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「戦争と平和」にもがいた建設者、徳川家康

(2011.08.29)  このブログで定年後は、ゆったりとして

「下山の時代」をもっと楽しもう

と書いた。賛同者から二、三通のメールをいただいた。下山の時代には先にも書いたように時間がたっぷりあるのだから、現役時代には読みたくてもなかなか読めず書棚にほこりをかぶっていた

 超大長編小説を読もう

と書いた。まず隗より始めよで、この春から

 『徳川家康』(山岡荘八、全18巻、講談社、布張り製の単行本)

を、読み始め、つい先日読破した。

 読後感を一言で言えば、この本を現役時代に精読していれば、もっと仕事がうまくいっていただろうし、もっとましな人間になっていただろうというものだった。それくらいに、現代でも示唆に富む作品であり、著者の人間観を余すところなく、しかも、深く、多面的に描いている。

 一例を挙げると、「人生では何が一番大切かその心得を仰せ聞け下さりませんか」と、民衆のための政治にあたるものの心がけを京都所司代が家康に教えを請うている場面(第13巻、江戸・大阪の巻)がある。

「- 人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くが如しじゃ。急ぐべからず。 (中略)  勝つことばかり知って、負くることを知らざれば害その身に至る。おのれを責めて人を責めるな」

などは、家康の人生に裏打ちされた名言であろう。

「及ばざるは過ぎたるにまさるものぞ」

というのもある。これは普通は、過ぎたるは及ばざるが如し、というところであるが、勝ちすぎはいけないということを諭しているのであり、家康の人生観がにじみ出ている。勝ちすぎは勝ったほうにおごりが蔓延し、かえって身を滅ぼすという意味だ。家康は、大阪の陣でこのことを強く意識し、戦後処理に心を砕いていたらしい。

 これらは、教えられることのほんの一部だ。少し、注釈をすると、この場合の重荷を負うての「重荷」とは何か。家康にとっては、

 武力による斬り取りが正義であった戦国の世から、武力によらない「泰平の世」をどうして築くのか、という変革期の建設者の苦闘をさすことが小説を読み進むうちに浮かび上がってくる。

 破壊者にはない建設者の重荷

なのだ。このことは、明治維新における新国家建設に列国の餌食にならないよう冷徹に心を砕いた大久保利通の重荷

にも通じよう。

 ただ、この大長編は

 武将たちの戦国時代とその終焉

を描いたものであり、女性はほとんど歴史の添え物、「物」としてしか扱われていない。つまり、男性史観に基づく作品である。

 これに対し、最近のNHK大河ドラマ

「江 姫たちの戦国」

は、まったく新しい視点、つまり女性の視点から戦国の世を描いており、この意味で高く評価したい。男性同様、女性も歴史を動かす力があったことを具体的に示しており、優れた企画であると思う。男性史観では歴史の真実は半分しかわからない。

 それにしても、北海道新聞、中日新聞などブロック紙に執筆18年間。この間、読者の関心を引き付け続けた著者の筆力には驚嘆すべきものがある。この小説を読むまでは、山岡荘八氏というは、大衆娯楽小説家だと根拠もなく思い込んでいたが、完全な誤りだったことを告白しておきたい。

 ブログ子は、司馬遼太郎ファンだが、同氏の徳川家康の生涯を描いた上下2巻『覇王の家』(新潮社)などは、山岡氏の超大長編の前では、失礼ながら、影が薄いと感じた。(2011.08.29)

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