論的には存在するのではないかと、この10年、考えられるようになってきた。太陽系くらいの規模では、この反発力は到底計測できないくらい桁違いに弱いというわけだ。

 この相互作用に対応する物質を、いまだ観測的には発見されていないが「ダークマター」とか「ダークエネルギー」と呼ばれている。これまでにはっきりしたのは、この物質は私たちが知っている原子や分子、あるいは素粒子などから成り立っているのではない未知のものだとうことだ。

 このように、古典的な手法による観測的宇宙論の成果にノーベル賞が授与されるのは、古典的であるとはいえ、現代物理学、とくに素粒子物理学に画期的な進展が大いに期待されるものであるからであり、その期待に背かなかったビッグバン宇宙の発見(3度K輻射)以来、33年ぶりではないか。

 そんなことを考えながら、ブログ子の本棚を探していたら、

 『銀河の発見』(R.ベレンゼンほか、地人書館、1980年)

 『ビッグバン宇宙論』(サイモン・シン、新潮社)

がひっそりとほこりをかぶっていた。

 ビッグバン理論の提唱者についてかかれたものとしては

  『ビッグバンの父の真実』(J.ファレル、日経BP)

などもみつかり、その父が牧師であることを知って、読み返してみたい気になった。

 秋の夜長をしばし宇宙論に親しみ、楽しんでみたい。

 それにしても、相互に離れれば、離れるほど、その間により強く反発する力を働かせる作用とは、どんなものなのだろう。そしてその正体としてのダークマターとはどんな姿をしているのだろう。そんなことがまだまったくわからない段階での授与には、与えるほうにも、なかなか勇気も行っただろう。押して、その発見の楽しみを知的好奇心のある世界の多くの人々にプレゼントしたような、〝粋な〟今回の物理学賞だったように思う。

 選考委員会に敬意を評したいが、素人ながら、これからの宇宙論研究の成果が楽しみだ。

 こうなってくると、

 私たちの住んでいる宇宙のほかにも、もう一つ、いや無限の時空の異なる宇宙が、それもこの宇宙の果てではなく、〝ほんの隣に〟あってもおかしくないように思えてくる。

 (2011.10.07)

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織田信長の〝満漢全席〟

(2011.10.06)  定年後の「下山の時代」の楽しみの一つに

 読もう、読もうと思いながら、つい書棚にほこりをかぶっていた超大長編小説の読破

があることを、このブログでも紹介した。まず、元手がかからないのがうれしい。その上、定年後で時間はたっぷりあるのだから、たまらない。

 そのようにして、ブログ子はこの春から『徳川家康』(布張り製の愛蔵決定版、山岡荘八、全18巻)をじっくり味わいながら、最近読破した。

 読み終えた感想は、少し大げさだが、

これでいつ死んでも悔いはない

という気持ちになった。もっと早く、現役時代に読んで置けば、駆け引き上手でもっと出世したのにという感慨もなかったわけではないが、満足した。自分の読書力に自信も付いた。

 現在、下線を引いたり、メモを書き込んだりしたところを中心に、パラパラと再読しているのだが、ふと、当時の武将、殿様の食事の貧しさには同情した。塩サケで湯漬け、いわしの干物に3菜というのが当時の食卓の平均であると知って、ことごとく感心した。酒はよく飲んだだろうが、それだって今のような清酒ではなく、濁り酒が多かったのではないか。それとてもこれまた高価な飲み物だったように思う。

 そんな中で、織田信長が、徳川家康と連合して、信州・甲斐を征服した天正10年(1582年5月)に安土城で家康をもてなした豪華な饗応料理は、目を見張るような「五の膳」まである膳部であったらしい。

 超大長編は長丁場なので、こうしたくだり(第5巻 心火の巻(水嵩まさる))を読んでいると、ふと、どんな料理を接待係の明智光秀が用意したのか、知りたくなる。

 そこで調べてみたら、

 『江戸の料理と食生活』(原田信男編、小学館)

にその再現したものがカラーで、一の膳から、五の膳まで再現してくれていた。二日間にわたって供応したというからすごい。今から見ても、立派な本格的な日本料理である。食器や膳も見事なものである。

 これは、いわば、中国で言えば、清朝時代の満州族と漢族の料理の粋を集めた宴席料理、

 満漢全席

といえるのではないか。

 原田氏監修の本の再現料理によると、

 本膳(一の膳)は、鯛の焼き物、鯉のなます、鮒鮨など

 二の膳は、うるか、ほやの冷や汁、鮑など

 三の膳は、雉の胸肉、わたり蟹、山芋と鶴汁

 四の膳は、巻きするめ、椎茸、鮒汁

 五の膳は、まな鰹の刺身、牛蒡、鴨汁、削り昆布など

 このほか、三方に盛った「からすみ」。食事の間には、能が演じられたりと、いたれりつくせりなのだ。このほか、翌日の朝食には菓子類が出されるらしい。

 こんなことまで調べて、楽しめるのが、時間持ちの「下山の時代」のよさなのだ。(2011.10.06)

 追記

 余計なことかもしれないが、安土城でのこの供応の直後に、信長は

 京都・本能寺の変

に濃姫とともに、接待役だった光秀によって倒れる。信長と家康の間には、熱田の家康(竹千代)の人質時代から30年以上の付き合いがあったが、この供応が最後の顔合わせとなった。

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「木洩れ日の家で」  黒澤映画「生きる」の女性版

(2011.10.02)  久しぶりに、現代ポーランド映画を見た。浜松市民映画館「シネマ・イーラ」で先日ようやく上映が始まった

 モノクロ映画「木洩れ日の家で」(監督・脚本=ドロタ・ケンジェジャフスカ、2007年)

だが、

 テーマは、しのびよる人生の最後の時、どう決断し、過ごすか。一人、古い木造の大屋敷に犬と暮らす老婦人の過去との葛藤と、死を目前にした決断とを描いたものだ。孤独の中、生きるとは、どういうことか、それは一人でもできるある一つの決意だった。

 テーマが重いのだから、暗いのは仕方がないともいえる。「鉄の男」(1981年)、「灰とダイヤモンド」(1958年)、「地下水道」(1956年)など、もともとポーランド映画は暗いと相場が決まっているとはいえ、それにしても陰鬱な映画だった。

 見終わって、

 この映画は、黒澤監督映画の名作「生きる」(主演=志村喬、1952年)の女性版

だということに気づいた。

 ともに、息子夫婦に裏切られた絶望と、孤独感がストーリーの背景になっている。余命いくばくもない。それでもなお、生きることの意味とは何か。主人公は思い悩む。そして、決断する。

 黒澤映画では主人公の市役所市民課長として、住民から要望されていた子供のための公園づくりに、それまでの無気力、事なかれ主義をかなぐり捨て、定年前の仕事として全力を挙げて完成させる。

 今回の映画の場合は、子供たちのための音楽倶楽部を経営する隣に住む経営者夫婦が、手狭になった場所に悩んでいたのを知り、家と土地とをすべて寄付するという決断をする。

 ともに、その決断後、すがすがしく、ブランコに乗る。黒澤映画では、ブランコに乗りながら、あの「ゴンドラの唄」を口すさむ。

 そして、ともに、まもなく主人公は亡くなる。決断が次世代を担う若い人たちのために役立つ。結果として、そこに自分が生きる意味を見出している。

 ともに、決断後の、あるいは完成後の主人公がブランコに乗るのは、自分も子供の頃こいだに違いない遊具によって、孤独な現代の老いを生きる意味を観客に暗示しようとしたに違いない。

 孤独と絶望のなか、老いてなお生きる意味とは、たとえ、それがどんなに小さなことであっても、次世代を担う子供たちのために何をしてやれるかを考え、決断し、実行することなのだ。

 ブログ子も、これからの人生最後の時には、小さくてもいい、そんな決断をし、実行したいと誓った。暗い映画だったが、

 自分の人生は自分だけのものではない。次世代の子どもたちにつないでこそ、自分の人生が生きる

ことに気づかせてくれた。しかも、それは面倒な他人の手を煩わすことなく、自分だけの決心で今すぐにもでできる。それは小さなことかもしれないけれど、このことを悟れば、老いの孤独や絶望からは解放される。救われるともいえる。その意味で、勇気づけられもし、むしろ、さわやかな映画だったように思う。(2011.10.02)

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