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日本調査捕鯨副産物、ミンク鯨を食する 

(2011.07.26)  紀伊半島南端部の太地町を舞台にした「鯨の町に生きる」という番組を見たせいか、団塊の世代には懐かしい鯨の肉を買って食べてみた。

 いわゆるデパ地下で、

 100グラム当たり650円の生食用、161グラム(1046円)パックを、半額セールで買って、半分を刺身で食べてみた。しょうが醤油で食べたが、正直な感想を言えば、

 臭みはそれほどではないが、どうもおいしくない

 かつて小学校の給食で食べたごちそう「くじらのフライ」(実際は、醤油漬けにして片栗粉で揚げる竜田揚げだったように思う)ほどにはおいしくなかった。

 表示を見てみると、刺身用加工鯨肉(解凍)であり、原材料名は

 ミンク鯨(北西太平洋・南氷洋)、食塩、pH調整剤、コラーゲン、酸化防止剤(V.E、V.C)、グリシン、ヒヤルロン酸、増粘多糖類

となっていた。保存温度は4℃以下となっていた。日本人は、気づいていないが、こんな形で鯨肉は市中に出回っているのだ。

 生食は口に合わないので、残りの半分は、フライパンで焼肉にして、醤油をかけ、胡椒をふりかけて食べてみたら、臭みも消えて、子供のころの懐かしい味がいくらかよみがえってきた。

 大阪では、鯨料理として、水菜とともに味わう冬のハリハリ鍋が有名。大阪で夕刊紙記者をしていたとき、この安い料理をよく食べたものである。

 鯨料理にあう調理法をもっと工夫、広めたいものだ。2011.07.26

 ( 追悼 )  2011.07.26

  飲み仲間のH氏(59歳)が、誰にも看取られることなく質素なアパートの自室で亡くなった。死亡を知ったのは、26日正午ごろだったが、死後、2、3日たっていたらしい。孤独死だろう。

 糖尿病生活が長いが、最近、1、2か月は特に、体調が思わしくなかったらしい。亡くなる10日くらい前に馴染みの飲み屋でビールを飲んだが、げっそりと顔がやせていたのが妙に気になり、病院にいくことを進めた。今から思うと、もはや生きる気力がなくなっていたように思う。 

 知らせを受けたとき、ブログ子は、大長編小説、『徳川家康』(全18巻)を読破中で、第十三巻の

 江戸・大阪の巻 朝の葵

を読んでいた。家康はここでこう言っている。

 「人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くがごとし」「急ぐべからず」

 H氏の重荷や来し方に思いをはせる一日となった。

 ふと、友人の死に接して、深夜、60歳を過ぎたわが身を振り返り、

 今、笑って死ねるか。

 今、死んでも悔いはないか

 自問した。答えは出なかった。合掌。

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