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走るトロッコ記者、今も心に残るグリコ事件 

 (2011.07.31)  ブログ子が、京都の大学教員から大阪の夕刊紙記者というメディア界に入って最初に出合った大事件は、すべての時効が成立し、未解決に終わった

 グリコ・森永事件(1984年3月)

だった。入社してわずか2カ月後のことである。大阪府警と大阪府庁回りを始めたばかりのことだった。

 先日の土曜日、この事件をNHKのスペシャル番組の中で、記者たちの取材メモと府警に残されていた捜査資料に基づくドキュメンタリーとドラマで再現した3時間近く費やして検証していた。当時、汽車(記者)ならぬトロッコとして走り回ったブログ子も思い出の事件として〝楽しく〟拝見した。当時、グリコ本部長とも言われ、刑事部長や捜査一課長の上に立って異例とも言える指揮をした四方修元大阪府警本部長もインタビューに応じていた。

 番組を見て、驚いたのは、この未曾有の大事件について、警察内部で、なぜ未解決になったのか、どこに捜査上の問題点があったのか、外部人材も入れた本格的な「総括」がいままで一度もなされていなかったという事実を知ったことだ。すべての時効が成立して10年以上たっても、そうしたことが府警内部で組織として行われなかったのは問題だ。もちろん、個々に当時の捜査員が退職後もこの事件を追う姿は映し出されていた。それはそれで結構だが、府警自体に総括報告書が、<部外秘>にして作成されていないのは、明らかに疑問だ。警察の閉鎖体質が事件解決を難しくしたことは否めない。

 では、番組を見て、そして、当時、いくつかの事件現場に走った者として、なぜ、未解決に終わったのか、当時指摘されていたことも含めて、改めて箇条書きに〝総括〟しておきたい。

 第一は、現場に駆けつけていた捜査員と府警上層部(捜査一課長、刑事部長、本部長)との意思疎通が十分ではなかったことだ。もっとはっきりいえば、むしろ齟齬をきたしていた。特に番組では、現場の職務質問をめぐる齟齬が強調されていたが、当時、現場に走った者として言えば、上層部不信は、この事件発生前から根強くあった。エリート本部長とたたき上げ捜査員の抜きがたい反目。当時、捜査本部に一体感がなかったことは当時の府警に出入りしていた記者なら、よく知っていた。意思の疎通という単純なものではなく、感情的な反目があったと確信できる。このことが、何度も、キツネ目の男など犯人逮捕の寸前まで行きながら、取り逃がす結果を招いたと、結果論かもしれないが、そういえると思う。警察は職階制の特に厳しい組織であったことが事件を迷宮入りにしたといえまいか。

 第二は、事件は県境を簡単に飛び越える高速道路時代が発達しきった時期に発生したのにもかかわらず、警察の捜査は県単位に縄張りがあり、広域捜査に不慣れであったことだ。縄張り意識に固執したことから、合同捜査会議は何回も開かれはしたものの、大阪府警と滋賀県警の積極的な協力捜査体勢が組めなかった。警察庁の近畿管区警察局(通称、近管)もエリート本部長のいる大阪府警に〝遠慮〟して、連絡・調整に終始し、高い見地からの指揮命令ができず、十分な捜査機能を発揮しなかったことも、未解決になった原因だ。

 第三は、捜査の中心は大阪府警であり、指揮命令は一元化されたものの、パソコン時代の前に起きた事件という事情もあり、各県警との

 情報の共有

が未整備だった。一元化は上から下へのトップダウンだった。このことが、滋賀県警の努力が報われなかった原因につながったように思う。一元化はしたが、各県警との情報の共有はなされず、むしろ、一元化は、極秘捜査という名の下に

 情報の制限

になり、犯人にたどり着くことを困難にし、取り逃がすという失態も起きたように思う。この典型が、情報の制限が、メディア各社との長期の「報道協定」にまで及んだのは、ブログ子は当時それほど気にしていなかったが、誘拐以外でこんな情報の制限を警察が要請したのは、やはり異常であり、すべきではなかったと反省している。報道協定で犯人逮捕、容疑者逮捕になっていれば、結果論ではあるが、情報の制限は有効だと報じられたことだろう。

 別の角度からいえば、異例とも言えるほど大量の遺留品があるのに、情報の共有の欠如が壁となって犯人にたどり着けなかったのであり、科学捜査を敗北に追い込んだともいえまいか。

 第四は、当時、ブログ子も痛感していたが、事件の拉致発生から、脅迫、身代金受け渡しなど、一連の犯行は、結束力の強い、しかも訓練されたプロ集団の仕業であるということだ。大阪府警ではそもそも解決が難しい事件だったことだ(もっとも、警視庁でも3億円事件をお蔵入りにしているから大阪府警だけを責めるわけにはいかないかもしれない)。

 番組を見ても、あらためてこのことを痛感した。捜査に当たった刑事自身もこのことを認めているのを拝見して、同感だと感じた。

 最後は、最初にも言ったことだが、この事件が起きる前から、未解決の事件について、なぜ捜査は失敗したのか、問題点を総括する体勢が警察内部になかったことだ。失敗を次の事件捜査に組織的に生かせる努力を積み重ねてこなかった。このことが、大事件のグリコ事件を迷宮入りにさせた。こういえば、大阪府警には酷な言い方であろうか。

 容疑者逮捕で裁判になれば、否が応でも証拠固めや捜査方法、なぜうまく解決したのか、詰める。表賞もあることだから熱心に検討される。しかし、未解決に終わった捜査には力が入らないのはあるいは当然かもしれない。仲間の捜査員に、いわば傷口に塩を刷り込むようなことは誰だってしたくない。第一、警察にはそんな暇はない。事件は次々に起こるのだから、というのでは捜査能力のアップはなかなか難しい。ぜひ、部外秘の総括報告書の作成を義務付けて、問題点を洗い出し、次の事件に生かす仕組みが必要だ。

 番組の最後に、現場の捜査員(大阪府警捜査一課特殊班)のひとりは、

 「どこに捜査のミスがあったのか、犯人に聞きたい」

と悔しさをにじませて述懐していた。本音だろう。しかし、それは総括報告書の中に書かれてこそ、次の機会に生かされる。犯人に問いかけるようでは、気持ちはわかるが、あまりに策がなさ過ぎるというか、恥ずかしい。法と秩序を守る最前線に立つ捜査員として、情けないではないか。

 以上、27年前に起きたトロッコ記者時代に起きた思い出の事件の番組に、いろいろ当時のことを懐かしく考えさせられた。

 夜中に、ふと、今頃、犯人グループはどこで、何をしているのだろうかと、冷酒を口に運びながら思った。2011.07.31

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