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反骨の人 それはどこから生まれるか

( 2011.08.19)   先日、偶然に、NHK「100年インタビュー」を見ていたら、

 96歳のジャーナリスト、むのたけじ

というのを有働由美子アナウンサーが聞き手となって紹介していた。有働さんの聞き方は、はつきりいって的外ればかりだったのにはがっかりした。ジャーナリストではないのだから仕方がないとは言えるが、もう少し、スポーツの場合のように勉強して相手してほしかった。質問のレベルが低すぎた上に、引き出し方も拙劣だった。

 それはおくとして、この人がまだ生きていたのか、というのが、ブログ子の最初の感想だったが、とにかく元気いっぱい、よくしゃべった。戦前は報知新聞、戦争中は朝日新聞記者だった人だ。大本営発表ばかりで、従軍記者として、現地で自分が見たこと、聞いたことを書いてもほとんど「没原稿」にばかりされたのに失望。終戦とともに郷里、秋田県横手市に帰郷。戦争中、国民が知るべきことが少しも大新聞は書かなかった忸怩たる思いがあったから、自宅にかの有名な、地元言葉で本音を書く

 たいまつ新聞社 むのたけじ(武藤武治)

を設立した。週刊新聞だが、家族も手伝ったりして、780号まで出した気骨はたいしたものだ。『たいまつ16年』(企画通信社、1963年)にはそのいきさつがくわしい。

 この人のインタビューを聴いていて、

 反骨のジャーナリスト

という言葉が頭をよぎった。反骨の人というのは、時の権力におもねらず、時の大衆にも安易に迎合しないで、国民が知るべきことを社会に伝えた人

とすると、むのたけじさんは、反骨のジャーナリストというのには当たらない。時の権力というか、時の大新聞社のデスクに従っただけなのだから。それについて、戦後大いに反省して、大新聞の限界を身をもって知って、今、言わなければならないことを自由に発表できる零細新聞社を設立した。それによって社会に与えた影響は何ほどもなかっただろうが、その精神は立派だというに過ぎない。

 戦前の反骨のジャーナリストの代表は、金沢市高岡町出身の

 桐生悠々

だろう。ブログ子の尊敬する言論人だが、その理由については

 『新聞研究』(日本新聞協会)  2004年 3月号  特集 記者読本

を紹介するにとどめておきたい。

 大新聞の限界を知って、反骨のジャーナリストとなったのは戦後では、

 田中角栄研究で知られる立花隆氏(週刊文春記者)

だろう。時の権力と真正面から対峙して、その巨悪を倒した。

 ジャーナリストに限らず、戦後の反骨の人を幾人か挙げてみると、 

 吉田久 大審院民事部裁判官 東条英機と戦った男 福井市出身

 石牟礼道子 作家 『苦海浄土 わが水俣病』 (講談社)  熊本県天草

 原田正純  医師(元熊本大学医学部教授) 『水俣学研究序説』 鹿児島県出身

 猿橋勝子 地球化学者 元気象庁気象研究所所員 第五福竜丸「死の灰」を調査、

        放射性物質が大量に含まれていることを成果に公表した 東京都出身

 吉田久氏については、

 『気骨の判決』(清永聡、新潮新書)

に詳しい。

反骨の人は、大体において、地方出身者、あるいは、エリートコースを歩まなかった人たちから多く輩出している。これは決して不思議ではない。(2011.08.19)

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