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2011年9月

イルカと〝共同〟漁 再考「ザ・コーブ」

 (2011.09.27)  NHKも、和歌山県太地町に気を使っていたのであろう、有料チャンネル・プレミアムの、そのまたこの月曜日の深夜2時から

 ドキュメンタリー「イルカと生きる 伝統漁」

というさりげない番組を再放送(BSアーカイブス)していた。見た人はほとんどいなかったのではないか。漁師が川魚をとるのに賢いイルカをたくみに味方につけているのだ。

 去年のいまごろ日本では、誰も知らなかったイルカ漁の問題、つまり太地町の小さな入り江で何が行われているかというドキュメンタリー映画「ザ・コーブ」が、大きな話題になっていた。入り江に誘い込まれたイルカがいっせいに撲殺される漁法は残酷ではないかと賛否を呼んだ。世界的には、米アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞受賞した2009年に反響が巻き起こったいわくつきの映画。

 この「イルカと生きる」は2008製作で、まだ、「ザ・コープ」騒ぎの前に一度放送されたものを騒ぎが落ち着いたいまごろになって深夜、放送したというわけだ。場所は、ミャンマー(旧ビルマ)の大河、エーヤワディ河(イラワジ河)。

 今回の映画を見ると、イルカと漁師とが、互いに息を合わせるというか、コミュニケーションをとりながら〝共同〟で川魚を追い込む。小船に乗った漁師の投網のタイミングをイルカが合図している様子が、見事に映像に捕らえられている。 リーダーのイルカ(カワゴンドウ)が尾びれを水面に出し、「用意して」と小船上で待ち構えている漁師に合図したり、次にはこれまた背中を水面に出して「ついてきて」と小船を魚の群れに誘導したりしていた。魚群を複数のイルカがほどよく追い込んだところで

 「投げて」、今だといわんばかりに尾びれでタイミング

を出し、投網が行われる。

 一方、漁師のほうも、小船のへりを

 細長い円錐形の棒

を片手で軽くたたいて、「一緒にやろう」などと水中のイルカに船の様子ややり方を伝えているらしい。この投網方法では、通常の三倍もの収穫があるという。

 こうした共同漁法は伝統漁法らしいが、イルカにとっても、投網から漏れた魚にありつけるので相互に利益があるらしい。

 この様子を見ていると、

 イルカと漁師、つまり人間とは互いに信頼しあって共同作業をし、相互に利益を得ている

という感じがする。 ただ、この方法は、イルカのペースに合わせて漁をするので、どうしてもその日の収穫にばらつきが出てくるのは避けられない。最近では現地でも、安定した収入が得られる農業が重視され始めており、伝統魚法(季節漁)は、政府によって漁法を保護する政策はとっているものの、廃れる一方らしい。

 このドキュメンタリーの最後に、ベテラン漁師が

 「イルカに失礼なことはするな」

と訴えていた。電気漁法に怒りをあらわにしていた。この漁法は水中に電流を流して(高値で売れる)魚を感電させ気絶させるもので、時にはこれにイルカもやられるらしい。この方法は違法だが、簡単に魚が取れるので後を絶たないという。

 そんなこんなで、最近では、電流を恐れてか、イルカは段々この河にやってこなくなったらしい。それだけ、イルカは賢いのだろう。

 このほか、ドキュメンタリーでは、父から子へ、人間の方の世代交代の難しさを伝えていたが、同時に、イルカの親子もまた、世代交代の訓練を水中でしているような様子を紹介していた。

 ほとんどの人が見なかったであろう深夜番組のさりげないドキュメンタリーだったので、少し詳しく内容を紹介した。

 ミャンマーでは、絶滅の恐れのあるイルカの保護とともに、伝統漁も免許許可制にして、伝統を守ろうとしている。

 イルカそのものの捕獲については、日本では太地町以外にも、もう一か所、伊豆の伊東市でも水産庁が設定した漁獲枠内で「イルカ追い込み漁」が毎年9月から3月までの季節行われている。ただし、ここではこのところ、ほとんど捕獲はされていないという。

 人と意思が通じ合える「イルカに対して失礼にならない」よう、追い込んだ上での残酷な撲殺を禁止するなど、伝統漁法とはいえ、時代にあった改善が必要ではないか。少しオーバーに言えば、イルカの尊厳を気遣ったやり方があるはずだといいたい。それを重んじるのが伝統漁法のいいところではないか。

 深夜番組を見終わって、改めてそんなことを気づかせてくれた。(2011.09.27)

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大水惑星、グリーゼ581g発見の意味

(2011.09.25)  去年のいまごろだろうか、太陽系からわずか20光年のところにある太陽系外惑星系、グリーゼ581(中心星は、太陽より表面温度が低い赤色星)に

グリーゼ581g

という水惑星が見つかったと、天文学者のS.ボート教授によって発表された。天空での大まかな位置は、真夏に南の水平線近くに見える「夏の大星座」、さそり座の赤い主星、アンタレス東側付近(正確には、てんびん座)。太陽系に一番近い星まではわずか4光年だから、これはちょっと外に出るとすぐこんな惑星が見つかるような状況だ。

 この星、全体の質量の半分が水という大変な惑星(地球の場合、水は全体の0.1%もない)であり、気温も摂氏±20度前後と地球と似ているらしい。いかにも地球と同じ「生命の星」と言いたいところだ。

 ただ、あまりに水が多くて大陸のような陸地はないらしい。大気もあるが、地球のそれに比べて100倍も濃くなっているそうだ。もはや気体というよりも液体大気だ。

 先日、NHK番組(コズミック・フロント)で紹介されていたが、それでも、多様な生物が生息しているだろうと解説していた。海中と、大気中を浮遊する

 空中浮遊生物

と名づけられた生き物が満ち溢れおり、地球よりはるかに〝にぎやかな〟空となるらしい。

 こうした惑星の発見の意味を考えて気づいたのだが、太陽系にこんなに近いところに太陽系外惑星系があり、しかもそこには地球環境によく似た惑星があるとすると、これは偶然の出来事ではありえず、

 宇宙全体には、第二の地球は数多くあり、普通の存在

ということを意味するだろう。

 しかし、そのことが直ちに、宇宙に生命が満ち溢れているということを示唆するものではない。似た環境はたくさんあったとしても、そこから、私たちが考えている意味での生命が、生まれるかどうかはただちには推論できない。生命が生まれるのは、きわめてまれな現象かもしれないのだ。ハードルは高いとする生物学者は多い。

 また、たとえ、運良く、まれな現象として生命が生まれたとしても、それが、長い時間をかけさえすれば、必ずいつか、人間のような知的な生命に進化するはずだともいえないのだ。

 そんなことを考えるのも、もし仮に宇宙には人間のような、あるいは人間よりはるかに進歩した知的な生き物がたくさんいるとしたら、直接地球にやって来ないまでも、その知的な生物からこの50年以上、地球に何の連絡も、なぜ寄越さないのだろうかという

 「フェルミのパラドックス」

が解けないのだ。

 そんなことを考えながら、今回のニュースに接して丸1年、暇に任せて、改めて、愛読書

 『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由』(S.ウェッブ、青土社、2004年)

を読み返している。

 宇宙は謎に満ちている、というか、考える楽しみに満ちている。(2011.09.25)

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R.ゲラー「日本の地震学は改革の時」

(2011.09.23)  今回の東日本大震災で

 日本の地震予知は、出口(解決策)のない迷路にはまり込んでしまったのではないか

という気がしはじめていた。そんなおり、今の科学あるいは技術水準では、地震予知はできないとはっきり主張するR.ゲラーさん(東大理学部大学院教授、地震学)の近著

 『日本人は知らない「地震予知」の正体』(双葉社、2011年)

を読んだ。ゲラーさんは、主張を科学的な根拠を明示して日本の地震学の問題点を指摘している。それだけでなく、どう改革すべきかも提言している。いわば告発の書であり、警告の書でもあるが、提言の書でもある。国内ではほとんど孤立無援、四面楚歌のような状態の中で、この20年ぶれることなく一貫して言い続けてきたことの総まとめがこの本。今回、それを初めて日本語でその主張を日本人向けに語りかけてくれた。勇気ある好著だと思う。

 予知研究が国家レベルで始まったのは「地震予知の現状とその推進計画」(1962年)という、いわゆる「ブループリント」からであり、来年は50年の節目である。

 そこで、一度、過去の経緯や人間関係や人事のしがらみが多い日本人の目を離れ、つまり、東大地震研究所などの言い分、シナリオを離れ、日本で地震学を研究する外国人の目には、日本の地震学はどう映っているのか、東日本大震災から半年が過ぎた今、真摯に耳を傾けてみたい。

 実は、この近著の元になっているのは、英科学誌「ネイチャー」(2011年4月14日付国際電子版)に掲載された同氏の

 日本の地震学、改革の時

である。論文では「日本政府は、欠陥手法を用いた確率論的地震動予測も、仮想にすぎない東海地震に基づく不毛な短期的な地震予知も、即刻やめるべきだ」と主張している。

 重要な指摘も多いので、ここで少し詳述しておく(一部、言葉を補って抜粋)。

 まず第一。予知できなかった阪神大震災が起きる前までは、盛んに予知という言葉が使われた。この場合は、地震が起きる前に何らかの前兆現象が観測機器に検知されるはずであり、その前兆をとらえて予知する手法が主流だった。これが阪神大震災後は「前兆現象をとらえての予知は困難」(国の測地学審議会地震火山部会「レビュー」1997年6月)との結論が出てからは、予知という言葉に代わって、政府部内でも地震調査研究推進本部というように予知を調査に言い換えるなど一歩後退した。想定東海地震を除いて、地域ごとの固有地震の前兆現象をとらえての予知はあきらめたのである。

 前兆による予知については、1970年代から1980年代前半、世界的にも注目されたが、前兆報告なるものが前兆を示すものではなく誤りであることを、1970年代後半には世界の大半の研究者は認めているという。虚偽報告というよりも、同じ前兆が現れたとしても、それが地震に結びつくこともあれば、結びつかないこともあるということであろう。決め手に欠くということだ。

 それに代わって登場したのが、個々の地震を離れた、

 ゲラー氏のいう「確率論的地震動予測地図」

である。危険度マップであり、想定東海地震は最も危険度が高い地域とされている。「東南海」「南海」なども、切迫度はそう高くないが、近々発生する危険度は東海地震と同程度に高い。

 しかし、ゲラー氏は、皮肉にも、この30年、この予測地図でリスクが低いとされた地域に10人以上の死者を出した地震が多く発生しているのに対し、逆に高リスクの地域ではそうした地震は起きていないという矛盾を図示、予測地図づくりの方法論に(重大な)欠陥があると指摘している。

 第二。同氏は「世界の地震活動度と、(よく知られ、記録も相当そろっている1896年の明治三陸津波など)東北地方の歴史地震が考慮されていれば、時間、震源、規模の特定は無理としても、今回の大災害は一般に容易に『想定』できたはず」であり、福島第一原発の建設時に想定内のものとして考慮できたと批判している。つまり、今回の大災害は、想定外のものではないというわけだ。うがった見方をすれば、今回のは人災だとも受け取れよう。同氏は、明示的には主張していないが、あるいは防止できたはずであり、これまでの政府や研究者の対応を批判する文脈になっている。

 第三。予測地図で、ほかの地域に比べてリスクが最大クラスになっている想定東海地震については、発生するはずだという信念は

 地震空白域=大地震発生地域

という仮説が前提になっていることだ。この前提は正しいかと、同氏は疑問を投げかけている。同氏によると、この30年間、世界でこの仮説は一度も専門家によって厳格に実証されたことはないという。(仮説が正しいとしても、東海沖には、大地震を引き起こすほどの大きな空白域はないとの指摘も日本人研究者の最近の再解析でわかりだしている)

 こうしたことから、ゲラー教授は、今こそ、前兆論的手法であれ、確率論的手法であれ、今の科学や技術水準では、予知は不可能であることを率直に国民に伝えるべきだと結論付けている。

 さらに踏み込んで、日本列島では全土で地震の危険にさらされているという認識のもとに、東海地震を想定した「大規模地震対策特別措置法」(1978年)は廃止すべきであるとも言及している。つまり、東海地震予知体制の廃止を提言し、研究者は全国のあらゆる地震について「想定外」に備えることを政府に勧告しなければならないと訴えている。

 最後に、教授は、地震と前兆現象には必ず一対一の対応があるという幻想を捨て、物理学の法則に根差した基礎的な研究に力を注ぐことや、予算配分など官僚主導の研究体制を改め、厳密に精査された優れた研究者による地震研究を今こそ再建すべきであると締めくくっている。

 異論もありそうだが、ゲラー教授のいう「日本の地震学は改革の時」という主張に、賛同する人、真摯に耳を傾けようとする人は、ブログ子のみるところ、日本地震学会の中にも、いる。(研究費獲得に不利になる不安から表立って立ち上がれない)声なき声といわれる人まで数えれば、良識ある研究者は決して少なくはない。

 ブログ子の提案だが、阪神大震災後に深い反省の元に出た「前兆現象をとらえての予知は困難」という14年前の「レビュー」の「再レビュー」を地震学会や日本学術会議が中心となって検証することを求めたい。そこから、ゲラー教授の言う改革の基本方向や具体的な取り組みが明確になる。同時に、予知に対する国民の共通認識も生まれてくると考えらないか。

 なお、日本人研究者で、これまた一貫して「(前兆をとらえての)予知はできない」と訴えている一人に、

 『公認「地震予知は」を疑う』(柏書房、2004年)の著者、島村英紀・北海道大学地震火山研究観測センター所長がいる。この本で、同氏は、なぜ地震予知はできないのか、詳述するとともに、ゲラー氏同様、大震法の問題点を突いている。

 同時に、この本では、予算配分などで東大など旧帝大系の横暴を告発している。島村氏自身が東大理学部出身者であるだけに、この指摘は鋭い説得力を持っている。また、ゲラー氏の指摘する「しがらみ」、たとえば大震法の裏側などの具体的な弊害がわかって面白い。(2011.09.24)

 〝正統派〟の東大地震研究所の言い分、シナリオについては、

 前東海地震判定会会長、溝上恵(東大地震研OB)

の記事、「巨大地震はそこまで来ている 東海地震勃発へのシナリオは第四期に突入した」

に詳しい(月刊誌『文藝春秋』2000年11月号)

 この記事で、同氏は「M8クラスの東海地震が発生する条件がほぼ整ったことは間違いない」と断言した上で、さらに大胆に、1999年8月頃からは、フィリピン海プレート内の地震にも静穏化が現れてきたとして、想定東海地震は現在(2000年11月)の状況をシナリオで言えば第四期の始まりではないかと判断した。その上で、予想される東海地震は

 「巨大地震の前の静穏期に入ったと考えることができる」とまで踏み込んでいる。

 静穏期がどれくらい続くか、については、同氏が判定会会長としてまとめた資料

 「東海地震を巡る最近の情勢について」(2000年7月、静岡県内自治体に配布)

によると、東南海地震(1944年)で2年くらい、南海地震(1946年)でも2ないし3年。関東大震災{1923年)でも、それくらいだ。

 確かに、想定東海地震でも、1999年夏から4、5年は静穏期があったことは知られているが、2011年夏現在、いまだ想定された東海地震は発生していない。想定では、2003年か、2004年には発生していてもおかしくない。事実、当時、「日経サイエンス」(下記《蛇足》参照)などで何人かの専門家がそう警告していた。

 この原因は何なのだろう。単にシナリオに少し狂いが出ているのだろうか。それとも、そもそもシナリオ自体が虚構のものなのだろうか。そこまできているとされた地震はどこに消えてしまったのか。

 こう考えてくると、今回のゲラーさんの指摘に、真剣に耳を傾け、日本の地震学の現状について虚心に検証してみる価値は十分にある。(2011.09.24)

 参考 2011.09.25 想定震源域内の浜名湖・遠州灘付近・周辺に住んでいて

 最近、住民がぎくりとした地震は、2011年8月12日に発生した遠州灘を震源とするM5.2の地震(最大震度2)。最初、気象庁(地震予知情報課)は、日本列島が乗っているユーラシアプレートとその下にもぐりこむフィリピン海プレートの境界(地下14キロ)で発生したと発表した。これだと、東海地震に直ちに結びつきそうな地震だ。しかし、その後、地震はもっと深い15キロのところで発生したと修正。これだと、日本列島の下にもぐりこんでいるフィリピン海プレートの内部で起きた地震であり、「想定東海地震と、ただちに結びつくものではない」(気象庁)ということになる。

 ブログ子は遠州灘に近い浜松市内に住んでいるので、気象庁の訂正にホッとした。ただ、注目したいのはこの地震が、想定震源域内の遠州灘付近で発生したM5クラス以上の地震としては1997年10月11日発生以来、14年ぶりの地震だということだ(このときの地震は、まさしく、気象庁によると、プレート境界型のものだった)。

 修正前の段階では、いよいよ遠州灘付近では(長すぎた)静穏期が終わり、プレートとプレートの固着域が一気にはがれ始めるという新たな段階(溝上シナリオでは、発生の2-3か月前の第5段階)に突入しだしたのか。とするとまもなく東海地震が発生するのではと、感じた。東海地震は単独では起きない、起きるとすればほかの「東南海」などの巨大地震との連動だと歴史地震の研究成果から確信しているブログ子ではあるが、このときばかりは不安を感じたものだ。

 蛇足 2011.09.25

 東海地震はいつ発生するか、というについては、

 月刊科学誌『日経サイエンス』(2002年10月号)特集どうなる東海地震

にくわしい。当時、日本地震学会でも話題になっていたことから特集が組まれたらしい。

 発生予測については、 

 3つの異変が示す早期発生の可能性

と題した、防災科学技術研究所の松村正三氏(固体地球研究部門副部門長)の記事が興味深い。同氏は、東海地震が想定される地域の地震活動の変化に注目する研究で科学技術長官賞を受賞している。

 この記事のサマリーよると、複数の研究者の成果を紹介し、総合すると「2005年ころに東海地震が発生する確率が高い」と結論付けている。

 詳しくはこの論文を読んでほしいが、

 地震活動の低下という異変をとらえた研究から、発生は2004-2006年

 いわゆるスロースリップの動きの異変から、発生は2002-2004年

 御前崎沈降鈍化という異変から、発生は2005年ころ

 以上は、物理学的な手法での予測だが、ついには、当時、地震関連学会では数学的手法での予測も発表されており、この記事にその一部が紹介されている。

 御前崎水準点変動のフラクタルモデルから、発生は2004年3月±約1年

 微小地震発生数のゆらぎから、発生は2005年4月±約0.5年

 固着域のフラクタルモデルから、発生は2007年8月誤差マイナス5.5年、プラス2.8年

    つまり、早ければ2002年早々にも発生するか、少なくとも2010年までには発生

 こうした数学理論に基づく発生予測の有効性は未知だと松村氏は指摘している。

 以上の結果から、2011年9月現在から考えると、数学理論からも物理学的な予測からも、(幸いにして!)発生時期は当たらなかったことは、皮肉にも間違いない。

 これが、ブログ子が

 地震予知が出口のない迷路、つまり、袋小路に入っているのではないかと危惧する理由である。(2011.09.25)

 

 

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老兵の意気軒昂、いまだ衰えず

 (2011.09.22)  ブログ子も「敬老の日」の対象者の仲間入りをしたというのに、先日の9月19日(月)がその日だったことをすっかり忘れていた。毎年、記念日が変わるのもどうか、と思うようになった。

 ところで、最近の週刊誌を読んでいて、びっくりするような高齢者を紹介するのがいくつか目に付いた。ブログ子もそんな中から、「下山の時代」に生かしたいと心に誓った記事を紹介する。

 一つは、

 ある老科学者からの伝言 岡野眞治博士84歳

という「週刊現代」6月4日号の記事。記事によると、岡野氏は「独自に開発した計器を引っさげて身体を張って汚染地域を調べる第一人者」で、これまでビキニ、チェルノブイリ、福島第一原発事故の放射能汚染の現場を調査してきたという。

 まずもって、その精力的な行動力に驚くが、今も開発した計器を車に積んで自ら汚染地帯を運転するなど、現役で活動しているというから、驚くばかりだ。NHK教育「ETV特集で大きな反響があったらしい。

 そこからわかったことは、福島第一原発の汚染調査では

 公式発表とはかけ離れた放射線量が検出された

ということだ。このことから「安心」「推進」と言いすぎて、原子力の危険性の勉強(放射線量の正しい測定法など)をみんな忘れていたと批判しているのは的を射た指摘であると思う。

 84歳にして、博士は「日本の放射線測定の面倒を見なきゃいけないなという気持ちがあります」と意気軒昂に笑っている。

 終戦の年、電波科学専門学校(現・東海大学)に入学、1948年卒。その後もエリートコースを歩んでこなかったことが、気骨の科学者になった原因だろう。老兵いまだ日暮るるに遠し。

 もう一人は、

 98歳伝説の灘校教師、橋本武 奇跡の授業

という記事だ(「週刊ポスト」6月24日号)。記事によると、文庫本『銀の匙』(岩波文庫)を3年かけて読み込む-ただ、それだけで公立のすべり止め校を「東大合格日本一」にした。教科書は一切使わない。同校の方針、中高一貫の6年間持ち上がりだからこそできる教育なのだろう。

 同氏が『銀の匙』を選んだ理由として「国語力は生きる力、子どもたちに学ぶ力の背骨を身につけてほしかった」

 同氏には、すべての学力の土台は国語力であるという信念があるのだろう。同感だ。

 国語教師として50年間立ち続け、27年前に教壇を降りた。しかし今でも、毎朝7時に起きて、午後は文化教室の教壇に立つ。午後7時に夕食。それから深夜一時まで『銀の匙」研究の〝勉学〟に励む。妻を亡くし、一人暮らし。

 たくましく生きるとはどういうことか。そんなことをこの本で教えてきた橋本氏だが、しかし、同氏の生き方自体がその生きた見本のような気がした。日暮れてますます意気軒昂とはこのことだろう。(2011.09.22)

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映画「第三の男」を聴き直す

(2011.09.14)  ブログ子も満63歳の誕生日を迎えて、本格的な、いわゆる

 「下山の時代」

にはいった。ふとしたきっかけで、生まれたころ、つまり、1948年10月に製作が始まった

 映画「第三の男」(公開=1949年、イギリス)

を見る気になった。著作権が切れたせいか、DVDでわずか500円だった。大戦後の荒廃したウィーンの街、それも夜、あるいは下水道の当時の実写が使われており、それだけでも貴重な映画らしい。かつて、大学生のころ、一度見ているが、

 四カ国共同管理の戦後のウイーンを舞台に、闇商人、ハリーライム(オーソン・ウェルズ)の謎の交通事故死を追うという筋書き。遺体を運んだのは2人。しかし、事故死を追う友人、ホリーはもう一人、その場に「第三の男」がいたことをつきとめるというサスペンス映画。

 もともとのシナリオにはなかったラストシーンのすばらしさは、この映画を不朽の名作にしている。逃げるハリーが下水道から地上に這い上がってくるときに、地上の枯れ葉がほんのかすか石畳にこすれる音が、チターの音とともに聞こえてくるという、ゾクゾクとする場面もあった。そのほか、ハリーが初めてスクリーンに登場する猫が靴をなめる場面など忘れることのできない映像があり、仕上げもていねい。若き日には気づかなかった面白さを深夜仕事が終わった後、一人で冷酒を飲みながら味わった。そして、映像もさることながら、気づいた。

 「第三の男」は、チターの爪弾きにある

ということを。森のささやきとまで言われたチターの音色が、アントン・カラスの手によって、サスペンス映画の

 ハリーライムのテーマ曲

にもなることを。

 この映画に携わった俳優も、製作に携わったリード監督などのスタッフも、今はすべて鬼籍に入ったと聞かされて、誕生日の夜を一人、しんみりとした。

 「登山の時代」に一度見た映画を、数十年たった「下山の時代」にもう一度見る。映画の内容は同じでも、見る側の人生が大きく変わっているせいか、新しい感慨、感覚を覚えるものだ。

 映画は一本で、二度おいしい

そんなことに気づいた。それと、今回の映画で

 映画を聴く

という表現があってもいいと思うようになった。(2011.09.14)

補遺 2011.09.17

NHKハイビジョン特集(2004年10月)の

 「追跡「第三の男」

の映像を見て、驚いた。この番組は、どういう経緯でこの映画がつくられたか、また、その撮影秘話などを紹介したものだったが、この映画にチターが使われた経緯が語られていた。リード監督たちが現地ウイーンロケでパーティを開催した。会場の片隅で、チターが演奏されており、これがリード監督の目に留まったらしい。なんという楽器か撮影関係者は誰も知らなかったが、やがて、それがチターだったというエピソードで、リードはこの楽器でテーマソング、

「ハリーライムのテーマ」

をつくったという。

 もう一つ、この追跡で驚いたのは、当時アントン・カラスが爪弾いていたチターという楽器そのものの形。四角、そう現在のノートパソコンくらいの大きさで、長方形だったことだ。現在のような優雅な丸みはおびてはいない。いかにも民族楽器らしい素朴な形だった。

 民族楽器がほぼ全編に流れる映画に

 「ドクトル・ジバゴ」(デビット・リーン監督、1965年)がある。そう、ロシア・ウクライナ地方の民族楽器、バラライカだ。胴体が三角形の三本弦のギターのような形をしている。この楽器によって

 「ララのテーマ」

として知られるように、映画を詩情豊かに仕上げている。

  いずれの映画も、古きよき時代の作品だ。

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放射性物質の広がり 3.11から半年

 (2011.09.11)   3月11日の東日本大震災で、ある程度全容を見通した上で、きちんとした議論ができるベースになる記事がようやく、9月11日付朝日新聞朝刊に出ている。点でも線でもない二次元的な面データがあってこそ、どこが汚染地域であり、そこの汚染物質を取り除くなどの有効な対策づくりになる。

 9月8日に文部科学省が公表した航空機を使って測定した放射性セシウム134、137のデータ(測定は8月2日)だが、チェルノブイリとの比較、降雨と放射性雲の分布の時系列にそった変化、その時系列ごとの空間線量分布である。その結果、8月2日現在、セシウム134、137が地表にどの程度蓄積されているのかなどのデータをベクレル単位で、カラー4ページで特集している。

 津波の襲来や、原子炉建屋の水素爆発の状況なども時系列にそって書き出されていて一覧できるように構成されており、わかりやすい。さらには、事故発生から3月15日までの政府の動き、東電の動きも時刻ごとに書き分けられていて、事故はどう進んだかがわかる。

 たとえば、原子炉を格納している容器(格納容器)が破壊されるのを防止するため、格納容器内の放射性物質を大気中に排出する「ベント」が事故発生2日後に実施された状況がわかる。これにより、発電所の外に汚染地域が広がりだしたが、ベント実施時の風向、降雨などの気象状況が最悪のタイミングで行われたことがわかり、汚染地域を最小限に抑えることはできなかった。

 記事によると、汚染地域はチェルノブイリ事故の約18分の一であり、約3万ベクレル/平米以上の汚染地域は約8000平方キロにも達した。驚くべき広域であり、過去の公害の事例を単純に適用すると、土の入れ替え作業など「兆」単位の汚染除去費用がかかるだろう。

 一方、人体へのトータルな放射線被害については、事故を起こした原発から30キロも離れているのに浪江町では、どの測定地域よりも極端に高く、今でも、なんと、

 毎時15.5マイクロシーベルト

もの放射線が検出されたという。これを単純に年間に換算すると

 年間約155ミリシーベルト

となり、一般人の年間許容量(約1ミリシーベルト)をはるかに超えてしまっている。精密検査など厳重な健康管理の条件付で、関連労働者に限って許されている限度量、年間約200ミリシーベルトに近い。この地区の汚染除去が急がれることがわかる。

 この高い線量については、事故後1カ月以上たった4月下旬の浪江町では毎時約20マイクロシーベルトと現在よりも高い数値だったが、現在でも、この数値はそう大きくは減少していないのが心配だ(「週刊現代」6月4日号、「フクシマの放射線汚染を現地調査した老科学者からの伝言」より)。

 とすれば、この地区の住民には、健康管理対策をしっかり行わなければなるまい。このままでは、7、8年で健康被害が出始めるとされる総線量、1000ミリシーベルトに達してしまう。短期には症状が出なくとも、長期には、がん発生率がこの地区ではほかの地域に比べて明らかに高いという事態にもなりかねない。

 対策を急ぎ、チェルノブイリの悲劇を繰り返してはならない。カラー特集はそんなことを警告している。

 追記

 かつてのJCO臨界事故(1999年9月)で瞬間的におよそ10シーベルトを浴びた作業員に対する壮絶な放射線障害治療の記録

 『被爆治療83日間の記録』(NHK取材班、岩波書店)

を、この11日の日曜日改めて読み直してみた。目を覆いたくなるような被爆治療の記録を見て、つくづく思うのは、

 被爆治療を統括的にできる組織

を早く確立することだと感じた。JCO事故時もこのことは叫ばれたが、今もって実現していないのは残念だ。

 なぜこうした対策が進まないのか。それは、原発は安全だという信念、考えから、そんな施設は要らないという論理、というか神話がまかり通っているからだ。 今回の事故はこの神話を事実でもって葬った。

  追記

 9月11日付の主要全国紙と地元紙の静岡新聞(共同配信)の震災特集を比較すると、朝日新聞は上記のように、数字で事実を伝えようとしているのに対して、ほかは、お定まりの安易で、情緒的な大見出しが踊っていて、ほとんど読む気がしなかった。

 たとえば、見開き大見出し「不安消える日いつ」(毎日)

                                     「思い続ける」「見つめ続ける」「あなたを」(毎日)

というのではあまりに、安易。ステレオタイプの新聞づくりだ。

                 「笑顔 明日への力」(読売)

  被災者アンケートを読売新聞は実施しているが、見開き大見出しは

 「仮設後展望開けず 家族離散 深い孤独」(読売)

  これではあまりに、ステレオタイプ。被災者の生の声をもっと大見出しに。

 新聞ではないが、「つなみのバカヤロウ」。津波で母親をなくした小6生の兄と、小2生の弟。弟が描いた津波バリヤーの絵。その裏に、兄は紙一杯に「つなみのバカヤロウ」と書いた。その無念さを思うと涙なしには読めない「週刊現代」6月4日号のカラー特集だ。

 さて、ほかの全国紙でも、

 「息吹 再び」(産経)

   これもひどい。しかし、産経新聞には、ブログ子をうならせる冷静な記事もあった。

 「巨大地震の謎は解明できたのか 浮上したスーパーサイクル説」

という読み応えのある一ページ特集。東北地方では700年サイクルでM9地震という東大地震研の学説を紹介。西日本でも、このブログでも先日取り上げた「四連動説」巨大地震について解説していた。

 そうした冷静な知るべき情報があるかと思うと

 「希望」と「不安」の同居

というような大見出しが踊っているのは残念だった。

 地元紙、静岡新聞(共同通信配信)では、

 「皆さん今日も がんばっぺ !」

と東北地方の方言を大きく見出しにとっている。安易で、無責任な記事だ。

 しかし、沿岸3県37市町村 被害と復興

と題して、きめ細かく、しかも、具体的に数字で現状をまとめた一ページ特集は地味だが、新聞の使命を果たした企画記事だと思う。

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楽器の街、浜松 チターを聴く

 (2011.09.10)  朝夕、ようやく涼しくなってきた夕方、浜松市楽器博物館でチターのレクチャーコンサートが開かれるというので、博物館見学と合わせて、聴きに出かけた。

 ヨーロッパでは馴染みの民族楽器も、日本やアジアではそうそう生演奏は聞けないらしい。演奏者は、本場で正式な奏法を学んだきわめて数少ない日本人の一人で第一人者の内藤敏子さんだというので、期待して出かけた。そのほか、何人かの女性演奏者との合奏も楽しんだ。

 チターとはどんな楽器かは知らなかったが、その繊細な音色は

 キャロル・リード監督の映画「第三の男」のテーマソング

として世界中で知られている。演奏会でも、映画の中で奏でられた曲をメドレーで聞かせてもらった。

 広い音域が出せるチターの特徴を生かして作曲されたチターのための名曲

 「心への道」(作曲=G.フロインドルファー)

 も内藤さんの独奏で聞かせてもらった。会場にはファンが100人ほど。

 そのほか、チターがドイツ、オーストリア、スイスなどヨーロッパアルプスのふもとで150年ほど前に生まれた民族楽器だったこともあり、 

 雪山のレントラー

 古き都ミュンヘン

 わが夢の街ウィーン

というのもあった。

 演奏聴いて、まず、思ったのは、そのやさしい音色から

 チターは女性のための楽器

ということだった。そのせいか、合奏に参加した10人くらいの日本人のチター奏者はすべて女性であり、現地の民族衣装を着ての演奏だった。

 ふと、この楽器で男が演奏したらどんなイメージ、曲想になるのか、演奏中に想像したのだが、どうもイメージがわかなかった。アルプスの現地では、男性もチターを演奏している写真があるのだから、もちろん男性が演奏してもいいのだろう。日本だって男が琴を爪弾いてもいいが、ほとんどが女性なのと同じではないか。

 つまり、楽器には、その特徴にふさわしい性別がある。男の楽器、女の楽器というふうに。そういえば、会場の聴衆の9割は女性だったのも、うなづける。

  チター演奏を聴いて、

 楽器にも性別がある。そんなことを知った。

 それなのに、映画「第三の男」では男性のA.カラスが力強く、ウィーンの街中の夜を中心にしたミステリー犯罪映画にこのチターを使ったのは、カラスの演奏技量の高さや監督の慧眼だけではないだろう。

 この楽器の持つ奥深さ

を監督は、カラスの奏法に誘発されて、直感したのではないか。つまり、単なる「森のささやき」「森の優しさ」(パンフレットのうたい文句)を表現するのに適しているだけではないことにリードは気づいたのだろう。

 そんな思いで、もう一度、映画を見直してみたい。

 蛇足だが、世界の楽器収集博物館としては国内唯一の公立の浜松市楽器博物館には、展示してあるものだけで、現在、1200点もある。

 チターは、日本で言えば、琴のような民族楽器なのだろうが、構造は少し複雑。5本の弦でメロディをつくるギターのような部分と、30本以上の伴奏弦からなるハープのような部分から成り立っている。これで、6オクターブというピアノ並の音域が出せるらしい。

 博物館の展示品には、これとは逆に、

 弦一本のダン・バゥ(ベトナム)

というのもある。左手で弦を張る強さを変えて、音の高さを調節しながら、右手でとても細い弦を爪弾く。

 そのほか、

モンゴルの馬頭琴、中東の音楽にはつき物の

イランのサントゥール

という弦楽器も展示されていた。いかにもイスラム音楽を感じさせる楽器。大きさは、チターと同じくらいなのだが、形がチターのようなやわらかい丸みをおびてはいないで、台形の木箱。チターのように、指で爪弾くのではなく、独特の形をしたばちでたたいて音を出す。そこから、あの乾いたイスラムの音色が聞こえてきた。(2011.09.09)

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生物の「寛容」性  9.11から10年

 (2011.09.10)  世界的な免疫学者、多田富雄さんが、旅先の金沢で脳梗塞で倒れたのは同時多発テロの起きた年、2001年の5月(2010年4月に肺炎で死去)だった。先日、NHKはプレミアム「100年インタビュー」でその倒れてからの多田さんの闘病の様子を縦軸に、

 「病気になって初めて生きることの実感を持ったこと」

 「リハビリは6カ月で中止は死の宣告であり、許せないこと」

 「(倒れた直後の一時期は死ぬことばかりを考えていたが、リハビリなど治療が進むにつれ立ち直り)寛容の世界があるかぎり、絶望はしない、と決意したこと」

 「生物や人間には、自己と他者とを区別し、非自己を攻撃するという免疫システムが巧妙な形で組み込まれているが、時には区別しても他者への攻撃をせず、自己と他者とを共存させる寛容性も持っていること」

 などが三宅民夫キャスターによって語られた(放送は8月26日)。

 寛容とは、自己とは違うものとして、他者をことさらにとがめだてせずに、その存在を認めて、互いの利益と生存を図るためになんとか共存することである。生物には、この考え方が免疫システムにはあるという。たとえば、劇症肝炎は免疫システムの非寛容性の結果であり、慢性肝炎は寛容性の結果だという。肝炎ウイルスを患者の体内に生かしたまま肝硬変、肝臓がんなどへとゆっくりと進行することで、互いに生存を何とか確保する。

 この番組は、多田さんの死後にまとめられたので、なかなか多田さんの真意が今ひとつ伝わってこないので、多田さんの闘病記

 『寡黙なる巨人』(集英社)

を読んでみた。

 本のタイトルとなった寡黙なる、そして鈍重なる巨人とは、脳梗塞で倒れた後の自分のことをさす。リハビリにより、脳は元に回復するのではなく、新しくつくりだされた「もう一人の私」をつくりだす。しかし、これはこれまでの私とは別ものなのだと書いている。自分の中の他者とも書いている。その巨人は、リハビリをいくらやってもなかなか思うように体を動かせない「のろまで、醜い」という。

 多田さんの場合、脳梗塞で倒れて以後、その後遺症で、言葉も話せなくなった。だから、この巨人は、言葉もしゃべれないのだ。孤独だ。しかし、いやおうなく、これから一生付き合っていかなければならない相手だとものべている。脳には、再生能力が備わっているが、そうして再生した人間というのは、元の自分ではなく新たな自分であるというわけだ。いかにも、能にも造詣が深い多田さんらしい表現である。

 多田さんは、そうした考え方、つまり、生物の世界の寛容性とのかかわりで、同時多発テロについても、この寛容性こそ互いの民族が生存していくためには大事だと考えていたようだ。妥協を許さない非寛容の世界には絶望しか残らないというわけだ。

 最近、同時多発テロの首謀者と見られているビンラディン容疑者が米特殊部隊に暗殺されたことを示す映像が大きな反響を呼んだ。これを手放しで喜んでいるアメリカの若者たちの映像も流れていた。復讐心に燃える気持ちはわからないわけではないが、民主国家、アメリカの非寛容性を見る思いで、残念だ。

 あるアメリカの高名な国際政治学者が、同時多発テロ発生直前に

『文明の衝突』

という浩瀚な著作を公にし、注目された。

 これに対する多田さんのメッセージとは何か。

 いがみ合うそれぞれの民族が共存を認める寛容性

に希望を託していたのではないか。この本を読んでそう感じた。

 ここまで書いて、ふと日本の歴史を思い出した。

 戦国時代、天下統一への和平には、一切の妥協を許さず、根絶やしの死を敵に強いた織田信長がなぜ、非業の死に倒れたのか。これに対し、同じく、和平の確固たる信念を持ちながら、互いの生存を認めながら、じっと時期を待ち、譲るべきところは譲りながら、ついに、天下の統一を果たした寛容の家康。

 これは日本だけでなく、世界の歴史を見てもいえることである。パレスチナ問題の解決には、アラブとイスラエルそれぞれ共存を認める寛容性が必要なのだろう。

 寛容なき「戦争と平和」は、無限の怨念の連鎖を生み出すという意味で、幻想なのかもしれない。

  明日は、9.11同時多発テロから10年-。

 日本はもちろん、世界は今、内向き志向から脱し、非寛容性に陥りがちな状況を打破することを誓うときではないか。 (2011.09.10)

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作家、城山三郎の孤独とその死

(2011.09.03)  NHKプレミアムで深夜、四年前に79歳で亡くなった

 直木賞作家、城山三郎さん、その生涯ドラマと証言

をみた(肺炎で死亡)。深夜の放送で、眠いのを我慢してみたのだが、

 この番組は何を訴えようとして制作されたのか

という製作意図が見終わってすぐにはわからなかった。駄作だと思った。頭の程度も含めて、ごくごく平凡な専業主婦、容子さんとの結婚生活がつづられているだけで、どうということのない幸せな生活ではあったが、他人から見ればつまらないと感じた。

 しかし、問題は、妻の死のあとの城山さんの心の変化だと気づいた。これこそ、この番組の製作意図ではなかったか。あるいは製作者にも気づかなかった重要な点だったかもしれない。

 つまり、70代の男性独居老人の孤独と死までの7年間の現実

を描いていたのだ。最晩年、城山さんは、そのこどくについて妻にささげる

 『そうか、もう君はいないのか』

という作品に込めて、孤独な毎日と戦いながら完成に没頭していたらしい。生活の雑用をひとりでこなしながら、この作品を書き続けていたことが死後発見された(2008年出版)。これからその割合が急増すると予想される男性の単身高齢者の実例であろう。

 城山さんの直接の死因は肺炎だが、ありあまる財産は持っていても、三度の食事づくりなど孤独な7年の生活に疲れたのだろう。生きるのが面倒になったのが真相のような気がする。

 ここからいえることは、趣味でも、なんでも仕事以外に、老いても打ち込める楽しみがなければ、長い長い時間のある高齢者が孤独を乗り越えるのは難しいだろう。

 この番組で、もう一つ気づいたことがある。城山さんは、名古屋工大の理工学生ということで徴兵志願を猶予されていたが、海軍に志願入隊。特攻練習生として、特攻訓練中に敗戦となった。感受性の強い若者だった城山さんは、おそらくこのときから国家というものに不信感を持つことになった。

 城山さんは、

 文学界新人賞、直木賞(『総会屋錦城』1959、文藝春秋読者賞、毎日出版文化賞、吉川英治文学賞、菊池寛賞、朝日賞など

多くの賞を受けているが、国からの叙勲や文化賞には縁がない。番組を見て断っているからであることを初めて知った。

 城山さんの作品については、『官僚たちの夏』『毎日が日曜日』ぐらいしか読んでいないブログ子だが、この事実は城山さんらしい矜持だと思った。(2011.09.03)

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